第一章1 「迷惑な奴」
※2016/12/15 本文、一部修正しました。
「……あの…すみ…せん……」
誰かの声が聞こえる。誰かは知らないが、俺のことを呼んでいるようだ。
「…えっと…聞いてます?」
何かを心配するような男の声だ。と、判別できるくらいには意識がはっきりしてきた。
軽く眠りに落ちていたようだ。
ここに来てから何日か経つが、なんか寝てばっかりな気もする。いや、おそらく気の所為だろう。
「ああ、悪い。で、なんだっけ」
よく考えずに適当に返事をしておいた。
「いやいや、なんだっけ?じゃないですよ。寝てましたよね?」
そりゃ見たらわかるだろ、と突っ込むことはしなかった。それより現状確認だ。
床より30cmほど高い台の上の布団に横になる俺、代々城彼方と、向かいの別の台の布団の上で胡坐をかきつつ嘆いているのは若い男。部屋にいるのはこの二人のみだ。
小さい部屋の両の壁には、先の布団が二組。灰色の壁には無駄に重厚な金属製の扉。いや、こちら側から開けられそうな形跡はないので、ある意味壁の一部ともいえる。
壁のこちら側からは外は一切確認できない。しかし、外側からこちらの様子が丸見えであることは知っている。
そう、畢竟するにここは有罪の確定した囚人を収容する施設、拘置所の一室である。
ああ、だいぶ思考が戻ってきた。
確か、この目の前の男と自己紹介をし合っていた、と思う、多分。
「ま、それはそうとよろしくな。何とか何某」
「浅江何方です!何方は”何”に方向の”方”です。もう、一回で覚えてくださいよね…えっと」
「代々城彼方だよ、”彼方”でいい、”どなた”さん」
「どうしてわざわざ変な読み方をするんです?」
”どなた”の方が一般的な読み方な気がするが…
先にもあった通り、この若い男は「浅江何方」。この拘置所における、所謂”ルームメイト”のようなものだ。眠りにつく前の多少曖昧な記憶によれば、年齢は俺の一つ下で17歳。ここに入る前は、進学を目指しながら所属サークルで様々な研究をしていたそうだ。俺と違って頭はいいのだろうな。
ちなみに自分の好きなことを相手に話すのが好きなのだろう、先程も自分の研究のことについてべらべらと話していた。そりゃ俺も寝るわ。
一つのことに没頭すると周りが見えなくなるタイプなのか、俺が寝ていることにも気が付かず長い間話していたようだ。ほぼ同じ時間だけ寝ていたのだろう、俺の左腕の感覚がないことからもそのことが窺い知れる。
ちなみに、ここ拘置所にいる以上重要な情報となってくる「罪状」についてであるが、本人も話さなかったし、俺にも深く詮索する気はない。ただ、『流刑』判決であるということは第一級犯罪で間違いないだろう。
第一級犯罪、とはいってもその幅は広い。俺も法等に関することはさっぱりなので一般的に知られている部分しかわからないのだが、「大量虐殺」等の本当に関わりたくない様な罪から、「国の重要機密漏洩」などよくわからない範疇のことまでだ。
じゃあ俺はと言うと……いや、今は考えたくない。どうせ、すぐに思い出させられるのだろうから……
と、そんなことはこの際どうでもいい。過去を振り返ってもどうにもならない。
問題は、この先一体どうなるか、なのだから……
記憶を探っていた少しの間、妙な沈黙が流れる。
「あれ、終わりですか?」
「何がだ?」
「いやいや、自己紹介ですよ!名前しか聞いてないじゃないですか」
そういやそうだった。別に自己紹介終了を意味する間ではなかったのだが、忘れていたのは事実だ。
「ふむ、名前はさっき言ったな。”代々城彼方”だ。代々城の”ぎ”は”木”じゃなく”城”だからな。よく間違えられるから覚えておいて欲しい」
呼び合う上では関係ないことなのだから、正味どうでもよかったかもしれないが。
「お前の一個上の18で、職についてだが…あまり喋らない方がいい仕事だ。お前と違って俺には学がない。だからあまりお前の研究について語られても理解できないだろうからそのつもりで」
「別に理解してもらいたいんじゃないです。僕が喋りたいだけなんです!」
それが一番迷惑な奴なんだよ、気づけよ。
「まあこんなところか。いつまでここにいるのかは知らんが、よろしくな」
「はい。でも確かにそうですね、いつまでここにいればいいんでしょうか」
『流刑』に関しては、判決を受けたからと言ってすぐに執行されるわけではない。他国でも未だに採用されている死刑も同じなのだろうが、こちらと比較すると理由が明白だ。つまり、『流刑』とは集団で行われるものであり、ある一定の数の囚人が集まるまで実行できないからである。
