死神の休日
二人の死神が、三途の川のほとりにて、虚ろな無表情で佇んでいた。
「疲れた。休みが欲しい」
片方の死神がぼやいた。その姿は、黒いフードを被った骸骨、まさに一般的に想像される死神のそれである。
「来る日も来る日も、俺はただ決められた魂を決められた瞬間に回収するだけ。仕事を始めてかれこれ一万年になるが、もうそろそろ飽きてきたというものだ」
「しょうがないでしょ。死神っていうのはそういうものよ」
彼の横に立っている、また別の死神は、一見彼と同じく、黒いボロ切れを被った全身骨格であった。だが、その骨格の大本は人間ではなく、犬である。
「私なんて、『犬』の担当なんだから、もっとずっと昔からこの仕事続けてんのよ。たかだか一万年ぐらいで弱音吐いちゃうなんて、なんて情けないの」
「いっその事人類が絶滅してくれればいいのだ。恐竜担当の奴らを見てみろ、役目が終わって、毎日どんちゃん騒ぎで羨ましい……」
「いつかは休めるわよ」
「人類滅亡にはあと最低千年はかかる! 何もせずに待っていられるか」
人間の死神が、苛立たしげに、歯をガチガチと鳴らした。
「いいか、そもそも地上の人間共はどうも『休暇』なる制度を作っているらしい。だったら人間担当の俺にだって『休暇』はあっていい筈だろう」
「『休暇』? ちょっとまって、どれぐらいの頻度なのよそれ」
「七日に一回だ。なんでも、人間共が信仰する『神様』は、たった六日間働きづめになっただけでバテてしまったらしい」
「なにそれ、ちょっと! 私達のこと見習いなさいよね」
「全くだ。だがともかく、地上の神が許可を出している以上、俺だって、七日にいっぺんの休みがあっていい。つまり仕事六日につき一日。今まで俺はおおよそ一万年間仕事してきたから……」
彼は頭をトントンとたたいた。仕事の関係上、死神は計算が得意だ。
「単純計算、一六六七年ぐらいは休んでいいということだ」
「何言ってるのよ! そんなことしたら、地上世界が滅茶苦茶に――」
「俺の知ったことではない! 休日をとるのは、俺の正当な権利だ!」
人間担当の死神が喚く。
「人間サマが死ぬのをやめれば、多くの動物が絶滅する。つまりより多くの死神が休暇を取れるようになる。皆幸せだ!」
「けど犬は多分絶滅しないわ」
「そら見ろ!」
人間担当の死神はケラケラと笑った。
「やっぱりお前も、本音は休みがとりたいんじゃないか。どうする、相棒」
「……」
犬担当の死神は、しばらく黙りこくっていた。が、やがて、肩を竦め、あんたってホント頭いいのね、と呟くと、人間担当の死神と、固い握手を交わした。
「やってられないわね」
「だろう? そうこなくては。では二人で、地上旅行としゃれこもう」
二人の死神は、神の端くれとしての力を使って、それぞれ人と犬として受肉すると、地上世界を満喫し始めた。彼らは陸を渡り、海を渡り、都市を訪ね、森を冒険し、様々な素晴らしい体験を味わった。
「けど、人間達、今ヤバイことになってるわね」
ある日、オーストラリアの夜景が見渡せる高級リゾートに泊まっていた時、犬の死神が、人間の死神に言った。けれど、人間の死神は、相変わらずケラケラと笑うだけだった。
「確かにそうだな。だがそれも計算の内だ」
「どういうこと?」
「いずれわかる」
その頃人間世界は、大変な有様になっていた。何せ人が死なないというのだから、政治も経済も、根本から覆されてしまう。仕組みとしては、例えば、交通事故に遭ったとしても、すぐに肉体が再生してしまう。また、老衰で死ぬはずの人間が、突然また元気に戻ったりもした。だが、一見喜ばしい変化だった「『死』の死」は、やがて社会の大混乱へと繋がっていった。
医療機関は、たちまち意味を失い、廃業した。人口が減らないので、食糧危機が発生し、高齢者たちも皆労働に勤しむようになった。これに伴い、老人の労働を支える義手や、ロボットなどの技術も発達した。いつしか、「人類の不死化によって誕生した産業」が、経済の大半を担うようになった。
また当然、ペットとしての犬の需要というのも、急増を迎えた。けれど同時に、数が増えすぎては食糧問題に拍車をかけるので、犬の個体数を制限する法律が各国で制定された。人口の増加に対しても、厳しい規制がかけられるようになった。
しかし、死神の二人は、そのすべてに対して、至って無関心であった。元々人を殺すのが仕事である以上、人が悲しもうが、苦しもうが、元々そこまで気にするような連中ではないのである。彼らは地上の世界を、思いっきり満喫して過ごした。
そのままおおよそ千年の時が過ぎた。最早人間は、食糧問題の関係上、地球から宇宙へと進出せざるを得なくなっていた。何十、何百億人という不死身の老人を集めたスペースコロニーにて、最新鋭のロボットたちが日々日々食料を生産していた。人々は趣味に興じ、楽しい生活を送っていた。最早そこには理想の社会があるように思えた。
しかし、それにすらいつか、成長の限界が来るということは、誰の目にも明らかな事であった。子供を作るのは、一年につき精々何百人、国による許可が下りて初めて獲得できる貴重な権利となり、出願者の倍率は何億倍という有様だった。犬についても、同様の措置が取られた。そうして徐々に、人口と、犬の数の上昇は、厳重に抑制されていった。
「今日で丁度、休み始めて、実に千六百六十七年」
人間の死神が囁いた。二人は、とあるスペースコロニーの窓から、宇宙にぽっかりと浮かぶ青い地球を見つめていた。
「地球もコロニーも満喫し、地上世界の道楽は全て味わい尽くした。もう心残りは無いな。俺もそろそろ仕事に復帰するとしよう」
「ちょっと、でも待って」
犬の死神が言った。
「今復帰したら、その瞬間、本来ずっと前に寿命を迎えてる筈だった人ってどうなるのよ?」
「『死』の概念が復活するわけだからな。当然、全員自動的に死ぬ」
「じゃあ、ほとんど人類絶滅しちゃうじゃないの。私の担当の『犬』だって」
「ああ、そうだな。調べてみたんだが、現在の人口のうち、本来の寿命がまだ来ていないのはわずか数万人だ。そして彼らは、そこら中のコロニーに分散しているわけだが……コロニー間の行き来に必要なシャトルの操縦技術を持っている奴は、その中には三人しかいなかった。つまるところ、今俺が仕事に復帰したら、すぐに人類は滅亡するだろう」
「犬だってそうっぽいわね。現在の数を考えると……皆、絶滅しちゃう……でも、それじゃ……」
そこまで言いかけて、犬はハッとした。
「あんた、天才!!」
「だろう?」
人間の死神がせせら笑った。ぐぐぐっと、わざとらしい背伸びをする。
「十分な休暇はとった。これから俺達は、ご立派で忙しい、あの例のやりがいのある仕事に戻るとしよう。しかし何故だろうな、不思議な予感がする」
二人の死神が、ケラケラと笑う声が、スペースコロニーにこだましていた。
「もうすぐまた、とても長い休暇が取れるような気がするのだ……」