第96話『決心』
救急車の中。
レーゼが出て行った後、その場に立ちつくす雅。
握り締めた拳に、さらに力が籠る。
頭の中で色々な思いや考えが渦を巻いて、それが纏まらないまま、現実時間で僅か数秒。
しかし彼女の体感ではかなりの時が経っていた。
「……私は」
雅とレーゼのやりとりに口を挟めず、傍観者にならざるを得なかった優達に、微かに聞こえるかどうかの音量で、雅は話し始める。
「異世界にいた時、色んな人に助けてもらいました。今思えば、私のせいで危険な目に遭った人もいましたけど、『巻き込んでしまった』っていう罪悪感を、殆ど感じなかったんです」
自分が逃がしたレイパーにより、ライナの父親が殺されてしまった際は自分の責任を痛感したものの、逆に言えばその時くらいしかそういう感情は湧かなかった。
例えば過去に、ガルティカ遺跡を探索し、魔王種レイパーに襲われた際、一言でもファムやミカエルに「私のせいで危険な目に遭わせてしまって、ごめんなさい」と言っただろうか。自分が二つの世界を行き来する手掛かりを探しに行ったがために、トラブルに巻き込まれたというのに。
例えばドラゴナ島で、魔王種レイパーによってたくさんのバスターが殺された時、「自分が魔王種レイパーを逃がしてしまったからだ」と少しでも思っただろうか。ガルティカ遺跡で倒していれば、あのバスターは誰も死なずにすんだというのに。
答えはどちらもノーである。「何もかも、全てレイパーが悪い」と、そう考えてしまっていた。
そして、こちらの世界に戻って来てからもそうだ。
そう考えてきたツケが今、回ってきたのである。
「私……」
「みーちゃん」
「私……!」
「みーちゃん!」
「私……最低だ……!」
「死んだような目をするな!」
呆然と呟く雅に息を吹き込むよう、必死に呼びかける優。
彼女の眼に僅かに光が戻った隙を逃さず、優は雅の胸ぐらを掴む。
「罪悪感って何よ! 巻き込んで何が悪い! 異世界のことは知らないけど、向こうでいっぱいレイパー倒したんでしょう! 色んな人、助けたんでしょう! 悪いことばっかり目を向けて! 一人で抱え込むんじゃない! 少なくとも――」
「い……痛い!」
「力になりたいから、私は望んで巻き込まれた! 今は確かに辛くて苦しいけど! 後悔なんてしていない!」
「痛いです! さがみん!」
「ふん!」
乱暴に雅を突き離すと、優は肩で大きく息をし――ホッと息を吐く。
荒療治だったが、その甲斐はあった。
「ご、ごめんなさい。さがみん……お陰で頭が冷えました」
「全く……。で? これからどうすんの?」
元に戻った親友に、優はそう尋ねる。
雅は頭を掻くと、皺になった服を伸ばし、レーゼが向かった方向に目を向けた。
「……レーゼさんを追います。レイパーの前に、まずは久世さんを止めなきゃ。アーツを取り返さないとですし」
アーツが無ければ、魔王種レイパーを倒すことなど到底不可能。そういう意味でも、まずは久世への対処が先である。
「ダ……だガ、行って何が出来ル? アーツが無いんジャ……」
「それは……」
志愛の言葉に、雅はとっさに返答出来ない。確かに、彼女の言う通りだ。
そこでふと、救急車のドアが開く。
新しい怪我人が運ばれてきたのだ。
軽症者はほとんどいない。骨折したり、腕を失ったり……雅達の怪我なんて、まだ浅い方だ。
中には、もう助からないと一目で分かる程重症な人もいる。
「……一旦出よう。ここでの長話は、邪魔になる」
愛理の言葉で、雅以外の皆が動き始める。
「……みーちゃん?」
「束音、どうした?」
「……いえ、すみません。すぐ出ます」
雅はしばらく、新たにやって来た人から目を逸らすことが出来なかった。
***
「私、やっぱり行きます」
救急車を出た直後、雅はそう言った。
彼女の目には、強い光が宿っている。
さっきまでの雅とは、明らかに覚悟が違う。そう思わせる程だ。
「権さんの言う通り、アーツが無いですわ。どうするおつもりで?」
「アーツは無いけど、スキルは使えます。工夫次第で、何とかなるかもしれない」
「何とかなるって……束音、それはほとんどノープランだろう……」
