R.banksiae var. normalis
冷たく重たい金属。
月明かりで鈍く照らされたそれは、同時に私の目の前にいる人間をも照らし出している。
重心を前のめりに。重力と体重をのせて、この金属塊を振りかざそう。
――ああ、もう自分でコントロールなんて出来ない。
勢いがついたそれは、ただまっすぐに降下していく。
落下よりも、もっと、推進力をもって。ただ、真っすぐ。吸い込まれるように。
ぜんぶ消えてなくなればいい。目の前の男も、この世界も、自分も。
目の前の男は、笑みを浮かべていた。
私が振り下ろしていく斬馬刀を、男は大剣で受けとめる。おおかたこのまま真っ正面からの鍔迫りあいを持ちかけてくるつもりなのだろう。
少し遅れてやってきた鉄製の重い音よりも、正面衝突を避けるほうが重要だ。思い通りになんてさせない。そんなものは私がすべて、薙いでやる。
剣同士がぶつかった衝撃を利用して、私は後方へ飛びのくための準備をした。体重を利用した攻撃を、そのまま体重を利用した回避にスイッチ。
急速に景色が遠ざかる。薄明かりの中で風を感じながら、私は後方へ跳んでいく。
「――え」
だが、その中で。線状に伸びる景色よりも、もっと早く、男と、男の持つ大剣が、目前に迫ってきて――。
「……ッ!!」
気づけば私の眼には、ぽっかりと浮かぶ月と、その周りの暗闇しか映っていなかった。
どうやら私は、回避すら許されなかったようだ。
頬に濡れた草を感じた辺りで、私はやっと世界が傾いたことを理解する。視線をスライドすれば、ぼんやりと銀光が見えた。
「……明日のミーティングに遅れるな」
目の前に居た男は大きな影になって、私へと降り注ぐ月光を遮る。彼はそういうとすぐにふり返り、歩き出した。元より返事をする気などなかったが、向こうも返事を期待していなかったようだ。
――もう、何度目のことだろう。
何度やっても、結局こうなってしまう。意味のないことだって、わかっているのに。感情に任せただけの行動だって、わかっているのに。
「――ばからし」
遮る物がなくなったせいで、空からの光が直接目に入ってしまう。やけに明るいそれは、世界を平等に照らすらしい。
眩しさにたまらなくなった私は、ゆっくりと腕を持ちあげた。――ああ、よかった。これでもう眩しくない。
それで私は、ようやく目を閉じることができるのだ。
◇
「――以上のことが予想される。単独行動は控え、きたる襲撃に備えるようとの通達だ」
講堂の中央。そこで作戦の説明をしているのは、白司令塔であるスティーブン・ブライアーその人だった。黒板に張り出されている地図には部隊別の作戦概要が示されており、
「よっ、枇々木っ」
「わっ、あ、能、能登先輩……でしたっけ!?」
いまいち頭に入らないそれを、ぼんやり眺めていた枇々木司の肩を叩いたのは、3年の部隊長である――
「そ、能登祐希だぜ。枇々木は今回俺の部隊だから、あいさつでも~ってさ」
能登が、そう言って笑顔を浮かべていた。薄茶の髪に眼帯の彼と、司は前に一度だけ会ったことがあった。
「ちょっと祐希、怖がってるじゃない」
その横から顔を覗かせたポニーテールの女性は、結城あずさ。能登の部隊の、主力と噂される上級生だった。能登と顔を合わせた時、彼女もまた隣に居た気がする。
司は改めて二人を見つめた(正確には呆気に取られてしまった、というのが正しいのかもしれないが)。 それに気付いたらしいあずさは、司へ穏やかに笑いかける。
「枇々木はこれが初めての作戦なんだよね。……ま、頑張って。わかんないことがあれば私かこいつが教えてあげるから、安心してちょうだい」
「あ、ありがとう、ございます」
思ったより、フランクな人物たちであるのかもしれない。かなり成果を上げている二人と聞かされていたお陰でそれなりの不安感を抱いていたのだが――
「あずさは教えるのうまいから、色々聞いてみるといいよ。ただちょっと鬼教官なのが難点で、どのくらいかというと、こないだも一人逃げたばっ――」
「あああんたは一言多いのよ!!」
いや、やっぱ、少し、ほんの少し……不安だ。
ミーティングが終わり、徐々に人が少なくなっていく講堂。
唯一と言ってもいい見知った人間たちであった能登とあずさは、司に短く挨拶をしてから寮に引き返してしまった。一人になると、改めて不安感と緊張感が首をもたげはじめてくる。
(はぁー、なんだか大変なことになったぞ……)
小さくため息をつきながら、彼は書類を目でなぞった。
作戦ナンバー36、第4遊撃部隊、編成表、作戦概要……部隊長、能登祐希。その下には、結城あずさ、柊羽奈、エミリア・ハウル、野津えみり――知らない名前と知っている名前が混在している。
困ったことにそこには、枇々木司という、やけに見慣れた文字列も加わっているのだが――
そこに残る違和感を、彼はまだ消せないでいたのだった。
(なんで、こんなことに……。つーか軍士官コースってなんだよ!?)
そもそも、彼は軍人になろうとしている訳ではなかったのだ。寮制度のある学校へ転入する、それだけだったはずが、何かの手違いで軍事カリキュラムの生徒として転入する羽目になっていた。
――しかし、それらが判明したころには、もう諸手続きが済んでいたわけで。
(うーむ、ま、もうしょうがないし、やるしかねえんだよな……っと、ん? あれ、いま落ちたよな)
転がるピンク色のボールペン。
斜め前の人が、落としたのだろう。この机は少しだけ傾いているし、間違いない。丁度こちら側にきたそれを拾って、司は後ろから差し出そうと身を乗り出す。
「ってわっ!?」
その瞬間に、赤茶髪のツインテールが小さく揺れて、鋭い敵意のある視線が突き刺さる。
敵意さえある、その一瞬の表情。思わず声を上げながら司がたじろいだ辺りで、そのツインテールの主――彼女が口を開いた。
「……ペン」
「えっと、あ、あの、落とし、ましたよ」
彼女は司と、司のもつペンを見比べてから、一つ息を小さく吐く。
「……ありがと」
そう言い差し出された手にペンを乗せれば、彼女はそれをひょいと受け取り、強張った表情を柔めた。
「……、枇々木、くん」
「えっ、俺の名前……」
能登たちはともかく、目の前の人物は知らないはずだ。だが入学時に複数人のあいさつを受けたことは間違いないので、もしかしたらその中に居たのかもしれない……が――そうおたおたしていると、彼女が受け取ったばかりのペンで、ある一点を指し示す。
「司令書、第4遊撃部隊のでしょ。でも知らない顔。……だから」
「お、おお……!」
確かに指された司令書に見える「第4遊撃部隊」という名前を確認してから、司は彼女の顔を見上げる。
「……ついでに言うと君は右利き、小学校の成績表には“クラスの人気者です”って書かれるタイプで、数学が苦手、どうだ」
「す、すげぇ……!」
尊敬の眼差しを向ければ、その彼女は得意げな笑顔をうかべた。
「ふふ、あとね、頭にでっかい埃ついてるよ」
「ほえっ、あっ、」
慌てて自分で頭をわしゃわしゃとかき回せば、いつの間にか立ち上がっていた彼女が、悪戯気な笑みをこちらへ向けていた。
「なぁーんてね! 嘘! きみ、騙しがいがあるんだもん!」
彼女はそう言って、受け取ったペンをひらひらと振りながら講堂を後にしたのだった。
◇
「あー、そりゃ野津先輩だな。おめーオモチャにされてんぞ」
無性に居心地の良い揺れの上、すぐ後ろに居る少女――エミリア・ハウルが彼女の馬の手綱を引くのが目に入る。
