第1章閑話
「ここで大人しくしていろっ!」
「ぎゃんっ!」
紺色の制帽と活動服を身に付けた男に、格子のはめ込まれた小部屋の中に蹴り飛ばされる雅。
部屋の中には質素な絨毯が敷かれており、天井には小さなランタン。隅の方にはカーテンで仕切られた区画があり、その中にトイレがあるが、それ以外は何も無い。
一言で表すならば、ここは牢屋である。
無常にも入り口は閉められ、南京錠が掛かる音が鳴った。
「ちょっとぉぉぉおっ? 女の子なんですからもっと優しく扱ってくれてもいいじゃないですかぁぁぁあっ! なんで私がこんな目にあわなきゃならないんですかぁぁぁあっ?」
扱いの乱雑さに雅は鉄格子をガンガンと叩きまくりながら抗議するが、男はフンと鼻を鳴らす。
一見すれば雅の言うことの方に理がありそうな気もするが、ここに至るまでの過程を考えればこの男のことを責めるわけにもいかない事情があった。
「お前がセクハラなんかするからだっ!」
叩かれる度に鳴る鉄格子の音に顔を顰めながらも、男は青筋を立てて口角泡を飛ばす。
「誰がっ! どこでっ! 誰にっ! セクハラなんかしたっていうんですかっ!」
「お前が! 馬車の中で! 女性の胸を揉んだだろう! これをセクハラと呼ばずして何と言う!」
「嫌がられなければセクハラとは言いません! 彼女、別に気にして無かったじゃないですかっ!」
「傍から見れば完全にセクハラだったのだろう! 通報してきた者は一人二人では無かったぞ! 女性だって怖くて何も言えなかっただけじゃないのかっ!」
「私の目にかけて! そんな事は断じてありませんでしたっ!」
二人の声で、天井からパラパラと埃と砂が落ちる。
それからしばらく互いに怒鳴りあっていたが、やがて疲れたのか肩で息をし始めたことで論争は終わりを迎える。
「……と、とにかく! 今日はここで過ごせ! お前の言う通り、別に女性が嫌がっていた訳ではないが、さりとてやったことはアウトなんだ!」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
自らの旗色が悪いことにようやく気がついた雅。
互いにあれこれと言いたいことを言っているが、真相はこうだ。
レーゼと別れ、馬車でセントラベルグに向かっていた雅。セントラベルグまでは約二時間。一人で景色を眺めて時間を潰すのはあまりにも惜しいと思った雅は、近くに座っていた子連れの女性に話かけた。
年齢は三十代後半。子供は女の子で、今年で五歳になるらしい。今日は単身赴任の夫に会いに行くのだと雅は聞いた。
母親と世間話をしつつ、子供にあやとりやマジックを披露していた雅だが、そこで道が急カーブに差しかかったためかバランスを崩してしまう。
子供にぶつかるわけにはいかないと、全身の筋肉と神経をフルに活用して衝突の未来を避けた雅だが、運の悪いことに目の前には母親が。
ここで重要だったのが、その母親は割と豊かなバストをお持ちだった点。これなら衝突しても互いに怪我はするまいと、雅は悟った。
ラッキースケベのチャンスだったので雅は一切の抵抗をせずに女性の胸に飛び込み、離れようともがいたら偶然彼女の胸を揉んでしまい、割と心地よかったので復帰に手間取っている風を装ってちょっと楽しんでいたのだが、流石にやり過ぎたのだろう。
他の乗客に通報されてしまい、結果、今雅がいる軽犯罪者収容施設『カルアベルグ収容所』に一晩閉じ込められる事になってしまったというわけだ。セントラベルグから少し離れた所にある、平屋の施設である。
結論から言えば雅の自業自得であり、ついでに言えば一晩で出所できるのは破格の待遇と言える。本来は十日以上拘束されるのが普通だ。
それがたった一日で済むのは、被害者による擁護が理由だ。母親は雅の行為が不可抗力と理解しているおり、雅が言った通りセクハラを受けたという認識は無い。だから被害者の母親は収容所の職員と話をし、すぐに出してもらえないか交渉したのだが……流石にお咎め無しというわけにはいかなかった。
