第9話
華浦は、郵便物を渡すために、専務の部屋をノックした。
「どうぞ」
彼女がドアを開けると、林田専務は大きい窓に向かって立っていた。
一瞬華浦は言葉を飲み込んだ。
彼の後ろ姿に、今まで見たことのない、苦悩がにじんでいた。
林田専務が振り向いた。
「何の用?」
「あの、郵便物を持ってまいりました」
彼女はそう言うと、郵便物を彼のデスクに置いた。
彼女が立ち去ろうとしたとき、彼が声をかけた。
「君の田舎は長野県だったよね」
彼女は立ち止まった。
「ええ、本当に田舎なんです」
彼女の家は、北アルプスの見える場所にある。
「うらやましいよ。帰る田舎があるなんて、僕はずっとこの都会で育ったから」
「でも、都会から友達が遊びに来ると、よくこんな田舎に暮らしていられるねって言うんです。何にもないじゃないって」
専務が笑って言った。
「なんにもないっていうのがいいじゃないか」
「そうおっしゃても、実際専務みたいな人は3日ももたないと思います。田舎暮らしはとても無理だわ」
「そうかなあ」
「専務はビジネスの世界に生きている人だから・・」
彼が少し顔をゆがめた。
「僕はそれだけの人間にしか見えないのか?」
華浦は彼の顔を見た。
「ええ、そう見えます」華浦ははっきり言った。
「君はなかなか率直だ」
彼は苦笑いを浮かべると、椅子に座った。
「失礼します」と華浦は言うと、専務の部屋を出た。
彼女は自分のデスクに戻ると、妙に胸が波打っていることに気づいた。
林田圭よくわからない男。