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千年あなたを想う 後編


 翌日にはシエナとレイモンドは、大型の荷馬車に乗せられた牢の中に居た。

 牢を運ぶ馬車の歩みは遅く、マール辺境から国境を越えて隣国の王都まで1週間以上はかかるという話だった。

 隣国へはすぐに入った。

 王都までの道行の中で、行く先々でレイモンドは隣国の国民達に目に晒され、レイモンドに恨みを持つ者達からは石を投げつけられたりした。連行する軍人達もそれを止めなかった。国民達はレイモンドもレイモンドの傍に居るシエナも区別なく危害を加えようとする。

 石を投げつけられる際は、レイモンドは必ずシエナを懐に抱き、その身を守った。

「おやめください、レイモンド様!」

「・・・お前より体は頑丈だ。気にするな」

 ガツガツと石がぶつかる振動をレイモンドの身体越しに感じる。

 気にするなと言われても、自分を庇ってレイモンドが傷つく様をシエナが平気で見ていられる訳が無い。

 しかしシエナがレイモンドの腕の中から抜け出そうとすると、レイモンドの腕の拘束が更に強くなる。

「私の事情に巻き込み、お前を酷い目に遭わせてしまった。お前には傷一つ付けさせないし、私が死んだ後は必ず国に返してもらうようにする。お前は何の罪も犯していないのだから」

 シエナの事を覚えていなくとも、やはり今世でもレイモンドは命に代えてシエナを守ろうとしてくれるのだ。

 レイモンドの腕に守られながら、シエナは涙した。

 投石によりレイモンドの体は痣だらけになってしまった。全身の打撲、裂傷から発熱してしまったレイモンドの状況を受けて、さすがに街道からの投石等は禁じられる事となった。

 怪我により体力をかなり削られてしまったレイモンドは、熱が下がるまで日中も体を横にしたままでいる。床に寝込んでいるレイモンドは、丁度良い具合に街道からはその姿を隠される事となった。

 罪人が運ばれる牢内には姿勢を正し、前を向き座っているシエナの姿しか隣国の民達には見えなくなる。すると街道の民達からの怨嗟、罵詈雑言はシエナに集中した。しかしシエナは平気だった。

 シエナの国を攻めると決めたのは隣国の王だ。シエナの国から戦争を始めたわけでは無い。国を守るために抵抗して何が悪いというのだ。

 レイモンドは領地を、国を守るために父や兄を失いながらも最後まで戦い抜いた。軍人として戦争に参加するのであれば、命の取り合いはお互い様であろう。戦いで命を落とした軍人の家族達がシエナに向けて罵声を浴びせるが、それに微塵も反応を示さずにシエナは前を向き続けた。


 