しかし納得のいかない雅は、どうやってこの局面を乗り切ろうか悪知恵を働かせる始末。
雅の荷物はその際職員に没収されたが、身につけている服やアクセサリまでは取られなかった。当然、雅が右手の薬指に嵌めている指輪も。
つまり指輪に収納されているアーツ、『百花繚乱』は未だ雅の手の中、ということだ。最悪それを使って格子を破壊して強引に脱獄してしまおうかという考えが頭を過ぎり、指輪に人差し指を這わせる。
「……レイパーに襲われないよう、女性の看守が来る。彼女に変なことをするんじゃないぞ?」
それを聞いた雅は、指輪を撫でる指を止めた。
僅かな逡巡の後、口を開く。
「……まぁ、女性に監視されるのならば悪くありませんね。言われた通り、大人しくここで過ごしましょう」
「お前……」
男は疲れ切った顔で雅を見た後、大袈裟に溜息を吐いた。
「……お前と話していると、頭がおかしくなりそうだ。格好も何か変だし」
「失礼な」
頬を膨らませた雅だが、誰かがこちらに歩いてくる音が聞こえ、そちらに目を向け、そして息を呑んだ。
金髪ポニーテールの、長身の女性。スっとした目に、白い肌。有体に言えばめちゃくちゃ美人の女性が、そこにいたのだ。男と同じように、紺色の制帽と活動服を身に付けており、この収容施設の職員であることは明らかだった。
雅の牢の前まで来ると、女性と男は互いに敬礼する。
「ご苦労。ここから先は私が」
「はっ! よろしくお願いします!」
静かな声で女性が言うと、男は雅を一睨みした後、その場を後にした。残されたのは女性と、ポカンと口を開けて彼女をボーッと見ている雅のみ。
「私はリアロッテ・ライムベルツ。ここの看守。あなたがここにいる間、私が監視する」
自己紹介され、ハッと我に返る雅。しかしこちらも返さねば礼を失すると思った時には既に、リアロッテは雅から目を背けていた。
「私、束音雅っていいます。監視、よろしくお願いします!」
それでも名乗る雅だが、反応が無い。リアロッテは牢から少し離れた位置で、雅に背を向け、辺りを警戒するように視線を動かしていた。
囚人への興味は、特に無いらしい。
雅は格子に背中を預け、口を開いた。
「いやー、だんだんと寒くなってきましたよねぇ。そろそろ雪が降る季節なんですって。私、最近ノースベルグにやってきたばかりなので、ここでの冬は初めてなんですよ」
「そう」
「私の故郷でも、雪がめっちゃ降るんです。それこそ、私の足の脛の真ん中まで埋まるくらい積もることだってあるんですよ。大昔は、もっと降っていたみたいなんですけど」
「へぇ」
「私、毎年友達と雪だるまとか、かまくら作るのが楽しみで。アランベルグには、そういう文化ってあるんですか?」
「聞いたこと無い」
「あー……じゃあ、こっちで作ったら、きっと驚かれますねぇ。子供受けするから、どこかで披露しようかな?」
「…………」
話しかけても、リアロッテの反応は薄い。視線を合わせることも無い。しかし雅はあまり気にしていなかった。彼女にして見れば、リアロッテは薄くとも反応が有るだけまだマシだと思っている。今まで雅が仲良くなった人の中には、最初は雅への警戒心からか、口も聞いてくれなかった相手は何人もいたのだ。
だから雅はめげない。
それから一時間ほど、リアロッテの反応は最初と何ら変わらないものであったが、お構い無しに、取り留めの無い話を続ける雅。
最近食べた料理の話を終え、さて次は何の話をしようかと思っていると、別の看守が給仕ワゴンを押してやってきた。夕食の時間がきたのだ。
献立は、乾燥したパンに、ベルギッシュと野菜のスープ。そして苺だ。苺は雅の元いた世界の苺と同じようなものだが、こっちの世界では比較的よく採れるフルーツで、雅のいた世界の苺よりも安く販売されているのが特徴だ。
