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世界で最も南の大陸にある唯一の国、レルト。その城下街は住人が多く、また店も多種多様にあり昼夜問わず人が多く騒騒しかった。
そんな城下街の中心にある大きな泉は、他国でも有名な観光場所になっており、その辺りは他と比べ一番に人が集まっている。
その人の海から離れ、少し右に逸れた所にレルトでも有名で大きな酒場がある。
昼でも多くの客で騒がしいその酒場の中に先程狼に休日を台無しにされた黒兎の獣人、クロサがカウンターに腰掛けてコップを傾けていた。
彼は街に入ってすぐに騒がしい場所を避けながらこの酒場にたどり着くと、カウンターの真ん中陣取り酒を飲んでいた。
「ローサ、今日は飲まないんじゃ無かったか?」
「うるせぇ」
酒を飲むクロサにローサと愛称で声を掛けるのはこの酒場のマスターで、クロサとは知り合ってまもなく7年間になる程の仲だ。
そんな彼だが、クロサが酒場に来ないと言いながらカウンターに座る所を見るのは初めてだった。
「おいおい、今日は随分連れないじゃないか。何かあったのか?」
「森で狼に追いかけられただけだ。」
クロサの言葉にマスターは呆れた。クロサに森に入る、前繁殖期の話をしたのはこのマスターだ。自分の忠告も聞かずに無闇に森に入り、休日を無駄にしたと言われれば誰でも呆れるに違いない。
「お前ってやつは……。だからあれほど近づくなと言っただろう。」
「あ~、そうだな。確かに。今は後悔してる。」
コップの中身を一気に飲み干し、コップを置くと何も言わずともマスターは慣れた手付きでコップに新しい酒を注ぐ。
そしてもう一度グイッと大きくコップを傾け酒を飲むと、「何か面白い情報入ってきてねぇか?」とマスターに問いかけた。
マスターは少し考えるとふと思い出したようにクロサに「そういえば今日は珍しい話を聞いたね。」と話を始める。
「中央のマーリアがユウシャとか言う異世界人を召還したらしい。どうにも教会が騒いでるマオウがどうとかが関係あるらしいが」
「ユウシャ? マオウ? なんだそりゃ。中央もわけのわからない教会を信じる気になったなぁ?」
「信じるきっかけがある。中央の街に魔物が侵攻して壊されたらしい。最近中央に限らず魔物が殺気立ってるからな。」
「だから森は気をつけろと言ったんだけどね」とマスターが一言多く言う。クロサは「うるせぇ」と短く返し、コップの中身を飲み干して続きを催促する。
「どこの街がやられたんだ」
「サックだよ。あそこは随分と防衛に力を入れていた筈なんだがな」
クロサもその話を聞いて反応を示した。
まず、先程から話す中央やマーリアと言うのは大陸と国の名前だ。
中央が大陸、マーリアが国の名前でそのマーリアと言うのはここレルトの約四倍もの領地を持つ大国である。頭が硬く、腰が重い事でも有名だった。
そんな国がたかだか教会の戯れ言とも言える言葉を信じ、御伽噺のような異世界人を召還するなどという事を成し遂げたのだ。それに、サックという街は中央の中でも特に防衛力の高い街で、国に仕える騎士達も部隊という単位の数が、ローテーションで滞在していた。それに関わらず街が壊されたとは珍しい所の話ではなかった。
「はぁ、サックがなぁ。そりゃ中央も混乱するだろうよ」
「だろうね。だからこそユウシャとか言う異世界人を召還したんじゃないのか?」
「まずその異世界人ってなんだよ、って話だけどな。まぁそんな事はどうでもいいか」
クロサは椅子から立ち上がり、椅子に掛けていたコートを羽織る。
「で? そのユウシャ? とか言う異世界人とやらはどこで会えるんだ?」
「そう言うと思って調べておいたよ。二三日はお前が愛用してる宿屋に泊まるらしいぞ」
「へぇ、この国に一体何のようなんだかなぁ? ま、それならちょっくら拝みに行ってくるか」
クロサはコートのポケットから銀のコインをテーブルに置くと「釣りは置いとけ」「はいはい」と短く支払いを済ませると、そのまま酒場の出口に向かって歩く。
酒を飲んだにも関わらずまっすぐな歩みで人を避けながら酒場の扉を開け、外に出ると丁度入ろうとしていた客に正面からぶつかった。
クロサにぶつかった相手は「いたっ」と小さく声を上げそのまま後ろへ尻餅をついた。
「悪いな」
クロサはぶつかった相手に手を伸ばし立ち上がらせようとするが、クロサのその手を無視して自分で立ち上がると「こちらこそ」と小さく会釈するとそのままクロサの横を通り過ぎ酒場に入って行った。
「……。珍しいな」
行き場を失った手をコートのポケットに入れて酒場の扉に振り返りながら呟く。
この世界では黒髪に黒い眼は珍しい。先程クロサにぶつかった相手の髪と眼はそんな珍しい色だった。
「なぁんか面白いことが起こりそうだな」
クロサは楽しそうに口を歪めると自分が泊まる宿に人を掻き分けながら向かった。