2.隊長就任
「——アリス=レーゼ。今この時をもって、お前を〈星芒騎士団〉七番隊隊長に任ずる。この国の発展と民の幸せのために、一層励んでくれ」
跪いた若い騎士の肩に置かれた短剣の、黄金色の刀身がゆっくりと離れる。
ここはナディア王国首都レグルス。
その最も高地に建設された王宮『アークトゥルス城』謁見の間。
白い鎧に蒼色のマントを纏った少女のような騎士の前には、まだ年若い国王が立っている。
短く切りそろえた髪は黒に近い緑。
その橙の瞳は太陽を思わせる。
真紅の重厚なマントの下には黄金の刺繡がなされた豪華な衣装。
黄金はナディア王家を象徴するカラーだ。
『剣の王』と称えられるナディア王国第三代国王、アルベルト。
七年前、内乱のさなかに逝去した先代国王の後を継いで即位し、乱れた国をもう一度まとめ上げた実力者として知られている。
一方、国王の前で跪く小柄で華奢な騎士の名は、アリス。
緩やかにウェーブが掛かった亜麻色の長い髪を、群青色の髪紐で結わいてポニーテールにしている。
その瞳は雲一つない蒼穹を連想させるような、透き通る藍玉。
小振りだが整った鼻筋、薄い唇。
形の良い眉に白い肌。
誰もが目を見張るような、絶世の美少女。
——にしか見えないのだが、彼がその名前、その外見を裏切って、十六の成人した男であることを、少なくともこの謁見の間にいる者たちは知っている。
彼に言い寄った男たちが、その真実にどれだけ落胆したことか。
そしてどれだけその表情を見て、彼自身がウンザリしてきたことか。
無論それでも尚、いやむしろ、という強者もいるが、彼にはその期待には応えられない。
それもあってか、彼はいつも初対面の人と会う場が苦手だ。
そうした見知らぬ人が多く集まる場所は特に。
そう言う意味では、人より魔物に囲まれることの方が圧倒的に多い今の仕事は、彼にとってはまさに天職なのかもしれない。
たとえそれが、常に死と隣り合わせのものであったとしても。
「……ルシア。彼に隊長の証を」
アルベルトは黄金の短剣を鞘に納めると、傍らに控える若い女に向かって何かを差し出した。
紫がかった銀髪の、小柄で華奢な女だ。
「はい、陛下」
女は面を上げ、恭しくアルベルトの前へと進み出る。
この女も恐ろしく整った美貌の持ち主だった。
紫水晶のようなその瞳には、静謐な輝きを湛えている。
この女はルシア。
〈星芒騎士団〉の一番隊隊長ルシアだ。
今日、この瞬間まで、アリスの直属の上官だった女。
合理主義を旨とするナディアの騎士隊長就任の儀は、他国と比べれば極めて簡素なものだ。
今、この広大な謁見の間にいるのは国王とアリス、ルシアの他は、〈星芒騎士団〉団長のクロードと副団長のギルバート。
それに国王の身辺警護を担う〈近衛騎士〉が五名と、謁見の間を警護する衛兵が二名。
そして王宮に仕えるすべての魔導士を統べる宮廷魔導士長の【賢者】ランフィス。
全部でたったの十三名のみだ。
「おめでとう、アリス。……ちょっと寂しいけど、これで一番隊は卒業よ」
国王から恭しく小さな何かを受け取ると、ルシアはアリスのもとに歩み寄り、跪く少年の前で自身も膝を突いた。
そして手にしたそれを、彼の蒼色のマントの肩の部分にそっと取り付ける。
——星を象った金色の紋章。
騎士隊長の身分を示す徽章だ。
「……あ、ありがとうございます」
アリスは微かに頬を紅潮させて、小さな声で答えた。
「お前を隊長に任ずることができて俺も嬉しく思うぞ、アリス。今度またゆっくり話そう」
それを見届けてから、アルベルト王は目の前の若い騎士に優しく声を掛けた。
まるで弟や息子に話しかけるような、親しみのこもった響きがある。
「はい、ありがとうございます」