今度は即答した雅の発言に、愛理は頭を抱えた。
「危険過ぎる。却って足手纏いになるかもしれない。死ぬかもしれない。それでも、束音は行くと言うのか?」
「行きますよ。でも、足手纏いになるつもりも、死ぬつもりも無い。その場その場で出来ることを精一杯探して、やりきります。私は――」
そこで、雅は再び救急車の方を……いや、ここにいる人達全員を見渡す。
「私は決めたんです。世の中の女性が、明るくて前向きに生きられる世の中を作ろうって。覚悟を決めたつもりでも、甘かったのかもしれない。でも……その思いは今も変わりません」
「束音……」
「だから行きます。私も戦います。戦う力を失ったことを、戦わない言い訳にしたくない。戦わなければ、もしレーゼさんがアーツを取り戻してくれたとしても、私は二度と、百花繚乱は握れないと思うから」
そう言われ、無言で雅を見つめる愛理。
何か言いたいが、何も言葉が出てこない。
愛理があれこれ考えていると、雅は皆に向かって背を向けた。
一人で、レーゼを追いかけるつもりなのだろう。
「待ちなさい」
そんな雅に、優が声を掛けた。
直後、雅の背中に拳が打ちこまれる。
「ちょ、さがみんっ?」
「望んで巻き込まれたって言ったでしょ? 私も行くわよ」
「私も行きますわ」
希羅々の参戦に、雅と優も目を丸くする。雅にとっては付き合いの浅い希羅々。まさか力を貸してくれるなんて思ってもいなかったのだ。
その考えに気が付いたのか、希羅々は不愉快そうに鼻を鳴らす。
「……マーガロイスさんはご自身の責任だと仰っていましたが、久世はこちらの世界の人間で、そしてお父様の会社の人間ですわ。彼女だけの問題だなんて思うつもりはありませんのよ」
そして希羅々は、今の発言に顔を強張らせている真衣華を見つめる。
「真衣華。あなたは、どうしますの?」
「どうするの……って……そんなの……」
「付き合えなどと強制するつもりはありません。ですが、あなたは大事なものを奪われた。少しくらいやり返しても、罰は当たらないのと思いますけど?」
無言になる真衣華。
アーツは取り返したい。当たり前だ。彼女にとって、何より大事なものだから。
だが、怖い。それも、当たり前の感情だった。
「私、私は……」
「怖ければ、私の後ろに隠れていたって構いませんわよ」
「希羅々……?」
「気持ちなんて、決まっているのでしょう? 分かりますわよ、親友ですもの」
だから、と希羅々は続ける。
「ここで逃げたら、きっと後悔しますわよ。丸腰じゃ怖いと言うのなら、私は喜んで、真衣華の盾にでも何でもなってやりますわ」
これは、希羅々なりの責任の取り方だった。真衣華がアーツを大事にしているのは勿論希羅々も知っている。それを久世が奪ったのだ。
自分のアーツが奪われたこと以上に、真衣華のアーツを奪われたことが、希羅々にとっては許せなかったのだ。
それは、付き合いの長い真衣華には伝わった。
真衣華は、強張る足に、グッと力を込める。
怖い、という感情が消えたわけでは無い。
それでも、もっと強い想いが、今の真衣華を動かそうとしていた。
「私も……行くよ。取り返す。私のアーツ」
「……流石、真衣華ですわね」
一歩踏み出した真衣華に、希羅々は柔らかい笑みを浮かべる。
そして四人の目は、志愛と愛理へと向けられた。
二人は互いに、顔を見合わせる。
すると、
「私も行こウ」
志愛が先に、愛理に向けていた目を雅達へと向ける。
「友人だけヲ、危険な目には遭わせられなイ。ここで逃げたラ……きっと私は私ヲ、許せなくなるだろウ」
「志愛ちゃん……ありがとう!」
「別ニ、あんた達のためじゃないんだからネッ!」
「その似非ツンデレ、久しぶりに見たわぁ……。空気読みなさい」
「おかしイ、ベストタイミングだと思ったのニ……」
むー、と唸る志愛に、雅達から少しだけ笑い声が漏れる。
愛理だけは、そんな志愛を渋い顔で見ていたが。
しかしそれも数秒。愛理は深く目を閉じ、長く息を吐く。
「……全く、皆馬鹿ばっかりだ」
「愛理ちゃん……」
「放ってはおけん。私も行こう」
「っ! ありがとう!」
「お、おい束音!」
