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白稜学園広報資料室  作者: 陣屋との
:document file
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47 Kilometer/Hour

「クソッ、なんだってンだよ!」


 響き渡る銃声に、金属のぶつかり合う音。

 誰かの叫び声と――自分自身の荒くなった呼吸。


「おい、……おい聞こえてンのか? おい、圭!」

 緊急用のインカムを金髪の間から耳に当て、黒いセーラー服の彼女――ロザベラ・ニコレッタは、住宅街の合間を縫う裏路地に、その身を潜めていた。

(援護はいない、あたし一人で逃げ切れる可能性は……五分五分ってところ、か。クソッ!)


 彼女の居るこの地区は、既に避難勧告が出ている戦闘区域となっていた。とうに無人になった家はその所々が崩壊し、瓦礫の山にもなっている。

 ロザベラは、そうした瓦礫に身を寄せて、そっと外側を覗いた。



「――いーよいしょっとおっ!」

 屋根の上から、地面へ。風を切る音とともに轟音が降りそそぐ。

 たった今瓦礫の仲間入りしたばかりの塀の土煙から顔を上げたのは、眼帯の青年。どこか飄々とした彼は、白軍3年の白兵である能登祐希だった。


「あーずさー! 一人そっちいったー!」

 祐希は通りの向かいへと声を張り上げる。視線の先には、同じ色の制服を着たポニーテールの少女が未だ戦闘を続けている姿が映る。聞こえるかは定かではないが、言わないよりはましだったのだろう。祐希は手に持っていたメイスを一振りして、付着した破片を落とす。視界の端の彼女の任務は、なんら問題なく遂行されそうだった。


 破片が地面に落ちきるのを確認して、やっと祐希は先ほどから聞こえていた――瓦礫の下からかすかに聞こえるうめき声に、笑いかける。

「まーこんなとこで俺たちと出くわしちゃったのが、運の尽きってヤツだね」


 うめき声の主のほど知覚に、赤い布が落ちている。

 ここはもう、随分前に警戒区域になった地域の筈で、本部が近い白と黒はともかく、“それ以外の”人間が居ることは、不自然この上ないのだ。


 “それ以外”――”赤い布”と、その持ち主を見比べてから、祐希は"本部"に連絡を入れる。

 聞きたいことはあるが、その前に、このイレギュラーを報告することが先決だった。



「大人しく捕虜になった方が、後々のためになると思うのですけど」

「――! だれがお前らなんかの!」

 一閃。虚空を切った鈍色を軽くいなし、そうして行き場の失った相手の手を、彼女は引き寄せる。

 相手の重心は彼女側にずれ、注意が疎かになった向こうの獲物――コンバットナイフを持つ手が、蹴りとばしてくれと言わんばかりの隙を見せることになった。もちろんそれを見逃すはずもなく、彼女はその足を軽く当てて、ナイフを飛ばすことに成功した。


「ぐ、あっ!」

「……あなたの場合、私にナイフ勝負を挑んだことも、運の尽きって奴、だったわね」


 コンクリートと金属のぶつかる高音を聞き流しながら、結城あずさは赤い服を着た青年の、その首元に自身のナイフを沿わせた。相手のコンバットナイフよりも少し小振りな、彼女の手にぴったりと馴染む、あずさ自身のナイフ。これは奇襲攻撃を得意とする彼女の、更に得意とするナイフでの勝負でもあったのだ。

(本来は援軍を呼びたい所――だったけど、なんとかなっちゃったわね)

 皮膚を撫でる寸前で止められたナイフをそのままに、あずさは空いた手で相手の頸動脈を圧迫する。だらりと倒れる身体を支えること無く手を離した彼女に、ようやく祐希が近寄ってきた。


「あーずさー、“本部”から連絡。取りにくるまで待ってろってさ」

「そ。わかった。じゃあ簡単な調査だけでも――」


 そう、祐希の方へふり返ろうとした時。


「を――されちゃうと、困るんだよね」


 上空から降ってきたのは、いくぶん陽気な声。


 咄嗟に見上げたそこでは、日本人離れした顔つきの青年の笑顔が塀の上にしゃがみ込んでいた。自身の膝に頬杖を付きながら彼は、悠々と祐希とあずさを見下ろす。

「…………誰かしら、あなた」


 まるで気配はなかった。

 白々しいほどの笑顔を向ける青年へ、あずさは警戒を強めていく。


「いまは”誰か”、としか言えないなー。出来れば大人しく引き下がってもらいたいんだけどどうかな、白のお二人さん。……と、そこに隠れてる、お嬢ーさん。大人しく出ておいで。で実優は何でまだ隠れてんの?」


 矢継ぎ早な言葉を受け、塀の後ろからは緑のスーツが印象的な少年がおずおずと出てくる。その胸元には赤いバラ――”赤”だ。


「モトキ先輩……オレ帰りたいんだけど……」

「なに言ってんの?」

 モトキと呼ばれた青年はケラケラと笑ってから、路地裏へと視線を投げる。

「ほら、そこのお嬢さんも。はやくはやく」


 まだ誰の影もない路地裏へ、モトキは手を振った。まるで気心知れた待ち合わせ相手への親しみ――のようなものさえをもって。


「能登、“本部”はいつ着くって言ってた?」

「んー、けっこう先らしいけど、まあなんとかなるんじゃないかな?」

 モトキを見据えながら、祐希とあずさが小さく呟く。相手の強さが未確認な以上、乱戦は避けたかった。


「おじょーさん、隠れてたって変わんないだろー? 折角だしご対面といこうや」


 根負けしたのか、やがて路地裏からは金髪の少女が出てきた。手には金属製の突起がついた手袋――ナックル。この場における第三勢力を表す、黒のセーラー服。

「――ったく、クソめんどそうな奴に見つかったな……」

 セーラー服に付いていたらしい砂埃を払って、彼女は、ロザベラは髪の毛をかきあげる。

「で? どうすんの?」


「もちろん――」


 そう言いながら、モトキは塀を足場に翻った。

 真っ逆さまに落ちる途中、彼はどこからか取り出したらしい鎖鎌を構えて――


「――これしかないだろ?」


 と、それを大きく放ったのだった。




   ◇




「お、やってるやってる」

 彼らからは少し離れたビルの上。中腰で見下ろしながら呟いたのは、黒い学ラン……のジャケットだけを、臙脂色のパーカーで代用している人物だった。長い前髪が比較的童顔であるその顔の半分を覆っている――草柳圭その人だ。


