陽炎と城7
猫のゆずを抱っこしたまま玄関の引き戸に手をかける。やはり開いていた。
祖父ちゃん、門の鍵は閉める癖に玄関の鍵は閉めないんだよな。用心深いんだか不用心なんだか。
おまけに森の入り口には結界張ってるし。まったくもって燈師の職権乱用である。燈師の作る結界の中では、耐性のない人間は闇に呑まれてしまう。そういう風にできている。原理が分からないのが非常にもどかしい。
忍田もかなり混乱していたけど、さすが莎野川城やら幽霊やらが見えるだけあって落ち着いていた。ただ、多方面にお人好しな忍田の事だ。下手したら闇に呑まれるどころか闇に同情してしまうかもしれない。そう思って念のため腕を掴みながら歩いた。
上り框の上にゆずを降ろす。
脱いだローファーは靴箱にしまう。これが西波家のルールだ。
祖父ちゃんと忍田のために廊下の電気をつけて、友花はそのまま右奥の突き当たりから左手に伸びる階段を上る。
友花の目は比較的、暗闇に強いので勝手知ったる我が家なら灯りは不要だ。
部屋に荷物を置き、制服から部屋着に着替えた友花が一階の洗面所へ行くと忍田が先に手を洗っていた。
「この子、人懐っこいですね。」
そう言って微笑んでいる忍田の足元には、ゆずがぴったりとくっついている。
「いやー、実はそんな事ないんだよね。普段はこの子、家族以外の男の人ダメなんだけど、忍田は大丈夫みたいだね。てか、むしろ懐かれすぎでしょ。」
するとゆずが友花の足の間を擦りっと通り抜けて台所へ行った。今度は祖父ちゃんの足元でお座りしている。
人数確認を兼ねた挨拶を終えて、ご飯をねだっているのだろう。
洗面所の時計を見ると既に20時の少し手前だ。
友花は急いで手を洗って、台所に並べられた料理を丸い座卓に運ぶ。まだご飯を貰えていないゆずが座卓の上を覗き込んできた。
「ゆず!こっちこっち」
台所をちらっと覗くと祖父ちゃんは盛り付けに忙しいようだ。友花は先にゆずのご飯を用意することにした。カリカリの袋をガサガサやると音に反応して走ってくる。
皿にカリカリを右手で盛り、左手で皿を囲って盛り終わるまで防御する。
ゆずはと言えば、その左手をひたすら頰でスリスリしてくる。
感謝の印らしい。
「はい、いいよー!」
そう言ってカリカリの袋を持って立ち上がると座りもせずにがっつき始めた。
「ゆずた君?座って食べましょうね?」
そう言って皿の上に手を置くと友花の手をじっと見ながら渋々お座りする。
よしよし!そう言って頭をポンとするとそれを合図に再び食べ始める。本当に賢い。
西波家では家族全員で食事を摂るのが暗黙の了解になっている。我々人間サイドの夕飯が遅くなりそうな時は、先にゆずのご飯だけ用意するのだが、全員が揃っていないと食べようとしないのだ。
まるでその暗黙の了解を理解しているかのように、みんなの夕飯が準備されて、みんなが食べられる状況になっていないと手をつけない。本当に賢い猫だと思う。
友花が再び手を洗って居間に戻ってくると、あらかた配膳が終わっていた。
忍田が座卓の脇に膝をつき、コップに麦茶を注いでいる。
馴染みすぎだろ。
そう思いながら友花は自分の定位置に座る。
ふと、コップの数を数えると4つ。
「おいおい〜まさか忍田、あの爺さん連れて来ちゃった感じ?」
と聞くと、忍田はちょっと首をかしげる。
「えっと、お祖父さんのと先輩のと俺のと…あとお兄さんの分です。」
そう言いながらコップを並べる忍田の後ろに仕事帰りと思われる兄貴が立っていた。
「まあ、君のお兄さんじゃないんだけどね!」
そう言いながら仕事着を手に微笑んでいる。
うわー。
「うわー」
「友花!ただいまあ!!」
こちらに満面の笑みを向けながらくねくねと変な動きをしている。
来やがったな、という目でじとっと見ながら、あーおかえり、と適当に返すと不満げな顔をしながら喚き始めた。
「え!酷くない??なんでそんなテンション低いの?1ヶ月ぶりに兄ちゃんが実家に帰って来たんだよ??ねえ!」
手でしっしっと追い払う動作をしながら、早く手洗ってこいと促すとようやく洗面所へと消えていった。
忍田が一連のやりとりを呆然と見ている。
ご飯を食べて満足したゆずが忍田の背中に身を任せ、顔を洗いながらうとうととしている。
「ゆず、後ろにいるから踏まないでね」
と声をかけるとあ、はいと返事をしながら尋ねて来た。
「お兄さん、警察関係のお仕事されてるんですか?」
そこかよ!今の会話、流れの中で突っ込むところそこか?
友花が前髪あたりを押さえながら首をふるふるしていると祖父ちゃんが席に着いた。
「友大は、警察行政職っていうやつをやっているんだよ。」
「警察行政職?ですか?」
「いわゆる鑑識だね。」
「そうそう!それの化学班」
兄が定位置に座る。
「それじゃあ。いただきます。」
祖父ちゃんが手を合わせて頭を下げる。
みんなもそれに習って復唱する。
しばらくは無言で食事に没頭していたが、メインの鯖の塩焼きを食べ終えた友花が口火を切った。
「あ、こちら、弓道部の後輩、忍田秀嗣くんです。」
紹介してなかった気がしたのだ。
忍田が頬張っていた白米を飲み込みながら箸を置き、手を床について後ろに下がりながら太ももに両手を置いて深く頭を下げる。
流れるように美しい所作だ。
「あれ?彼氏じゃないの??」
兄貴の余計な一言は無視だ。
紹介を続ける。
「実は、莎野川城が見える榎田町民です。」
祖父ちゃんが静かに頷く。
兄貴はといえば「マジで???」と言ったきり口をぽかんとしている。
「はい。見えたのは今日が初めてですが…」
未だに一歩引いたままの忍田に、座卓の輪に戻るよう祖父ちゃんがテーブルをトントンとする。
「我々は、毎年莎野川祭りで燈師という役職をやっていて、それで見えるんだが…あの城が見える人は少ない。役職持ちの人間の中でも見える者と見えない者が居て、その割合は20%前後と言われている。さらに役職持ちでない人となると1%にも満たないんじゃあないかと、言われている。」
祖父ちゃんが箸を置いて、忍田の目をまっすぐに見つめる。
「見える者と見えない者が別れる理由は、はっきりと分かっていないんだ。
ただ、一説によると…」
友花と友大に目配せをする。
2人も箸を置いて、目を伏せ、傾聴の姿勢に入る。
「莎野川城が焼失した背景に何か鍵があると言われている。その時、役人をやっていた家系だとか、派閥だとか、そういう背景だ。
ここまで言えば、もう分かるかもしれないね。」
そう言って祖父ちゃんはわずかに微笑む。
「あの城が見えるという事。外では絶対に口にしてはいけない。見えるような素振りも見せてはいけない。絶対にね。」
そう言って念を押すとゆっくりと味噌汁をすすった。
それを合図に友花も味噌汁に手をつける。向かいの席で友大も味噌汁の腕を持ち上げる。猫舌の西波家の面々にとって、今がまさに適温だった。