雅は、その苺を摘むと、チラリとリアロッテの方を見る。
「あの、この苺、良かったら食べますか? お好きですよね?」
その言葉に、リアロッテは初めて雅に視線を向けた。
「……どうしてそう思う?」
「あ、いえ。ハンカチの柄が苺柄なので、もしかしてお好きなのかなって」
リアロッテは思わず制服のポッケに視線を落とすと、そこには少しだけハンカチがはみ出ていた。よくこんなところを見ていたものだと感心する一方、だらしないところを見られて恥ずかしいという気持ちもある。リアロッテはそのハンカチをポッケの奥へと押し込んだ。
「……頂くわけにはいかない」
「そんな事言わずに! 全部食べちゃうのは気が引けるのなら、先っぽだけ、先っぽの甘い所だけでも!」
「何故そこまで?」
「やだなぁもう。ずっと立ちっぱなしのリアロッテさんに、ご褒美を上げたいだけですよぅ?」
リアロッテは差し出された苺をじーっと見つめる。確かに苺はリアロッテの大好物であり、その鮮やかな赤色は食欲が刺激されてしまう。無論、この欲に負ける等規則的にも看守のプライド的にも大いに問題がある。
ここでふと、リアロッテはあることに気がついた。
「……もしかして、私の食べかけの苺が目的?」
途端、雅の表情が強張る。図星だったのだ。
「間接キスがしたかったの?」
「……駄目ですか?」
「あたりまえ」
えー、いいじゃないですかー、と言う雅に、ジト目を向けるリアロッテ。
その時だ。
リアロッテの眉がピクリと動き、纏う雰囲気が剣呑なものへと変わる。
「……リアロッテさん?」
「下がって。レイパーの気配がする」
その言葉で、雅の眉間に皺が寄る。
辺りに視線を這わせるが、怪物の姿はどこにも無い。
しかし確かにリアロッテの言う通り、良くない雰囲気が辺りに漂っていた。ノースベルグで実戦経験を積んだ結果、こういう空気を察する力は多少なりとも雅にも身についていたのだ。
「リアロッテさん、ちょっと牢から離れてください」
「え?」
雅の真剣な声に、思わず後ろに一歩下がりながら、リアロッテは疑問の声を上げる。
雅の嵌めている指輪が光り、彼女の手に剣銃両用アーツ『百花繚乱』が出現した。
百花繚乱をブレードモードにし、鉄格子を斬って雅は牢の外に出た。
「それ、アーツ? どこにそんな物を隠し持っていたの?」
「すいません。細かい話はまた後で。リアロッテさん、アーツは?」
「ある」
流石に驚いた様子のリアロッテだったが、すぐに調子を取り戻すと、活動服の内ポケットから、持ち手のついた小指程の太さの黄色い縄のような武器を取り出す。
鞭だ。リアロッテのアーツ『スパーキアウィップ』である。
リアロッテはその鞭を軽く振るうと、トング――縄の部分が、リアロッテの左腕に巻きついた。
すると、鞭の持ち手の先から光が迸り、トングを伝ってリアロッテの左腕に流れていく。
彼女の髪の毛が逆立つのを見て、雅はその光が電流だと気がついた。
「あのっ、リアロッテさんっ?」
「大丈夫。私のスキルは、自分に電流を流す必要がある」
スパーキアウィップは、使用者の意思に応じ、トングの部分に電流を流すことが出来る鞭だ。
そしてリアロッテがアーツから貰ったスキルは『帯電気質』。自分自身に電流を流すことで、身体能力を上げる事が出来るスキルである。
「気をつけて。レイパーの気配が近づいてくる」
「は、はいっ!」
雅は改めて、辺りを見渡した。
今、二人は雅が入れられていた牢屋の前に立っている。牢屋を出て、目の前と左側には通路が延びており、それぞれ両側には他の牢屋が並ぶ。この牢屋には、今は他には誰もいない。
目の前の通路の先は行き止まりになっているが、左側に伸びる通路の先は、監視部屋があるエリアへと続いている。さらにこの辺りには、窓ガラスの類は一切無い。
故に、レイパーが来るとしたら、左側の通路の奥から来る可能性が最も高く、リアロッテの目も自然とそちらへと向く。