 かなり劣勢に置かれてはいるものの、眼下で戦っている金髪の後輩は周りの攻撃をなんとか凌いでいるようだった。

 攻撃の手をまるで緩めないその青年には、見覚えがある。赤軍3年の本木シアム。彼の得意とする鎖鎌が牽制を続けている所為か、後輩――ロザベラが思ったように肉薄出来ていないようだ。もっとも、本木としてもそれを狙っての事なのだろう。

(はは、相変わらずやーな戦い方する先輩だ)


 圭はインカムに手を当てる――が、駄目だ。それは沈黙を続けたまま、うんともすんとも言ってはくれない。


「とにかく、この中継基地は復旧させないと……。ニコには悪いけど、もうちょっと頑張ってね」


 彼の居るこの廃ビルの屋上には、彼の所属する黒軍の通信中継機機が設置されていた。インカムが反応しないのは、これがダウンした影響。つまりこれを何とかしなければ、いつまで経っても連絡が取れない。


(えーと、これが、うーん……? なんか赤く光ってる……主電源は生きてるってこと? 俺でも治せるかな?)

 肩にかけていたエコバックからPCを取り出し、機器とケーブルを繋げる。……と、最近、“急な負荷”がかかった所為でダウンしたという意味の記録が表示された。


 この中継機器は独自の電波回線を持つ、いわば黒のみが使える通信機、その中継機器のひとつだった。

 前時代の、緊急用にしか使われていないもの――なのだが、不幸なことにいまはその“緊急時”だ。働いてもらわないと、非常に困る。


(なんだか人為的なものを感じるなあ……まさか本部のメイン通信がやられてるのを見越した上で、“誰か”が壊した、とか?)

 ともかく出来ることは、試しておかないとならないだろう。彼は彼の上官から「万が一」と渡されたファイルをダウンロードさせていった。


「ん、何か勝手に動き始めた」

 上から三つ目くらいのファイルが、反応を示した。真っ黒い画面に英語の文字列、そしてパーセンテージ。

「……流石我らが向坂司令。これが100になるまで待つ――あいだに、もう一仕事かな?」


 圭はそれらを床の隅に寄せてから、ゆっくりと立ち上がる。


「おはよう。ルーンさん」


 知らない気配ではない。

 圭はポケットに手を入れながら、“元級友”へと振り返った。


「ハァイ圭ちゃん、元気してたカナ?」


 そこにはガンブレードを両手に和やかに笑う、赤い少年装の人物――メイズ・ルーンの姿があった。




   ◇




「やってくれましたね、ブライアーさん!」


 思わず机を叩くと、その音でソファで寝ていた“ピニャコラータ”が飛び起きた。

「ピニャコラータさん! 寝起き早々悪いんですが、アルトリアさんを呼んで来てください! 至急です!」


 彼は一度不服そうな顔をするが、すぐに彼専用のドアを通って部屋を出て行く。残された彼、向坂七緒はそれを見届けてから椅子にもたれ掛かった。


(クッソー、誤算でした……まさかあれやられてるとは……というかあそこ未だに使ってるのどっから漏れたんですかね!? もーっ、こんなときだってのに……)

 “こんなときだから”なのかもしれない。

 黒のメイン回線を繋ぐ機械の調子がすこぶる悪く、メンテと修理を兼ねて早急に軍本部へ報告へ遣わす間に、旧時代の長物で代用しようとしていた――矢先にこれだ。


 まさかメイン回線がやられていると漏らす訳にも行かない。計画は極秘裏に、そして速やかに行う必要があった。

(あんの化け物のことですから、ゼッッッタイに狙って壊してますね。……うう、いまの僕は、二人の無事を祈るしか出来ませんよ――)



「七緒ちゃーん? なになに? 難しい顔してどったの?」

 ガチャ、と司令室のドアを開けたのは、“ピニャコラータ”――すっかり太ったオス猫を抱き上げたアルトリアだった。


「アルトリアさん、なんと草柳さんとニコさんが大ピンチです。大至急応援へ行ってもらえませんか?」


「ほうほう、それは一大事じゃありませんかー司令」

 些か申し訳なさそうに言葉を紡ぐ七緒に、アルトリアはそう笑顔を向けた。ピニャコラータは彼女の腕から降りると、指定席であるソファへ帰っていく。


「……それでなんですが。ちょっと困った事態になってなっていまして。試用も含めて“彼女”を、連れて行って欲しいのです」

 七緒が指差す先。アルトリアは更なる笑顔になって、「了解であります!」と敬礼をしたのだった。




   ◇




――1拍目は前。2拍目は後ろ。

 3拍目でもう一度前に振って、4拍目で激を墜す。


 予想通りの位置に、予想通りのタイミングで金髪の彼女が飛び退いた。その位置はちょうど実優の待機場所であり、そのタイミングは彼の斧が珍しく降ろされるものでもある。咄嗟の出来事に、彼女は気を取られるだろう。その間にこちらから次の一手を差し向ければ、彼女はさらに追いつめられることとなる。


