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燈し火  作者: 佐江草 依月
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燈師について 1


「まず、燈師(ともし)という役職について少し説明しようか。あ、忍田くん、時間は大丈夫かい?」


壁掛け時計は、20時45分を指している。


「今日は遅くなると伝えているので22時までなら大丈夫です。」


先程、家に電話をかけたところ、父・蒼藤の弟子である祐月(ゆうげつ)さんが出た。


「今日は帰りが遅くなります。夕飯は要りません。」

「了解しました。23時には間に合いそうですか?」

「はい。22時頃には終わるので…。蒼藤さんには『仰っていた通りでした』とお伝えください。」

「分かりました。それでは、22時頃、西波様のお宅へお迎えに上がります。」


食器を流し台に運び込んだ西波先輩がお兄さんと洗い物を押し付け合う声が聞こえる。

どうも友大さんは西波先輩が可愛くて仕方ないらしい。

きっと頼まれたらなんでもやってしまうだろうなあと思っていると、案の定西波先輩が先に戻ってきた。

手には湯のみを載せたお盆を持っている。


「誰かお迎えが来るのかい?」

「はい。父のお弟子さんに迎えを頼みました。」

「蒼藤くんは弟子を取るようになったんだね」

「…?」


思わずお祖父さん、もとい彰さんの方を見て固まってしまった。


「父を知っているんですか?」


彰さんはにこにこしている。


「そうだね。まだ蒼藤くんが祐助という名前だった頃から知っているよ。」


そう言いながら彰さんは、西波先輩から湯のみを受け取る。秀嗣の目の前にも同じものが置かれた。


「あの子が16歳か17歳くらいのときかな。ちょうど今の君と同じくらいの頃だよ。なかなかやんちゃな子でね、スクーターで榎田町からこの辺りまでかっ飛ばして来たはいいが、途中でガス欠になってしまったようで。」


彰さんが目尻にシワを作って笑顔になる。

父のことだ、きっと寺にあったスクーターを勝手に持ち出して来たのだろう。なんとなく想像はつく。免許を持っていたかすら怪しい、というのはさすがに伏せておこう。


「それでうちの門の前まで来たんだよ。

いや、驚いたねえ。うちは、ほら、君も勘付いているかも知れないけれど、森の入り口に結界を張っているだろう?」


「え!そんな昔から張ってたの?」


西波先輩が座卓に置いた自分の湯のみを両手で包みながら問いかける。


「ああ、そうだよ。あの結界はずーっと昔から張られたままなんだ。祖父ちゃんはあれを維持しているにすぎないからね。」


「へえー」


そこにお兄さんの友大さんも加わり、湯のみの中身をちびちびと飲みはじめた。


「結界…」


秀嗣は外から森の中をのぞいた時と、門の前から森の外を見た時のことを思い出す。


「たしかに、森の外からは中が見えませんでした。」

「そうだろう?よく見ているね。」

「でも…結界って…存在するものなんですか?」


ふっと西波先輩が笑う。膝にはいつの間にか猫のゆずを乗せ、額のあたりを逆毛を立てるように撫でている。ゆずはと言えば、とても気持ちよさそうに目を細めて身を預けている。


「にわかには信じがたいこと。現代の科学や知識では説明のつかないこと。それらは、存在しないと、言い切れるかい?」


秀嗣は、はっとして息を呑む。

自分は幽霊が、亡くなった人が見える。時には亡くなった動物の霊を見ることもある。


道場からの道のり、西波先輩が話した

「自分たちが見ている霊はもしかしたら感情の残滓なのではないか?」

という説。納得いく部分もあるが、それだけでは到底解決する現象とは思えないものもある。

霊に追われることや、妨害されることだってある。秀嗣自身、それによって怪我をしたり、何度か命の危険を感じたことだってあった。

そのように、まるで自分の意思を持っているかのように、物理的に働きかけてくる霊も少なくはない。

西波先輩のあの説だけでは、そう言った現象に対して説明することはかなり難しいと言える。


「…たしかに。科学で説明できないことは、たくさんあります。」

「そうだろう?未知の現象を目の当たりにした時、有り得ないと否定してしまえば、科学はそこで終わってしまうんだ。

残念ながら、自分が扱っているにも関わらず、燈師の結界についても、まだ原理が分かっていなくてねえ。」


そう言いながら彰さんは湯のみを手で包んでいる。どうやら温度を確かめているようだ。

先程から様子を見ていて気づいたけれど、西波家の人たちは、皆さま猫舌なのかもしれない。友大さんも恐る恐ると言った様子で、湯のみに口をつけながらちびちび飲んでいるし、西波先輩に至っては全く口をつけていない。


