78.豚面鬼の根城
アリスと聖霊との最後の戦いの火蓋が切って落とされた、ちょうどその頃。
ここは昼でも薄暗い、鬱蒼とした森林の中。
はるか昔は神殿であったと思われる巨大な建造物だ。
もっとも、今は邪悪な瘴気を垂れ流すだけの、妖魔の巣窟となり下がっていた。
ルシア率いる〈星芒騎士団〉一番隊は、一度プロキオンに戻り戦力をかき集めると、翌日、太陽が最も高く上る頃——と言ってもこの森の上空は今日もあいにくの曇天だが——には森に入ると、そのまま進軍。
そして午後三時、全軍で遺跡に突入し、掃討作戦を開始していた。
討伐隊は〈星芒騎士団〉一番隊の五名の他、プロキオンの兵士五十名とプロキオンのギルドから派遣された冒険者が二十名の総勢七十五名で構成されていた。
王都に続いて国内第五の規模を持つ大都市ということもあり、たった一日足らずの招集でもこの程度の数の戦力確保は容易だった。
「ブルゥゥアアアアッ!!」
刃こぼれだらけの片手斧を振りかぶるずんぐりと太った妖魔の腹を、シュカは輝く薙槍の横薙ぎ一閃で掻っ捌いた。
醜く爛れた毛のない皮膚を持つ、豚のような顔をした妖魔は、断末魔の悲鳴と共に一歩二歩と後退し、そのまま背面の壁に倒れこむ形で絶命する。
(ん?)
何気なく斃した妖魔の方に目をやると、死んだ豚面鬼が寄りかかった壁の上方に、ふと見覚えのある象徴が見えた。
(……また蜘蛛かよ。趣味悪ぃな)
「騎士の旦那よお!余所見してる場合じゃないぜ!?」
近くにいた髭面の冒険者が、戦槌で妖魔の顔面を粉砕しながら叫ぶ声が響く。
「……ああ、わりぃ」
シュカはその声に短く答え、身体ごと薙槍を回転させて豚面鬼を二体同時に屠る。
妖魔の規模は、突入前からルシアの魔眼でおおむね把握できていた。
数はおおよそ二百。
そのうち上位種が三十~四十。
そして貴族種が一体だ。
豚面鬼は人間の平均的な男より背こそ低いものの体重は重い。
その戦闘力も小鬼よりはるかに強力で、犬面鬼にも勝る。
戦闘経験のない一般の男が軽武装した程度では敵わない相手だ。
だが逆に言えば、十分に訓練を積んだ兵士であれば、一対一で後れを取るほどの脅威という程でもない。
「……とは言え、屋内でのこの数の乱戦はやりづれぇな」
「ああ!思いっきり振り回すと、仲間までぶっ飛ばしちまいそうだぜいっ!」
シュカの呟きに、髭面の大男も同意する。
どうやら彼は、ギルドから派遣された冒険者たちのリーダー格のようだった。
二メートルを超える巨漢から繰り出される鋼鉄の戦槌は、猪面鬼さえも一撃で粉砕していく。
彼らが戦っているこの場所は、城門から入ってすぐの大広間だった。
ほぼ長方形で、縦約七十メートル、横は百メートルと言ったところか。
さして苦も無く城門を破壊すると、およそ二百体の武装した妖魔が、この広間で悠然と待ち構えていた。
突入とともに敵味方入り乱れての乱戦状態となるのは、ごく自然な成り行きだったと言える。
「シュカ」
「隊長!」
いつの間にかシュカの真横にルシアが来ていた。
すでに数えきれないほどの妖魔を屠っているはずだが、彼女の白い鎧にも、白い肌にも、返り血一つ付いてはいない。
その瞳は紅玉のように赤く輝き、常人には見えないものを捉えていた。
「貴族種を見つけたわ」
「なにっ、どこだ!どこに居やがる!?」
それを聞いた髭面の大男が、周囲をキョロキョロと見回す。
「ここじゃないわ。上よ」
静かに首を振って、ルシアは大広間の最奥にある階段を指した。
「貴族種の周りには十体。たぶん、全員上位種ね。でも、それ以外の妖魔は全部ここにいるわ」
「大将のクセに、子分どもの指揮も取らずに自分たちだけ高みの見物かよ」
シュカが呆れたように言う。
「危なくなったら即トンズラできるようにってかぁ?」
髭面の冒険者が忌々しそうに声を荒げる。
「多分、そうですね。でも、私たちを待ってるように見えなくもないわ」
「ちっ、かかって来いってか?豚野郎の分際で」
戦槌で眼前のオークの頭蓋骨を粉砕しながら、髭面が鼻を鳴らした。
「いずれにしろ、私たちのやることは変わらない。シュカ、分かってるわね?」
一回り大きな体躯のオークに槍の切っ先を向けるシュカの背中に、ルシアが問う。
「ああ。万一貴族種を取り逃がしたら、例えそれ以外を全滅させても、また新たに群れが形成されちまう」
シュカが猪面鬼を振り上げの一閃で両断しながら、声を張り上げた。
「その通りよ。だからシュカ、あなたに任せる。一番隊と、あともう何人か連れて貴族種をお願い。ここは私たちがやっておくから」
手首の返しだけで、迫りくる二体の豚面鬼の命を刈り取りながら、ルシアは淡々と続ける。
「本当は私が行きたいんだけど……私は先にアレをやらないといけないから」
「アレ?」
その時、広間の所々から悲鳴が上がった。
豚面鬼の断末魔の叫びではない、人間の悲鳴だ。
「ま、魔族だぁ!!豚面鬼が急に魔族に……!!」
兵士の泣きそうな声がシュカの耳に届いた。
「な、なんだあ、ありゃあ……!」
冒険者の誰かが呻き、
「ちっ。悪魔かよ。なんでこんなところに……!」
髭面の大男が吐き捨てた。
——大広間の中央に、突然現れた巨大な頭。
髪の長い女の生首のようなシルエット——いや、よく見ると、首の下の部分には、うぞうぞと蠢く無数の小さな白い腕のようなものがある。
人間の赤子のような、小さく華奢な腕だ。
それが何十、何百と蠢いているのがなんとも悍ましい。
頭部だけで高さが四メートル近くもある。
首から生えた無数の小さな腕が支えるにはあまりに巨大だ。
老婆のようなその顔の、目があるはずの場所は空洞で、その奥にはどこまでも暗い闇が広がっていた。
深い皺が刻まれた肌はどす黒く、ところどころ腐り落ちている。
『ううううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅうううううっ———!!!!』
それが、身の毛もよだつような呻き声を発した。




