噂のせいで破滅した女の話
山田 民子。小学三年生と小学一年生の男の子二人を持ち、このご時世にありがたい事に営業職の夫がそこそこ稼いでいるお陰で、専業主婦やっている。
家事を全て終わらせた暇な主婦達の娯楽は井戸端会議。特に人の噂話は何よりの娯楽品だ。
「聞いた? 千北さんの奥さんがまた学校にクレームを入れたって話」
「聞いたわよ~『何でウチの子供に怒ったんですか?』だって? 廊下を走ったら先生に怒られるのは当たり前の話じゃない」
「幼稚園の頃は子供の劇の役が気に入らないとか、遊具をウチの子に優先的に使わせろとか、モンスターペアレントの典型的な例じゃない」
「幾ら旦那が会社の社長だからいくら何でもやり過ぎよ」
「ねぇ~千北さんとこの子供の担任の先生、このままだと休職になるんじゃないかと噂よ」
今話題になっているのは千北という人物は小金持ちの美人な奥さんだが、かなり性格が難があり、ご近所や学校とトラブルを起こす人物だ。しかも何か問題を起こしたとしても旦那や実家(此方も小金持ちらしい)が出て金銭で何とか無理やり解決させているとか。
「しかも気に入らない人がいたら直ぐに誹謗中傷を流すでしょう?」
「そうそう。あんまり突拍子もない話ばかりだから信じられていないそうよ」
「ホント迷惑よねぇ~山田さんは確かお兄ちゃんが千北さんのお子さんと同じ学年でしょ?」
「ええ。別クラスなんですけど、クラブが同じで……」
「あー……何かイチャモンをつけられそうね。山田さんのお兄ちゃん、サッカーが上手いってウチの息子も褒めていたわ」
「何か変な言い掛かりをつけられたら相談に乗るからね」
「ありがとうございます」
そろそろ子供達の帰宅時間に近づいたので主婦達の楽しい今日の井戸端会議は幕を閉じたのであった。
「千北さんてあの千北商事の奥さん事か」
子供達を寝かしつけて後片付けをしながら自分の夫に今日の話をする民子。それをBGMの様に聞きながらスマホゲームや仕事の準備をしている筈の夫は『千北』と言う言葉に珍しく反応した。
「あら知っていたの貴方?」
「一応取引先の一つにな。偶に奥さんが担当である俺に挨拶とかお茶請けを持って来るんだが、キツイ香水を着けていて正直会うとゲンナリする。幾ら顔が良くてもなぁ」
滅多に仕事の話を家庭に話さない夫が珍しく話すので、相当キツイのだろう。
「しかも奥さんの方が相当のトラブルを起こす人だったのか……部下は美人だから眼福要因として何とか我慢しているが、変にトラブルに巻き込まれない様に注意しよう」
「えっ? まるで旦那さんの方も問題を起こすみたいな話ぶりじゃない?」
「あー……守秘義務があるからあまり話せないが、仕事のクオリティーが年々下がっているし、下がっているのに契約金を上げろとか言い始めてなぁ。あっちの担当も給料が下がって有休も取りずらくなって『このままの状態が続きそうなら転職しようか悩んでいる』と取引先である俺に愚痴を零していたり、茶請けも今まで食べていた物よりも安いのを出している。お茶もコーヒーも大容量の安物を使っているだろうなぁ」
夫は疲れた様に溜め息を吐く。これ以上話したら色々と秘密事項も話そうな予感がするので民子は直ぐに話を変えた。
「千北さんのお子さんがお兄ちゃんとクラブが同じらしいのよ。関わる事は少ないと思うけど……」
「ーーー取り敢えずなるべく千北さんの奥さんと関わらない事、他のママ友さん達と一緒にいる様にして自衛してくれ。上層部も最近仕事面でかなり目に余るから取引中止を検討している。あっ、だから新しい取引先を確保する為に暫くは帰るのが深夜になるし、下手したら泊まり込みしなきゃいけないからな」
「分かったわ。会社に泊まる時は連絡頂戴ね」
