IZ Report no.5
◇
“捕虜としての価値”――俺がいままで生かされていた価値――か。
むしろそれがいままであったということの方が驚きだ。そもそも何故俺は生かされていた?
時間は10時53分。残り凡そ7分程度。目の前で起きている戦闘を前に、その時間は少しばかり長過ぎる。赤軍の人間の方が多いとはいえ、白軍――スティーブン・ブライアーの指揮が、それをカバーするように動いているのだ。自らが陽動となり、部隊が一人一人を、確実に殺していく方策。
陽動とは言っても、それが出来るだけの実力があるからこその陽動だ。囮となるだけの、目を引きつけるだけの強さは、いま目の前で証明されていた。
「焦りが見えるな。……どうしても私をここから動かしたくないようだ」
「大丈夫、すぐ動けなくなるヨ、死ぬからネ」
白の別の人間を相手にしているメイズが、軌道を変えてブライアーの元へ向かっていく。選手交代。
ヴィルは後ろの白軍を相手取っている。――と、さっくり。その人間が倒れていった。ああ、なんとかしないと。次ああなるのは俺だ!
『こちら八代、こっちの方に白軍の斥候が来てるわ! そっちは大丈夫なの!?』
機械的な声が足下からして、そこを見る。無線機だった。確かアレは、本木の持っていたもの(というのもどうやら無線機は基本的に部隊長にしか支給されていないそうだからだ)で、声の主はわかりずらいが聞いたことのある――梅子だ。さっきのどさくさで、本木が落としていたらしい。
彼女の言う“こっちの方に”はやはり、ダミーではない、“本当の倉庫の方に”ということだろう。急襲されている訳ではないことを見ると、白軍側はまだその位置を特定出来ていないのかもしれない。
そもそも白軍は本命の倉庫が別にあるという確かな情報を掴んでいる訳ではないのだ。決定打が欲しい所なのだろう。
『和泉はもう行ったの? ちょっとは連絡くらい寄越しなさい!』
と、ここで、俺は、やっと気付いた。
“捕虜としての価値”――俺がいままで生かされていた価値――その意味が。
◇
要すると俺は、恐らく“逃げること前提”で連れてこられていたのだ。
正しくは、“逃げて、相手に嘘の情報を流すため”。
嘘の情報とは“坂木建設が物資の倉庫”であるということ。
“坂木建設が物資倉庫である”というのはダミーの情報であり、そのダミーの情報を持った俺が白軍にそれを伝えれば、なるほど信憑性は高くなる。――これで全て納得が行く。
《和泉はもう行ったの?》
この梅子の言葉は、まさしく俺が”行く“ことを前提に発せられている言葉だろう。草柳に連絡を取っているときの本木がこちらを見ていなかったのは、もしかしたらわざとなのかもしれない。
――そりゃそうだ。普通逃げる。戦闘能力が皆無な俺ですら逃げれるチャンスだと思ったくらいだ。
スティーヴン・ブライアーが現れたのは彼らにとっても想定外だったのだろう。俺が“坂木建設”をダミーだと勘づいたことも。それに加えて、本当の物資倉庫を当ててしまったことも。
そうだ、だからこの時点で俺の捕虜としての価値が無くなった。
それはまさに、いま俺が逃げて白軍に行ったら、いまブライアーが欲しくてたまらない、“本当の物資倉庫“の位置が伝わってしまうから。従って俺は殺されるしかなくなった。
だがそのブライアーが難敵だった。俺の動き云々の前に、そもそもここにいる赤軍勢力が壊滅したら元も子もない。結果俺は放置。どうせこの状態であれば、流れ弾に当たって死ぬことが目に見えている。
『作業自体はあと10分――だけど、白軍の人間がうろついてる。なんとかそっちで気を逸らしてほしいのよ』
続けて通信。時計を見る。10時59分。最初言っていた時間よりも、10分ほど増えているようだ。向こうもどうやら大変らしい。――こちらも大変なようだが。
こちらの状況は、ここから見ると赤軍が劣勢。――白軍の人間が増えている気がするのは、気のせいか? 最悪この場で赤軍が潰れる可能性も否定出来ない。
どうする? ここでこの無線機を取って、梅子にこちらがそれどころではないことを知らせる?
