第一章6 「在り得る話」
沈黙に静まり返っている部屋内。張り詰めた緊張感の中、しかしその空気には確かに、僅かな安堵が流れているのがわかる。
男はそんな空気の中、依然としてその安堵の念を漏らすことなく、あくまで頑なに答えを待ち続ける。
彼の目線の先には瞑目する少女。眉間によせる皺から、彼女は今まで起こったこと、そして今の彼女自身の考えを整理していることがわかる。
事態収拾の兆しが見えたことに対する安堵は、再び浮かび上がった空白に対する緊張感に変貌する。
決して長い沈黙ではなかったものの、男や、彼と立場を同じくするものからすれば、あるいは大変長いものに感じられたかもしれない。
「んー……うん、そうね」
少女、姫折冬那はその沈黙を破る。今まで瞳にありありと写してきた憤りはその姿を隠し、代わって"諦め"、あるいは"無関心"を思わせる感情を見せる。
そしてそのまま、気だるげに両手を上に挙げ、
「そういうことだから、もう私に抵抗する気は無いわ」
その一言は、緊張に体を強ばらせ構えを崩さなかった刑務官達に、確かな安堵感を与えた。
「大人しくあなた達に従うわ。今までのことは反省します。だから芹を解放しなさい」
冬那は睨めつける半眼のまま、隣で拘束されている少女、芹の解放を要求する。目線の高さは依然変わらずである。
「ぐ……それは片桐の意向を確かめてからだ。尾浪」
「……りょ、了解」
男と、尾浪と呼ばれた刑務官は僅かに逡巡を見せるが、事態の進展を妨げるような選択はすまい。あくまで刑務官として対応する。
――――ピッ
「ッ……ハァ…ハァ」
体に張り付き、着用者の行動の自由を奪っていたリストスーツは、口元を隠していた襟部分のみ拘束を解き、芹に発言の自由のみを与える。
「お、お嬢……ほんとに、それでいいの…か?」
芹は冬那に決断への確認を行う。今までの頑なな態度から考えれば、その問いはごく自然のものであろう。
「ええ、何方とかいう奴の考えに乗るわ。なかなか面白いじゃないの」
「ふむ…」
急な態度の変化に不信感とまでは行かないものの、不思議なものを感じている様子だ。しかし、
「まあ…お嬢がそう言うなら俺にも、文句はねえ。俺はお嬢に、ついていくだけ…だからな」
相当冬那を信頼している様子で、多少途切れ途切れに彼女の考えを尊重した。取り巻きと言う判断をするならありきたりな思考とも取れるが、今の彼女には多少の期待感を感じられる。
その答えに応じる者が一人。
「……拘束の解除を、許可する」
「……よ、よろしいのですか?」
「ああ、許可する」
「……了解」
――――ピッ
彼女にこれ以上対抗することは、即ち収集仕掛けていた事態の更なる悪化を意味する。その選択への躊躇いがあるのは当然だが、これが最善策、と割り切った様子の2人である。
「ハァ……ハァ………」
解放された芹ではあるが、体への負担はあった様だ。現代の技術がかなり高度なものであることは確かである。そのことを鑑みても、それに抗い得る冬那という存在の異様さは明らかなものである。
それが、ここにいる者の共通の認識であろう。
「……では、話の続きだ」
今までのことを無かったことにしようと努力はするが、簡単なことではなかった。しかし、拮抗状態が解かれ、皆に安堵が拡がったのは事実である。
はあ、どうなるかと思った…。
代々城彼方がその中の1人であることは明らかであった言うまでもないだろう。
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その日の夜。夕飯後の暇な時間。まあ、いつでも暇ではあるんだが。
「それで、あの冬那さんって人がこの前のニュースの人だったんですかね?」
「さあな。多分そうだろうとは思うけど」
「時期的にも当てはまってますし、あの雰囲気からして可能性は高いですよね。あ、この歩、成ることできますけど、どうします?」
「ふむ、内乱だったか、確かにあの女ならやらかしそうだな……てか"成る"ってなんだ?」
「さっき説明しましたよね……相手側三列に駒を進めると裏返しにできる、つまり"成駒"になることができるんですよ」
壁に設えてあったキー代わりの個人用端末を使って、『将棋』なる古き良き勝負を楽しむ。元々は全部木製だったらしいのだが、今となっては寧ろ全てがデジタル内で済む。改めてその利便さが手放せないものである事実を感じる。
