第一章2 「僅かな進展」
※2016/12/18 本文、一部修正しました。
「ハァ…ハァ……ハァ……」
額に髪の毛が張り付いて気持ちが悪い。体も汗でびっしょりだ。
この部屋は常に適温に調整されているはずだが、まるで高温の空間の中にいるかのような異常な発汗量。
彼方にとって最も恐ろしい記憶、あの日の夜の出来事は”悪夢”として彼の心を蝕んでいた。
ここ拘置所に来てからはかなりの頻度でこの夢を見る。しかし、今夜は明らかに異常だった。
夢の中であるにも関わらず、あの時の痛みと苦しみを、かなりの再現度で思い出させるものだった。夢から覚めた今でも体中が痛くて熱くて堪らない、そんな錯覚を覚えさせてくるほどには。
「スゥゥ……ハァ…ハァ………フゥ…」
荒い呼吸を落ち着かせる。心臓の拍動はいつもの夜にも増して速い。虚空を呆然と見つめ、平生を取り戻す努力をする。
――――暗い部屋、明かりがない。何も見えないな…。
その場凌ぎであるのを分かっていても、恐怖を誤魔化そうと他の思考で頭を満たそうとする。
そうでもしないと、本当に狂ってしまいそうなほど怖かったのだ。
目線の先には何方が寝ているのだろう。寝返りの衣擦れ音が立ったのが聞こえた。よく聞くと、すやすやと幸せそうな寝息を立てている。暢気なもんだ。
ほぼ毎晩見るこの夢は拘置所という施設の仕様なのではないかとも考えたが、
「………良家のぉ……お嬢様がぁ……スゥゥ………内乱……捕まっ………スヤァ……」
だなんて、ご丁寧に前日見た新聞の一大記事を夢の中で復習する何方の姿を見る(この場合は声を聞く)度、その可能性は低いという考えしか思い浮かばない。
クソ、ちょっと笑ってしまったではないか。
にしても勉強熱心な奴だ。こいつがここに来た日、自己紹介をしあったあの日から既に2週間経っているのだが、毎日時事ニュースのデータを看守に貰い、隅々まで読み耽っている。
俺も何方に勧められた、ほとんど内容の理解できない哲学の本などを読む時以外の時間は、あいつの話すニュースの話とそれについての詳しい推測を聞いていることが多い。まあ、半分ほどは頭には入ってなかったりするのだけれど。
着替えることはできないので、そのまま再び横になる。目を閉じることなく、そのまま朝を迎えるか、自然と瞼が落ち、夢の世界へ迷い込むか、後は成り行きに任せることにする。
俺にそれを決断するだけの勇気はなかった。
そんな、とある日の夜の出来事であった。
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「ウッ………」
瞼越しに伝わる強い光。太陽の光などとは違い、急に強い明かりがつくのがこの施設の起床時刻の合図なのだが…。
もう何回も経験しているのに、一向になれる気配がない。いや、寧ろ慣れてしまってはいけないのか。
薄く開いた目を擦りながら体を起こす。
「..んん……んをぉ…………」
何方が何やら呻いている。俺は結構朝には強い方だが、逆にこいつはめっぽう弱い。起床時間から10分後の、看守による面点呼の見回りの時間に会話が成立していればよい方である。
それでいいのだろうか。いや、よくない。反語。
とりあえず顔を洗い、服を着替える。歯磨きも先に済ませておく。俺にはこれらの行動パターンが既に習慣付けられているのだが、何方にはまったく気にする素振りはなく、布団に顔を隠して光から逃れている。
「おーい、何方。そろそろ起きろ」
ほぼ意味をなさないとは思うが、とりあえず起こしだけはしてやる。二度寝なんてしたら大変だ。
「んん…朝ですか…?」
「そうだよ、明るいじゃねえか」
「僕、太陽の光でしか起きられないんですってばぁ……ふわぁ………」
絶対に信用ならねえ。こんなに強い照明の変化で起きないやつが日光で起きるとは思えないな。
「13T4S0共同室、点呼の時間だ。正面へ整列」