このままいくと赤軍にとって最悪のシナリオ――こっちの部隊も壊滅、向こうもバレて作戦失敗――ということまで考えられる。
「当初聞いていた位置の倉庫を制圧した。だが、些か物資が少なすぎる。……君たちはどこへ隠したのかな?」
ブライアーから発せられたこの言葉から、やはりまだ”本当の倉庫“の場所の特定までは至っていないということを確信する。殲滅していないのは、精神的揺さぶり、それによる場所の特定……か。――どうする? 俺はその場所を知っている。いま俺が飛び出して、ブライアーにその位置を伝えるか?
上手くいけば俺は保護されて、少なくとも確実に命は助かる。ブライアーに直接でなくとも、白軍の誰かに保護してもらえば問題はない。自軍の勝利にも繋がる、恐らくこれが最良の一手。
『とにかくそっちの状況が知りたいの。気付いたのなら連絡を寄越しなさい!』
焦りの見える梅子の通信。……こっちの状況は、かなりやばそうだ。白軍側の人間が増えている。ブライアーの部隊の一員だろうか。白い制服に赤い髪を翻し、相当に腕の立つはずのメイズを牽制して居る様子が見えた。
本木と草柳は前線ではなく後方支援を中心としているようであるし、あのままでは最悪――他数人共々白の餌食になってしまうだろう。
だがブライアーの目的は前述の通り、殺すことではない。恐らくいまは“わざと手加減をしている”状態だ。その気になれば、ここを制圧することも出来る――そのことを行動の端々にちらつかせながら、彼と彼の部隊は戦っている。
どうする? そうしたブライアーの行動は、逆に言えば"制圧できない"状況の結果。状況はギリギリのバランスを保って、ほんのわずかに赤の方へ傾いている。……だが、もしも。
もしもいまここで、俺が何らかの手段を持って、ブライアーに、白に倉庫の場所を知らせたら?
答えは簡単。天秤は俺という僅かな重りで、簡単に白側へと傾く。――学生の生死がかけられる天秤で、困ったことに俺はいま、その重りを手にしているのだ!
どうすればいい? いま両手を上げて助けを呼べば、確実に自分の命は助かる上に、白軍はすぐに確実な勝利を手に出来る。だが本木は? メイズは? 赤軍の人間は?
いや早まるな、俺はあくまでこの戦況をどちらにもひっくり返せる情報と手段を持っているだけで、それがなければ“俺の所為で”何かが起きるわけではない。どちらかを殺す訳でも生かす訳でもない。自惚れるな、俺一人の行動で、そこまで何かが起こせるとは思ってない! ――だが! その天秤を傾かせるだけの状況に置かれているのは事実だ!
何が最善で、俺はいま何をすべきだ?
白軍のために情報を提供する? 赤軍に助力する? 自分の命はどうする? そのための最善は白軍の保護、だがそれをやるには白軍のための情報提供をしない訳にはいかない、そうでもしなければ赤軍の密偵と思われて殺されるのがオチだ!
俺が死んだら元も子もない! 俺の信じるジャーナリズムとやらはどうした、俺はいま死ぬ訳に行かない!
《――証明してみろよ、お前の信じるジャーナリズムってやつ》
本木の言葉。
俺は、何のためにここにいる?
《俺の信じる、ジャーナリズムのため》
自分の言葉。
そうだろ?
だって俺は、ジャーナリストだろうが!
◇
昔、言われたことを思い出す。
“ジャーナリストは傍観者。当事者ではなく、現場で何が起きているかを報道するための、レンズなのだ”。
なるほどその通りだろう。俺を含むたくさんのジャーナリスト達が、この戦争を報道しようと躍起になっている。彼らは彼らなりのレンズを持って、日々取材に明け暮れているのだ。――いまここにいる、俺のように。
……“俺の信じるジャーナリズム”?
そんなの、掃いて捨てるほどある1レンズでしかない。
俺の代わりは星の数ほどいる。数多ある使い捨てレンズの1個。代わりのきく消耗品。
だがな。
それでも俺は、俺の役目は、
俺の目を通した戦争を、正確に記録することなんだよ!