 隣国に渡ってからさらし者になり続けたレイモンドとシエナの旅路は、やっと終わりを迎える事となった。

 レイモンドの刑の執行は嘆きの丘と呼ばれる処刑場で行われる事となった。

 嘆きの丘にて自死をさせられた上、レイモンドは埋葬も許されずにその地に捨て置かれる事となる。

嘆きの丘とは、はるか昔にこの国の王女が非業の死を遂げた場所と言い伝えられており、この国の罪人の処刑場として長きに渡り人の血を吸い続けている忌み地なのだという。

 神の教えからすれば、来世への生まれ変わりなど望めない惨い刑だった。弔いも許されず、恨みと呪いが渦巻くという呪われた丘には、レイモンドへの祈りも届かないだろう。

 曇天に覆われた、草木一本も生えぬ不毛の丘の上にレイモンドとシエナは追いやられた。

「・・・レイモンド様」

 かける言葉も見つからず、シエナは震える手をレイモンドへ伸ばす。

 レイモンドはしっかりとシエナの手を握りしめてくれた。

「大丈夫だ。お前の事は必ず国へ返してもらうと、騎士の名に懸けて約束をさせた。名を懸けた約束を、違える事はないだろう。そうだな?」

 レイモンドが刑の執行に立ち会う軍人に確認をすれば、その者は重々しく首肯する。

「どうか無事に祖国まで辿り着いてくれ」

 シエナを勇気づける様にレイモンドが言葉を重ねる。

 レイモンドが死んだ後の約束など。

 言葉も無くハラハラと泣き続けるシエナの手を、レイモンドは両手で包む。

「・・・頼む。生きてくれ」

 シエナはとうとう、レイモンドの最期の願いに頷いた。

 シエナは軍人に手を引かれ、レイモンドから引き離された。

 殺風景な丘の上にレイモンドは立たされ、数カ月ぶりに手足の枷が外された。

 そしてレイモンドの足元には一振りの剣が投げ捨てられた。

「自死はこの世で最も罪深い所業。神には見放され、お前は輪廻の輪から弾かれる事になる。この呪われた地に囚われ、お前は永遠にこの丘を彷徨う亡霊になるのだ」

 レイモンドにそう言い放つ軍人はシエナの腕をしっかりと握り、シエナの喉元には短剣を突き付けていた。

「さあ、潔く命を断て。俺の兄を殺したお前の最期を見届けてやる。女の命が惜しくば、観念するがいい」

 これまでレイモンドに感情の起伏の一切を見せなかった男が、今この時、レイモンドへの憎しみを発露させていた。仇を取るつもりで軍人は、シエナとレイモンドにずっと付いてきたのだろう。

 憎しみと悲しみの連鎖は、何処までも続き果てが無い。命を取り合い、さらに仇討をし、その後に何を得る事が出来るのか。シエナの胸にはただ虚しさが募る。

 シエナは命など惜しくない。レイモンドが助かるなら、喜んで自分の命など投げ捨てる。

 この場から逃げ出そうとも、異国の地で追われるレイモンドが生き延びる事など出来ないだろう。

 だが、自死するよりは人の手にかかる方がずっとマシだろう。

「レイモンド様!逃げて!!」

 叫ぶシエナの首元に当てられた短剣が、僅かにシエナの皮膚にめり込んだ。シエナの首筋には赤い筋が伝う。

「女を見殺しにするもいいだろう。お前は女を見捨てて逃げた恥知らずとして、我々に追い立てられて結局は命を落とす事になる。マールの戦神は、嘆きの丘に恐れをなして逃げ出した腰抜けだと、国中どころかお前達の国へも広めてやろう」

