82.いつか見た黒い柱
「【黄昏の魔女】!?」
「おいおいおい、嘘だろ!もうあの上位魔族をぶっ殺したのかよ!?」
ロックフェルトとヤンが驚きの声を上げた。
一同の視線の先には、長い紫色の髪をした華奢な女が輝く細剣を手に立っていた。
つい今しがた、人類最悪の敵と対峙していた筈のその女は、息も切らしていなければ、その身に纏う白い鎧にも蒼いマントにも、美しい髪にも透き通るような白い肌にも、返り血一つ浴びていない。
「……いよいよ、本物の魔女って感じだねえ」
ベレッタが呟く。
「本物の魔女っつーとアレか?箒で空飛んだりするヤツか?」
「いや、それは田舎の童話だろ……」
ヤンの素朴な疑問にロックフェルトが呆れた顔で答えた。
「隊長?」
薙槍の切っ先を豚面鬼将に向けたまま、シュカも振り返る。
「間に合って良かった……!シュカ、その妖魔のトドメは私がやるわ」
いつもは感情の起伏がほとんどない上官が、今は明らかに安堵しているようにシュカは感じた。
「……おいおい、それはちょっと酷いんじゃないか、魔女さんよ?」
ガルバスが肩を竦めて、ルシアに苦笑いを向ける。
「ちょっとアンタ!!部下の手柄を横取りしようなんて感心しないねえ!」
ベレッタは怒気をはらんだ目でルシアを睨み、戦斧を担いだまま彼女の前に立ちふさがった。
「あ、いえ?事情は後で説明しますので、今は……」
「【黄昏の魔女】ともあろうアンタが、随分と失望させてくれるじゃないか。上位魔族をぶっ殺しておいて、まだ足りないのかい」
ルシアはやや困惑した表情を浮かべるが、ベレッタは引き下がらない。
ヤンとロックフェルトも無言でベレッタの隣に立つ。
「ガルバス、ベレッタ……それにヤンとロックフェルトも。あんたらの気持ちはありがたいんだが、俺は軍人で、その人は俺の上官なんでね。一応、上官命令は絶対ってことになってんだ」
シュカは目の前のオークロードを見据えたまま、冒険者たちに声を掛け、そして槍を引いく。
「アンタはそれでいいのかい、坊や!大将首を上司に横取りされてさぁ?」
ベレッタは不満そうだ。
「“坊や”ってな……あ、いや。正直なところ、俺は別に手柄ってのには興味がなくってね。それに、そもそも俺達騎士ってやつは——」
眼前の妖魔から目を逸らし、シュカがベレッタに顔を向けた、その一瞬。
「ブルゥアアアアアアアッ!!!」
「ちぃっ!!?」
利き腕を失い、武器も失った豚面鬼将が、唾をまき散らしながら咆哮とともにシュカに襲い掛かった。
自暴自棄になった捨て身の強襲——誰もがそう思った。
シュカは反射的に後方へ飛び退って貴族種の左手の鉤爪を躱し、無意識に一度は引いた槍を構える。
無論、その切っ先は牽制のため豚面鬼将に向けられている。
「ブオオオアアアアアアアッ!!」
豚面鬼は、勢いを一切緩めず、そのまま真っすぐにシュカに突っ込んだ。
——槍の切っ先に向かって真っすぐに。
「なに!?」
まだ《光の剣》を解除していないシュカの薙槍は、いともたやすく最上位の豚面鬼の心臓を貫いた。
「な、なんだあ!?」
「トチ狂ったか!?」
ガルバスとベレッタの驚愕が重なる。
「……しまった!」
ルシアが掌をオークロードに向ける。
——しかしその射線上には冒険者たちがいる。
「——くっ!」
瞬時に掌への魔力収束を解除し、ルシアはレイピアを抜き放って跳躍する。
——だが、一瞬遅かった。
「ブルァアア!!」
オークロードは紫色の血をまき散らしながら、輝く長槍の柄を残った左手で握りしめ、そしてさらに一歩、シュカに向かって踏み込む。
夥しい量の血液が妖魔の胸と背の両方から溢れ出る。
そして迸るその妖魔の血が、驚愕の表情を浮かべるシュカの顔を染めていく。
「なんだ、コイツ!?」
「させない!」
恐るべき跳躍力でおよそ十メートルの距離を瞬く間に縮めたルシアが、輝くレイピアを振りかざして妖魔の頭上から飛びかかる。
「遅カッたなァ!儂ラの、勝ちダ……!!」
(おいおいおい!コイツもしゃべるのかよ!?)
かすれた声で人語を発音する豚面鬼にシュカが目を見開くのと、それは同時だった。
ドオオオンッ——!!!
豚面鬼からゆらゆらと立ち上っていた暗い瘴気が一気に膨張し、突如として天井に向かって吹き上がった。
「——くっ!?」
豚面鬼の頭上から今まさに細剣を振り下ろそうとしていたルシアをどす黒い瘴気が襲う。
反射的に魔力の防御結界を展開し直撃を避けたが、その凶悪な圧力に弾き飛ばされ、ルシアの小さな身体は宙を舞う。
「【黄昏の魔女】!?」
ベレッタの悲鳴が木霊す。
黒い瘴気の柱は、まるで霊体のように天井を通り抜け、力の渦が放出されているかのようだ。
ルシアは瘴気の柱から数メートルも吹き飛ばされたが、中空で身を捻ってなんとか体勢を整え、ガルバス達のそばに着地する。
「こいつぁ……」
シュカが吹き上がるどす黒い瘴気の柱を見上げながら呟いた。
「あの時と同じやつじゃねぇか……?」
あの、ゴブリンロードを討伐した時と——
——いや、心なしか、あの時よりさらに一回り大きく、禍々しい重圧も強い……?
「……おい、大丈夫かい、魔女さん?」
シュカと同じく立ち上る瘴気の渦を見上げながら、ガルバスがルシアを気遣う。
「ええ、私は大丈夫……でも、止められなかった。アレが何を意味するのか……この後何が起こるか、私にもわからない」
お読みいただきありがとうございました。
このエピソードで第六章『第二の扉』は終わりです。
次回から最終章『嵐の神獣とアリス』。いよいよアリスの出番です!
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