雅も、頭ではレイパーが来るのはこっちからだと分かっていた。
だがここで、雅は何気なく、別の方へと目が向く。牢屋の目の前に伸びる通路……その先は行き止まりであるはずの通路の方を見た。
奥は明かりが届いておらず、薄暗い。何かがいてもはっきりと分からない程には。
根拠は無い。
しかし、何となくではあるが、この方向から攻撃が来そうな予感がしたのだ。
雅はアーツを中段に構えて、自らがリアロッテの盾になるかのように、リアロッテの真横へと立つ。
そして、雅が見ていた方にあう牢屋の中から何かが壊れる音と爆音が続けざまに聞こえ、その勘が当たったことを知る。
「どうした――っ?」
「きたっ?」
リアロッテが雅の行動に疑問の声を上げた瞬間、黒い影が音のした牢屋から飛び出してきた。
その刹那、握りこぶし程のサイズの『何か』が飛んできて、雅は咄嗟に百花繚乱の刃を顔の前に持ってくる。
飛んできた何かは、アーツの刃に命中すると破裂。衝撃が百花繚乱越しに雅へと伝わり、雅は小さな悲鳴と共に仰け反ってしまう。
そんな雅を支えるリアロッテ。しかし雅が体勢を整える間もなく、先程の『何か』が続けざまに飛んできた。
リアロッテは片手で雅を抱きながら、鞭を握っているもう片方の腕を上下左右に振るう。
黄色い閃光を描きながら飛んで行くトングが、飛んでくる『何か』を次々に破壊していった。
「いた! あそこです!」
「見えている! やっぱりレイパーだ!」
段々と目が慣れてきて、二人は敵の正体を知る。
通路の奥。距離にして、二人から三百メートルほど離れたところに敵はいた。
木を模した、二足歩行の怪物だ。分類は『人型種トレント科』といったところか。
行き止まりの壁と色が似ており、パッと見はいないように見えていたようだ。
雅達を襲っている『何か』は、そのレイパーの口から飛ばされている。敵の正体が分かったら、弾丸のように飛んでくるその『何か』が植物の種子であることに二人は気がついた。
雅は百花繚乱をライフルモードにすると、レイパー目掛けて桃色のエネルギー弾を放つ。
エネルギー弾はレイパーの腹部に命中。大きなダメージこそ無かったものの、レイパーが僅かに体をくの字に曲げたことで、それまで絶え間なく襲ってきていた種子の弾丸が止んだ。
「今です!」
「ええ」
リアロッテは抱いている雅を離すと、勢い良くレイパーに近づいていく。
途中でレイパーは攻撃を再開したが、飛ばしてきた種子は、全て雅の放つ桃色のエネルギー弾で破壊した。
五十メートル程めで近づいたところで、リアロッテは鞭を振る。トングがレイパーの首へと巻きつくと、レイパーの方へと電流が流れた。
これでレイパーを感電死させる目論見だったリアロッテ。しかし――
「……っ?」
多少苦しそうにしているものの、レイパーの体が焦げていく様子は無い。
体の大半は木と同じ成分のため、電気抵抗が高い。故に感電し辛いのだ。
レイパーは巻きついている鞭を掴むと、力任せに引っ張り、リアロッテも負けじと腕に力を込めた。
互いの力は互角。
しかし膠着の最中、レイパーは口を開き、種子を放つ。
鞭を引くことに集中していたリアロッテに、それを躱す余裕など無い。
種子が胸部目掛けて飛んできて、今まさに当たりそうになった、その時だ。
「――っ!」
「間に合った!」
雅の百花繚乱の刃が、飛んでくる種子の側面を叩き、破壊する。
リアロッテとレイパーの綱引きが始まった時、雅はアーツをブレードモードにしてリアロッテ達の方へと駆け出していたのだ。
リアロッテはレイパーの首に巻きついていた鞭を解き、手元へと勢いよく手繰り寄せた。
「ごめん、あいつに電流が効かない」
「私が接近して、何とかしてみます! 援護お願いします!」
雅はそう言うと、レイパーの方へと駆け出した。
無謀にも見える特攻。無論、レイパーも雅へと種子の弾丸を飛ばす。
