女神様は、いつでも本物の転生勇者を待っている。次はあなたのキャラクターです。
皆様今晩は!シサマという者です。
今回は所謂、テンプレ的要素を活かした「なろう王道作品」について語りたいと思います。
私がこの「小説家になろう」サイトにやって来た理由は、単純に文章を書きたかったからでした。
私はパソコン作業に時間がかかるアナログ人間で、数年前まではノートか原稿用紙に手書きで文章を書いていたので、Web小説の投稿サイトは自分の作品を活字に出来て、しかもサイト内に保存できちゃうなんて、何て素晴らしいんだ!と感動したのです。
数あるWeb小説投稿サイトの中から「なろう」を選んだ理由は、検索する為に必要な名前を知っていた唯一のサイトだったからに過ぎません。
勿論、アニメの原作になる様な人気作がこのサイトから沢山生まれた事は知っていましたし、一時期話題になった「キンキンキンキン・ショック(笑)」等、伝統的な文学・小説愛好家から酷評されがちなサイトである事も認識はしていました。
しかしながら、そのどちらの情報にもさほど興味の無かった私は、日本最大であるというサイトとしての可能性と、普段理屈っぽい人も携帯のストラップは可愛い動物だったりする日本人特有のポップな雰囲気重視の心理により、トップページの爽やかなカラーリングでログインを即決します。
トップページのド真ん中に月間ランキング、それも総合ではなくファンタジー激推しという事実は、なろう王道作品を嫌う人にとっては許せないのかも知れません。
しかしながら、なろう王道作品に疑問を呈しても簡単に勢力図が変わる訳ではありません。
例えば、与党が嫌だから野党に投票しても、簡単に政権交代とは行かない事と同じで、その後の皆様の行動の方がより重要ですよね。
①取りあえず与党以外の候補者に投票する、王道以外の作品をプライドを持って書き続ける。
②或いは、与党でも情熱がありそうな若い人に投票してみる、自分が疑問点を改善した王道作品を書いてみる。
③全てが無駄だからもう投票には行かない、ジャンルの壁で人気が出ないなら小説投稿は諦める……これは疑問を呈する権利まで放棄する選択ですので、おすすめしたくありません。
私個人としては、なろう王道作品には凄まじい数の需要が(少なくともサイト内では)ありますし、その作品が日々の生活におけるエナジードリンクや清涼剤の役割を果たすのであれば、全く以て問題は無いと思います。
私がなろう王道作品に関する事で唯一解せない疑問点は、主人公の家族や婚約者、パーティー仲間等が何故、表層的な能力に劣るという理由や、自分達に理解出来ない能力を持っているという理由だけで主人公を追放出来るのか、という点なんですよね。
ついさっきまで家族だったんですよね?
婚約者だったんですよね?
パーティー仲間だったんですよね?
これはつまり、転生前の現代世界での生活を含めても冴えないタイプが多い主人公を、よりましなキャラクターに見せる為には周囲を思いっきりゲスに描かないと、短期間で読者を物語に感情移入させられないからという、苦肉の策であると私は思っていました。
しかしこの問題は、復讐対象側に一人だけ協力者がいるといった設定を入れるだけでだいぶ緩和されますし、主人公の味方は奴隷の戦闘要員、或いはハーレム要員だけみたいな構図よりは早く読者を安心させられる効果も期待出来るはずなんですよね。
なぜそういった設定を取り入れた作品が少ないのでしょうか?
ここで私は、主人公を貶める悪徳勇者等のキャラクターは、チート能力で無双してハーレムを築いたまま、その地位にあぐらをかいていた他の作品の主人公の「未来の姿」を暗示しているのではないか、と考える様になりました。
ひと昔前までは、ゲスなキャラクターはハッキリと悪役側で、一般的な立場の人達は弱味でも握られない限り、悪役側の取り巻きにはなりませんでしたからね。
なろう王道作品は、余りに割り切った娯楽に徹してしまうとアンチ的な読者が付いてしまい、感想欄は行き過ぎた批判が溢れます。
その中で作者は作品に対する情熱を失い(中には無責任な作者もいるとは思いますが)、エタらせてしまった作品の主人公は行き場を失い、マイナスイメージの象徴となって他の作者や読者の心に受け継がれてしまうのかも……そう考えたのです。
なろう王道作品、特に異世界転生要素のある作品は、善行により命を落としてしまった主人公や、現代世界で余りに不幸な人生を送っていた主人公を救済する形で、女神様がスキルとともに転生させるというパターンが基本にありますよね。
しかし、作中で女神様が人柄を見込んで善意で転生させた主人公が「ざまあ復讐」に囚われてしまったり、少しずつ自分の取り巻き以外への優しさや思いやりを失っていく様子を目の当たりにする事は、彼女にとってはまさに痛恨だろうなと、部外者ながら思うのです。
「彼が幸せになって良かった……しかし私は、もう一度本物の転生勇者を探さなければなりません……」みたいな使命感を背負う様な感じでしょうか。
女神様のその使命感は、無意識の内に新たな作者による新たな作品の女神様に継承され、そこに描かれる新たな転生勇者が「なろう王道作品が集う舞台」に召還されていくという、その無限ループがなろう王道作品の隆盛を支えている、という危うさを危惧しなければいけなくなっているのかも知れませんね。
作者は行き過ぎた批判に耐えてでも、何とか主人公をハッピーエンドまで導いて欲しいですし、読者は「なろう王道作品」への批判をストレス解消の道具にはしないで欲しいと願います。
最後に、「なろう王道作品」の中でも、アニメ化、更に人気を拡大してアニメ第2期、更には映画化まで達成する程の大衆的な人気を獲得するレベルの作品の主人公は、真の勇者と手放しで絶賛は出来ないのかも知れませんが、アンチから誹謗中傷される様な人間性ではありませんでしたよね。
「なろう王道作品」の隆盛は、最終的には作者のバランス感覚に委ねられていると言えるでしょう。
女神様は、いつでも本物の転生勇者を待っています。
新たな傑作が生まれる事を期待しています。