「野津……そっか。あの人が野津先輩か」
規則正しい馬の蹄の音。思ったより揺れがすくないのは、エミリアの技術の成せる技だろうか。司は、騎馬部隊の一員であるエミリアと同乗し合流地点へ向かっている最中だった。
今回の任務は「遊撃部隊」の名にふさわしい、遊撃――奇襲作戦だった。固まって行動するのは目立ってしまう。数人ずつ集合し、そこから作戦を開始させるという手筈だった。
「……さて、もうそろそろのはずなんだが。っつーか司、お前初任務から奇襲ってついてねえよな。精々怪我しないように気をつけろよ」
「お、おー、気をつける……」
エミリアは同じ一年ということもあり、司と親しく話せる数少ない友人のうちのひとりだった。基本的には騎馬隊のため、同じ部隊に編入されることは少ないのだが、今回はそれぞれのに騎馬隊が配備されている編成となっているらしい。
顔見知りが部隊に居ることに、彼は少なからず安心感を得ていた。
「ありがと、エミリア」
「急になんだ? 気色悪い」
「……エミリアが居なかったら、緊張で死ぬ所だった……」
「ハァ!?」
問いただすように司の顔を覗き込めば、笑顔、とは名ばかりの、まさに"蒼白"な表情――。
「……いや、でも、頑張るしかない、か」
ひとつ息をついて、司がそうつぶやく。
戦争の経験はおろか、実践戦闘の経験もなし。訓練だって、成績は中の下がいいところ――だけど、それでも、自分に出来ることは、やってみなければ。
「……そんな顔で言われても、説得力ねえけど」
「うっ……折角かっこつけたのに……っ」
頭の中につめてきた地図では、もうそろそろ集合場所のはずだ。いやに静かな街並に、軽快な馬の蹄を響かせながら、二人はそこへ近づいていった。
◇
「……私たちのするべきことは、ここと、それ東にもう一つのここ――まあ、この地図のとおりだけれど、この位置の安全を確保して、物資の取引を無事、安全に遂行するのをサポートすることよ」
「ふーん」
「実際どちらの場所が取引に使われるかは、私たちにも知らされない。情報漏洩を懸念してのことだけれど、私たちの生活にも関わる問題なんだから、まあそれくらいはしてほしいわね。そんなわけで、もちろんあなたたちにも協力してもらうわ」
閉鎖され、人気のないビル――その会議室で、思い思いの座り方をしている人間が約六名。つくえの中央には、山のついたボード。
「……ウッス」
「おっ、波瀬っ、お前の会社倒産したって」
波瀬と呼ばれたその青年――波瀬辰也が、随分と小型の車を手で動かしながら、心なしか悲しそうな「ッス」という言葉を返す。手に持っていた札束を模した紙を中央におくのを横目に、その隣のメイズ・ルーンがボード中央部のルーレットをまわした。
「へー、じゃボクたちは、それまでここか、向こうかで待機ってコトなのかな?」
「……私の班が東、貴方達はここのポイントが担当よ。引き続きここで待機することが、いまのあなたたちの任務」
そうボードゲーム――人生ゲームの隣に置いてある地図を指差したのは、八代梅子だった。
彼女もまた、すぐ地図から眼を離し、メイズと同じ様にルーレットをまわす。
「……あら、私は事業に成功したわね」
「ジギョウ? なあにそれ?」
大きすぎるブレザーの袖をパタパタしながら、ヴィルマー・エッガースが首をかしげる。馴れた様子でそれに答える波瀬を横目に、梅子が地図を手に取り、席を立った。
「……さて。伝えることも伝えたし、名残惜しいけど私は持ち場に帰るわ。実優さん……は、煙草かしら。悪いんだけど、このこと伝えておいて頂戴」
「あっ、チョット、まだゲームの途ッ――」
「……どうかしましたか?」
「しっ」
先ほどまでとはうって変わったメイズの表情。彼はそう言いながら口にすばやく人差し指を添える。その目線の先は、ドア。
「あ~~みゆちゃんだ~~」
嬉しそうに笑顔を浮かべるヴィル。
その声は静寂に包まれた空間にひびいて――
「――~~っ! ちょっ……まっ!」
遠くで叫ぶ仲間のひとり――実優の声が全員の耳に届いたのだった。
◇
『目標確認、赤勢力一名発見しましたが、逃げられました』
「了解、深追いはしなくていい」
インカムから聞こえる声に、能登が応答する。配布されたその機械からは、あずさの声に混じって――雑音。
向こう側では、いま、まさに戦闘が行われている。
「――と、いまの聞いてたかエミリア。お前は逃げた奴を追ってくれ。枇々木は……まあ、まだ俺の所に居てな。色々説明しなきゃならないこともあるから」
枇々木に目もくれないで、エミリアは小さく頷いて馬を走らせる。長い黒髪が風になびいて、彼女は颯爽とその場から消え去っていった。
「能、能登さん、俺、なにもしてなくて大丈夫なんですかね……?」
「まあ、枇々木は今回が初戦だし、基本的には危険な目に遭わないですむように組んでるさ。ちゃんと実戦訓練つんで、一人で戦えるようになってからもっと働いてもらうつもりだから、覚悟しとけよ~」
能登は地図から目を離して司に笑いかける。それに苦笑いを返していると、司の視界に地図がはいった。
かなり詳細な情報が書き込まれているそれ。作戦概要を表すいくつかのマークが、赤いペンで書き足されているようだ。たしか、作戦上の大まかな人の居場所を把握するために書き足しているもの――のはずだった。
「……あれ? この丸印だけ、ここからちょっと離れてるんですね」
そこに、ひとつだけ点在しているマークがある。それが示される場所は、この建物ではなく隣の建物。ほかのマークが矢印であるのに対してそれだけが丸印となっていることからすると、移動するのではなくそこを拠点とした作戦が重要になっている、ということだろうか。
「お、よく気がついたな。そう、今回は奇襲作戦だからな。奇襲にもってこいの人材が、ここに配属されてるってわけ。あーでも枇々木は始めて会うかもな。……ま、ちょっと変わってるけど、いい奴だよ」
能登のその言葉をききながら、司はそのマークが描かれる建物へ方向と視線をうつす。まだ顔を合わせていない先輩が、そういえばひとりいるはずだった。おそらく、その人がそうなのだろう。確か名前は――柊羽奈。
そう司が目線をおくるその建物の屋上で、一人の少女があぶみを踏みながら、静かにクロスボウの装填を行っていた。
◇
信じられない程のスピードで逃げていった深緑色のスーツを一度見やって、あずさは改めてビルの内部へと視線を滑らせる。
(報告はしてるから、まあいいわ。はやいとこ制圧しましょ)
ガラリとした廃ビル。赤が潜伏しているかもしれないという情報は事前にあったが、どうやら本当のことのようだった。今回の部隊は、まさにおあつらえ向きの――戦闘に特化した編成。一瞬だけ、彼女の脳裏に、あの不敵な参謀の笑みが浮かんだ。
「ん……?」
足音。軽快なリズムで、ビル内からこちらへ走ってくる音。まだ自軍の誰もビル内には入っていないはず。ということは、
(……どうやら仲間、のようね)
少しだけ高まる緊張感を飲みこみ、あずさはゆっくりと深呼吸を行う。まず大前提として、ここにいることを気取らせてはいけない。
ゆっくりと息を吐きだし、落ち着いて音に耳を傾けなくては。
「……アー、みゆチャン、やっぱ行っちゃったヨ、ハセ」
「そう、みたいっすね」
中性的な声色と、それに反応する低めの声色。会話の内容からすると、どうやら先ほど逃げた人物は"みゆ"という名前で、低い声色の持ち主は"ハセ"という名前――波瀬?
(ってまさか、あの“波瀬辰也”?)