だが雅もその一つ一つを、走りながらアーツで斬り砕いていく。
雅の防御が間に合わないものは、リアロッテが鞭で破壊した。
そしてレイパーとの距離を十五メートル程まで詰め、顔面へと飛んできた種子を横一文字斬りで防ぎ、雅は立ち止まる。
「さぁ、いきますよっ!」
気合を入れるように声を張り上げると、雅はアーツの切っ先を地面に向け、仁王立ちになる。
彼女の心臓目掛け、猛スピードで飛んでくる種子。
雅はそれを避けることも、百花繚乱で防ぐこともしない。
狙い通りの場所に命中し、種子が大きな音を立てて破裂する。
「ミヤビっ?」
後ろで見ていたリアロッテの、悲鳴にも似た声が木霊した。
だが……雅の体には、傷一つついていない。
これには流石のレイパーも驚いたのか、くぐもった声を上げる。
そして、雅はゆっくりと、レイパーの方へと歩き始める。
二発目、三発目の種子を飛ばすレイパー。
その攻撃全てが雅に当たるが、やはりダメージを受けていない。
今までの種子による攻撃はアーツで防いでいたのに、何故今はノーガードでいられるのか。
その答えは、雅とレーゼがコボルト種やウルフ種レイパーと戦った際、アーツから貰ったスキル『共感』にある。
このスキルは、他の人のスキルを、一日一回だけ使用できるスキルだ。
誰のスキルでも使えるわけでは無い。信頼関係を築いた相手だけだ。
今雅が使っているスキルは、レーゼの『衣服強化』。これでレイパーの攻撃を防ぎながら接近しているのである。
ただし『共感』のスキルで他の人のスキルを使用した場合、その効果は全く同じにはならない。
例えば『衣服強化』のスキルであれば、レーゼがそのスキルを使用した場合、スキルの効果時間はレーゼの集中力が続く限りずっとだ。しかし雅が『衣服強化』のスキルを使うと、雅の集中力がいくら続こうとも、スキルの効果は三十秒で切れてしまう。
またレーゼがスキルを使っても身体能力に支障を及ぼさないが、雅が彼女のスキルを使うと、体が鉛のように重くなり、機動力が落ちるという欠点がついた。
一方レーゼが『衣服強化』のスキルを使った場合、身に着けている衣服のみが強化され、剥き出しの肌は弱いままだが、雅が『衣服強化』のスキルを使うと衣服のみならず、剥き出しの肌の耐久力も鎧並になるという優れた点もある。
こういった面があったため、最初はスキルを使わずレイパーとの距離を詰め、ある程度近づいたところで『衣服強化』のスキルを発動したというわけだ。
勝負は、スキルの効果が続く三十秒の間。
どれだけ種子が当たろうとも、雅はものともせずに、レイパーへと向かっていく。
およそ二十発の種子を全て受けきった時、雅とレイパーの距離は約三メートル。
ここで、レイパーはようやく、自分の攻撃が効かないことを悟った。
一歩後ずさり、すぐに雅に背を向ける。
雅の顔が強張る。ここで逃げられるとスキルが切れ、千載一遇のチャンスを逃してしまう。
しかし――
「だめ、逃がさない」
逃げるレイパーの右足に、トングが巻きついた。
リアロッテが鞭を引くと、レイパーはつんのめり、そのままうつ伏せに倒れる。
雅は転んだレイパーに跨ると、背中の、人間で言えば心臓がある部分に百花繚乱を突き刺す。
同時に、リアロッテの鞭からもレイパーへと電流が迸った。
助けを求めるかのように手を前に伸ばし、苦しむような声を上げる人型種トレント科レイパー。体を大きく震わせ、爆発四散した。
近くにいた雅は爆風を浴びたが、『衣服強化』のスキルの効果が残っていたため無事だ。雅は振り向き、心配そうな顔をしていたリアロッテにサムズアップをしてみせると、リアロッテはほぅっと息を吐く。
「ミヤビ、大丈夫?」
「はい、ちょっと熱かったですけど、平気です!」
「そう。協力、感謝する。ちょっと待ってて」
リアロッテは軽く頷くと、最初にレイパーが出てきた牢屋の中の様子を見に行く。