突然抱きついてきた雅に、顔を赤らめる愛理。
雅は抱きついたまま、希羅々へと顔を向ける。
「桔梗院ちゃん、車借りられますか?」
「『桔梗院ちゃん』……って、束音……?」
雅の珍しい苗字呼びに、愛理は目を丸くする。
希羅々が望むまで名前では呼ばない約束をしたことを、彼女は知らないのだ。
「ええ、先程連絡致しましたわ。ただ、一旦私の家に行きましょう」
「桔梗院の家にカ? どうしてダ? 直接行けバ……」
「ニュースを見たら、会社の周辺でレイパーが暴れているという情報がありましたの。そんな中で『StylishArts』まで送ってくれなんて頼んでも断られるのがオチ。ですから――」
そこまで言った直後、黒塗りの、いかにも高そうな車が走ってくるのが見える。
すると希羅々は、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「私の家に、ドローンがいくつかありますの。それで飛んでいきましょう」
***
七月十四日土曜日、夜十一時二分。
阿賀野川大橋を、一台のパトカーが走っていた。
車内にいるのは、優一と……レーゼだ。
『StylishArts』へと向かおうとしたものの、会社がどこにあるのか分からなかったレーゼ。
近くにいた人に尋ねてみたところ、今レーゼがいる東区から、『StylishArts』のある聖籠町まではかなりの距離があることを知る。
徒歩で片道四時間弱だ。流石に歩いていくわけにはいかない。
悩んでいた彼女に声を掛けたのが、優一だった。
本当なら優と一緒にいたかっただろう。しかしアーツを取り戻しにいこうとするレーゼに、優一は力を貸したのである。
車の中は、重苦しい空気が流れていた。優一もレーゼも一言も会話が無い。
だが、それに耐えかねたレーゼが、ついに口を開いた。
「あの……何故、助けてくれるんですか? 私のせいで、娘さんが……」
優一は答えない。
言葉を間違えた……と心の中でパニックになりながらも、レーゼはちらりと横目で優一の顔見る。
彼に、表情は無い。
しかし何故だろうか。表情は無いのに、随分悩んでいるような印象を、レーゼは受けた。
沈黙が続くこと、数分。
「……昔。私がまだ生まれる前」
優一が、ゆっくりと話し始める。
「レイパーが出現して、間も無い頃。全ての女性にアーツが行き渡ったあたりの話だ。まぁ私も親父やお袋から聞かされた話なんだが……」
「…………」
「当時はレイパーに襲われて、誰かが助けに入り……その助けに入った女性が怪我をしたりすると、親兄弟、彼氏や旦那が決まって『あなたのせいで、彼女が怪我をしたんだぞ!』と責めてきたらしい」
レーゼは身を強張らせた。
責める人の気持ちは分かる。レーゼだって、異世界でバスターをしていた時、現場への到着が遅くなり結果としてレイパーに殺された被害者を出してしまったことはある。これはレーゼだけでは無く、多くのバスターが同じ経験をしたことだ。
無論、バスターだって全力を尽くした。誰が悪いわけでも無い。
それでも遺族からは当然責められる。
『あんたたちの到着が遅れたから、殺されたんだぞ』、と。
故に、優一からも厳しい言葉を投げつけられる覚悟をしていた。
だが――
「だが、それは昔の話だ」
「……えっ?」
「今はもう、そういう時代では無くなったんだ。襲われる方に、一体何の罪がある? 望んで襲われたわけでは無い。女性として生まれただけで、何時死ぬかもしれない恐怖を背負わされているのに、他の人がそれ以上の責任を負わせるのは間違っている。今は、そう考える時代だ」
そこまで言うと、優一は深く息を吐く。
無論、娘が傷ついた以上、レーゼに対して思うところが何も無いわけでは無い。
だがそれでも、
「私は、レーゼさんが悪いとは思わない」
「ユウイチさん……すみません……」
「男の私では、現場にレーゼさんを送ってやることしか出来ないが……優の、あの子達のアーツを、頼む」
レーゼは強く頷き、戦闘態勢をとるように、腕のアームバンドを緩めるのだった。
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