それから時間が空いたある日の事。
何時も通りに学校から帰って来る息子二人のオヤツの用意をしていた時だった。チャイムが鳴って息子達が帰って来たのだと直ぐに民子は玄関を開けたのだが。
何と長男が泣いていたのだ。次男は兄の手を硬く握り締めて心配そうに顔を覗き込む。
「ど、どうしたの⁉︎ 何か怖い人にでもあったの⁉︎」
「違うよぉ。にいちゃんのサッカーのお友達がにいちゃんの悪口を言っていたんだ」
「悪口? 何を言われたの? お母さんに教えてくれる?」
長男と目線を合わせて優しく語りかけると、長男は嗚咽をしながらも泣きながら話してくれた。
あまり仲が良くないサッカー部員達から、長男が試合のレギュラーになれたのは監督とコーチにお金を渡したからだとか、母親が監督達に色目付けたとか誹謗中傷をされたらしい。
「お、オレ、ちゃんと練習して頑張ったのに、お父さんもお母さんもコーチ達にズルする様に頼む人じゃあないのに……お母さんもっ」
「うんうん。分かっている。お父さんもお母さんも監督やコーチにお金を渡してレギュラーになる様に頼んでないし、お母さんはお父さんを裏切る様な事をしていないわ。真面目に頑張ったのにそんな事言われて本当に悔しかったね」
「にいちゃんを馬鹿にされて悔しかったからぼくが追い払ったの」
「そう、お兄ちゃんの為に怒ってありがとね。でも暴力を振るったら駄目よ。……後はお母さん達が色々お話とかするからね。今日のオヤツはホットケーキだけど特別にコーラフロートも付けちゃおうか」
民子は何とか長男を宥め、お誕生日や外食等の特別な日にしか飲めない『コーラフロート』が飲めると聞いて長男だけではなく、次男も目を輝かせていた。
息子二人にオヤツとコーラフロートを出した時に家の電話が鳴った。電話の相手は近所の人で長男の事を褒めていた人だ。
『ねぇ山田さん、お兄ちゃんの事知ってる?』
「もしかして監督達に賄賂を送ったとか私が監督達に色目をつけたとか言う話ですか?」
『そう知ってたのね。あっ! 私はそんな話信じていないから! お兄ちゃんが部活を頑張っている事は知っているし、山田さんがそんな人じゃないって思ってるもの』
「ありがとうございます。実はさっきお兄ちゃんがサッカー部の部員からからかわれて泣いて帰って来て……今から学校に連絡しようとしていた所だったんです」
『そうだったの⁉︎ ……実はその噂を流したのは千北さんなのよ』
「えっ?」
何でもこの間のPTAの時に千北が、大声で他のママ友達に先程の誹謗中傷の話を今以上に口汚く罵る様な形で話していた。話を聞かされたママ友達は千北の嘘だと言う事が分かりきっていたので苦笑いをして呆れていた。勿論彼女達はそんな噂を流していない。
しかし、話していた場所が学校でしかも疎らに児童達がいたからその話を聴いた児童の誰かが友達や親に話してそれが巡り巡って長男に届いてしまった様だ。
「そんな……どうして」
『自分の子供がサッカーのレギュラーになれなかった事が相当腹がたったみたいよ。三年生でレギュラーになったのは山田さんのとこだけだし、多分それで……私も偶々別のママ友から聞かされたらから直ぐに山田さんに連絡して……あっ、そのママ友達には噂が嘘だってちゃんと訂正したからね!』
「ありがとうございますーーー直ぐに旦那と相談して然るべく対応をとろうと思いますのでーーー」
電話の相手であるご近所さんはあまりにも暗い声の民子に心配していたが、民子が電話の先で無表情なのに目に怒りの炎を激らせた恐ろしい顔になっている事を知らないでいた。
結果を言えば、この噂は直ぐに収まった。
元々真面目にサッカーをやっていた長男の実力でレギュラーになっていたし、民子自身が色仕掛けをする様な人ではない事が幸いな事に周りの人達に理解してくれた。