◇
◇
……静かだ。
さきほどまで続いていた戦況はすっかり鳴りを潜め、辺りは静寂に包まれている。――戦闘が終わったのだ。
結局俺は、傍観者で居ることにした。
だってそうだ、俺はジャーナリストで、軍人ではない。
俺の行動次第で作戦の天秤が傾く? 冗談じゃない!
物を映すレンズがその物に作用してどうすんだ、そうなったらもう、それはレンズじゃ居られない。――それが、俺の答えだった。
さて。事の顛末を、記していく事にする。
◇
結論から言うと、作戦は白軍赤軍両者とも失敗し、そしてある意味で成功していた。
まずは白軍側の事情から。
白軍の斥候(恐らくブライアーの部隊の人間だろう)は、見事赤軍の動きから“本物の倉庫”の場所を割り当て、その運搬の妨害に成功した――かに見えた。
ある種それは成功したようだ。物資の一部分はいまだその倉庫に残されており、白軍はその回収に成功したからだ。
ただ、すでに赤軍の人間は存在せず、もぬけの殻。大部分の物資は運ばれていることから、白軍の斥候に警戒して作業を早めに切り上げたのだろうと、その一部分を置いていったのだろうと予測された。
とまあ、これは白軍側の予測ではなく、赤軍の――梅子の通信から予測した事であったが。
だが、本来の白軍の目的は“坂木建設”。それがダミーであったことはブライアー個人が勘づいたことであり、司令部が気付いていた事ではなかったらしい。
これは丁度通りがかった白軍の人間が話していたことだ。
――“丁度”ではないな。俺が白軍の人間を尾けて、勝手に盗み聞きしたことだ。
表向きには白の作戦は成功。司令部の妨害を自身の成功として手中に収めたいであろうブライアーにとっては、紛れもない成功だろう。
赤軍にとってはどうか。
どうやら“本物の倉庫”にあった物資は本当に欲しいものだったらしく、本音を言えば全て持っていきたいものだったようだ。その一部を残してしまったのは打撃だが、全てを失うよりかはマシだろう――とは本木の言。
なんで俺が本木の言を知っているのか。次はそこの話だ。
あの現場では、この顛末はどのようにして行われていったのか。とりあえずなんだか知らないが、とにかく俺はこうしていまも生きている。
◇
あのあと――俺がなりっぱなしの無線機を手に取る事をせず、白軍の人間に向かって助けを求める事もなく、静観を決め込んでただ戦況の行く末を見届けようとしていた、あのとき。
やはりというべきか、その場に鳴り響いたのはあの笛の音だった。気付いたのは数人。前線で戦闘中の彼らには恐らく聞こえていなかったのだろう。反応したのは後衛の、本木や草柳だけのように見えたからだ。
草柳がこちらを見たようで、目が合った。彼は何故だか笑いかけてきて、それから本木に近づく。そのすぐあと、本木の声が後ろの無線機から聞こえてきた。
『梅子〜、そっちはどうだ?』
『連絡が遅いわ! こっちはいま退却する、貴方たちも逃げなさい!』
恐らく現場の判断で退却をしたのだろう。“餌を残しておいたから、それに食いついている間になんとか逃げなさい”と、彼女はそう続けた。
前衛の――ブライアー達白軍はというと、このとき彼らも彼らで別の動きをしているようだった。
恐らく通信だろう。赤の前時代の無線機のようなそれではなく、(俺に取っては見慣れた)インカム。傍受するそれは残念ながら持っていない。正直とても欲しいところだ。……と、話がずれたな。
ブライアーが口にしたことだけは、あの塀の影からでも聞き取れた。
「私の仲間が、倉庫を発見したようだ」
それは、不思議な事に笛が鳴るのとほぼ同時――。ブライアーがこの笛の音に気付いたかは不明だ。なにしろこの言葉を口に出したときも、彼は剣戟の真っ只中にいた。
「へえ、で? どうするの?」
「内緒にしてねぇ、誰にも言っちゃダメなんだよぉ、」
前衛二人が、そう言いながらブライアーに襲いかかる。――が。それは阻まれた。ブライアーではなく、ブライアーの部隊と見受けられる白軍の人間達に、だ。
「君たちの相手は、また今度に」