 だが、鎖鎌を持つ彼、本木シアムはそのための一手を放つこと無く翻った。

 視界の端には鉄製の鈍い光が捉えられている。ほとんど本能で避けたそこからは、まもなく衝撃音と――砂の混じった風が巻き上がる。


「ひゅーっ、あんた結構やるね!」

 分銅を回して土埃を晴らすのを少し手伝ってやると、そこからはメイスをもった祐希の姿が浮かび上がった。

 彼は一度口笛を吹いたあと、本木の方へ笑みを投げかける。

「俺あんたの事知ってるぜ、赤の本木、“シアム”、さん♪」


「――――――」


 その言葉が発せられるのとほぼ同時。動いたのは本木だった。


 彼は弓張り月の、その先端を真っすぐに向けながら祐希へと振りかぶった。

 鎖はうねりながらも、祐希の手にあるメイスへと向かっていく。分銅の遠心力をかけながら、鎖がメイスへと絡まる。外部からの圧力に、一瞬祐希が顔が強張った様子を見せた。


 が、既にその頃メイスは“自然落下”しはじめていた。

 祐希はすでにメイスから、“手を離していた”のだ。

「情報通り。名前を呼ばれるのがそんなに嫌なんかね」


 そう笑う祐希の後ろからは、別の影が出てくる。


「悪いけどその短絡さ――」


 それはメイスと、メイスに絡む鎖鎌を蹴飛ばして、本木へと迫りくる影。


「戦場では、命取りよ」


 研磨された鋭い閃光。鋭利な刃が、あずさとともに本木の首筋へと迫っていた。

 本木の反応が、2歩遅れる。分銅はいまだメイスに引っかかたまま。引き寄せることは出来ない――

 

 はずだったそれは、首元へ差し掛かる前に弾かれる。


 落とされたあずさのナイフ。

 だがその落下音より先に、見えるものがあった。


 それは、あずさ自身も見覚えのある大鎌だ。


「あれぇ? もしかしてお取り込み中だったぁ?」

 古くなった白い制服に、どこか虚ろなその瞳。大鎌と一緒にくるくると回るのは、彼女と同じ学年であった、ヴィルマー・エッガースだった。

「眼帯ちゃんにポニーテールちゃん、ねぇねぇ、“また失敗しちゃったねぇ”」


 ヴィルは口元に指を当て、あずさの顔を覗き込む。

「ボク二人のことすぐわかっちゃったぁ、えへへぇ、すごいでしょ?」

 笑いながらも手は既に大鎌を横に薙ぐための体制になっている。それに一瞬早く気付いた祐希が、大鎌の動きよりも前に、あずさの襟元を引っ張った。表情を崩さないままのヴィルの一撃は、虚空を舞う。


「まったくお前は、相変わらずだな、ヴィル」

「あれぇ? モトちゃん? こんな所でぇ、何やってるのぉ?」


 本木はほんの少し、ヴィルの攻撃範囲からぎりぎり少し出る位置に移動していた。結果的とはいえ彼に助けられるような形とはなったが、あの大振りの攻撃に巻き込まれるのは避けたかったのだろう。

 にこやかにこちらへと手を振る彼を一瞥だけして、本木は視線を動かした。

「まあいい、ほどほどにしろよ。任務に支障が出ない程度に、な」


 視線の先は、そろそろと逃げる準備をしているであろう後輩の元。彼が逃げる算段をたてきる前に、それを阻止する算段を立てなくてはならなかった。




   ◇




 そこはそれなりに高度のある場所なようで、下からの強風が髪の毛を大きく巻き上げる。

 それを手で抑えてから、圭は声がした方向へと振り返った。


 視線の先には、金髪の少年。深緑の双眸が、静かにこちらを見据えている。それを取り巻く細い金糸もまた強風によって煽られて、キラキラと薄く陽光を反射していた。


「……どったの? ヤらないなら、」


 メイズが片手で、刃渡り70センチはあるであろうその大きな銃剣を圭へと向ける。重量感のある鉄塊の研ぎすまされた切っ先と、ただの剣にしては些か分厚い棟が、圭を捉えた。柄に向かえば向かう程厚みを増すそれには、しかし唐突に穴が空いている。――それは銃口。


 カチャリ、と安全装置が外れる音と、

「僕からヤっちゃうヨ♡」

 という声。


 それが届くわずか数秒前に、圭が動いた。


 銃口から放たれる9mmパラベラム弾が、一瞬も満たさないまま風を切り裂いていく。銃声とメイズの微笑を知覚しながら、圭は大きく身体を動かして、その場から逃げた。


 鋭い音が耳を霞める。圭のパーカーのポケットに常備されている短刀では、銃弾へ応戦が出来ない。つまり、当たれば終わり。当たらないためには、当たらせないための戦法を取らなくてはならない――。


 避けたモーションをそのままに、圭はメイズへと突進する。再度ガンブレードの切っ先を向けるメイズ。突っ込んできたとしても変わらない。最悪銃弾が当たらなくても、直接斬撃を与えれば良いだけの話なのだ。


 照準の先には、見覚えのある青い瞳が見える。真っすぐこちらを見据えながら、なおも突き進んでくるその青へ向けて、メイズは引き金へ力を入れていく――寸秒。

 圭の口元には、笑みが浮かべられていた。同じくメイズの口元にも、それは浮かべられている。お互いがお互いのそれを視認する、その一瞬。身体を置いてけぼりに、五感だけが引き延ばされていく、その数瞬。その狭間で、“青ではない方”――圭の、金眼が煌めいた。


「――――――っ!!」


 ほんの僅かな合間のそれを、メイズは捉えていた。

 直進していると思えた彼の身体が、急激に、横方向へと移動した。何の前兆も、予備動作もなく!

 髪の毛で隠れているはずの左金目が見えたのは、彼が右方向へ翻ったからだ。彼はそのままポケットに突っ込んでいた手をこちらへ突き出す――すぐに何をしたかわかる。短刀が、メイズへと放たれた。


 ガンブレードの重さがひどくもどかしい。無理やり獲物を持ち上げて、短刀を受け止める。だがそれは、受け止めただけ。

「ちょこまかと……マッタく、相変わらず油断も隙もナイね」


 続けざまに放たれた二撃目を再び受け止めながら、メイズはガンブレードを思いきり振り下ろす。切っ先はコンクリートのひび割れにつきたたり、柄を握ったメイズの身体は、垂直に、瞬発的な速度をもって――翻った。ガンブレードを通して、メイズの全体重が地面へとかかる。かかった体重の分だけメイズは重力から解き放たれ、目の前の――三撃目を打とうとしている圭へ、その身体が向かっていく!