民子も直ぐに学校に連絡した所、他の保護者達が先に連絡してくれた様で被害者である民子からの連絡もあり直ぐに動いてくれた。
長男をからかっていたサッカーチームメイト達はそれぞれの親御さんや担任の先生だけではなく、監督とコーチにこっぴどく説教された。
特に噂の当事者となってしまった監督とコーチは激怒した。民子夫婦達が宥めなければ長男をからかったチームメイト達は辞めさせられる所だった。
大人達に本気で怒られてチームメイト達は本気で反省して長男に謝り、長男もそれを受け入れたので子供達はそれで解決した。
大変だったのは大人……つまり千北がゴネた。
証言者もいるのに噂を流したのは自分ではないとふてぶてしく言い捨て、学校側や他の保護者からかなり説教されても糠に釘。その態度にブチ切れた民子の夫が千北の夫で千北商事の社長に連絡し、夫である社長に無理矢理ではあるが頭を下げられ渋々謝罪をした。
千北が反省していない態度なのは分かっていたが、変に長引かせるのも面倒なので民子達は『二度と自分達に関わらない』事を約束させた。千北の子供は本人の希望でクラブを辞める事になった。(元々母親に言われて渋々サッカーをやっていただけだった)
余談ではあるが、この事件から間を開けた頃に夫が勤めている会社は千北商事の取引を切った。千北商事の社長はかなり縋った様だが、『何度も苦言を伝えていたし、やり直すチャンスは何度もあった。それを全て無視したのは其方。長年良き取引関係だったがその関係を切らなければ此方にも負債が出る』と夫の会社の社長がキッパリと伝えたお陰で千北商事との取引は中止となったそうだ。
「山田さん大変だったそうね」
「本当に酷い噂を流されてお兄ちゃんにも被害が出たそうじゃない?」
「えぇ……幸いにも周りの人が良い人達ばかりでそこまで被害が少なかったのですが……」
「皆、千北さんよりも山田さんの方を味方するわよ」
「ありがとうございます……きっと千北さんはイライラしてやったんだと思うんです」
「えっ? どう言う事?」
「旦那さんのお仕事上手くいってない様ですし……何せお客さんの茶請けのグレードを下げているみたいですし。それに夫との会社とのお付き合いを止めたみたいで……あっ! 子供の件とは関係なくて前から取引を止める予定だったの」
「え~!?」
「そう言えば私のパート先、和菓子屋なんだけど千北商事さんは長年の常連さんだったんだけど最近見ていないなぁと思っていたのよ。前は良く従業員さんが買いに来ていたのに」
「あ~! だから急に質の良いコーヒーと茶葉の取引を取り止めたのね! 突然の事だからウチの旦那かなり怒ってさぁ……」
「ちょっと大丈夫なの? 確かお宅の旦那さんは飲料を取り扱う会社を経営しているんでしょ?」
「取引を止めてもそこまで旦那の会社には痛手にはならなかったけど、契約を破棄する時の相手側の態度に怒ってて……そう言えば態度が悪いって言っていた人物が千北商事の奥さん……」
「あっ! ごめんなさい私予定があったのに忘れてたっ! 直ぐ行かないと……」
「そうなの。山田さんまた明日ね」
民子が急ぎ足で帰路につくのを切っ掛けに他の主婦仲間も自然と解散していった。
―――ねぇ千北商事さん大変みたいよ?
―――知ってる知ってる。お金が無さ過ぎてお客様にお出しする茶請けや飲み物すら安物を出すみたいよ
―――茶請けすら安物にしなきゃいけない程お金がないなんてねぇ
―――聞いたか? あの会社が千北商事と取引を切ったみたいだぞ
―――あんまり業績悪かったしな。あそこの従業員が何人かウチに転職の面接に来てるよ
―――千北商事、銀行から融資を断られたみたいだぜ?