「やめろ。その女は、傷一つ付けず国に返す約束だ。お前の名に懸けて誓ったはず」

「お前が我々の言う事を聞けば済む話だ」

 レイモンドはシエナを拘束する軍人を見つめながら、足元の剣を拾い上げた。

 そしてレイモンドは、ゆっくりと剣を自分の首筋に宛がった。

 レイモンドの下げられていた目線が上がり、シエナを捉える。

 レイモンドは微笑んだ。


「今度は守る事が出来た」


 レイモンドの最期の言葉に、シエナは息を飲んだ。

 それと同時にレイモンドの首筋から勢いよく血が噴き出し、レイモンドはゆっくりとその場に崩れ落ちた。

「・・・あっ、あああああ!」

 シエナは自分を押さえる軍人の手から逃れ、レイモンドの元へと走った。

 横倒しに倒れたレイモンドの首筋からは、どくどくと赤い血が溢れる。

 レイモンドは瞼を閉じていて、もうピクリとも動かない。

 レイモンドの命が零れ落ちていく。

 シエナは夢中でレイモンドの首筋を押さえた。

 レイモンドは、今度はと言った。

「あなたは、わたしを・・・!」

 レイモンドの言葉でシエナは分かった。

 シエナの事を、レイモンドは覚えていた。何度も生まれ変わり、巡り合った相手だと、分かってくれていたのだ。

 だがもう、遅い。

 レイモンドはシエナを置いて逝こうとしている。

「嫌です!行かないで!!」

 シエナはレイモンドに縋りついて叫んだ。

「・・・それほど好いた相手なら、一思いに後を追わせてやろう」

 泣き崩れるシエナを見て、軍人の1人が剣を抜いた時だった。

 丘の上一帯に女の笑い声が響いた。

 丘の上にいる人間全員がギョッと目を見開き、辺りをキョロキョロ見回し始めた。

 響き渡る女の声は愉悦に満ち、楽しくて楽しくて仕方がないと言った様子だった。しかし声の主の姿は見えない。声は辺り一面、そこここで響き渡った。

「・・・引くぞ」

 軍人達は皆、一様に顔を蒼褪めさせ、レイモンドとシエナを置き去りに慌てて丘を下って行った。

 刑の執行に立ち会っていた男達全員が、その声に怯え逃げ去った。

 女の笑い声は未だ辺り一面に響いている。

 ぐるぐると辺り一面から響いていた笑い声の主は、やがてシエナの前に輪郭を現し始めた。

 シエナの前には目と口が真っ黒に穴が開いた、古めかしいドレスを纏った女が現れた。女はレイモンドを指差し、執拗に笑い続ける。

 シエナは恐怖よりも困惑の方が勝った。

 何がそれほど楽しいと言うのか。

 異国の亡霊は、ゆらりゆらりとシエナ達に近づいてきて、真っ黒の目と口を弓なりにしてレイモンドに触れようとした。

「やめて!」

 シエナが鋭く叫ぶと、亡霊は弾かれたようにレイモンドから手を引いた。

 それから亡霊は、今度はシエナにゆらりゆらりと近づいてきて、シエナの顔に両手を添えた。シエナは自分に近づく亡霊には不思議と抵抗出来ず、亡霊の手を自身に触れさせてしまった。

 そしてシエナの脳内には、亡霊と同じ古めかしい、豪奢なドレスを纏った女性の生涯が浮かんだ。


 その女性は大昔のこの国の王女で、婚約者である幼馴染との結婚を心待ちにしていた。

 しかし、隣国との戦争で武勲を挙げた男に褒賞として、王女は降嫁させられる事が決まった。その男は以前から王女に懸想をしており、戦功をあげた際の褒章について以前から王と男との間に取り決めがされていたのだ。それについて、王女と婚約者は与り知らぬ事だった。

 王女は婚約者と引き裂かれて望まぬ男の妻とさせられた。

 王女は夫となった男を受け入れる事ができず、過去に何度も婚約者と逢瀬を重ねた花咲く丘で自ら命を断った。

 すると丘の草木、花々はみるみるうちに枯れ、美しかった丘は常に曇天を掲げる呪われた地となった。

 そしてその丘では王女の嘆きの泣き声が昼も夜も無く響き、嘆きの丘と呼ばれるようになった。人々は恐れをなして、その丘には寄り付かなくなった。

 王女の怨念は男の魂を絡めとり、その自由を奪った。そしてたまたま手近にあった別の魂には、この丘より動けない自分の魂を一欠けら差し込んだ。

 それから男は何度も生まれ変わり、王女の魂の欠片を持つ女を愛しては惨い死を迎える事を何度も何度も繰り返した。

 男は天寿を全うすることなく、王女の生まれ変わりを愛しては短い生を何度も終える。王女の生まれ変わりは、男を愛する事は決して無かった。

 それは数百年と繰り返された。

 しかし、ある時から王女の生まれ変わりは男に愛を返すようになった。

 シエナが見知った男の姿が現れて、シエナの目からはまたも涙が溢れた。

 あの小さな村で、短い間であったがシエナは男と夫婦となった。

 それから男女は街の衛兵と工房の娘として出会い、山間の集落の民として出会った。

 すると惨い死を迎えるのは女の方になった。男は3度、愛する女を失い絶望の淵に沈んだ。

「あなたは・・・」

 王女の亡霊は、古の英雄であった男の暴虐をシエナに知らしめようとしたのか。シエナが思いを寄せる価値など、レイモンドには無いのだと。

 しかしシエナの魂には王女魂が一欠けら交じっており、長い時間をかけて変質してしまった王女の男に対する執着が痛いほどに伝わって来た。

 自死した魂は輪廻から外れ、再び生まれ変わる事は無く、最期の地に囚われると言われている。

 王女は、男の魂を自分の手元に置くために、わざわざこの丘にレイモンドを引き入れて自死させたのだ。

「あなたは、この人を私に取られたくないのね・・・」

 最初は憎しみから男を呪ったのだろう。

 何度も男の生を捻じ曲げて、自分の魂の欠片を持つ女との仲を引き裂き続けた。だが、数百年、千年の時を経て、王女の魂の欠片に焦がれ続ける男への想いが変質していった。

 王女は自分の生まれ変わりを男が愛し続ける事を望んでいる。男の愛は成就されず、男は未来永劫王女の生まれ変わりに愛を乞わなければならない。

 そして、例え自分の生まれ変わりだろうとも、男が王女以外の女と愛し合う事など、許せる訳がない。

 それならば王女の救われぬ怨念と共に、男をこの地に未来永劫縛り付けてやろう。

 王女の亡霊からは男への恨み、そして抑えがたい愛憎の念が痛いほどにシエナに伝わってくる。

 しかし、シエナも男を、レイモンドを愛したのだ。

 今世のレイモンドの高潔な生き様を、死への旅路でシエナを守ってくれた温かさを、シエナに想いを告げる事無くあの世に旅立ったシエナへの献身を思えば、シエナもレイモンドへの想いが溢れて止まらない。