「おっと。少し話がずれてしまったね。

まあ、君のお父さんとはかれこれ30年ほど前からのお知り合いということだ。その後の経緯(いきさつ)は、蒼藤くんに直接聞くと面白いかもしれないねえ。」


彰さんはニコニコしながら時計をちらりと確認する。

秀嗣もつられて壁を見ると、時刻は21時10分くらいだ。


「さてさて、本題に入りましょうか。友花、隣の部屋から台帳を持ってきてくれないかい?」

「はーい」


西波先輩が、今にも寝てしまいそうなゆずを脇の座布団の上に移動させて立ち上がる。

寝ぼけ眼で顔を洗っていたゆずは、次第に前足が下がり、そのまま目を閉じてしまった。

あー可愛い。思わずニヤついていると友大さんが声をかけてきた。


「忍田くん、そろそろ飲まないと冷めちゃうよ〜。俺たちにとってはそろそろ適温だけど。」


そう言って湯のみを片手で持ち、ゴクゴクと飲み始めた。

秀嗣も右手で湯のみを持ち、左手を添えて頂くことにした。


「…っ!!」


一口飲んで、勢いよく座卓に湯のみを置いてしまった。


「お?どうした?」

「あ、すみません。」


彰さんが台拭きをすっと差し出す。

勢いよく置いたので中身が少し溢れてしまった。

湯のみの中をよく見てみる。

白い…?ホットミルク…?いや、それにしては甘かった気がする。

砂糖か蜂蜜が入っているのだろうか?

いや、でももっと他の味がしたような。


「やっぱりうちの生姜湯変かな?」


そう言いながら西波先輩が戻ってきた。

手には臙脂色の古い本を持っている。橙色の平糸で綴じられた大和綴じの和本だ。それを持って、ニヤッと笑っている。


「あ、いや、その。お茶だと思い込んでいたので…」


「「あーーー」」

西波先輩と友大さんが同時に頷く。


「ごめんね。ま、そうだよね、普通ね。」

「普通は食後は日本茶だよな。ごめんごめん。」


2人が口々に謝ってくる。


「あ、いや、生姜湯が好きだって話はよく、先輩から…友花さんから聞いていたので、飲む直前の甘い匂いで、生姜湯かな?いや、まさかな、とは思ったんですが…えーと、これって牛乳入ってますか?」


ふっふっふ。と彰さんが笑い出す。


「うちの生姜湯は、温めた牛乳に蜂蜜を入れて、摩り下ろした生姜と、最後に少し鬱金(うこん)を入れているんだよ。」

「はああ、なるほどお。」


秀嗣は頷く。通りで苦いと思ったら、鬱金が入っているのか。


「冷やし生姜湯ってのもあるんだけど、今日はなんとなく温かいのが飲みたくて湯のみに注いだから、余計ややこしかったね。」

「生姜湯なのに冷やしってなんだよ。」

「いや、生姜水っておかしくない?」


気になったので2人の会話に割って入る。


「そもそも、生姜湯ってお湯で作るものですよね。これ、生姜牛乳では?」


「「あーーー」」


またも2人で頷き合っている。


「ま、その辺はなんでもいいんだよ!」


強引に話を閉じた西波先輩が持ってきた和本を秀嗣に渡す。

あ、俺が受け取っていいのか。

そう思いながら、失礼しますと言って本を受け取る。


「いつ頃の本だと思う?」


彰さんが問いかけてくる。


「装丁は、大和綴じですね。大和綴じが流行したのは明治時代と言われていますが…」


そう言って一番表の布張りされた厚紙をめくると中表紙を観察する。

中表紙にしては珍しく、色が付いている。

少し暗い色の臙脂色で染められた和紙だ。

そっと表紙と中表紙の隙間を指で広げると、中表紙は四つ目綴じと言われるオーソドックスな綴じ方がされている。


「ん?」


少し気になって、本を立てて上から見てみると、中表紙の角に角切れという加工が施されているようで、本の背から1㎝程、臙脂色の部分が見えた。


「明治時代の本にしては、少し古い気がします。元々は四つ目綴じの本で、長く強度を保つために角切れ加工をしていた本を、明治に入ってからさらに大和綴じで補強した…そんな感じがします。」