―――それが本当なら千北商事は終わったな。
ある日の事。
民子が何時もの様にご近所の主婦とママ友達と井戸端会議をしていた時だった。
いきなり肩を掴まれて無理矢理後ろを振り向かせられた。肩の痛みに眉をしかめた民子が見たのは、鬼の様な形相で民子を睨んでいる千北だった。
何時も高級ブランドの新作を身に着けている事が自慢の彼女だったが、今身に着けているのは高級ブランドの物だが、ワンシーズン遅れの洋服だった。
「アンタのせいよ‼︎ アンタが変な噂を流すからっ!!!!」
肩を揺さぶられた民子を周りの人が引き離してくれたが、爪を立てられたのか白いTシャツの肩の部分が小さな赤いシミが滲んでいる。
「ちょっと民子さん肩から血が出ているわよ!」
「大丈夫です、ちょっと血が出てるだけみたい……それよりも変な噂なんて流した覚えは……」
「嘘付くな‼︎‼︎ アンタがウチの会社が潰れるなんて噂を流したせいで、その噂を信じた周りが取引中止したり、銀行からの融資出来なくなった! アンタが変な噂を流したのは知っているからね! 名誉毀損で訴えてやる‼︎」
かなり興奮しているせいで厚化粧が汗で流れ、怒りの表情と相まって一種の妖怪の様になっていた。そんな千北から民子を守る様に周りの人達は壁の様に民子の前に立って距離を取った。
「いや、山田さんは千北さんの様に誹謗中傷の噂を流した事はないわよ」
「そうそう。彼女が話した事と言えば……千北さんの旦那さんの茶請けの品とかか安物の品に変わったて言ったぐらい?」
「それの事よ! その女がそれを言ったからっ‼︎」
「いや、山田さんが話さなくても旦那さんの会社と何かしら関係を持っていたら分かる事よ。実際に私も旦那さんの会社と取引を担当した事があったけど、お茶はほぼ味のしなかったし、出された饅頭もバサバサしていたし……しかも茶請けを持って来たのは貴女だったけど、その時『有名な和菓子屋から買ってきた物』て言っていたけど後で従業員に聞いたら割引シールが貼られたスーパーの饅頭だった物よね?」
「え〜⁉︎ 嘘をついてお客様に出していたって事!!??」
共働きの奥様の新たな証言に周りの奥様は信じられないと言った顔で千北を見た。千北は否定しようとしたが、証言した奥様に見覚えのあった様で悔しそうに押し黙った。
「ーーー! 何でよ……せっかく○○高卒業してW大卒業して金持ちの旦那と結婚して子供まで作って順風満帆の生活を送っていたのに……!」
誰も自分の味方になってくれない事に苛立って爪を噛みながらブツブツと呟く姿に周りは大分引いていた。
すると、民子は何かを思い出したかの様にふと呟いた。
「○○高て確か、昔自殺未遂騒動が起きたって言う……?」
民子的には小さく呟いたつもりだが、隣にいた人達から波の様にじわじわと広まっていく。
「○○高て隣の県の有名進学校よね? 確か自殺未遂騒動って私達が高校生位の時の」
「そうそう。自殺の原因は何だっけ?」
「私知ってる。当時○○高に通っていた友達からの話だと、ある生徒が自殺した子の嘘の噂を流してその噂を信じた馬鹿が自殺した子に酷い事をしてそれを苦にって」
「酷い噂って?」
「その子は何も話してくれなかったけど、『話すのも嫌な位酷い噂だった』てしか言わなかったから……」
「ニュースにもなった奴よね。かなりの数でいじめ認定された記憶が……」
「でも確かその自殺した子はいじめられていて、自殺の決定打になったのもその噂が原因だって」
「違う‼︎‼︎‼︎」
突然大声を上げたのは千北だった。その顔は青ざめて額には汗が流れている。
「ちょっとした嫌がらせよ! 噂だってあんなの信じた馬鹿のせいだし自殺したあの女が弱かったせいよ‼︎それなのに全部私のせいにされて良い迷惑よ!」
頭に血が上っている彼女は自分が何を言ったのか気付いているのかいないのか分からないが、その言葉を残して走り去った。
遠くなる千北の後ろ姿にその場にいたママ友は皆口をポカンと開けて見送るしかなかった。
ーーーねぇ聞いた⁉︎
ーーー聞いた聞いた! 千北さんがあの自殺事件の関係者だって事!
ーーー関係者所かその自殺の主犯格だって!
ーーー何でも高校の美少女コンテストに負けたからってその腹いせに自殺に追い込んだとか‼︎
ーーー自殺の原因は千北さんの奥さんが学校の裏サイトにその子の誹謗中傷を書き込まれたそうだぞ。
ーーー何でもその噂を信じた馬鹿が被害者を襲ったとか。
ーーーいや、俺が聞いた話だと不良達にお金を渡してレイプさせたとか。自殺はそれが原因だって。
ーーー聞いた話だと可愛い顔だった被害者の顔を塩酸か何かでめちゃくちゃにされたのか自殺の原因だとか。
ーーー事件の事を親が大金を積んで黙らせたそうだぞ。
ーーーいや、大金を積んだ相手は警察だと聞いているぞ。
ーーー千北社長はこの事をご存知なのか?