今日起こった事について駄弁りながら、ちょっとした娯楽で暇を持て余すこの光景。この施設ではありふれた、よく見られるものである。
『流刑』や『箱舟』についての話より姫折とやらの話をすると言うのは、それ程のインパクトを与えたという事なのだろう。特に俺たち二人はただの傍観者とは言い難い立ち位置だったのも理由の一つだ。
「よくわかんねえから成っとこ。ティーチェ教とやらは聞いたことはあったが、トップがあんなんだったら酷い集団なんじゃねえのか」
「んー、あの姿に何かしら、尊大さなんかを感じるってことなんでしょうかねえ? 確かに悪い噂を聞くことはありましたけど」
確かにこのご時世、宗教団体に手をつけるほど追い込まれる奴らにはあれくらいのリーダーがいてもいいのかもしれない。別段ああいうのに興味はないのでどうでもいい話だが。
「それにあの人、明らかに『異能持ち』、でしたよね。彼方にも話をした事ありましたけど、僕は『異能持ち』についても調べてたことがありましたからね」
「えと……そう、だな」
この話を進めている以上、避けては通れない話題であった。今までの何方による一方的な話については回避のしようがあった。事実、今までずっとそうしてきた。
今回はそれが通用しない、それだけの理由が、どう考えても浮上してくる。
「……えと、話進めて平気です…?」
「ん……まあ、いいんじゃねえか」
推論であったとしても、何かしらの答えを見つけ出すことが重要であることは分かっていた。俺の身に起こった現象は、俺にとっても、周りの人間にとっても多少なりその答えが必要なわけで。そういう問答をするならば、何方という人材は一応優秀であると言える。
その話に進めていいのかどうか確認をとるあたり、何方の方も只事ならぬものを感じ取っていたのだろう。
「あの時刑務官さんの言ってたこと、『彼方の方が手に負えない』って言うと……そういう事なんですかね?」
「そういう事、が何を指してるのか、選択肢が多くて察しの悪い俺にはよくわからんが……まあ、そうなんじゃねえのか」
渋る必要性がないのはわかっているものの、しかしやはり肯定しづらいものがある。
「つまりは、彼方も…………『異能持ち』………って、とこですか…?」
簡単な、しかし他方で曖昧な言い方。一言で言ってしまえば、彼方はまさに"それ"であると言える。
「俺にはよくわからねえ……」
「よくわからないって……そういうものなんですか? あ、王手です」
『角』の目線の先に、俺の『王』が佇む。その視線を遮るかのように手持ちの『歩』を配置する。が、
「あ、二歩で彼方の負けですね」
覚えきれていなかった禁じ手に手を染めてしまったようだ。ルールを一気に教えてもらった為に、理解が追いついていない。果たして仕方がないこと、なのだろうか。
「………あの女の場合、多分自分の力について理解があっただろ。詳しいことはよくわからんが」
既に勝敗のついた試合ではあるが、しかしその局面に目を落とし、何かから目をそらす様に話を再開する。その決意をする。
「そうですね、条件を理解して使いこなしている、っていう感じでしたけど」
彼女は看守側の技術が自分に効かないのを知っていた。傲慢さからくる自信ではなく、それは明らかに経験則からくるものであったろう。
「でも、俺のにそれはない。実際体験したのも一回きり。あれがあったからこそ俺はここにいるんだがな……」
「ああ……やっぱりそういう事、なんですね」
何方の言う『そういう事』とは、まさしく正鵠を射るものであったらしい。看守がそれを知っていた、ということからも予測はある程度易かったろう。
「――――ここまで話したなら、ついでだ……」
俺はあの炎の夜の記憶、毎晩の夢に見る忌まわしき記憶について、覚えている範囲ではあるが包み隠さず何方に話をした。
正体不明の「殺意」、狂気なる力、そして届くことのない必死の叫びを。
「――――そんなことが………それじゃあつまり、彼方の意識が介入しうる場面はなかった、と?」
「今話した範囲なら、それで正しい。見たくないと願っても見せつけられるような、そんな感じだったな。逆に現実味が薄れるくらいだったかもしれない……」