あずさの持つ記憶が、ある答えを導きだす。朧げながらもどこかで聞いたことのある声、名前、その人物の現状――予感がその身をもたげるのを感じながら二人の様子を見れば、そこには見知った三白眼と、白の救護箱。やはり、間違いない。
ついこないだ白軍から失踪した一年、波瀬辰也だ。
自分の仲間が失踪し、赤になったのはこれで二人目だった。慣れるわけはないはずなのに、どこかそれを不思議に思わない自分がいる。無理やり息を吐いて、そこにあるモヤを頭の外から出した。
いまは、そんなことを考えている時でないのだ。
「~~だし、はやくヤっちゃおうヨ」
「ほどほどで、お願いします……メイズさん」
硬質で軽い金属音。――来る。
少しの殺気と、薬室に弾薬が補充される装填の音。身構えるために体重を移動する、その数瞬前。
「――――――ッ!」
壁の破片が、あずさの頬を霞めて飛んでいった。
顔面ほど近い場所から降り注いでくる銃声。吹きさらしのコンクリートが、小さな石つぶてになって地面に落ちていく。それを視界に映しながら、あずさは現状を正しく理解する――狙われているのだ!
「ハァイ♡ 次は当てるカラ」
トリガーを指でわざと鳴らして、あずさへ向けられる声。もう少し様子を見たいところだが、どうやらそんな余裕はない。ほとんど反射神経のままに壁から躍り出れば、やはりそこには既に二撃目が発砲されていた。
彼女はその体重を前方へとかけながら声のする方向へと視線を滑らせる。
獲物はガンブレード。距離は2m。相手の懐に入らないことには話にならないが、ただ入って勝てるというものでもない。
その射線にだけ意識を向けながら、あずさはその少年ではなく――いくばくか彼女により近い位置でぼうっとしていた――波瀬の背後へ、その肉体を向かわせる。突然の方向転換に、波瀬は対応出来ない。彼は為す術無く後ろを取られ、
「……ハァイ、お久しぶりね、波瀬辰也さん」
あてられたナイフに、身を強張らせることにならざるを得なくなった。ナイフの刃先に気を取られた不自然な動きで、波瀬が後ろを取るあずさへと目を合わせる。と、彼は小さく呻いてから目を逸らした。
「ウッス……結城、先輩」
少しの間をおいて出てきたその言葉に、あずさは少しだけ口角をあげる。どうやら、波瀬もあずさのことを覚えていたらしい。
彼の両手をひとまとめに抑えながら、あずさは改めて少年装の人物を観察した。口を尖らせながらガンブレード向けているその人物。
幸い波瀬はあずさよりも大柄だ。本人には少しばかり申し訳ないが、盾としては優秀だった。
「波瀬さん、お久しぶりな所悪いけど、あなたを使わせてもらうわ」
その言葉に、波瀬は力なく息を吐くことで反応する。
「むー、知り合いなの? 仲間はずれは、面白くないネ」
「……メ、メイズさん、とりあえず一旦それを降ろす、というのは……どうっスか」
そういう波瀬の視線の先では、銃口をこちらに向ける少年(?)――メイズ。それに対抗してナイフを持つ手に力を入れながら、背中を押すあずさ。じりじりと、二人は移動を繰り返す。
「降ろすワケないじゃん。ハセが動かなかったらダイジョブダイジョブ」
そうにっこり笑みを浮かべるメイズ。もちろん銃口は二人を追うために、少しづつ修正され動かされている。少しづつ、右へ。もう少し、右へ。
そうやっていれば、あと少し。
……もう少しで、
彼女の、射程範囲に入る。
「!!」
風を切り裂きながら、窓だった壁の穴から入ってくるそれ。一瞬早く反応したメイズがガンブレードを窓の外に向けて射った。入れ違いのように、弾丸と、それ――三又の羽のつく、矢が猛スピードで交差する。
羽は無回転のまま真っすぐメイズのガンブレードへ。それなりの衝撃音がひびき、矢に弾かれたブレードが目に映った。
「チッ! なに! 邪魔しないでヨ!」
後ろに飛び退きながら窓の外を睨むメイズ。本能的に射程範囲が奥に届かないということを察知したのだろう。向こうの距離を推し量るように一瞬だけそちらを見据えたあと、すぐに彼は視線をこちらに寄越す――ところで、もう遅い。
そのころには波瀬の背中を思っきり蹴飛ばして、バランスを崩した波瀬が、メイズの方へ倒れ込んでいる真っ最中であるのだ。
「……何があったかはわからないけど、黙って出ていかれたのは、寂しかったわ、波瀬」
少しばかりの哀愁を込めて。メイズの肘鉄を脇腹に喰らい飛んでいく波瀬を横目に、あずさがドアへと走っていく。
――と、その時。
「相談を受けていれば、彼の離脱を食い止められた。……なんて言うつもりかしら」
こめかみに、ひやりとした銃口の感覚。
「あなた個人の感情で、彼の行動の成否を問うのは些か勝手すぎるんじゃなくて? あなたはどう思っているのかしら……結城あずさ」
赤茶色の長い髪の毛が揺れたその先に、切れ長の瞳をすずやかに細める少女の姿があった。
◇
(わわわ! 見られちゃった!)
あわててコッキングクローを装着して、その少女――柊羽奈はそれまで陣取っていた場所から離れる支度をはじめた。
たしかに、あの金髪の少年らしき人物と、目があってしまったのだ。一対一のぶつかりあいにおいて勝算がない彼女の場合とくに、正面衝突は避けなければならない。
背中にせおったクマさんリュックから一本の矢を取り出し、装填する。張りつめた弦にのる矢を確認し、いつでも射てる状態なのを確認してから、彼女は廃ビルの廊下を駆けていった。
『ゆうきくん! 場所バレちゃったから移動するね!』
階段を駆けおりながら耳につけたインカムを起動させる羽奈。左腕のない彼女が右手の空いていない際でも扱えるよう、肩でスイッチが押せるようになっている優れものだった。
『うおっ、まじか、わかった。枇々木とハウルを向かわせるから、何とかそれまで耐えてくれ。ポイントはB-03付近――聞こえたな? 二人とも』
短くそれに答える一年生達。それまで、耐えられればよいのだが、とにかく、いまはそこまで見つからないことを祈るしかできないだろう。
錆びついた手すりと瓦礫を横目に、階段を一段飛ばしで降りる羽奈。途中転びそうになって大きな音をたててしまったが、いまのところ誰かがこちらへ向かって来ている気配はない。合流できれば、大事はないはずだ。大丈夫。
『――こちらハウル、現在応戦中ですので、救援は司に任せます』
『えっ!? ちょっ、エミリア! の、能登サン、いいんですか!』
『ハウル、最優先事項は柊の確保だ。いいか、これは上官命令だからな、単独行動はするな』
『……善処はします』
突然入ってくる通信と、小さく聞こえた舌打ちを最後に、ブチっと切られる無線。
その意味するところはつまり、騎馬隊という人に勝る足であり噂によると将来有望であるエミリアが(多分)来ないということであり、それはつまり羽奈と合流するのは、新人らしい一年生ひとりということで――。
(ど、どうしよう、めっちゃ不安になってきちゃった……)
まだ見ぬ一年生が屈強であればいいと、彼女は暗に、そして切に祈ったのだった。
◇
「さて、邪魔は消えたし、……勝負だ」
「イイね、ヤる気じゃん」
長刀に改めて力を込めて、エミリアは目の前の人物に向きなおる。ポイントへ向かうエミリアの前に躍り出てきた、少年装の人物。おそらく、柊を狙ってきたのだろう――行き先を同じにしている以上、どうせ戦う羽目になる。
だったら。
「……お前は、いまここで、殺す!」
「フフッ、できるもんならやってみてヨ」
手綱を握り、少しだけ脚に力を入れてるエミリア。それに反応した馬は歩きだし、すぐにその速度を上げていく。三拍子の蹄の緩やかなリズムが慌ただしいそれに変化する中で、彼女は長刀を構えた。狙うはメイズ。馬上からの一撃。
「――ッ」
和鋼の鋭い衝撃音が辺りにひびく。ガンブレードを持ちそれを正面から受け止めるメイズが、その一瞬でエミリアに笑みを浮かべる。――防がれた。が、
(んなんはな! 予想ついてんだよ!)