彰さんの方を見ると大きく頷いている。


「君は観察力があるねえ。まさか和本の綴じ方まで知っているとは…博識だね。」


「和本は家に沢山あるので…見慣れているというか。」


褒められて少しもじもじしてしまう。

照れ隠しに生姜湯を一口飲む。

慣れないなあ、この生姜湯、というか生姜牛乳。


「他には?」

「えーと…」


秀嗣はもう一度、和本の装丁を観察する。なんとなく江戸時代くらいかなあということしか分からない。

専門家ではないので内容を読んでも時代までは特定できない。

ただ一つ言えることとしては。


「よく虫干しがされていますね。角切れ加工は、接着剤で和紙を固定するのでそこからカビが生えやすいんですが、この本はとても綺麗です。紙魚(しみ)も湧いてませんし…」


はっとして顔を上げる。少し黙れ、喋りすぎだ、俺。


「よっしゃ!俺の年に一回の努力を賞賛してくれる人間が現れたぜ!!俺が生きてるうちにこんなことが起こるなんて!!」

「兄貴、落ち着け。誰もそこまで褒めてないから。」


友大さんがガッツポーズをしながら天を仰ぐ。


「友大。」

「はい!」

「少し静かにな。」


それも束の間、彰さんに諭された友大さんは、口を真一文字に結んで大人しくなった。


「最後のページに最終更新日が書かれているから、そこを開いてみなさい。」


言われた通り、四つ目綴じの方の最後のページを開くとそこにはこう書かれていた。


治承(ちしょう)四年三月十五日』


治承って…たしか1170年頃だよな…?

思わず固まっていると、彰さんが補足してくれた。


「治承四年三月十五日は、今の暦だと1180年だね。」


「ってことは!4月18日!831年前の忍田の誕生日じゃん!」


西波先輩も横から補足する。補足の仕方がおかしい。831年前の俺の誕生日って…どう計算したらそんな即座に旧暦から新暦に変換できるのだろうか。

さすが、さすが成績学年1位なだけある。

田舎高校とはいえ、学年トップはやはり頭がおかしいくらい切れる。

いや、もしかしたら。家にある台帳だ。前から知ってただけかも知れない。それにしてもいちいち覚えてるなんて、それもそれで恐ろしいけれど。


そんな秀嗣の思考を先回りするように友大さんがこう言った。


「うちの妹、頭おかしいだろ?」

「…はい。前から思っていましたが、ちょっと新暦変換はやりすぎたと思います。」

「俺ら人類にはまだ早いよな。」


無言で頷く秀嗣の脳天に、西波先輩が拳固をグリグリと押し付けてきた。


「痛い痛い。ごめんなさい。ちゃんと人類です、先輩は。」

「友花。兄ちゃんの肩はな、関節技の練習台じゃないんだぞ。」


友大さんの方を見ると左腕が背中で奇妙にねじれている。

どうなってるんですか、お兄さん。

思わず自分の脳天に発生している痛みを忘れかけた頃、彰さんが手をパンパンっと打った。


「友花、おやめ。」


その声を合図に西波先輩は、むすっとしながらも秀嗣の脳天にあった左手は宙に上げ、友大さんの左手を捻りあげていた右手はパッと離して、両手で生姜湯を飲み始めた。


パキっゴキっ。


と奇妙な音が友大さんの肩から聞こえる。

気づかないふりをしようとしたが、本人から申告があった。


「俺、関節めっちゃ柔らかいんだよね〜。だから、さっきのも実はそんなに痛くないんだ〜。」


どうなってるんでしょうか。

そんな顔で彰さんを見ると、苦笑しながら。


「話が脱線しがちで申し訳ないね。ちょっと仕切り直そうか。」


そう言って秀嗣の飲みかけの湯のみを持ち上げると中身を日本茶に変えて戻ってきた。


「ありがとうございます。」


そのお心遣いに、感謝申し上げます。

秀嗣は、本日最大の感謝を示すため、深く深く礼をしたのだった。


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