あ、看守が来た。頑丈な壁を挟むがマイクによりよく聞こえるその声は、既に少しだけ疲れていそうである。俺たちより早く起きて見回り、そして面倒くさい奴らの相手。看守の人も大変なんだろう。
しかもこれから大物の相手をしなければならないのだから、気持ちもわかる。
「うぃーす」
気怠げな返事をし、真っ白な壁を目の前に直立する。
何方の方は……ベッドの上でぼーーっとしてやがる。
「おい、浅江、整列だ。代々城の隣に並べ」
「…? あ、看守さん…おはようございますです…」
何もない真っ白な壁に向かって手をヒラヒラと振る半眼の何方。こちらからは何も見えないが、その奥には看守が立っているわけで…
「……代々城、水を」
「張ってあります」
「よし」
非常に短い会話だが、しっかり話は通じている。ボケてる奴は除いて。
――――ピピッ
『生体認証、完了。コード:W0S11MK、飯田刑務官。入出を許可。該当コード者のゲートロックを解除します』
機械的だが、クリアな音声が部屋内に響く。二重扉の向こう側の鍵、フィールドゲート的なもののロックが開いたのだ。つまり、看守がこの部屋に入ってこようとしている、ということになる。
――――ピーーッ、ピピッ
目の前の壁の金属部分、つまり頑丈な扉が開き、黒髪でガタイのいい、うんざりした目をした看守が、入ってくるなり何方を睨み付ける。
「ほら、起きろ」
看守は何方の髪を掴み、強制的に布団から引きずり下ろす。
「にゃあ、いたい、いたいです看守さんっ」
そしてそのまま洗面台へ向かい、髪を掴んだ右手を上に掲げ…
『看守式顔面水溺起床法ゥゥ!!!!!!』
水面に超高速で相手の顔面を叩き付けることで衝撃を与え、加えて水中に顔面、主に口と鼻を固定することで相手のあらゆる活動を停止に追い込む技。相手の目は醒める。
てかこれ、最悪死ぬ。
にしてもなんだよそのネーミングセンス。
予定調和のようでもあったが、この技を見るのももう5回目である。流石に流れは覚えてしまった。
「えっ、ちょっ、待ッ※○×℃±¥?!??ゴボボボボボボボボ………………」
……
…………
たった10秒程ではあるが、この様子だと効果は十分だろう。
引き上げられ咳込む何方。
「起きたな、OKだ。次からは気を付けるように」
ここまでテンプレ。これでも懲りずに繰り返すのが何方なのである。
頭はいいのだから学習してほしいものだ。
「今日は午前中に例の合同説明会がある。08:00に迎えに来るから、その時刻までに室外用のリストスーツに着替えて待機をしておくこと。ロックはその後”俺が”行うからスーツを勝手に弄らない様に」
「えっ」
「『えっ』じゃない。大人しくしてろ」
「わかりましたよぅ…」
好奇心旺盛なのは決して悪いわけではないが、何方の場合それが過ぎる。
そもそも自分の立場を分かっているのか……。
「今日のニュースとこの前欲しがってた本のデータについては、お前のライブラリに落としてある。好きに読んどけ」
「ほんとですか!ありがとうございます!」
速攻機嫌が直る何方。この看守、何方の扱いに慣れてやがる。
こいつが扱いやすいってだけかもしれんが。
「とりあえず今のところはこれで以上だ。質問は」
「ないですよ」
「特には」
「OKだ。じゃ、8時にな」
ここに来てから約1ヶ月。何方と出会ってからは3週間ほど。こんな感じで変わらず過ごしていた――――本当に、語ることを省略するくらいには単純な生活を送っていた――――俺たちだが、今日、遂に進展がある。
そう、今日は『流刑』当日に向けての合同説明会の開かれる日なのである。
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今の世間は冷め切っていて、非常に薄情なものである。
「あ、次の『流刑』実施予定日が発表らしいですよ」
大衆向けの情報発信媒体がこんな内容を書き出してていいのだろうか。
「僕たちはこの日なんですかねえ」
次回流刑実施予定日は11/13に決定――――らしい。
