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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おいかけっこ - side A -

作者: 奏 夏樹

「ねぇ、キスして」


その一言であたしたちはキスをした。

まだ暑い夏休み。太陽の照りつける公園で、秘密の庭みたいな茂みで、さわさわ揺れる芝生の上で。

互の前髪がおでこをなでた。汗で湿ったほほの熱さ。なのに乾いた小さな唇。

幼い時、遊びでキスをした。

女の子二人。

「これは秘密」

「ふたりの秘密」

「ばらしちゃだめよ」

「ずっとみてるからね」

白いスカートがひるがえる。

逃げ出した女の子。

ふふふ

女の子のひそやかで甘い、笑い声。



サヨと出会ったのは幼稚園。そのころから小夜は地味でさえない女の子だった。

トイレの花子さんのような黒いおかっぱ。おばあちゃんのお手製だという古い形のワンピース。

きまっていつもピアノの下にもぐって本を読んでいた。

対してあたしは人気者だった。

父親に似てくりくりした大きな目と、母譲りの染めなくてもなお色素の薄い茶色の髪。

着道楽な母親のおかげで、あたしはいつもお洒落で友達がたくさんいた。

ふだんは全く関わりのないあたしたちだけど、でもあたしとサヨは友達だった。

それはいつもお遊戯の時間。

うちの幼稚園は、延長の趣味かしらないけどやたらと「おいかけっこ」がある。

天気のいい日のお遊戯といえば、かならずといっていいほどそれだった。

とはいっても鬼を決めて児童をおいかけるわけじゃない。30人ほどいるうちのクラスの人間を、鬼が一人で捕まえるのはむりだ。だから、半分これは隠れんぼのようなものだった。

先生が百数える間に、生徒が逃げる。そして隠れる。見つかったら逃げてまた隠れる。つかまれば鬼の仲間になって、ほかのひとをつかまえる。最後までみつからなかったら勝ち。