 シエナはレイモンドの手から離れた剣を手に取り、自分の首に宛がった。

 それを見た王女の亡霊は大きく目と口を開け、叫び声を上げ始めた。シエナを止めようとしているのか、丘の上には強風が吹き荒れ始める。しかしそれに怯むことなく、シエナはしっかりと剣を握る。

「でも、私もこの人を愛したの。愛しているの」

 刃が当てられた場所が痛みと熱を持つ。

 シエナの首筋からは血が溢れ、シエナの服を瞬く間に赤く染めていく。

 しかしシエナの力は弱く、一思いに死ぬ事は出来なかった。

 シエナはゆっくりとレイモンドの上に体を倒した。

 レイモンドの胸に耳を当てる。もう鼓動は聞こえない。

 強風は吹き荒れ続けているが、シエナの耳は風の音も聞こえなくなり、視界も段々狭まっていった。

シエナの目の前で叫び続けていた王女はやがて口を閉じた。真っ黒に穴が開いたようだった両の目には、青く美しい光が戻り悲しみを湛えている。いつのまにか王女は、生前の美しい容貌を取り戻していた。

 王女は悲し気に、丘の上で折り重なるレイモンドとシエナを見つめていたが、やがて霧が晴れるかのようにスッと消えてしまった。

 王女にレイモンドを渡す事は出来ない。

 自ら命を断ったレイモンドとシエナは、この先この丘で輪廻の理から外れて永遠に囚われ続けるのだ。生まれ変わってもこの先男と出会えないのなら、シエナの選択は至極自然の物だった。

 王女の亡霊は消え、曇天の空からは一筋の光が丘に差し込む。

 そしてシエナはとうとう意識を手放した。



 シエナは頬を撫でる心地よい風に、ゆっくりと目を開けた。

 シエナの目の前では、色とりどりの小花が咲き乱れている。自ら命を断ったはずなのに、まるでこの光景は天の国ではないか。自分は天国に行く事を許されたのだろうか。

しかし、天国を思い描いたシエナの血の気が引いた。

「レイモンド様!」

 シエナが慌てて身を起こすと、シエナの周りは草が生い茂り、辺り一面に野の花が咲き乱れている。

 そしてレイモンドはシエナの隣に居た。

 命果てたはずのレイモンドは、何が起こったのか今は身を起こし、シエナの隣に座っていたのだった。レイモンドは驚いた様子のシエナに微笑んでいる。

 いったいどうして。

 シエナが自分の身体を見下ろせば、自分のワンピースに付いたはずの血の汚れの全てが消えて無くなっていた。シエナが首筋を触れば、切り傷一つ無い。

 そっとシエナがレイモンドを窺い見れば、レイモンドは優しい顔をしてシエナを見つめたままだ。そのレイモンドも、勢い良く服を真っ赤に染め上げたはずの出血の跡が奇麗さっぱり消えて無くなっていた。シエナと同じくレイモンドの首筋にも傷一つ見当たらない。

「・・・レイモンド様。私達は、天の国に来てしまったのでしょうか・・・?」

「この花咲き乱れる丘は、私達が連れてこられた嘆きの丘と言われていた場所だと思う。私も目が覚めて驚いたが、私の首の傷は完全に消えていた」

 しきりに首元を気にするシエナにレイモンドは手を伸ばす。

「怪我でもしたか」

 シエナはレイモンドの手に自分の手を重ねてそっと首を振る。

「私は、レイモンド様の後を追ったのです。天に昇る事も叶わず、永遠にレイモンド様がこの丘に囚われるのなら、私はそのレイモンド様のお側に居たいと思ったのです」

「・・・お前の名を、教えてくれるか」

 シエナをみつめるレイモンドの瞳からは一筋、涙が伝う。

 シエナの瞳からも涙が零れ落ちた。

「シエナと申します。レイモンド様、私と生きて下さいますか。あなたを二度と置いて行かないと、約束します」

 レイモンドは強くシエナを抱きしめた。

 シエナの言葉で、レイモンドはシエナがレイモンドとの記憶を持っていると分かった。

「私は、許されたのだろうか。これまでお前を愛すれば、必ず私は命を落とした。過去に私は王女の思いをねじ伏せ、無理やりに自分の想いを遂げたのだ。これまでの生は私の罪の報いだ。王女の生まれ変わりを愛し続け、その愛が成就せずに命を落とし続けるなら、それは私が背負うべき業だ。だが、私を愛したお前が非業の死を遂げるのは、お前に置いて行かれるのは、もう耐えられない。お前との時間を惜しむ未練で今日まで生き延びてしまったが、王女の恨みを晴らす為にも、今世は自ら命を絶とうと決めていたのだ」