ーーー知らなかったら結婚なんかしないでしょ。
ーーーしかし社長の奥様の溺愛っぶりを見ても知った上で結婚したのかも。
ーーーどっちにしても犯罪者を身内に持つ様な人の会社と付き合い続けるのはどうかと。
ーーー噂だと上層部は元暴力団の人間だとか。引き入れたのは千北の奥様らしいぞ。その人達を使って自分の犯罪歴を隠しだとか。
ーーー先代には大変お世話になったが、暴力団と付き合いがある様な所とは取引出来ないな。
ーーー千北商事に警察がマークしているらしいから債権は全て回収しろ。
ーーー長年の情もあるが、流石に付き合い切れん。
ーーーあんな悪妻を持って千北の社長さんは本当に愚かだなぁ。
ーー半年後。
「部長、千北商事遂に倒産したって本当ですか?」
営業課の山田部長と部下が個室式の喫茶店で食事していた時にそう部下が思い出したかの様に話題を振った。
山田部長は相変わらず仏頂面で食後のミニいちごパフェを口に運ぶ。
「倒産と言うよりも彼方の社長が畳んだと言った方が正しいが、まぁそのニアンスで間違いないだろう。もう社員も殆どいなかったし、残った社員の退職金と負債の返済で家も何もかも売って社長の母親の実家がある田舎に子供を連れて引っ越していったよ」
「例の奥さんも一緒に?」
「流石に離婚だよ。親権は本人の希望もあって社長に。嫁の方は実家に返されたが、親が兄家族と同居する為に実家を処分した後だったらしく、その後は消息不明状態だそうだ。ただ風の噂では風俗で働いているとか、闇金に金を借りてバラバラにされたとか、肉体労働をしているとか色々聞くがな」
「うわー悲惨……でもまぁした事を考えれば妥当とも思えなくもない……部長も私生活で散々迷惑を掛けられていたんでしょ?」
「まぁ……それで相談とは何だ? 早くしないと昼休み終わるぞ」
今日、この部下が山田部長に相談したい事があると言い、それも仕事のではなくプライベートでの相談と言われて、個室のあるこの喫茶店を山田部長が選んだと言う訳だ。
部下は口ごもってしまうが意を決して相談を始めた。
彼には結婚を考えている恋人がいる。その恋人が先日自分の秘密を告白した。
実は恋人は顔を整形していたのだ。それもプチ整形とかのレベルではなくて、今の顔とあまりにも違う顔を写真で見せられたそうだ。
「それで? お前は別れたいのか?」
「いや、別れた……くないです。そりゃあかなりのブスだったけど、何度も考えても別れる選択がないんですよ」
「だったら何を悩んでいる」
この部下は頭で考えているのを言葉にする事で頭の中を整理するタイプなので山田部長はどんどんと彼に質問を問いかける。
結局の所、今の顔とかなり違っていた事にびっくりしていただけで、愛が枯れた訳じゃないし産まれてくる子供がもし恋人の前の顔そっくりに産まれたら、その際には色々と話し合い何なら嘘を付こうと自分の考えを纏める事が出来た。
「そもそも恋人さんは整形依存症と言う訳じゃないし、整形した理由も『容姿のせいでいじめを受けたから』っで、別に犯罪者が身元を偽る為に顔を変えた訳じゃないから良いじゃないか」
「そうっすよね――でも部長意外ですよね、整形とか嫌いそうなのに」
「大金を叩いて整形をするんだ。それに至るまで色々とあったんだろう」
嫁の様にな。その言葉だけはコーヒーで飲み干した。
深夜のコンビニで従業員だった妻と出会い、彼女のほんのちょっとした気遣いに惚れ込み何年もかけて口説いてやっと付き合うまでに至った。
中々告白を受け入れてくれなかった妻。元々人付き合いが苦手の様子だったからそのせいだろうと思っていた。
人目を隠す様な生活を送っている理由を、妻の両親が彼の前に話すまでは。
彼女が高校生の頃に文化祭で美少女コンテストがあり、彼女はそれに優勝した。
それを嫉んだ二位となったある女子生徒が噂を流した。
曰く、ビッチだとか男は何股も掛けているとか裏で友達の悪口を言っているとかそんな誹謗中傷な噂ばかりだ。
