緑の降灰
男はそれを「神の灰」と呼んだ。
だが、植物学者たちは「悪魔の臓物」と呼んで恐れおののいた。
十月のよく晴れた日、日本中の主要都市の上空に、一斉に数十機の大型ドローンが飛来した。
テロ犯の目的は爆破でも毒ガスの散布でもなかった。
ドローンの底からバラバラと降ってきたのは、細かく裁断された、瑞々しい緑色の草の破片だった。
「枯れ木に花を咲かせましょう」
犯行声明の動画で、男は不気味な翁のお面を被り、花咲か爺さんの童謡をバックにそう微笑んだ。
「コンクリートに囲まれた灰色の日本を、本来の豊かな緑に戻して差し上げる」
撒かれたのは、ナガエツルノゲイトウ。
地球上最悪の侵略的植物。
国内の個体は種子を作らない。
しかし、たった一センチの茎、わずか二ミリの根の断片があれば、そこから完全にクローンとして再生する。
花咲か爺さんが撒いた灰は枯れ木に桜を咲かせたが、このテロリストが撒いた「灰」は、現代文明を窒息させるための胞子だった。
最初の異変は、散布からわずか一週間後に起きた。
秋の長雨が、アスファルトのひび割れや、側溝のわずかな泥に落ちた断片に水分を与えた。
それは爆発的な速度で細胞分裂を始め、道路の隙間から緑の牙を剥いた。
二週間後、大都市の交通網が麻痺し始めた。
国道や高速道路の継ぎ目から噴き出した太い茎が、路面を容赦なく押し上げ、アスファルトをボコボコに叩き割った。
慌てた自治体は一斉に草刈り機を投入した。
それが最悪の悪手だった。
高速で回転する刃は、ナガエツルノゲイトウをさらに数百万個の「断片」へと細かく粉砕し、通過する車のタイヤに付着させて全国へ運ばせた。
テロリストの狙い通り、人類は自らの手で自らの首を絞める、増殖の足となってしまったのだ。
一ヶ月後、破滅は水からやってきた。
河川や水路に落ちた断片は、水を得て巨大な緑の絨毯へと成長した。川面は完全に覆い尽くされ、水流が止まった。
折悪しく日本を襲った台風は、行き場を失った濁流をまたたく間に街へと溢れ返らせた。
都市を守るはずの排水機場のポンプは、数トンに膨れ上がった草の塊を吸い込み、爆音を立てて焼き付いた。
下水は逆流し、地下鉄のホームは一瞬で泥水に沈んだ。
文明の心臓部も、この緑の怪物には無力だった。
世界中のデータを処理していた郊外のAIデータセンター。
その冷却水を川から引き入れる取水口が草で完全に目詰まりを起こした。
内部の温度は急上昇し、サーバーは熱暴走を防ぐために次々と強制シャットダウンされた。
日本のインターネットは完全にブラックアウトした。
時を同じくして、最先端の半導体工場も沈黙した。
ナノレベルの洗浄に必要な「超純水」を作るためのろ過フィルターが、水中で枯れて腐敗した草の有機物によって一昼夜でパンクしたのだ。
物流の巨人たちの巨大倉庫は、周囲を取り囲む緑の海によって完全に孤立した。
大手通販のトラックは、タイヤの溝に草を絡ませながら立ち往生し、パンクしたように動けなくなった。
コンビニの弁当工場は、汚水の逆流によって衛生環境が崩壊し、操業を停止した。
配送が途絶えたコンビニの棚からは、瞬く間に食料が消えた。
地方を支えるスーパーの店舗前広場は、アスファルトを突き破って一メートル以上に伸びた草むらと化し、客の車を一台も受け入れなくなった。
仕入れ元の農地は、稲の数倍の速さで栄養を吸い尽くす緑の怪物に占領され、今年の収穫はゼロが確定していた。
人々は飢え、暗闇の中でスマートフォンを見つめたが、電波は二度と戻らなかった。
水力発電所の水門は草で塞がれ、火力発電所の海水冷却ポンプも、岸壁を埋め尽くした緑のマットに阻まれて機能を失っていたからだ。
散布から三ヶ月。
かつて花咲か爺さんがもたらした奇跡は、現代において完全な終末の風景へと変貌していた。
見渡す限りの日本列島は、コンクリートを食い破り、すべての水を干上がらせ、すべての動力を奪い去った、静かな「緑の地獄」に包まれていた。