エミリアの身体は、その長刀から手を離さないまま、宙に浮いていた。正確に言うなれば、急カーブした馬はそのままの襲歩で去って行き、エミリアはその急カーブを利用して、その全体重を長刀にかけていたのだ。
「ワーオ、やるね、キミ」
「……」
なおその余裕さを崩さないメイズをよそに、くるりと翻って彼の後ろに着地したエミリア。首を傾けてその視線だけをよこすメイズの視線を受け流して、彼女は長刀を構え直した。
「……お前も、多少はできるらしい」
「多少だヨ、多少、ま、キミよりはできると思うケド」
彼はエミリアに向き直りながら、さも当然であるかのように言葉を発する。彼もまた、エミリアに向かってガンブレードを傾けた。
「やってみなきゃ、わかんねえだろ?」
「……いいヨ、相手、してアゲル」
張りつめる緊張感の中、先に動き出したのはエミリアだった。
◇
反応しない無線。先ほどの急に切ったような音――これは、
(ぜったい、“善処”してないよなあ……)
本人の性格と、あらかじめ伝えられていた“エミリアの問題点”。
祐希は無意識に右目の眼帯に手をあてていた自分に気付き、その手をそのままインカムへと伸ばした。
「本部、こちらの状況把握してますか?」
少しの雑音、少しのあいだ。
そうして、通信越しの反応が帰ってくる。
『……ええ。把握してますよ』
けだるそうで、それでいて人を食ったような声色。我が白軍の参謀の――九条奏多の声だった。
◇
「スティーブ、どうやら、予想通りに事が進んでいるようだよ。……予定通りではないけどね」
通信がきれ、束の間の静寂がやってきた白司令室。毛先だけの金髪を揺らしながら、奏多は地図を眺める司令官に笑いかける。
「まあ、今回の一番の目的は、あの場所の取引を未然に防ぎ、補給を断つこと。その点であのエミリアの行動は、まあ、グレーゾーンといったところだね」
「……そうだな」
司令官――スティーブン・ブライアーは、そういう奏多に、短く返事をした。
今回は奇襲作戦ではあるが、完全隠密のそれとは違い本当に“奇襲”が目的となるものだ。相手を引っ掻きまわすことが目的。
その点では、防衛戦にならざるをえない赤勢力よりも、白勢力の方がそもそもの時点で有利といえるだろう。
「枇々木もまあ、失敗していないだけ上手くやっているほう、かな」
行動に難はあれ実力はあるエミリアならともかく、実戦初経験の枇々木を計画に組み入れたのは、まさに戦場を体験させ、次の実戦に早期投入するための布石にほかならない。その意味で今回のこの作戦は、最適だった。
「……スティーブ?」
なんとなしに顔を向けた先にいたブライアーが、窓の外を見つめていた。釣られて視線を窓へ向ければ、なるほど、そういえば雨が降りはじめている。
作戦に支障はそれほどないため気にも止めていなかったものの、どうやら我らが司令はまた違った感情を抱いているようだ。
「……雨だ」
ブライアーが、ぽつりと口を開いた。
その声はこの部屋の静寂に、そして窓の外で鳴りひびきはじめている雨音に吸い込まれていく。
ひんやりとした湿気と窓からの灰色の光で、司令室はモノクロに支配されていた。風情はあるが、そういえば、すこし肌寒いかもしれない。
「ふふ、雨が、どうかした?」
彼は席を立ち、静かに司令室の隅に向かっていく。ポットや茶葉、ティーカップ等が均整に置かれているスペースがあるのだ。
彼は馴れた手つきで、ふたり分のアフタヌーンティーの準備をはじめた。
「いや……すまない、なんでもないんだ」
少し頭を振って、元の体制にもどるブライアー。書類の乾いた音。それを目で確認してから、暖まったカップに――いま入ったばかりのダージリンティーをそそぐ。
音を立てないよう、しずかにカップを彼の元へ。奏多の気配を感じたのだろう、彼は奏多が近寄るのを見計らってその口を開いた。
「奏多、おまえは雨が好きか?」
「……僕? そうだな、僕はあまり好きじゃないな」
髪は痛むし、湿気はじめじめと肌に纏わりつく。せっかくたてた作戦も、雨のせいで狂うことは多い。
風情より実害のが大きいのは、いただけないだろう。
「……そうか。いや、すまない。これも、なんでもないんだ」
(ふむ……にしても。今日のスティーブは、なかなかどうして複雑ですね)
そんなことを考えながら、奏多は自身のティーカップを回収して自席へもどる。カップに口をつけたくらいで、ブライアーがこちらへ向いたことに気付いた。
「……奏多、お茶をありがとう」
いつもの微笑と、その奥にある、憂いのようなもの。
雨はきらいだ。
けど、それは湿気と視界不良によるによる実害によるものじゃない。
それは、時折目の前の、奏多の大切な友人を、支配してしまう。――それが、実に気に食わない。
「どういたしまして。おかわりならまだあるよ」
窓の外の雨模様は、まだしばらく続くようであった。
◇
降り出した雨は勢いを増し、ビルの外は白というよりは灰色に包まれている。まあ、そんなこと、正直こちらにしてみれば至極どうでもいいのだが――
「……ムカつくわ」
目の前の彼女にとっては、たいそう重要なことであるらしい。
「あー、まあたしかに、気持ちはわからんでもない。けどさ、そうカリカリするなよ、べつに古傷が疼く~ってわけでもないだろうし」
相手の振りかざす斬馬刀を軽く避けて、本木シアムが翻る。
ポケットに手を入れ、一回転。すこしよろけながら着地して、改めて相手を観察すれば、
(ははは、おっかねー顔……)
そこには可愛らしいツインテールとは裏腹の、殺気に満ちた表情があった。
「別に、何もないわ。カリカリもしてない。……あなたを殺したいってだけだもん」
「ははっ、そうか。いやさー、俺はあるんだよね。傷じゃないけどさ――まだ小さいとき、住んでたところがぶっ壊されたんだ。そんときも、こんな雨が降ってた」
鎖鎌の柄を取り、自身へ近づける本木。斬馬刀はリーチの長い得物であるがために小回りが利かない。こうした柱がたくさんあるような屋内での戦闘であれば、正直有利なのはこちらだった。
「……ふうん、あなたも、色々あるのね」
うってかわって、すこしだけ憂いを帯びた表情。まさか同情でもしてくれているのだろうか。
思ったよりも面白い反応が帰ってきた。
「ははっ、なんてな、冗談だよ、ウ・ソ」
……怖い顔だ。住んでた場所――孤児院が壊されたとき、雨が降っていたかなんて、実際のところまるで覚えていないのだ。
相手にしてみれば、一瞬でも同情してしまった自分が憎らしい――そんなところだろう。彼女は斬馬刀と視線を真っ直ぐこちらに向けて、ゆっくりと体重移動をはじめていた。
「あなたのそういうところ――」
すこしづつ後ろに傾けられる重力。小さく呟いた言葉を追い越すように、つぎの瞬間彼女は本木の方へと駆け出す。
その軌道は直線に。ひんやりと湿った空気を切り裂くように、斬馬刀と、その持ち主が迫ってくる。
「ほんと、ムカつくわ」
鉄製の重い音。衝撃と衝撃がぶつかりあって、それは耳にこだまする。
雨が地面にぶつかる音を背景に、彼女の言葉と金属音だけが部屋にひびいていた。
◇
ツインテールの彼女と、彼の同学年の青年――もっとも彼にとっては"同学年"などという仲間意識はなく、ただ一緒に居るだけという感覚であるのだが――そのふたりが戦っているのを一瞥して、彼は部屋を後にした。
あそこで戦いに加わることは命令になく、ほかにやるべきことがあったから、というのは理由のひとつではあるが、どちらかというと、ツインテールの彼女から逃げたかったの言うのが本心だろう。