「…話した範囲、と言いますと?」
俺の意図を正確に汲み取ってくれる何方には感謝したい。そう、思った。
「………一度だけ、ほんの一瞬だけだが、声に体が反応したような気がした。頭の中がぐちゃぐちゃで記憶も曖昧なんだが、確かに、その瞬間に初めて俺の中の『殺意』が……的を外したんだ」
隙を許すこと無く連続した殺戮を続けた「殺意」が、唯一隙を見せた瞬間。それを作ったのが彼方の意思であったと、決して「殺意」の気まぐれなどではないと断言できる。そうとしか、思えなかった。
「あの時のことを思い出せば、あの時の警察隊の判断力に驚きを隠せねえ、ってとこだな」
「………隙を見逃さなかった、ってことですか?」
無言で、首の動きのみで肯定を示す。
「瞬間、体の自由を奪われたと同時に、俺の意識はそこで途切れた。そこから先のことは、聞かされてもないし記憶にないから俺にはわからない。気づいたら房の中。で、そのまま流れでここに、って感じだな」
「軽々しく同情できるようなことではないと思うのであえてそこに触れるようなことはしませんが……」
「ああ……その方が助かる」
「つまることろ彼方は、その日初めて力を目にした、ってことでいいんですか?」
「そういうことだな」
何方も何か考察を始めたのだろうか。僅かに沈黙を置いてから質問を始める。
「それ以前に力を得るような出来事だとか、あるいは何か予兆、的なものがあったりは?」
「予兆……か………」
あの夜まで、俺は確かに普通の人間だった。今でも人間であるという自覚は薄れている訳では無いが、あんなおかしな状況に至る原因と成りうる出来事は一切無かったと言える。
ただ唯一、あったと言えることとすれば、
「その時の直前、俺は街中を歩いていたんだが、確かに何か、声が、声のようなものが、微かに聞こえたってのは覚えてる」
「声……ですか」
「ああ。詳しい内容までは覚えていない。というか、理解しきれなかった、っていう感じかもしれないな。体の内側から問いかけられてるような、そんな感覚だった……気がする」
自分に意図せず発せられた、理解の及ばない部分の声だったのか、果てまた別の存在が内に存在していたのか、それすらわからなかった。どちらだったとしても、それが意識に反して発せられたのは確かである。
「可能性の話で言えば……元々彼方が内に秘められていた能力が、何かの拍子に覚醒、同時に暴走してしまった、っていう感じですかねえ……?」
在り得る話ではあった。しかし、
「条件もわかんねえし、まず自分の中にあんな力があっただなんて信じられることじゃ、ねえな……」
一都市を壊滅しかねない程の力。そんなものが自分の中に存在するなど、確かに想像の世界では浪漫はあるけれど、実際に持ちたいとは微塵も思わない。思いたくも、ない。
「うーん、推測だけしても何の結果も得られませんし、もう少し情報があれば、何ですけど……」
「………」
「えと……今のは失礼でしたね、すみません」
様々な感情が渦巻く俺の顔に何かしらの変化を読み取ったのだろう。それは叶わないし、叶えたいとは俺は思わない。
そこで初めて顔を上げ、何方の表情を見る。俯いた顔には先の後悔の念はあれど、今ある数少ない情報から何か手掛かりを見つけ出そうとしているような、そんな思案する顔を浮かべていた。
自分の好奇心からくるものであったのか、単純な同情心からか。どちらだとしても、その表情に何か嬉しさを感じたのは確かな事実だ。
「……フフッ」
「………? 何笑ってるんです?」
思わず零してしまった笑みに、不審なものを感じた何方が問を発する。
「いや、そうやって真剣に考え事をするお前って見たことなかったな、って思うと、なんか、な」
「…………なんか、酷くないですか?」
感謝からくる照れのような何かを隠すように、多少の誤魔化しを加えて目を逸らす。
「どうせこんな話したって気分が落ち込むだけだ。切り替えてもう一戦、やろうぜ?」
「む……まあ、彼方がいいならいいんですが……」
会話の内容を別に変えるかのように、止まっていた将棋に再選を申し込む。何方の方も答えの出ない思案が嫌いなわけではないようだが、素直にそれに従う。
その試合が俺の勝ちだったのは、ただの紛れだろう。