緊張した面持ちながら、アリスが今度はできるだけ力強く答えると、王は笑って満足げに頷いた。
それからマントを翻すと、跪くアリスの横をゆっくりと通り過ぎて、アルベルトは広い謁見の間の出口へと向かう。
ランフィスが後に続く。
五人の近衛騎士たちもその後ろに付き従い、謁見の間を守護する衛兵が王のために巨大な扉を開く。
世の魔法使いたちの頂点たる【賢者】の称号を持つ宮廷魔導士長が、国王に続いて跪くアリスの横を通り過ぎる際に、彼の肩にポンと手を置いた。
「お前の隊長としての初仕事は、パーティーの出席になりますね……まあ、あまり気張りすぎなくて良いですから」
「——えっ!?」
ランフィスのその声もまた、父のように温かみがこもっているものだったが——アリスはその声音よりも、その言葉の内容に絶句する。
それを見て、広間に残った団長のクロードがククッ、と含み笑いをしている。
国王と【賢者】が謁見の間から出ていく後ろ姿を見送ってから、アリスは跪いた格好のまま、上目遣いに人の悪い団長を睨んだ。
副団長のギルバートと元上官のルシアも、クロードにいつもの呆れ顔を向けている。
「ははは。睨むな、睨むな、アリス。今回の祝賀会には各騎士団の隊長以上も出席するというのは、聞いていただろう」
「いえ、き、聞いた覚えが……」
「……クロード。その話はまだ隊長たちにしかしていない。今日隊長になったばかりのアリスが、知っているわけがないだろう」
「それにアリスは昨日、王都に帰ってきたばかりなんですから」
分かっていて言っているでしょう?という顔で、ギルバートに続いてルシアも溜め息をつく。
「あれ。すまん、すまん!そうだったかな?」
しれっとうそぶく団長は、いつものどこか憎めない笑顔だ。
「まあ、アレだ。隊長ともなれば、モンスター退治の腕だけを磨いていればいいってもんでもない。アリスは特にこういうのはあまり得意じゃないからな。いい勉強だと思って腹を括れ。では、もう行っていいぞ」
さっさと行け、とでも言わんばかりに、クロードは手をひらひらと振る。
「……分かりました」
アリスは憂鬱な顔で辛うじてそう答えた。
もちろん、アリスに断るという選択肢は与えられていない。
これも隊長としての正式な仕事だ。
それに、今回は団長の言うことも正しい。
ナディア特有の『世襲降格制度』に基づき、アリスは十五歳の成人になるのと同時に『子爵』であった父から一ランク降格した『男爵』の爵位を継いでいた。
そのため本来なら隊長に就任する前から他の騎士たちより社交の場への出席の機会は多かったのだが、今まではできるだけ言い訳を付けて避けてきた節がある。
時にはグレンディーノに代わってもらったこともあった。
だがいつまでも逃げてはいられないことは、アリス自身も薄々感じていたところだ。
そう言えば、今朝、妹もそんなことを言っていたような気がするし、もしかしたらすでに王宮内では周知の事実なのかもしれない。
自分が任務でしばらく王都に戻っていなかっただけで。
隣国ローエンデール皇国との、国交再開を祝した記念式典とその祝賀会。
ナディア国内の内戦に起因して一度は断絶した二国間の国交が、外交努力の甲斐あってなんとか再開してからまだ日も浅い。
しかもあちらからは、第三皇子と第六皇女が来訪することになっている。
ナディアにとってこの式典がどれほど重要なイベントであるかは考えるまでもない。
加えて大陸中にその名を馳せる〈星芒騎士団〉は、ある意味ナディアの広告塔だ。
単なる周辺警護に留まらず、式典や祝賀会そのものに駆り出されたとしても、別におかしいことではない。
……とは言え、団長も前もって言ってくれればいいのにさ。
心の中で毒づきながら、団長に促されるままアリスは憂鬱な気分で謁見の間を後にした。