団らんとしたいつものゲーム大会で、“みゆちゃん”の声を聞きとげた彼の仲間たち。つぎの瞬間、彼らはとくに打ちあわせすることもなく、バラバラに行動を開始した。
慌ただしい彼の様子からも、だれかがこの場所に潜入したことは確実だった。ここは彼らにとって、確保しておかなければならない場所。――とくに彼にとっては、彼の敬愛する上官直々に頼まれた”確保”でもあった。
この場所を確保しておくこと。なお、侵入者は残らず排除。
彼は、命令の内容を反芻しながら、彼にとってはいささか大きすぎる服の袖を引きずって歩いていく。
どこか楽しそうなのは、侵入者がなくてもおそらくは上官は防衛したことを褒めてくれるが、侵入者を撃退した、ということの方がより褒めてくれるーーという経験則に基づいているからだろう。
ともかく彼は、なかばウキウキしながら、侵入者を探していた。
そんな彼がちょうど通路の先から飛んできた衝撃音を、聞き漏らすはずもなく。
「――へへ」
戦いの予感に彼は口端を上げながら、音のした方向へ、その進路を転換させた。
◇
「あ、あの、まずは落ち着く、というのは、どうっすか。……万が一でも怪我をされたら、その、困るんで」
対峙したふたつの影。かた一方の影はその銃口を向け、向けられたもう一方の影は、先ほどまで自分に当てていたナイフをーー
「私が言うことじゃないけど……あなたねえ」
地面に置いてから、両手を上にあげた。
「……彼がああなのは、あなたたちの教育の賜物かと思ってたわ。まあ、あなたたちのなかにいても、思うところがあったからここに居るようになってるのでしょうけど」
置かれたナイフを足で遠くへ飛ばしながら、銃口を向けている方――梅子がこちらへ視線を寄越す。いたたまれなくなって視線をそらせば、彼女の小さくついた息が耳に入った。
「……これは、自分の信条っす、から」
戦争だろうがなんだろうが、ここで怪我人が出ないようにすることが最重要事項であり、もしもそのための態度が彼女達の意にそぐわなくても、自分の態度を変える気は毛頭ない。このスタンスを、変える気はないのだ。
呟くように出したその言葉に反応したのは、元先輩の、あずさの方だった。
「その気持ちは、わからなくないわ。でも、これは、戦争なのよ。私たちは戦わなくてはいけないし、殺さなくてはならない」
その声色に思わず視線を向ければ、そこにはあずさの伏せられた眼。――そういえば聞いたことがある。彼女の胸には傷跡があること。それが、命令違反によってついた傷であること。
「……そう、わかってるじゃない。目的のために、人を殺すのよ。あなたも、私も」
トリガーにかかる梅子の指に、力が入れられる。
筒状の小さな穴は、その直線上にあずさの眉間を真っすぐに捉えていた。直撃したら、怪我どころではすまないだろう。張り詰める空気と、トリガーがかかるその、軽い音――。
「まっ、」
波瀬が梅子を止めようとした、その瞬間、
「あずさぁーーーー!!!」
放たれる火薬の炸裂音。
拳銃となにかがぶつかった、衝撃音?
「――ゆ、祐希!?」
その瞬間、波瀬の目に飛び込んできたのは、見知らぬ男と、彼が投げたらしいメイス――
「えへへぇ、混ぜて混ぜて~」
そして、梅子の拳銃を弾き飛ばしたメイスを大鎌で弾いた、ヴィルマー・エッガースの姿だった。
◇
重量感のあるガンブレードを、体重を乗せた剣戟でいなす。一撃一撃は重いが、なんとか耐えきれる衝撃だ。――面倒だと思っていたあの“特訓”が、生きている。
《いいですかハウル、貴女確かに素質はありますが、素質に頼りすぎているきらいがあります》
続く二撃目を、体を低くすることで避ける。いくら相手がその体型に見合わない腕力をもっていても、振りかぶった大きなブレードを急に止めることはできない。
《あれを見てください。まったく使えなかった枇々木がすこし、ほんのすこし、いやわずかながら動けるようになっています。なぜだと思いますか? ――そう、彼は相手をちゃんと見ようとしている》
振りきったブレードは、慣性の法則にしたがって彼女の頭上を通過していく。相手がそれにしたがっているあいだ、ブレードによる攻撃はない。三撃目まで、それはただの重い金属の塊だ。――それは、紛れもない、隙。
《相手だって人間です。そこには癖もあるし、好みもある。ただ力技で押しきるのではなく、相手をよくみて、どこになにをぶつけるかを、つねに考えなさい》
小言の多いプリン頭が脳裏をかすめる。毎日毎回、違う武器に対峙する演習。
《ブライアー司令はこんなものじゃないですよ。僕らは僕らの司令に恥じない戦いをしなくてはならない。その牙に届くくらいのね。……まあ、まず無理ですが》
(ごちゃごちゃうっせえな!! 最後は結局、強い方が勝つんだよ!!!)
すでに準備していた、エミリアの一撃。低くした姿勢をバネにして、相手のもつ一瞬の隙へ、それを叩きこむ。――ああ、もうなんだっていい。ただ一つの確かな実感。その昂りに身を任せる、一瞬。全細胞が、声を大にして訴えているのだ――目の前の相手を、なぎ倒せと!
感じるのは、自分の殺気と、相手の殺気が混じりあうその瞬間。
交錯する視線。自らの筋組織を総動員したその一撃が、蛇のように向かってゆくのが、たまらなく気持ちいい。
「……フフ」
ただそれよりも。エミリアの視界に入っているのは、相手の幾分見開かれた目と、つり上げられた口であり。
身体の動きがついていかないほどに引き延ばされた意識は、彼の”ガンブレードを持っていない方の手“が、なにかを持っているということだけを捉えていた――。
◇
「エミもがッ……んー!!」
「だっ、だめっ、いま出ちゃだめだってば!」
爆風――いや、煙幕の一種だろうか。およそ通常の人間にはついていけそうにないスピードの剣戟と、肉弾戦の素人でもわかるほど気合いの入ったエミリアの一撃。
その瞬間に、すべてが煙のなかに包まれたのだ。
「んんっ!! んーー!!!!」
「……あっ、ごめんね司くんっ、鼻までふさいでたっ」
顔を真っ赤にして訴えてくる司を尻目に、羽奈は煙の方向を見つめる。――動きはない。通信も反応せず。必死に呼吸を繰りかえす司に視線を一瞬だけ向けて、羽奈は考える。――逃げるべきか、エミリアの加勢をするべきか。
(な、なるべく戦いたくないなぁ~っ)
狙撃ポイントから離れてすぐ、キョロキョロと所在無さげに戦場をさまよっていた司を発見できたのは、幸運というほかないだろう。
ただ、すぐにエミリアと赤らしい人間の戦闘に出くわしたのは、不運だった。
めまぐるしく変わる戦況。羽奈のねらいがいくら正確でも、接近戦をしているふたりの片方を正確に狙った攻撃はできない。――というより、そもそもここは遮蔽物がすくない。
射撃は自らの場所を教えると同義であり、いまそのようなリスクをおかしてまで攻撃するメリットはないのだ。
「っはあッ、柊っ、先輩っ、エミリアがっ!」
さきほどから能登と連絡がつかない。向こうでもなにかあったと考えた方がいいだろう。できればエミリアを回収していきたいところだが――現状ではその生死すら確認できない。加勢しようにも、おそらくこのふたりではろくな戦力にはなりえないのだ。
「……へー、あの子エミリアって言うんだ。白軍にもキレーな子いんじゃん。……ま、関わりたくねえけど」
「うん、特にいまはちょっとね」
「――お、おまえっ! 誰だよ!!!」
司が刀を片手に、声を荒げる。――って、ついのんきに返事をしてしまったが、さっきの声、あきらかに司ではない!