彼女の事を知っている友人達は皆信じなかったが、二位の女はあろう事か学校だけじゃなくてSNSにまでその噂を流し、その噂を信じた他校の不良達から強姦されそうになった。
幸い巡回中だった警官によって未遂で済んだが、その前に彼女の事を良く知らない相手から相当な嫌がらせ受けた末の事件で、彼女はそれを切っ掛けに首を吊ろうとしたが家族が直ぐに発見されて未遂で済んだ。
だけど彼女の心はとうに壊れてしまって、ついには高校を辞めて精神病院に入院。自分の顔を整形し、改名して赤の他人として生きる事を決める程追い込まれてしまった。
因みに誹謗中傷の噂を流した二位の女は彼女の両親から訴えられて多額の慰謝料を払い、停学処分となった。両親としては退学処分を求めたが『ただ噂を流しただけでそれ以上の事はやっていないので……』と言われて諦めるしかなかった。
後に分かった事だが、二位の女の親が学校に多額の金を寄付をして何とか退学処分だけは辞めさせていた。ただ、その後のその女の学校生活はかなり悲惨だったらしく、学校も学校で被害者よりも加害者を守ったとして生徒や保護者だけではなく、学校外からの人達からも白い目を見られて翌年の入学生徒が進学校なのに激減したとか。
彼女の両親から前の顔を見せて貰ったが、確かに美少女コンテストで優勝する位には可愛らしい顔立ちだった。
彼女の両親は『あんなにも人間不審になっていた娘がやっと以前の様な明るい笑顔を取り戻してくれた』と大変感謝し、『娘本人の口から話すべきなのだが、恐らくは貴方には一生言わないだろう。もし生まれてくる子供が娘の以前の顔に生まれてくるかもしれない』と案じて本当の事を話してくれたのだ。
無論彼は彼女が整形だろうと愛情が枯れる事はなかったし、二位の女には怒りを覚えた。
その後、二人は順調に結婚し、二人の男の子に恵まれた。幸い二人の男の子は父親である山田部長そっくりで(その事に彼女は密かに安堵の表情をしていた)幸せに暮らしていた。
ふと、電車に揺られながら思い出す。
女子高生の噂で銀行が潰れ掛け、海外の事例や関東大震災での人死が出る程の力がある『噂』と言う物を
ーーーまぁ、彼女は真実しか話していないからな。
その真実から尾鰭がついて噂となり、それが数多の数に増えた。本当の噂もあるが嘘の噂がそれを覆い隠した。
それでもそれを否定する人が多ければ、その内嘘の噂が消える。彼の長男と妻に流れた悪質な噂の様に。
ーーーだけど、あの女は噂を否定してくれる人間はいなかった。其れ所か嬉々として噂を流す者ばかり。
彼は偶々地方に出張していた時に、派手なメイクに露出が酷い服を着て立ちんぽしている女の事を思い出す。
ーーーそう言えばあの奥さんが、会社の負債の一部を背負わせられたと言う噂があったが……横領とか連帯責任とかなければ会社の負債を背負わせられる訳ないから嘘だな。
それでも彼は薄暗い愉悦の笑みを我慢する事が出来なかった。
だけど、それは彼の可愛い子供達と将来の為に最近スーパーのレジ打ちのパートを始めた妻の笑顔が全てを浄化したのであった。
「なぁ、今日はあそこのおばさんにしねぇか? 歳は行っているけど顔はまあまあ良いじぇね? 多少乱暴でもいけるだろ」
「馬鹿、あのババアは変な病気を持っているって噂だぜ?」
「ゲー! 退散退散‼」
ゲラゲラと女を笑う若い男達にぐぬぬっとしながらも、何も言い返す事が出来なかった。
彼女の頭の中には闇金から借りた借金だ。今のままだと利息すら払えないし、期日までに払えないなら闇金からの仕事を受けないといけなくなる。
だけど自分が性病に罹っていると言う噂が流れていて、女がどんなに否定しても闇金達は聞きいれてくれない。
このままだと良くてキツイ肉体労働、悪くて臓器を売る為にバラバラにされるかヤバイ薬の実験体にされるか。
ーーーどうしてこんな目に。何で誰もあの噂を信じるのよ……
女は自分の未来が真っ黒に塗り潰されている事に絶望して膝から崩れ落ちてしまった。