「――うわわあわちょちょちょっっ!!!」


 着地目標点は、慌てて後ずさる圭の真上。逃げようとする圭の鼻先に、先ほどまでのお返し――メイズ自身のナイフを投げ打つ。

 逃げ道はこれで塞いだ。ナイフへ機敏に反応した圭が再び方向転換をするのと同時に、メイズは背中に持つ“もう一つのガンブレード”へと手を伸ばした。


「僕に逆らうとイケないってこと、教えてアゲルよ♡ 圭チャン」


 急激に変えた体重移動に、そう上手く身体はついていかない。バランスを崩して、地面に手をつきかける圭の背中へと、メイズは大降りにガンブレードを振りかぶった。


――だが二人は気付いていなかったのだ。


 ここが、ビルの屋上の、今にも崩れそうな一角だったという事に。

 圭の逃げた場所が、丁度支柱をなくし“大きな衝撃”でもあればひとたまりもなく崩れてしまう場所だったということに――!





「わ、すごい音……。――上? 誰か戦ってるのかな」

 少しの間響いた音に耳を澄ませながら、アルトリアが地上を駆け抜けていた。戦争前まではオフィス街であっただろう場所を走りながら、彼女は音によって現状の把握に努める。


(ビルの上でも戦闘、地上でも戦闘――、うーん、どっちに行こうかな……)

 乾いた発砲音、甲高い金属音、両方すぐ近いが、明らかにその二つの出所は、別の場所でもあった。


 コンクリートに反響する音を、彼女は注意深く精査する。

 おそらく上は一対一での戦闘。下は……乱戦になっているようだが、細かな人数は不明、少なくとも4人は居るだろう。

 どちらの加勢に行くか迷うアルトリアに、“彼女”――小柄なツバメが忙しない動きでその存在を主張した。

「……おお! そうだった、君がいたんだったね」


 ツバメの頭へ手を伸ばす。気持ち良さそうに、ツバメは彼女の指へと体重を寄せた。アルトリアがそっと腕を伸ばせば、そのツバメは羽を動かし始める。

「じゃー上はよろしく! 私は下に行くよ!」

 勢いをつけるように腕を振るうと、そのツバメは翼を力一杯広げて、はるか上空へと飛び立っていった。




   ◇




 背後に気配。

 実優は逃げながらも、そろっとその背後へと目線を向ける。


「――逃がすかって、言ってンだよっ!」


 嫌な予感は、見事的中。やっぱりまだ、厄介なものが追いかけてきている。しかも釘まで刺された。どうやら相手は完全にこちらをターゲットとして認識――いや待てよ、そうだ!

「ちょっ、タンマ! なんでオレがっ、狙われてんのっ!?」


 だがその振り返った瞬間を好機と取ったのか、相手は更に速度を増させ――先ほどまで実優の居た地面には、その鉄拳が振るわれていた。

「あン? あんだけ舐めた真似されてンのに、引き下がれるわけねえだろ?」

 それをしたのはオレではなくモトキ先輩……という言葉を、彼は唾と一緒に飲み込んだ。こういうタイプは、大抵こっちが何を言っても、なにも聞いてはくれないパターンがほとんどだからだ。


「どした? 逃げんのはもう終わりか?」

 地面に拳を突き立てたままの金髪の彼女は、至極不機嫌そうに彼を睨みつけている。


「……いかな」

 実優は小声で何かを呟きながら、背中で斧と、”それ”とを持ちかえる。

「聞こえねえよ、しっかり喋りな」


 それそれは怪しい動きだと、彼女には見えていることだろう。うん。そうだ。それでいい。こういう手合いは、下手に言葉をかけるより、行動を見せた方がてっとり早いのだ。


「……えー。……あー、あの。…………見逃してくれない?」


 そういって、実優が背中から出したものは、斧――ではなく、旗。

 何にも染められていない、真っ白な、旗。


「…………………………」


 口をあんぐり空けて、実優の顔と、白旗とを見比べる彼女の表情に、旗を振る事で答える実優。即興で作った笑顔をひらひらを向けながら、薄目で相手の様子を伺えば、相手の戦意は喪失されて――


「……あ、あのなあ、お前、そもそも戦場ってンのはな――」


 説教を始めたロザベラ、と、その後ろ。いや、上空――


「――わっ、わぁえええ〜〜ッ!!!!」


 から、ロザベラにとっては見覚えがあるその人物――圭が、瓦礫と共に降ってきたのだった。




   ◇




「あ、気がついたっすか?」

「――ん、あ、……っ! い、いてて」

 身体を起こす。とともに、肩に痛みが走った。確かメイズと戦っている最中に、床が崩れて――そうだ。なす術無く落ちる圭自身の視界と、それに映るメイズが、壁にぶら下がって手を振っていたという記憶が残っている。


 圭は、ゆっくりと身を起こす。

「あの、まだあんまり動かない方が良いっすよ。……幸いここコンクリじゃなかったし、落ちた高度もそんなになかったんで、大怪我には至らなかったみたいっすけど、」

 そう言葉を続けるのは、赤いブーツを履く――


「あーちょ、ちょっと、君、このパーカー赤っぽいけど、俺赤の人間じゃないんだよねっ! ごめんね?! 大丈夫!? わかってる!?」

 パーカーを示そうとするも、肝心の圭自身の服は白いシャツのみで、パーカーは丁寧に折り畳まれ地面に置かれている。

 とりあえずそれを指差しながら、なおも圭は言葉を続けた。……が、赤ブーツの彼は一度「知ってるっす」と言って、以降黙り込んでしまった。治療に専念したいということなのだろう。



「…………あいててて」

「ちょっとくらい我慢するっす」


 どうやら落ちるときに、肩を打ったようだ。冷たいタオルがぐるぐる巻にされている所を見ると、打撲でもやらかしたのだろう。血は出てないが、動かすと痛い――動くので一応は安心だった。