慌てて視線を向ければ、そこには深緑色のスーツ、金色の髪。
「あ、オレ? だいじょぶ、オレ戦う気ないから」
見知らぬ青年が、のんびりと煙草をふかしていた。
「い、いつからそこに!!?!」
「いつからっていうのは……えと、さいしょから。オレがせっかくここで隠れてやり過ごそうとしてたのに、おまえらが入ってきたんだし――つかおまえはそれまず降ろしてくんない!?」
臨戦態勢をとっていた状態の司。いまだ疑惑の晴れないでいるその強張った表情に、彼は言葉を続けた。
「あー、あのさ、オレほんと戦いたくないし逃げたいんだよ。お前らもそんな感じなんだろ? 正直それ向けられててもお前に凄みがないから、悪いけどぜんぜん怖くねえよ……まだソッチの子のが怖いし」
「ぐ、ぐぬぬ……」
先ほど司と顔をあわせたときとまったく同じようなことを、目の前の青年も思っていたようで。羽奈は、
「――ってなんで先輩は笑ってんだよ!!」
堪えきれず、ケラケラと笑っていた。
◇
弾丸が擦ったらしく、腕からは血が滴っている。切り裂くような痛みを無理矢理押さえつけて、あずさは顔を上げた。
「――ったく、なんでまたおまえがここにいんだよ……ヴィル!」
メイスを片手に素早く動き回る祐希に、
「ん~~、ここ動きにくいよぉ」
大鎌をクルクルと振りまわしながら、あずさ自身もよく知る人物――ヴィルが迫っていた。
銃をもっていた彼女はすでに居ない。ヴィルと祐希の戦闘がはじまると同時に、見計らったかのように部屋を出ていってしまったらしい。残された四人のうち、ふたりは殺しあいを。あまりのふたりは――
「……よし、これで応急処置は大丈夫です。応急処置ですので、白に帰還し次第すぐにちゃんと診てもらって下さい」
火の粉をあびないようにと退避した廊下で、応急処置を行っていた。
「……こんなこと言うのもなんだけど、本当にあなたのやりたいことがわからないわ。この傷はあなたたちにとっての戦果でもあるはずなのよ。それをわざわざ治してしまうのは、赤にとっても裏切りにならないの?」
幸い大事には至っていないようだが、この腕ではいますぐナイフを振ることはできないだろう。だが、出血はすでに落ちついている。するどく熱い傷口は鈍く鳴りをひそめ、止血した圧迫感のが勝りそうでさえあった。
「でも、これが、俺のやりたいことなんで。怪我をしている人がいたら、治す。それが救護班としての仕事っす」
「――それが、たとえ敵対している人間であったとしても?」
「……っす」
包帯を救護箱へ入れて、波瀬が立ち上がる。いまだ金属と金属がぶつかりあう音のする部屋をチラリと覗いてから、彼は、廊下の奥へと移動していった――のを、
「待ちなさい」
呼び止めたのは、あずさだった。
「……理由はどうあれ、わたしにとっては、たしかにありがたいことだわ。……礼を言っておく。波瀬辰也さん」
それにきょとんとした顔をした波瀬は、すこしそうした後で、小さく「ッス」とだけの残して、消えていった。
◇
「――ひさしぶりなところ悪いけど、いま俺手加減するほど余裕ある訳じゃないんだよね」
「眼帯ちゃんはおひさしぶりなの? えへへぇ」
慣性の法則に従って振り下ろされる大鎌。振り子のように能登の前を行き来するそれは、当たればひとたまりないだろう。以前手合わせしたときと、まったく動きが違う。
それをいなして、すこしづつ牽制を与える祐希。殺気をちらつかせば、ヴィルはすぐさまそれに食いついてくる。
予想を超えた攻撃の重さに、思考力が奪われる。いまは負傷したあずさを拾って退避することが最優先事項――なのに。頭ではそれがわかっているのに、身体が言うことを聞かない。
それは、自分の知っているヴィルと、目の前のヴィルとの、決定的な差異と。それが引き起こってしまったときの、自分の失態と、そのときの記憶のせいに、他ならなくて――。
(クソッ、いまはあのときと関係ないだろ……!)
地面に付着する彼女の血痕が、否が応でも、目に入って、離れない。
《――あずさ、あずさっ!!》
それは、何も出来ない自分と、ただ青ざめていくあずさの姿であり。
じんじんと痛みと熱を訴える自分の右目と、冷たくなっていく彼女の身体を抱えて、ただ自軍地へと走る自分の姿であり。
自らの至らなさを自覚して、無我夢中で助けを求めた“あのとき”――ヴィルが白軍からいなくなったのと、同じ“あのとき“を、想起させるもの、であり。
それが、脳裏にこびり付いて――離れない。
「うぇ、けむたいよぉ……」
“あのとき”とはずいぶん様子を変えてしまったヴィルが、ちいさく舌を出して、苦い顔を浮かべた。
……そういえば、すこし煙たい。火が燃えるような煙ではなく、どちらかとえば砂埃のような――煙幕だ。なるほど窓を見れば、外から薄く流れてきているのがわかる。
(だれだ? 今回の作戦にはないハズ……赤のだれか、か)
「あ~! よそ見はいけないんだよぉ、眼帯ちゃん~」
その薄い煙幕を切りさいて、鼻先を大鎌がかすめる。
分断され真空になった空間に、少し遅れて周りの空気が流れて込んできた。反射に身をまかせて避けた初撃。
目に入った赤い帽子までもが、いまは血を連想させる――
(ヴィル、おまえも、あずさを傷つけた”赤“の一員なら、)
二撃目に備えて、能登はメイスを振りかぶる。時間のスピードが遅くなる。メイスの先端の重みに力を加えて、物理法則に、ありったけの指向性を持たせて、二撃目を、殺す――その一瞬に――何かの影。
「なっ?!」
自分のメイスに重心を取られ、前のめりになる祐希。宙を掠めたそれは、地面にぶつかることで動きを止めた。
「……ヴィルの言う通りよ。よそ見している暇はない。……ここは逃げるわよ」
意識の外で鳴っていた金属音と、顔を上げたヴィルの様子で、何が起きたかを理解する。あずさがナイフを、ヴィルの大鎌を弾くために投げていたのだ。
「……あ、あずさ」
「バカ祐希、あんたは後輩を迎えにいきなさい。……私は大丈夫。あのときとは違うもの」
向けられるのは、すこしだけ咎めるような、それでいて親しみの籠った目線。
それは見覚えのある、眼帯を付けられるまであずさがよくしていた――。
《――ったくあんたはいつまでうじうじしてんのよ! これでも付けてなさい!》
《……あずさ?》
《お互いに生きてたんだから、いいじゃない。これからもっと強くなれば、もうこんなことも起きないでしょ。それまで傷が気になるならこれを使えばいいし。だから、いい加減、いつものあんたに戻りなさいよ……バカ祐希》
包帯をぐるぐる巻きにしてベッドに横たわって、額の傷に触れながら項垂れる自分に眼帯を差し出しながら向けていた――あの目。
(――俺は、あずさに助けられてばっかりだ)
ふさがった傷を覆う、眼帯の確かな感触。
その感触を感じながら、祐希はメイスを構える。なにがなんだかわかっていなさそうなヴィルが、頭にはてなマークを浮かべながら、大鎌を持ち上げるのを見て――彼は口元に笑みを浮かべた。
「ごめんな、ヴィル。急用を思い出した……また会おうぜ」
いま、なにを優先させるべきなのか。目の前の、ヴィルを、あずさを傷つけた赤の人間を、感情的に排除することだろうか。
(違うだろ。――いまは、“あのとき”とは、違う。できることも、やるべきことも、わかってる)
あずさは作戦通りのルートで集合。ここにおいてのイレギュラーは、この自分自身だ。あずさの言う通り、早く集合場所に行かないと、彼らが困ってしまう。
「眼帯ちゃん~、どこいくのぉ~」
「じゃあな! お前も元気でいろよな!」
あずさからの定時連絡が来なくて、いてもたってもいられなくなって結局きてしまったが、それでもなんとか目的は果たした。そろそろ本当に戻らないと、心配をかけてしまうだろう。
(でも、ま、なんとかなるかな!)