昼休みのチャイムがその合図だ。

いーち、と大きな声が響く瞬間に、子供たちが弾丸のようにかけていく。

でも、あたしは違う。あたしは立ち止まって目凝らす。

いた。

あたしの視線の先には、本を抱えて優雅にあるいているサヨの姿。

あたしはあやしまれないように、ほかの子にまぎれるようにヒラヒラと蝶々になった気分で駆け回る。

そしてそっとサヨの後ろ姿をおいかける。

サヨは逃げているのか逃げていないのかわからない、ゆっくりした動きですすんでいく。

しかし誰もサヨをきにとめない。

サヨはまるで人と人の視線の隙間を、くるくるとまわる木の葉みたいだ。

やがてサヨは幼稚園の裏までやってきて、園から少しだけ離れた大きなどんぐりの木の下に座る。

あたしは周りを見てから、ささっとサヨの隣にまわりこんだ。

木からはみ出さないように、ぎゅっとサヨと体をくっつける。

「ヨコちゃん」

サヨがあたしをよぶ。

本当はリョウコなのだけど、サヨは舌っ足らずに「ヨコちゃん」とよぶのだ。

「サヨ、サヨ」

「なぁに、なぁに」

サヨは馬鹿みたいに返事をする。

「なにを読んでるの」

「わからないの」

「なにそれ。サヨったらへんなの」

サヨはいつも、隠れている間になにかの本をもっている。

サヨが開いて見せてくれたそれには、文字がない。確かになにも読めない。

ただただ美しい空の写真が、いくつものっている本だった。

「空ね」

「うん、空」

「このハート型の雲かわいいね」

「うん、かわいい」

「サヨはどの空が好き?」

「全部、好き」

なにそれ、とあたしは笑う。

サヨも笑う。

「だって、ヨコちゃんと一緒だもの」

サヨはそう言って笑う。

あたしは立ち上がる。

あ、リョウコウちゃんいたーっとすでに鬼になった子があたしを指さす。

あたしは駆け出した。

その子はあたしを追うばかりでサヨには気づきもしない。

一度だけ振り返る。

サヨはじっとあたしをみていた。



小学校に入ると、濃い友達が増えた。

友達百人できるかな、なんてもはや歌としてもばかばかしい。

百人いれば八十は同じ学校、十人はクラスメイト、九人は友達。そんなものだ。

あてはまらない最後の一人というのは、ようは仲間はずれで、同じ学校の枠にすら組み込めない人間だ。

サヨはその一人だった。

サヨとは何回か同じクラスになったが、一言も喋っていない。

少なくとも教室の中では。

サヨは相変わらずさえない外見をしていて、古臭い黒のロングの髪をひとつに結んでいて、スカート丈はひざ下だった。

サヨは誰とも話さない。いや、話しかけられない。無視しているのか、無視されているのか。

クラスにサヨという存在はなく、ただいつもその席は別次元に存在しているようだった。

放課後、あたしは部活に出る。

運動神経のよかったあたしはバスケット部にはいった。

地味な筋力トレーニングやマラソンが似合わないと友達は笑ったが、あたしは嫌いじゃなかった。

特にマラソンは嫌いになれなかった。

マラソンのコースは、学校の裏手で、坂道がある。

斜面がかなり急なので、その坂道だけは歩いていいのがこの学校の暗黙の了解だ。

あたしは足が速いので、誰よりも先にその坂にたどり着く。

そして坂道を歩きながらゆっくりと振り返るのだ。

サヨ。

そこにサヨがいる。

学校の裏手からしか見えない、図書館の出窓。

右から二番めの白いカーテンの陰に、サヨはいつもいた。

サヨ、とあたしは心の中でよんでみる。すると、サヨはいつでもあたしに気づく。

気づいて、カーテンを纏うように背景を覆い隠し、あたしに手を振る。

あたしは手を振り返さない。

坂下から友達がのぼってくるのがみえるからだ。

友達があたしをよぶ。

返事をして笑いかけ、顔をあげると、そこにサヨはいない。

白いカーテンだけが舞っている。

それがあたしたちの小学校六年間。



中学校になると色恋が表立った。

その中で、交換日記がはやった。

なにかの漫画の影響らしいが、その漫画がなにかは卒業までわからなかった。

私もそれに付き合った。

交換日記をしたのは、はじめて付き合った彼氏だった。

同じバスケット部の男子キャプテンで、人気の人だった。

流行にのってくれる人だったので、交換日記はしてくれたが、互いに飽きっぽいところがあって、交換日記が帰ってこなくなる頃に、関係も自然に消えてしまった。

一度だけ「キスしていい?」ときかれて、断ったのも原因かもしれないなと後でなんとなく思った。

彼としては真剣で、ドキドキして、一世一代の青春の勝負だったのだろう。

夏休みまえの図書室。

静かな空間に響いた、彼の要求。

ジーワジーワとはやし立てるような蝉の声。

でもあたしの世界の音が一瞬消えた。

図書館のカウンターのサヨと目があった。


「ごめん」


声に出したら世界の音が戻った。

彼は真っ赤になりながら「こっちもごめん」と何度も早口で謝った。

彼は悪くなかった。申し訳ないことをした。それが原因か、夏の大会が過ぎて、彼とは話さなくなった。


卒業の日、その交換日記はまだあたしの手元にあった。

あたしは図書館のカウンターで、その交換日記をはさんで、サヨと向き合っていた。


図書委員なの、三年間。


彼女は緑色の文字で、私の交換日記に勝手に書き込み始めた。


今日で卒業ね


私もピンク色の文字で応答する。


サヨ これって交換日記なの


丸っこいあたしの文字。

サヨの角張ってちいさい文字。


3月〇日 晴れ

ヨコちゃんと卒業


サヨと卒業


緑の文字が


おめでとう ヨコちゃん


私を遠ざける。

ふたりの思い出。

三年間のたった一日の交換日記。




それから、あたしは地元から離れた高校へ行った。

そこで教師だった男性と恋人になり、卒業後に婚約した。

学校でちょっとした騒ぎになった。

親は少し怒った。でもあたしにじゃなくて、主に先生に。あたしの旦那さんになる人に。

旦那さん予定の人の親に会った。

嫌われてはいないみたいだけど、なんだか気の毒なくらい狼狽していた。

あたしは少しの間地元に戻った。

いろいな人、友達だった人、今でも友達みたいな人、名前も忘れた人、友達から知り合いになった人、遊んだだけの人、恋人だった人、いろんな人に会った。

でも、誰もあたしをつかまえられない。

そこに留めておいてくれない。

知っているはずの土地を、あたしは駆ける。


ああ、もう夏なのだ。

こめかみから汗が流れる。

じんわりと濡れた体に、生暖かい風がはりつく。

なのに、彼女の白い、古いデザインのワンピースは軽やかにひるがえる。

古い本の匂い。

夏の日差しを含んだ木漏れ日。

軋む古い床の木。

静かに熱気をはらんだ体が二つそこにあった。

あたしとサヨ。


「あたし、結婚するの」


古びた思い出のはびこる図書室で、あたしはサヨに告げた。


「そう、おめでとう」


「ねぇ、キスして」


いつかと同じ言葉を口にする。


キスして。

あの時みたいに。

あんたがずっと好き。

二人だけの秘密。

ずっと見てるからね。


私はずっとあんたに求めて欲しかった。


ずっと おいかけて ほしかったのに



追いかけていたのはいつも


あたし



ふふふ、と誰かが笑った。




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