私の日記
短編です
母はマメな人だった。
「若いころから毎日日記をつけていた。私がよく思い出す彼女の姿は、机に向かって楽しそうにノートに何かを書き込む姿だった。
その母が亡くなって、遺産の相続が済んで、さぁ、遺品の整理だ、となったとき、どうしても私は母の日記が欲しかった。幸いほかの兄弟は、母の日記に興味はなく、無事すべての日記を手に入れることが出来た。
と言っても、母が学生の頃に書いていたものは、もう処分してしまったと生前言っていたので、私の手元に来たのは、私たちが生まれた頃からのものだった。それだって、兄の誕生の頃から、最近までの物と言えば、末の弟が40歳近いのだから、相当な量の日記になっている。
家に帰ってさっそく母の日記に目を通した。
兄が生まれた時の感動、成長していく喜び、子育ての難しさ、夫婦仲などなど、母の赤裸々な日常が、その日記の中に満ち溢れていた。
私が生まれ、私の成長とともに、男女の子育ての違いが事細かに書き記されていた。私は、おしとやかさを母の腹に忘れてしまったような、そんなお転婆な女の子だったから、母は相当手を焼いたと書いている。今となってはもう遅いが、今だから言える、手間のかかる子で申し訳ない。
末の弟が生まれてから、私が人が変わったようにお姉さん風を吹かせている様子も、描かれていた。そんな風にした覚えはないんだけれど。
それから私たちが成人するまで、そして母や父が定年するまでの日記も実に事細かに、何があって、どうしていたか、何が楽しくて何が悲しくて、嬉しくて、面白かったか。
日記の中の母は実に楽しそうだった。
日記を書く楽しそうな背中の母と、そう変わらない母がそこにいた。
彼女が病気で入院するころ、日記の日付がまばらになっていた。
投薬などの影響で、意識が朦朧としたり、記憶の混濁が増えていた。
最後のページは、母が亡くなる1か月前のものだった。
まだまだ空白のページの多い日記帳。
私は、母の最期のページの続きから、私の日記を書くことにした。母の書いたものよりも、書き始めは遅いし、文章も稚拙。でも私にも、残しておきたい日常がある。
母の死からずっと、私は日記を書き続けてきた。自分がこんなに筆まめなほうだとは思いもよらなかった。
入所した施設の窓から見える風景はほとんど変わりないけれど、時々孫が遊びに来てくれる。そんな他愛もない、日々を書き連ねた日記。
まだまだ空白のページが沢山ある、母の続きの私の日記。でもこの日記を私が埋めきるのは、難しいだろう。
だからこれは、娘、ひいては孫に、受け継ぎます。
母から続く私の物語は、ここまでだけれど、ここからはあなたの、あなた達の、新しい物語を紡いでいってください。
綺麗でなくても良い。明るくなくても良い。ただ、その一日一日を積み重ねて、残ったページはまた次の誰かに繋いでいってください。」
母の日記の最後にはそう書かれていた。
——今日のこの日——
この続きに、あなたは何を書きますか?