そういうブライアーを追いかけようとするメイズ。これは本木が止めた。
気付いたら笛の音は止まっていた。
その場から撤退する白軍。赤軍は取り残された形となる。――長い戦闘で、それぞれ恐らく体力も消耗していたのだろう。
メイズはまだ元気のようで、白軍をまざまざ逃がした事にご立腹のようだった。それを草柳が宥めている。――と、ヴィルは彼に背負われていた。大鎌の方はメイズが。ヴィルは怪我でもしたのだろうか。
「よ! 和泉! お前結局逃げなかったんだな」
そんなことを考えている時、急に目の前に本木が現れた。塀の向かい側から、その顔を覗かせて。
「……あの場で逃げても、見つかって殺されるのが関の山でしょう」
その顔が意外に普通に笑っていたので、驚きはしたが、思わず俺も普通に返す。前に感じた殺意は、みじんにも感じなかった。
「それもそうだな、……いやそうじゃなくてな、お前の後ろのそれ、回収しにきたんだよ」
そう彼が指をさす先――なるほど、無線機が落ちたままになっていた。俺はやっとそれに触って、彼に無線機を渡す。
「……俺を、このまま逃がしていいんすか?」
無線機を握った彼は、それをポケットに入れて、もう一度俺に笑顔を向けた。
「“逃がした”んじゃなくて、“逃げられた”んだよ」
「はは、梅子さん怒りそうっすけど」
「どうせ無線のことで怒られるからなあ」
こんな調子で、“差し支えなければ”と、赤軍の状況を聞いてみれば、本木は意外にも素直にそれを話してきた。
まあもう終わった事であるし、移動後の倉庫場所については全く触れなかったため、本木なりの好意だったのだろう。
一言二言事務的な言葉を交わしたあと、「じゃあな〜」と彼は元居たところへ帰ってしまった。後ろ手で、手を振りながら。
彼が何を考えているか最後までいまいち掴めなかったが、とにかく俺の命はそんな風にして助かった。
だがまだ、白軍側のことを把握する仕事が残っていた。
◇
そういえば、結局俺は、白軍に助けを求めなかった。
理由はこうだ。――何故ここに居るかを、説明する訳にいかなかったため。
これは前述の通り、俺が単独で、勝手に取材していることが発端であり、それがバレると広報部に迷惑がかかる上に、これ以降の俺の行動まで制限される恐れがある。
だからなんとかうまく生き残れた以上、白軍に助けは求めない。白軍に有利な情報を、俺は結局黙っていたわけだし。
そもそも俺は白側の人間ではあるが、なるべくフラットでいたいと思っているのだ。……まあ、これは生きているから言えることではあるのだが。
◇
“本物の倉庫”(何故具体的地名を記していないかというと、知らないからだ。俺はあそこを“コンサートホール?”としか書いていなかった)に向かい、白軍の人間の会話を“丁度”、なんとか盗み聞きして、バレないうちにそこから離れる。
影に隠れて忘れないうちにメモをする。だいたいこれが終わったのが2時を回ったころ。
駅を発見したので、線路伝いに歩くことにした。いまは、歩きながらこれを書いている。たまにこけそうになるが、歩きながら寝るよりか書きながらこける方がまだマシだ。書いている間は、少なくとも頭が働く。
空が少しづつ明るくなってきた気がする。
手元も大分見やすくなった。
一日の中で、いまは最も冷える時間だろう。――博士が心配だ。ヒーターを入れたい。帰路を急ごう。
果たしてこれが記事になるかは不明だが、少なくとも赤軍を把握する上では、参考にはなるはず。というか頼むからなって欲しい。
纏めるには纏めるつもりだ。……けどまあ、それは明日でも出来る。ブライアーと司令部の件も、引き続き追わなければならないし。
と、放置された自転車を発見した。見たところ鍵もないので拝借させて頂く。なので、このメモを書けるのもここまでのようだ。長い一日だったが、なんとか終えられそうな気がする。
それではいったん筆を置く。ただいまの時間は4時32分。記者は白稜学園2年、和泉之隆。取材かどうかは正直微妙だが、とにかく今回の取材はこれにて終了とする! 以上!