追いかけてくるヴィルを横目に、一度手を振って、祐希は入って来た窓から飛び降りたのだった。
◇
……まずは、正しく状況を整理しなくては。
あのとき、刃がなにかに当たった感覚はあった。が、それが肉であったかが、わからない。きづけばすべてが煙幕に包まれ、視界を塞がれていた。
見えないのなら、ほかの感覚に頼るしかない。空気の流れ、匂い、音。感覚を研ぎすませて気配を探す。――奴はどこにいる?
「……フフ」
耳元に囁かれる声――瞬時にそこへ、剣を振りかぶるエミリア。
「また遊ぼ、白の軍人さん、なかなか楽しかった、ヨ」
のに。それは煙を切り裂くことしかしなくて。
「……チッ、次会ったら今度こそ殺す」
それが風と雨により薄まったころには、もうだれの姿も確認することができなかった。
「エミリア! 大丈夫!?」
「おまえか……ああ、問題ねえよ」
駆け寄って来たのは司と羽奈だ。どうやらふたりはうまく合流できたようだった。あとは能登の居る合流ポイントへともどるだけとなった。
「エミリアちゃん、通信だよ、奏多くんから。えっと……帰ったら覚悟しておくように……だって、はは」
羽奈が言いにくそうにインカムを指差す。そういえば、インカムの電源を切ったままだった、が――まあ、合流してさえいれば、無理につける必要はないだろう。
「そ、それ俺が一番とばっちり受ける奴なんじゃ……ってあれ、あの赤の人は?」
「司くんが飛び出たあと、挨拶だけしてどっかに行っちゃった。逃げたいっていってたし、逃げたんじゃないかなあ」
「……そっか。変な人だったな」
のんきに話しているふたり。内容を察するに――。
「……聞きたかないんが、お前ら敵に会っておいて、みすみすそれを逃したってことか?」
「えっ、まあ、そうなるか……。でも戦いたくない人みたいだったし、戦わないですんだし……」
「……そういう問題じゃねえよ」
自分より、このふたりの行動の方がよっぽど問題である気がするのだが、どうなのだろうか。
「馬はふたりまでしか乗れない。羽奈さんは騎乗で、敵襲に備えた援護を。司おまえは……走れ」
「えっ……まっ、まあ、そうだよな、う、うん」
息を吸って、口笛を。鋭くたかいその音は空気をつたって、退避させていた馬へと届くはずだ。
少し遠くから聞こえてくる蹄の音に身をまかせ、エミリアはその到着を待つことにした。
◇
「ミ~ユ~、また逃げてたでしょ。無駄じゃん、大人しく戦いなヨ」
「――げぇっ、メイズおまえさっきまでアッチに居たはずだろ!」
馬に乗った女子二人と走って追いかける少年一人を煙草片手に眺めていた実優の肩を掴んだのは、先ほどまで向こう側にいたはずのメイズだった。
「ほら、俺が無理に戦うよりお前とかが戦った方がいいだろ、戦闘とか好きな奴がやりゃーいいんだよ……」
「ベツに好きな訳じゃないケド、まあ、確かにミユが戦うよりボクが戦った方が早いネ」
そこで納得されるのは、それはそれで腹立たしいような気がするが、それで納得して頂けるのであれば、やっぱり自分は戦う必要はな――
「……でもモトキが怒ルよ、メンドイよ」
――くなかった。たしかにそればっかりはメイズの言う通りだ。
ましてや、逃げている現場をメイズに掴まれている現状。戦いに気付かなかったという言い訳が通用しない。
「あ~、じゃあ俺と一緒に戦ったことにしようメイズ」
「ヤダ。だってボクしか戦ってナカッタじゃん」
正論。
融通が利かないものだ。
「――二人で楽しそうなところ悪いけれど、伝達させてもらえる? 取引は無事成功。……陽動としての私たちの役割は終わりよ。今連絡が入ったわ」
「こっちがブラフ、ネ……まあプリンが貰えるならイイや」
ため息をついた拍子にメイズの隣からひょっこりと顔を表した赤茶の髪は――梅子だった。
「だからお前もどっから出て来てんだよ!! 逃げらんねえ!!」
「向こうはヴィルに任せて来たのよ。下手に私が手を出すよりずっといいし、何より早いわ」
「……ン? なんかどっかで聞いたようなセリフだネ」
何はともあれ戦いは終息しはじめているらしい。
元の目的が取引のサポートだったと考えると、一応の成功は果たしたようだ。武器はともかく日用品の支給は、実優にとってもありがたいことだった。
「……波瀬さんは白の副隊長の治療。ヴィルは部隊長と交戦だけど、放っておいても大丈夫でしょう。あなたたちに伝えることは伝えたし、あとはモトキね」
「モトキいまナニしてるの?」
「白の人間と交戦中よ。貴方達の元に行く前声をかけようかと思ったけど、忙しそうだったからかけないでおいたわ」
「――そ、じゃ戻ろっか」
肩をつかむメイズの手が痛い。そろそろ女の子との約束があるので本当に退散したいところなのだが、この様子では許してくれないだろう。
「……まあもっとも、あっちも早く終わると思うわ。本木の相手、それほど強そうじゃなかったもの」
そう言いながら梅子はビルへと目線を移す。おそらく、そこで戦闘が行われているのだろう。梅子の言う通りならば、そろそろ終わっていてもおかしくないが――。
梅子につられてビルを見ても、それは雨音の向こう側で、ただ沈黙を保っているだけだった。
◇
《ねぇパパ、みてみて! おはなが咲いてる!》
暖かい陽光。緑色の芝生の先に見える、黄色い花。
《はは、■■■はお花が好きなんだね》
にこやかに近寄ってくる人物。頭を撫でられる感触。
《うん、そうよ! ママも好きだって言ってた……し、そうだ! ■■■■■にも教えてあげなきゃ!》
偶然に咲いた花に目を輝かせる少女。名前も知らない花。
《ああ、■■■■■■くんか、■■■、あんまりお邪魔し過ぎちゃダメだよ、彼は■■■■■家の大切な息子さんなんだから》
懐かしい記憶。幸せな記憶。
一体いつの時代のものだっただろうか。
《■■■、これは木香薔薇と言うらしい》
図鑑のページを捲る音と風が通り抜ける木々の音に混じって、彼の声がする。
《モッコウバラ? バラなのに、トゲがないのね》
眼前に咲く黄色い花。モッコウバラという名前。
《……そのようだ。ふふ、確かにおかしい》
彼はそうやって、いつも小さく曖昧に笑う。
《おかしいわ! ママは“バラにはトゲがあるから気をつけて”って仰ってたもの、どこに隠してるかわからないわ、■■■■■も気を付けなさい》
そういう彼に、なぜだか私は、いつもきつめの態度を取ってしまって。
《……気をつけるとしよう》
それだと言うのに彼は、どこか満足気に、そんな私の顔を見て、また微笑を浮かべるのだ。
「……バカらし」
雨の音が、うるさい。
絶え間なく響いていた剣戟は鳴りを潜め、いまでは雨音だけが空間を支配している。ぼんやりと目に映るのは、白とは言いがたい天井。脆くなって、いまにも崩れ落ちそうなセメントの塊。
冷たい床の感触。斬馬刀は――手から離れて、少し遠い位置にある。
――ああ、これでは、まるで昨夜のリフレインだ。
さっき、振り下ろした斬馬刀が、死角からの鎖に捕われて、思うように振れなかったことを覚えている。
その大きな刃先は軌道を変えられ、吸い込まれるようにビルの柱へと向かって行った。
硬い支柱とぶつかった刃先は、その衝撃を彼女自身へと直接伝え、結果彼女は――
「なあおい、まさか……死んだわけじゃねえよな」
この通り、床に横たわる結果となったのだった。
陽が陰って来たのか、すこし薄暗い。雨が降っているのだからしかないのかもしれないが、眩しくないのはありがたいことだ。