「……よし、とりあえずの応急処置は出来たっす。あとは最寄りの医療機関で検診をちゃんと受けるっすよ……草柳さん」

 あまりの包帯をしまって、何事もなかったかのように彼が立ちあがる。――って。

「………………、ん? ちょっと待った、なんだって?」


「最寄りの医療機関で、」

「君は俺のことを、知ってるのかな?」


 名前を示すようなものを、圭は持ち歩いていない。

 記憶が正しければ、彼は初対面であるはずで、なおかつ名乗ってもいないはず。……名前を呼ばれるのは、明らかな異常事態だった。


「…………。…………ッス。裏切り者の、草柳さん」

 目の前の青年の表情を伺うが、仏頂面からは何も読み取れない。相手の試すような言葉尻に、圭は佩いていた短刀へと手を伸ばす。

「ごめんね、俺は君の事知らない、から一年生かな」


 怪我をしているからと言って、戦闘続行が不可能なわけではない。相手の目的はわからないが、警戒しておくことに越したことはないだろう。穏やかに笑みを浮かべて、圭は相手の出方を伺った。

「――で? なんで俺は助けられたのかな?」


 一瞬だけ、目線が逸らされる。

 顰められた目が、もう一度圭へと向けられて、彼の口が開いた。

「…………怪我を、されているようだったんで」


「へぇ? それは、“裏切り者”だとしてもなの?」

「関係ない、っす。……俺も、似たようなもんだし。――波瀬辰也。よろしくっす」


 そういい残して、波瀬はくるりとそっぽを向いた。彼はそうして、そのまま興味無さげに圭の元から離れていく。

 手には救護セットらしき箱。そこに薄く書かれたマークは、赤のものではなくて――


「……ふうん」


 圭は思いのほかしっかりとテーピングされた腕を確認して、シャツのボタンを締める。

 パーカーの袖を首に巻きながら、波瀬の後ろ姿を、彼は静かに見送った。




   ◇




『能登部隊長。奴をそこへ向かわせた。詳しい事は、奴から聞くといい』

 インカムから聞こえてくるのは、白の司令官スティーブン・ブライアーの落ち着いた声色。

 それに小さく了承の意を返して、能登はあずさへ目配せをする。


「なになにぃ〜? また何かやるのぉ〜?」

 そこへヴィルが、ヴィルの持つ大鎌が割り込んでいく。口調とは裏腹に鋭さをもったそれは、丁度二人の間を分け入るようにして降らされた。


「――祐希!」

「あいあいさーっ」


 あずさの声を合図として、能登が腰から銃を上空へ構える。

 その中に込められているものは、人を殺すための銃弾ではない。


――銃声。

 それはまっすぐ、煙を吐き出しながら上空へと上っていった。


「わぁ〜〜、花火みたいで綺麗だねぇ〜!」

 能登とあずさに避けられ、大鎌を構え直しているヴィルが、空を見上げて満面の笑みを浮かべた。

 彼の視線の先に白い煙を出すそれは――信号弾。ブライアーが向かわせたはずの、すぐ近くに来ていると思われる“奴”へ、こちらの場所を示すための合図だった。


「いいなぁ〜、ボクもやりたいよぉ〜」

 有り余る袖をパタパタとさせながら、ようやく大鎌を構え直したヴィル。


 だが、次の一撃への準備運動をしようとした彼の後ろからは、

「やっと見つけたよー!! ってあれ?? 白の人と赤の人しかいない!!?!」

 黒いツインテール――アルトリアが、その姿を現していた。




   ◇




 降ってくる瓦礫――それにいち早く気付いた実優は、いち早く回避行動を取っていた。


「戦場ってンのはな、そうやって白旗降っててもやられるときゃやら――」

 指を立ててそういう金髪の彼女へ、実優は体当たりを仕掛ていく。

「そ、そんな事言ってる場合じゃないってのッ!」


 体が当たった頃には、彼女も何が起きているかわかったようで、さしたる抵抗をされることもなく、結果そのまま二人は転げ込んだ。


「……お、サ、サンキュ」


 元から老朽化して居たであろうその瓦礫の破片は、先ほどまで二人の居た場所にも落下している。それを横目で確認したロザベラが、実優を殴ろうとしていたらしい手の力を抜いた。

「あ〜〜っ、もうオレっ、帰っていいよな!?」

 彼女を押し倒す形になりながらも、声を張り上げる実優。幸い二人とも怪我はないようだった。


 ロザベラが咄嗟に、インカムへと手を伸ばそうとする。も、この体制のままでは、肩のすぐ近くに突き立てられた実優の腕が邪魔で手が伸ばせない。先に彼にどいてもらうしかない――そうロザベラが手を伸ばそうとしたと同時、


「じゃ、そーいうことで!」

 実優はパッとそこから離れ、そのまま早々と、彼女の元から離れていった。手持ちぶさたになった手を地面について身体を起こし、去っていく彼の後ろ姿を眺める。


 あわや逃げることに成功しそうな彼だったが、不幸にも通り角で偶然にも本木と遭遇したようだ。彼は一度本木へ手を振るや否や、更に全速力で別方向へ駆け出す、のを、本木が追いかける。

 その一連の様子を暫く眺めてから、ロザベラは圭が降ってきた上空のビルへと目を向けた。


 恐らく、彼は四階程度の高さから落ちたのだろう。崩れてむき出しの壁に、見覚えのあるアンカーが見える。咄嗟にアンカーを打ちワイヤーで回避を取ろうとしたはいいが、間に合わず結局落ちた――という所だろうか。丁度彼は植木のあるエリアに落ちたようであるし、恐らくそこまで大事には至っていないとみえた。