「……っ」
中を見たリアロッテは思わず険しい表情になる。
牢屋の壁の一部には大きな穴があいている。種子で破壊したと推測された。壊されないよう、他の建物よりも、ずっと頑丈な壁なのだが。
これでは女性囚人の命が危ない。ここに入る人は軽犯罪者だ。犯罪は犯罪だが、殺される程のことをしているわけでは無い。
「あの、リアロッテさん?」
「……あなたは収容されている身のはず。レイパーは倒したのだから、牢屋に戻る」
厳しい声のリアロッテの台詞。しかし雅は、大人しく牢屋の方へと踵を返す。
指輪が光り、アーツが中にしまわれる。
それを見て、リアロッテはふと規則を思い出した。
「ちょっと待って。そのアーツは没収。指輪も」
「よ、よくこれに収納されたって分かりましたね」
「光ったでしょ、それ」
リアロッテが指輪を指差すと、しまったというように額に手をやる雅。
しかし特に文句を言う様子も無く、雅はリアロッテに大人しく指輪を渡す。あまりに素直な行動に、リアロッテは僅かに首を傾げた。
そんな彼女に、雅は両手の人差し指をくっつけ、頬を上目遣いで口を開く。
「あのぅ……実は私、それを使って脱獄しようとしてました」
「……はい?」
わざわざ告白しなくとも良いものを告げられ、リアロッテは困惑する。
しかし次の一言で、その発言の意味を知ることとなった。
「それでですね……こんな悪い私は、鞭でビシバシと叩かれるべきだって思ったんですよ」
雅は頬を上気させ、腰を僅かにくねらせながらリアロッテと鞭に交互に視線を動かしていた。
「……お仕置きしてくれと?」
「イエスっ!」
「分かった。なら専用の職員を連れてくる。筋肉達磨みたいな男だから、きっとちゃんと反省出来るはず」
「ちょっとちょっとちょっとっ? それじゃ意味無いじゃないですかっ? 私は痛い思いをしたいんじゃないんです! 女の人に、リアロッテさんに冷たい目で蔑まれながら叩かれたいんですよぉっ?」
「変態」
「あいたっ!」
リアロッテのデコピンが雅にヒットした。
そんな馬鹿なやりとりで、何となく気が紛れたリアロッテ。
「…………」
ちょっと赤くなった額を押さえつつも何故か嬉しそうな顔の雅を見て、リアロッテは思う。
もしや自分を元気付けるために、わざとおちゃらけたのだろうか、と。
(……いや、考え過ぎか)
リアロッテは、自分の口角が僅かに上がっていたことには気がつかない。
その後、今回の件の後始末で、慌しく夜は更けていく。
ちなみに、アーツを不当に持ちこんだことで、雅の刑期が一日延びた。
***
そして、雅釈放の日の朝六時。
カルアベルグ収容所の入り口に、荷物を持った雅と、リアロッテの姿があった。
「これからどうするの?」
「当初の予定通り、セントラベルグに。二日遅れですけど」
「そう。じゃあ、もうそろそろ馬車が来る」
リアロッテが腕時計を見てそう言った。
彼女との別れまで後僅か。
寂しさがじんわりと胸に広がり、堪らず雅は言う。
「あの……また来てもいいですか?」
「――っ」
なんと穢れの無い目で聞いてくるのだろうと、リアロッテは声を詰まらせる。たった二日だが、それでも雅と別れるのは彼女も若干寂しかったのだ。
しかし、リアロッテは言わねばならない。ここを去る人全員に言っている、あの言葉を。
彼女は雅の肩に手を置いて、口を開く。
「もう、二度と来るんじゃないぞ」
「そんな殺生な!」
直後、馬車が到着したことを知らせる汽笛が鳴った。
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あとお知らせです。
この話で第1章は終了です。第2章ですが、こちら現在執筆中。
章ごとに全話書き終えてから連続投稿したいと考えていますので、次回投稿まで少し間が空きます。
次の投稿は遅くとも今年のGW前になる予定です。
それまでしばしお待ち頂きたく存じます。