「何をおっしゃるのです。王女に無体を強いたのは、レイモンド様ではないではありませんか。魂が同じであろうと、王女を死に追いやった男とレイモンド様は違う者です」

 毅然と言い切るシエナにレイモンドは目を瞠った。

「そして、私も王女ではありません。私は王女の魂の一欠けらを持つ、どうやら別の人間のようなのです。それから、この丘に居た王女はもう、どこかへいなくなってしまいました」

 シエナも王女の怨念に長く囚われ、運命を捻じ曲げられてきた者だった。

 シエナが意識を手放す間際。

 恐ろしい亡霊の様相だった王女は、生前の美しい姿に戻っていた。そして悲し気な表情を浮かべながら、その姿は溶ける様に消えて無くなってしまった。

 王女は、男の生まれ変わり続ける魂が自分の魂の欠片を愛し続け、苦しみ続ける事で心を慰めていたのかもしれない。しかし、お互いに自死を選び、王女の呪縛から逃れようとしたレイモンドとシエナを前に、王女は男への執着をとうとう手放したのかもしれない。

 そして、王女に無理やり運命を捻じ曲げられ、消えようとしていたシエナとレイモンドの命の灯が、王女の呪縛から解き放たれて再び燃え始めた。

 全てはシエナの想像だ。王女も居なくなった今、シエナとレイモンドが助かった理由は永遠に分からない。

 自死した王女は天に昇る事は出来なかっただろう。

 王女が命を落とした丘に咲き乱れる花々が、せめて王女の慰めになればと思う。

「シエナ。レイモンド・マールという男は、異国で刑を執行され死んだ。今の私は、自分の身一つしか持たないただのレイモンドだ。だが、私とこれから共に生きてくれるか」

「私は自分の身一つしか持たない、ただのシエナです。ですが、レイモンド様が望んでくださるなら、どうぞお側に置いてください」

 シエナとレイモンドは、花咲き乱れる丘で固く手を取り合った。




 いにしえの王女が自ら命を絶ち、それから草木一本も生えぬ呪われた地となった嘆きの丘で、敗戦国から連れてこられた名高い騎士が刑に処された。

 その騎士に最後まで付いていた使用人の女も嘆きの丘に置き去りにされたのは、その刑の執行に関わった一部の者しか知らぬ事だった。

 しかし、しばらくして騎士の遺体の確認に訪れた者は、嘆きの丘の変貌に驚いた。

 常に空を覆っていた曇天は消え、気持ちの良い青空が広がり、丘は一面に野花が咲き乱れていた。

 そして、その丘から騎士の遺体は見つからなかった。

 騎士の遺体の行方については、使用人の女が連れ去ったのだろうと結論付けられたが、女の細腕で男の遺体を運び出すなど出来るわけが無いと誰しも心の内では思っていた。

 すっかりと景観が変わってしまった嘆きの丘だったが、昔から不可思議な事が多発する地である事もあり、男の遺体がそれ以上捜索されることは無かった。


 嘆きの丘で刑が執行されてすぐの事だった。

 嘆きの丘の近くの小さな農村に、若夫婦が身一つで助けを求めてやって来た。

 なんでも土地を求めて移住先を探す旅の途中、盗賊に身ぐるみ剥がされ命からがら逃げてきたのだという。年寄りばかりの村は若夫婦を歓迎した。

 辺境の者達が農作地を求めて村から村へ移動する事は良くある話で、若夫婦は長閑な農村に腰を落ち着け、末永く仲良く暮らした。若夫婦は子にも恵まれ、真面目に働いて暮らし、その生涯を終えた。

 それは国の目に止まることも無い、ささやかな農村の夫婦の一生だった。


お読みいただきありがとうございました!


なかなか、全年齢作品を書けません (^^)/

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