「……ん? あのツバメ」

 その視線の先で、黒い影が動いている事に彼女は気付く。


 なるほどその姿は、見覚えのある、少し前に体育館裏で拾ったツバメのヒナだ。そういえばそろそろ実戦で伝書鳩の役割をさせてみようという話が出ていた。ということは――。


 彼女はもう一度、そのビルの屋上へ再度じっと眼を凝らした。




   ◇




 ガンブレードを振りかぶる瞬間――。


 いち早く“手応え”の違和感を察知したメイズは、崩れ行く瓦礫を思い切り蹴って後方へ飛び退いた。

 とはいえ既に屋上は崩れ落ちる真っ最中。体重をかけた分だけ急速に落ちて行くコンクリートは、その飛距離を押し止める。ほとんど無意識のまま、メイズはビルの縁にガンブレードを突き立てていた。


 目には、圭が慌てて手を伸ばす様子が目に映る。その姿はすぐに遠のいて――コンクリートの塊と一緒に落下していく圭に手を振りながら、メイズの意識は現状を正しく整理し始めた。


「……お困りですかな? ふふっ、助けてあげよっか」


 轟音を遠くに、4階建てからの景色を見つめていたメイズに、少女の声が降ってきた。その方向へ視線を向ければ――眩しい太陽の光。それと、それを遮ったショートボブの髪。愛嬌のある笑顔で手を差し伸べる彼女は、見るからに黒のセーラー服を来ているようだった。


「……誰?」

「私? ミラベル。……ミラベル・アスターだよ」

「…………知らない」

「とりあえず上がろうよ、そこじゃ危ないでしょ?」


 屈託のない笑顔と、差し出される手。

 所在なくフラフラとしていた自分の左手を仕方なしに上げれば、その彼女の手が左手を掴む。彼女の手は思ったよりも力強く、軽々とメイズの身体を持ち上げた。

「っふう、君軽いねえー、いくつ?」


 埃で汚れたズボンを軽く叩きながら、メイズは様子を伺った。彼女から発せられるそれは、悪意の感じられない、ただの世間話――のようにしか思えないが、顔を上げたその先には、彼女の握るサーベルが見えている。

 意図を理解したメイズは、その口に微笑を称えて、ガンブレードを携えた。


「……なにソレ、ボク答える必要あるの?」

「いやあ、相手の事はよく知っておいた方が良いってよく言うらしいからさ」


 感じるのは同種の空気。小細工は、恐らく役に立たない。

 吹き付ける強い風もバサバサと飛ぶ小さな鳥も、全部意識の外に追いやって――必要なのは、研ぎすまされた感覚機能ただ一つ。


「じゃあ、教えてアゲル。――ボクはメイズ・ルーン」


 金糸が、太陽を透かして、薄く煌めきを放つ。

 その重たい剣を真横に振り切って、彼は彼女へと接近していった。


「ヨロシクね。ミラベル・アスター、さん」


 ミラベルの持つ薄いサーベルもが、陽を反射する。

 それは一瞬だけ透明な輝きを放ったかと思うと、彼の首元へと向かって行ったのだった。




   ◇




「……どうなってんのよ、なんでこんな激戦区になってるわけ?」

「まったく同感、俺ら無傷で帰れるかな」


 空間をまるごと切り裂いてしまいそうな大鎌を避けて、飛び退く能登とあずさ。相も変わらずヴィルはその攻撃の手を止めない――が、その標的は先ほどと少しだけ違うようだった。


「と、とりあえずは攻撃させてもらうよ!」

 そういいながら、ヴィルの背後に回り込むのはアルトリア。ヴィルの射程は、彼女にも及んでいたのだ。前方へ振られた大鎌は能登とあずさを通り越し、その勢いのまま後方――アルトリアへ向かう。

 しゃがみ込んで避ける彼女。身体をバネのようにして、彼女はヴィルへと向かう。盾代わりのサーベルを大振りの鎌に当てて、弾きさえすれば、次撃への隙が生まれる――!


「――えへへぇ、ざんねぇん」


 瞬間、ヴィルと目が合った。


 身体だけは元の姿勢であるのに、大鎌だけがフルスピードで稼働を始める。流れが強まったのは、ヴィルがその柄を逆手で取ってから。彼はそれを、次撃のために向けられていたアルトリアのサーベルの切っ先へ――打ちつけた。


 金属音。

 真っすぐ突き進んできたそれは、大鎌の柄によって軌道をズラされる。火花さえ見えそうなその衝撃。だが、サーベルの勢いを、全て殺すまでには至らない。

 ヴィルの頬を薄く擦る刃金。彼はそんなことどうでもいいかのように、薄い笑みを浮かべた。


「――てやぁ〜っ!」


 その気の抜けるかけ声とほぼ同時に、アルトリアは腹部への衝撃を感じ取る。……やられた。大鎌に、気を、取られすぎたのだ。

「っ……い、いったぁ〜っ……」


 ヴィルはサーベルを避けるための動きを、彼女への攻撃に充てがっていたのだ。ヴィルによってもたらされた衝撃で下を向いた視界には、黒いセーラー服につく砂が映っていた。

「あー……ちょっと、油断してた、かな」

 痛む場所をさすりながら、アルトリアはヴィルに向き直る。


 彼には、牽制というものがまるで通じないようだ。

 自身に傷がつこうと、目の前の敵をひたすらに攻撃する――それは、獣に近い何か。


(……うーん、うちの動物たちは野生のケモノっていうか捨てられたノラっぽいから、こういう手合い、馴れてないんだよねー)


 頬の血を流したままに、ヴィルがゆっくりと近づいてくる。


(ま、でも分からせてあげないとね。――ここが、私たちの”テリトリー”ってこと!)