今日は10/30なので2週間後だ。確かに、今日説明会を執り行うということは、このくらいになるのだろうか。
「意外と早かったな」
「僕たちがここに来た時に既にほぼ人数が揃っていたってことなんでしょうかねえ」
ていうかこいつ、気楽げにニュースなんて読んでるけど…。
「お前さ、そろそろ8時になるんだから着替えろよ」
「え、もうそんな時間ですか!!」
どれだけ時間にルーズなのやら…。
今回の説明会に参加するときの服装、言ってしまえば、この部屋から出るときに必ず着用しなければならない服を「リストスーツ」と呼ぶ。
普段部屋内で着ている枯野色の普段着とは異なり、薄灰色の大きめのつなぎだ。袖はかなり長く、両腕を腹の前で交差、がっちりと固定しロックする。首に取り付けられるチョーカーは着用者の精神状態を読み取り、一定以上の興奮値に達すると着用者に服全体が密着、完全に拘束する。なんていう、対策ばっちりな服。
所謂、最終裁判を受けた時の格好。端的に言ってしまえば「拘束具」である
俺たち2人はかなりまたーりとしてしまっているが、そもそもは『流刑』判決を受けた大罪人であり、刑務官側もその取り扱いには十分に注意を払わねばならないのだ。余りの暴れようだと、その場で処刑することも許可されているほどだ。それなのに正式には『死刑』を廃止し実施しないところ、現代の国側の考えは俺には全くわからない。
言ってもそんな異常者はそうそういないだろうが、俺たちは少し特殊なのかもしれない。
気楽すぎるところ、看守とかなり親しげに会話したりしているところはあまりよくないのかもしれないな。
「あー、弄りたい。こんな素晴らしい科学の結晶がここにあるのに、触れないだなんて…」
いや、触ってはいるんだがな。
「また、例の『あれ』喰らうぞ」
「あれはやです!鼻に水が入って超痛かったんですからね!」
そこなの?しかも自業自得だからな。
「しかも変な名前ですし」
「それは同感だ」
「おい、もう一度喰らいたいようだな」
「?! いえいえいえいえいえいえ!?!?!?」
ああ、看守に聞かれてた。もうそんな時間らしい。
いつもの手順で入ってくる看守。部屋に入るだけでかなり面倒くさい工程を踏まないといけないわけだが、まあ、前述の通り仕方ないだろう。そういう仕事だし。
「じゃあ腕を交差、壁に額を付け待っていろ」
手際よく袖を固定し、チョーカーを首につける看守。俺もつけられ慣れたが、悲しいものだ。
「よし、OKだ。一人ずつ部屋を出ろ」
何方が先に出て行った。
――――ピピッ
『生体認証、完了。コード:X1E45L0、浅江流刑囚。拘束準備状態を確認。セーフティ、異常なし。該当コード者のゲートロックを解除します』
次は俺の番だ。
看守が扉に手をかざすと、
――――ピーーッ、ピピッ
電子音が流れ、重厚な扉が開く。中は電話ボックスのような広さで、向かい側は電子的なフィールドゲートにより外が見えなくなっている。
扉を入って右手の壁、認証用デバイスに顔を近づける。
――――ピピッ
『生体認証、完了。コード:XD54H08、代々城流刑囚。拘束準備状態を確認。セーフティ、異常なし。該当コード者のゲートロックを解除します』
音声と同時に、フィールドの部分が半透明になる。そのまま通り抜けられる。
その瞬間、確実に服が重くなったのを感じる。拘束服の機能作動と同時に、ある種の圧迫感を感じる。よくできたものだ。
「OK、じゃあ、行くぞ」
看守と、もう一人別の刑務官、そして何方とともに、俺たちは部屋を後にする。
4000字程度を目標に書いているのですが、前回は短い、今回は長い、と難しいものです。
ちなみに、生体認証コードのところですが
「W~(6字)」が刑務官、「X~(6字)」が囚人、6字の部分は0~9とA~Vの32字を用いてます。
32進数、と言いたいですが、順番につけられているわけではないので...
...的な設定解説でした。