「……えみりなんだか、楽しくなってきちゃった」
――電気もなにもかもが消えているのに、外の光が入ってくるだけの室内。
「そーかそーか、そりゃよかった」
わずかに聞こえる雨の音。それとは別の水音。
《……絶対、ここから出ちゃダメよ、いいわね》
生臭くて、むせ返るような空気。
《ぐ、あ……ッ、や、やめてくれ……ッ!》
大剣から滴り落ちる、夥しい量の血。
《――■■■■■、なに、してるの……?》
忌まわしい、過去の断片。
忘れもしない、あの日のこと。
「……ほんとそりゃよかった、楽しい、面白いっていうのは、大切だよな」
鎖鎌を構えて顔を覗き込んでくる青年は、そう笑みを浮かべて言った。
彼女はそれをぼんやりと眺めながら、記憶の彼方の両親の笑顔を思い浮かべる。大きな手で頭を撫でる父の姿と、その様子を見つめて穏やかに笑う母の姿。
黒軍のスパイである母、それを知りながらも結婚した父。黒軍と母は完全に手を切っていて、白軍の人間となっていた。……はずなのに。
「あなたもおかしいって思わない?」
頭上から降ってくる鎌。モトキがえみりの頭上で、鎖鎌を放したのだろう。鈍い光が反射して、少しだけ眩しい。
まっすぐそれを見据えて、彼女は、腕に力を入れていく。
「――おかしいのよ、全く、笑っちゃうわ」
スローモーションのなかで、あとからひびく金属音。手の甲の衝撃。すこし遅れてやってくる、生暖かい自分の血の感触。
「顔が全然笑ってねえぜ、はは」
拳で弾き返した鎖鎌の床に落ちる音を聞き届けてから、彼女はゆっくりと起き上がる。
「あなたもそう思うでしょ? こんなおもしろおかしい世界、全部なぎ倒したくなっちゃうの」
斬馬刀はすぐ近くにある。手の甲の血を振り払ってから、それへと手を伸ばすえみり。
ひんやりと冷たいそれを持ち上げ、彼女は相手へと真っすぐに向いた。
「……なぐり倒すの、間違えじゃねえの?」
鎖を引いて、鎌を構える本木。分銅をまわして、斬撃に備えるつもりなのだろう。
「あなたのことはなぎ倒してあげるわね」
一般的な刀剣よりも長いそれを、流れるようにふりかざす。ここはビルの内部。柱が邪魔をして、長物は圧倒的に不利になる――
と言ってしまうのは、些か早計だろう。
なにかの生き物のように迫りくる分銅。それはちょうど柱の真横を通り、刀が振るいにくい場所を狙って投げられる。
それから逃げようとすれば鎖鎌の餌食。それを撃ち落とそうとすれば、柱に激突してしまう。
それでも、彼女は、その動きを留めることはしなかった。
斬馬刀は空気を切り、風を纏いながら、柱へと。柱の”ヒビ“へと向かって行く。
狙い澄ますのは、先ほどえみりをひっくり返すきっかけになった部分。その真下。先ほどぶつけた拍子に気付いた、脆くなり、もう一撃あれば、なんとか崩せそうな箇所。
いまは、それが見える。
「そ、そりゃねえって……!」
刀は思ったよりも楽に柱の通り越し、その先の分銅の鎖をひしゃげていった。
勢いを殺さないまま、それを払い落とす彼女。彼女はそのまま本木の方へと迫り、そしてそのまま彼の後方へと移動していく。背後には、上と下とが繋がらなくなった柱。
元から綱渡りのようなバランスを保っていたそれは――
「悪いけど、」
脆くなった天井ごと、落ちてくる。
「……えみり、あなたなんかに構ってる暇はないの」
轟音を背景に、彼女は斬馬刀を鞘にしまう。
ある程度離れているため、一応ここは安全だ。――だが、それは崩落する箇所をあらかじめ見越していたからできたこと。そうでないモトキが回避行動をとるのは、至難の技だろう。
局所的なものとはいえ、これが万が一にもビル自体の崩落に繋がったらのちが面倒だ。耳にかけていたインカムからは向こうも集まっている様子が伺える。ここは早々に退散させて頂こう。
「――えみり! すごい音したけど、大丈夫?!」
「あ、あずさちゃんだ、えみりは平気だよ、向こうは平気じゃないかもだけどね」
そうしているうちにドアから姿を現したのはあずさだった。
元々はえみりとあずさのツーマンセル行動が想定されていた。それが、敵と相対し一次的に別行動をしていたためにこうなっていたのだ。お互いが無事なことを確認し、彼女達はビルを降りる。
「お腹減っちゃったあ。はやく学食行きたあい」
「同感。……の前に、私は医務室か。……まったく、油断したわ」
「あ〜、えみりも行きかなきゃ、ちょっと切っちゃった」
遠のく彼女達の足音。
パラパラといまだにコンクリートの破片が落ちるその瓦礫の隙間では、
(ひょえ~、間一髪、あいつバケモンかよ~~!)
エキセントリックな姿勢でそれを避けた本木が、その顔を真っ青にしていたのだった。
◇
『と、いうことで、全員揃いました、もうすぐ帰投します』
『しますよー!』
部隊長の声と、それに続いたのは羽奈の声だろうか。ともかく作戦は終了したらしい。
『つ、つかれっ、しぬっ』
『もー、男の子なんだから、しっかりしなさい!』
『……だせえな』
『え、えみり先輩に言われたらなにも言い返せないけど、エ、エミリアそれはちょっと傷つくよ!?!』
通信の向こう側の、少し遠くでなされている会話に少し顔をほころばせて、奏多は席を立った。
「さて、僕は彼らをむかえにいくけど、君はどうするんだい?」
思ったよりも作戦に時間がかかった。時間はそろそろ夕飯といった時間。彼の日課であるトレーニングの時間確保を考えれば、すこし遅いくらいだ。
「そうだな、たまには出迎えも悪くはない……と、言いたいところだが、彼らを労っておいてくれ。あいにく私は上に報告書を届けなくてはならない」
「そんなもの、僕がするのに」
「別件で呼び出しを受けている。物のついでだ。お前の手を煩わせることもないだろう、奏多」
書類を片手に立ち上がるブライアー。うやうやしくドアを開け、彼の通る道を作れば、彼は微笑を浮かべてそれをくぐった。
司令室は中庭に面した廊下の先にある部屋だ。ドアの先は廊下であるが、すぐに中庭へ出られるようにもなっている。あいにくの雨だと、横切れないのが難点なのだが。
「……おや、綺麗な花が咲いていますね」
整備された中庭の端に、ぽつりぽつりと咲く花があった。その花は、雨に濡れながらもその存在を主張している。
「あれは、モッコウバラだ。……バラといっても、トゲがないそうなのだが」
したたる水滴が、その黄色い花をちいさく揺らしていた。その様子は、風情があって悪くない。
「詳しいね。知り合いにガーデニングをやる人は居たけど、僕はさっぱりだよ」
「……いいや、私も詳しくはない。ずいぶん昔、あの花はなんだ教えろとせがむ奴が居たことを思いだしただけだ」
「スティーブに調べさせたのかい? とんだ野郎だね」
歩を進めて、分かれ道へ。ブライアーはさらに廊下を進まなければならないが、奏多はここで道を曲がらねばならない。
「……じゃあ、僕はすこし行ってくるよ。次の作戦も立てなくちゃならない。用事が終わったら君の部屋に行くよ」
「わかった、待っていよう」
雨音を背景に、奏多は玄関へと向かった。インカムは大体のことを奏多に伝えている。言い含めておきたいことは、沢山あるのだ。
(でも、まあ、まずは労ってあげましょうか。……スティーブもそう言ってたし、ね)
続く廊下の先で聞こえる喧しい声は、彼らの帰還を証明するものだろう。少しだけ歩速を早めた彼は、労いの言葉を考えながら、その方向へと歩いていったのだった。