 サーベルを、ヴィルの動きに合わせるようにして、ゆっくりと下段に構える。それを受けてか、ヴィルまでが全く同じ型を取った。彼は口端を引きつり上げてから、アルトリアへと迫っていく。


――ああ、なんだか、頭の中がやけにクリアだ。


 ストップモーションの、古い映画でも見ているような気分。

 自分の身体が、自分の身体じゃないような感覚。


 相手の顔がよく見えて、存外可愛い顔してるなどという、益体のないことを考えながらも――手は、相手を殺すために最適化された軌道に沿って動く。

 切っ先で、大鎌を撫ぜる。少しの凸凹による小さな振動が伝わる。恐らくちゃんとした手入れはなされていないのだろう。


 それを振り払うようにヴィルが大きく鎌を振る。その準備は視認出来ていたので、距離を取った。風に髪が揺らされる。……少しの静寂。


「…………」


 今はただ、互いの息づかいが聞こえるばかりだ。

 戦闘能力はほぼ互角。ヴィルの攻撃に引きずられて、アルトリアも気付けば攻撃に攻撃を重ねていってしまっていた。

 結果起きるのは、息もつけない斬り込みの連続――。連撃の最中に受けたらしい手の傷から、静かに血が垂れていたのにやっと気が付いた。


「…………?」


――と。


 耳に入ったのは、どこかから聞こえてくる、何かの音。それはリズミカルに、跳ねるように、段々と近づいてくる。

 どこかで聞き覚えのあるその音。アルトリアは直ぐにピンと来たらしく、その目を輝かせる。――というのも彼女は無類の動物好き。その彼女が反応するその音とは、


「おい! 手助けに来たぞ! 何もたもたしてんだよ!」


 馬の蹄の音――。

 鬣を靡かせて、その瞳に、人を乗せた馬が入ったからだった。


「エ、エミリア!」

「なに手こずってんだお前ら。さっさと捕虜連れてって帰るぞ」


 驚きの声を上げるのはあずさ。

 馬上からこちらを見下ろすその人物はエミリア――エミリア・ハウルだった。


「びっ、びじんさんだ! なんて綺麗な鬣……撫、撫でたい……!!」

 いつの間にか移動していたらしいアルトリアが、その目を爛々と輝かせながら馬へと手を伸ばす。

「はっ、お前中々わかってんじゃん。けどな、簡単に触れると思ったら――」

 大間違いだぞ――。そう言いたげにエミリアは馬の手綱を引く。そもそも初対面の人間に触られることを好まない馬であるし、そうすればすぐにその手を振り払えるはず――だと言うのに。

 なんだか、馬の様子がおかしい。

 手綱を握ってはいるが、そこから伺える動きは嫌がるというよりかは、何かに顔を擦り寄せるような――


「良い子だねぇ、凄くいい毛質だ、綺麗な目だし、ああ〜君は本当に美人さんって言葉がぴったりだぁ〜」


「…………」


「うまだぁ〜えへへ〜おうまさんだぁ〜」


「…………」



 エミリアが、無言のまま少しきつめに手綱を捌く。

 馬は素直にそれに従って、二人の手を引き離すように頭を振った。


「――いい加減にしろお前ら! 離れろ!」


 馬を少し後退させれば、アルトリアとヴィルの残念そうな顔が目に入る。


「もうちょっと、もうちょっとだけ触らせて!!」

「怒んないでよぉ、ねぇねぇ怒んないでぇ、やだぁ、」


 口々にそう言葉を発する二人。エミリアは無言で佩いていた長刀を構え――馬に合図をおくる。

 煩ければ黙らせれば良い。油断しているなら尚更。


 走り出した馬による風の抵抗を感じながら、長刀でそれを切っていく。煩い連中も一緒に薙いでしまえばいいのだ。


 だが、二人はそれを軽々と避けた。

 表情さえ変えずに。とくに焦るそぶりも見せずに。


「……覚悟は出来てんだろうな?」


 エミリアはもう一度長刀を振り上げ、攻撃への体制を作る。標的はアルトリア。馬上から、その長い刃渡りを黒髪へと向けていく。


「こちら黒軍の番犬です。がおーっ! 噛んじゃうからな〜!」


 ケラケラと笑みを浮かべながら、サーベルの切っ先をエミリアへ向けるアルトリア。ステップを踏んで、春風のように突き進んでくるその姿――。


 だがそれは。

 エミリアの長刀ではなく、それよりも太く大きい刀に、突如阻まれた。


「――――あれ?」


 影の向こうを見てみれば、動きを遮られているのはアルトリアだけではないようだった。目の前にいる馬――エミリアも、同じ刀によって牽制され、その動きを留めている。


「えみり、早く帰りたいんだよねぇ」

「野津、先輩……!」

 エミリアの声色は、少しだけ強張っている。野津と言われた彼女――野津えみりは、些かわざとらしい笑みをエミリアに向けていた。


「エミリアちゃん、あたしたち司令に何て言われたんだっけえ?」

「…………、結城先輩、能登先輩両名の帰還支援、です」

「そうだよねぇ、じゃあ、いまここで戦う必要はない、よね?」

「でも――」

「でもじゃないよ、えみり同じ事何度も言うの嫌いなんだけどなあ」


 そうした会話と共に、大きな刀――斬馬刀に入れられていた力が抜ける。サーベルにかけていた力も同時に抜くと、えみりの赤茶の髪が揺れるのが見えた。


「キミも、ここで戦う必要はないでしょ? ってこらあっ、えみりにそんなもの向けないのっ!」

 そう言い放つ先には、大鎌を構えるヴィルの姿――だが、えみりにそう言われて、彼はしゅんと後ろに下がって行った。


「ほら、帰るよ、これ以上ここを、大事にするわけにいかないってあいつも言ってたしさあ」

 有無を言わさないその勢いに、エミリアが不服そうな顔のまま、その方向を変えさせる。

「――だそうです先輩方、……撤退しましょう」


 向いたのは能登とあずさの居る方角。二人はそのエミリアの言葉に頷き、路地へとすばやく消えて行く。エミリアはそのあとを追っていったようだ。えみりはその様子を見つめながら、小さく「ほんと、可愛くないんだから」とだけ呟いて、それに続いて去って行った。


 残されたのは、アルトリア。

 気付けばヴィルまでもが居なくなっている。思い返してみれば、えみりとヴィルの相性はなるほど悪そうだ。遠くから様子を伺うヴィルを思い出して、アルトリアは思わず笑みを零した。