現在の流刑囚の人数などの情報が人権を停止されている囚人に公表されるはずはなく、ひたすら看守からの情報を待つのみである。
「明日かもしれんし、10年後かもしれない。どうせなら早めに終わらせてしまいたいもんだけど…」
「そうですね、待ち遠しいですね」
眠気を再び感じていたからか、何方の発言をよく聞いていなかった。もうそろそろ消灯時間だから、別に構わないだろう。
この時彼方は発言を完全にスルーしているが、何方の常人とはかけ離れた思考の一部が垣間見える発言でもあった。
そのまま消灯時間を迎え、明かりの灯らない、夜の闇とはまた異なる闇の中、二人は静かに眠りにつく。
こうして、代々城彼方と、頭がいいのに頭の可笑しい浅江何方、二人の流刑囚の出会いの初日は幕を閉じる。
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――――痛い…
そう単純に言い表すしかないほどに、体が痛い、熱い。
目の前に広がる光景は、全てが炎い、闇い、そして、血い。
この空間にいるものは、全て彼と同じ感想を持つだろう。「痛い、熱い、苦しい、怖い」と。
……もし、そう感じることができたのならば、ではあるが。
目に映る建物はひとつ残らず炎に包まれ、その形を崩していく。
目に映る生物に、自ら動くものなど存在しない。それらは既に”生”物ではない。
これら光景は、街の”死”を意味していた。
そんな凄惨な状態の街の中を歩く青年、”代々城彼方”の姿も何とも悍ましいものであった。
赤黒いヒビのような痕が体中を埋め尽くし、血に塗れている。
しかし、怪我と呼べるものは一つとして存在しない。その全ては他人の返り血なのだから。
「痛い」と、「熱い」と、「怖い」と感じている彼のその意識は、既に体の制御を失っている。
彼の様々な感情を無視し、増大し続ける感情、「殺意」をもって”死”と”破壊”と”炎”を街にばらまき続ける。それが彼の現状である。
「殺人鬼」「放火犯」などでは言い表しきれない、彼の進行を止めることは誰にもできなくなっていた。
空には、その悪魔をどうにか捕まえようとする警察隊に所属する白い飛行物体。夜を照らしながら攻撃――――この場合は神経衰弱弾など――――を彼に喰らわせるが、逆に撃ち落とされるのみである。
彼の通った痕には、大量の住民や警官隊員の死体、撃ち落とされた白い金属の塊に溢れている。それらの起こす炎は、周辺の被害を更に激甚なものにしていく。
半径数kmに及ぶ避難勧告を発令中ではあるが、住民の避難が先か、彼の浸食が先か。消火すら間に合わない。警官隊も時間を稼ぐ以外の結果を残すことは叶えられずにいた。
彼の皮膚の赤黒い痕から、同色の、粘性の非常に高い液体が漏れだす。色の影響もあり、それはまるで溶岩を彷彿とさせる見た目をしていた。溢れ出るそれを、「殺意」は超硬質のブレードのように、また鋭く果てしない長さの槍のように伸ばし、打ち出すことで、白い金属をただの塊に、人を”人だったもの”へと変えていた。
自らが起こしている、しかし、それを止めることもできず、痛みと恐怖のみを感じながら延々とその光景を見ることしかできない彼は、既に自らの”死”を欲するまであった。
今まで、身内の死を実感したことはあったものの、死体を、それもこんな数えることすら無謀だと思わせるような数見ることなどあるわけがなかった。しかも、それを生み出しているのは自分なのである。
痛みに勝るほどの恐怖に襲われていたのだ。
やめろと、止まれと、何度声に出し叫ぼうとしたことか。狂ってしまえばどれだけ楽なことだろうか。世間にほとんど興味を示してこなかった彼だが、こればかりは耐えられなかった。
――――やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ……
どこにも、誰にも届かない叫びを。
彼は、否、「殺意」は上空の物体を見据える。睨み付けるだけで射落とせそうな「殺意」を隠そうともせず。
まただ、目に映るものすべてを破壊する「殺意」。止めなければいけない、俺が。
――――止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれェェェ!!!!!
『ヴォォォォァァァアアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!!!!!!!!』
炎に包まれる夜闇に響き渡る叫び声。それは「殺意」の雄叫びか、それとも…
そして、赤黒い触手のような数本の「殺意」の槍は、複数の白い的に向けて、迷いも躊躇いもなく全てを殺しにかかる。