「――アル、こんな所にいたの」

「……わ、圭ちゃんだ。ミラベルちゃんと会わなかった?」

「会わなかった。こっちはこっちでニコを見失ったんだけど、見てない?」

「うーん、見てないなあ。って圭ちゃん何その傷、どうしたの!?」

 包帯でパーカーに入らない腕。首から吊られているそれを指差しながら、アルトリアが驚きの声を上げた。


「はは、ちょっと落ちちゃって……ってアルだって怪我してるじゃん。早く手当てしなよ」

「だいじょぶ、そんな大した怪我じゃないから。思ったより野生動物に手こずっちゃってさ……」

「や、野生……? あ、そうだ、ルーンさんのこと忘れてた。あいつアレに気付いてなきゃ良いんだけどなあー」


 そういいながら、自分がやってきた方角を見つめる圭。その目線の先には倒壊したビルがあった。


「……アレ?」

「うん、アレ――どう? 上手くいってれば、そろそろ通信出来るはずなんだけど」

 その言葉で何か気付いたらしいアルトリアは、耳元についていたその機械――インカムの電源を点ける。


『け〜〜〜い〜〜〜〜!!!! お前はどーーこほっつきあるってんだ!! 返事しろとっくに通信復旧してンだよ!!!』


 途端、耳をつんざく音声がスピーカーから流れ出した。


「…………」

「…………」


 アルトリアが、インカムをそっと圭に向ける。


「……ロジーちゃん、ご立腹みたいだよ?」

「う、うん……どうしよう……」


 それをジェスチャーだけで、アルトリアへ返す圭。とにもかくにも発信地へ向かえば、ロザベラは居るだろう。――返事をするのは、とりあえずそこへ行ってからでも、まあ、いいだろう。

 アルトリアへ苦笑いを返しながら、二人はそこへと歩き出して行った。




   ◇




「ん? もしもーし、あ、通じてる! おっけー! じゃ帰りまーす!」

 翻えるついでに、もう一撃を繰り出す。下から振り上げるように入れるその一撃は、しかし相手の重たな双剣に邪魔をされた。


「よそ見してる暇なんて、あるのカナ?」

 その双剣はサーベルを薙いで、獲物へと襲いかかる。――が、既にその相手は回避行動を始めていた。銃弾が放たれても、軌道がずれてはまともに当たらないだろう。


 ミラベルとメイズは、屋上を走り回りながらの戦闘を続行していた。


「いやあ、なーんかわかんないんだけど、メイズさんを見てるとうちの弟を思い出すんだよねぇ、全然似てないのに」

 着地点を起点に、彼女はくるりと舞い上がってメイズへと降って行く。

 高度を下げると同時に、そのサーベルが煌めく――横に、そして縦に。二重にも見える斬撃が、メイズへ食らいつこうしていた。


「……なにソレ? 意味わかんないんだケド」

「なんでだろうな? 歳とか全然違うんだけど、――うーん、可愛かったなあ〜」


 ガンブレードを半ば投げ出す形でサーベルへ当てるメイズ。その二本は、重なって放たれていった。手ぶらとなったミラベルへ、メイズは懐から取り出したナイフを近づける。

 片足だけで静かに着地したミラベル。その首元へ、メイズはナイフを向けた。

「――でも、あんたの弟はこんなことしないでショ」


「……、それもそうだね」

 少し間を空けて、ガンブレードとサーベルが床へと落ちる。それを音だけで確認したミラベルは、一度肩を上げて息を吐いた。


「で? このあとは?」

「うーん、なんだかんだ私の役割は終わったみたいだし、そろそろ退散しようかな」


 ミラベルの視線の先で、黒いツバメが一定の動きで飛び回っている。それは、下で黒の面々が合流出来たという伝令でもあった。

 ミラベルはナイフの柄をメイズの手ごとそっと掴むと、それを首から遠ざけ、降ろさせた。


「――チョット! 何してんの!」

「ふふ、また会おうね、メイズさん」

 パッとそれを離したミラベルは、メイズから離れていく。屈んでサーベルを拾い、屋上の端へ。横目で復旧した通信機械を見やってから、一度メイズへと手を振ると――彼女はそこから飛び降りた。


「……なんかムカつく」

 その様子をじっと睨んだメイズが、呟くように言葉を漏らす。それは風に乗って、やがてすぐに消えて行った。




   ◇




「あ、ミラベルちゃんだ。これで全員揃った、かな?」

 ロザベラと、ロザベラに叱られる圭を見守っていたらしいアルトリアは、近づいてきたミラベルに一番始めに気が付いたようだった。

「うん、かな? 通信も大丈夫そうだったよ」


 遅れてそのことに気付いたらしい圭が、目線だけで助けを求めている。次いでその目線を追ったロザベラが、ミラベルに気付いた。

「お、ミラベル! 良かった、よし、全員揃ったな――連絡寄越すっつったきり音信不通になりやがったバカ野郎とも無事合流出来たし」


「――うん、帰ろっか」

「お前なあ……」

 正座したままだった圭が立ち上がる。彼は膝についていたらしい砂を落として、先に歩き出した二人の背中を見ていたロザベラの頭の上に手を乗せた。


「ごめんね、心配かけて」

 それだけを残して、離される手。残されたロザベラはそこめがけ――膝で蹴りを入れる。

「――んとだよこンの大バカ野郎!!!」


 何事かと前を歩く二人がふり返って、笑いを溢した。言葉にならない悲鳴を上げる圭。驚いて辺りを飛び回るツバメ。

 ロザベラはその二匹をずんずんと追い越していくと、一度ふり返って、


「はやく帰っぞ! さっさとその傷直せよな! ……アルトリアさんも、早くちゃんとした手当てをして下さい!」

 とアルトリアの方へもふり返って、言葉を投げた。


「そうだね、うん。……ありがと」

 アルトリアがそう返したくらいのタイミングで、ツバメが返ってきた。

 その小さなツバメはアルトリアの肩へと止まると、満足気に小さく鳴いて、羽を休めたのだった。

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