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 女房の着物を来た撫子なでしこは内親王の住まいである星藍宮まで来ていた。格好としては何処かの宮に仕える女房がお使いをこなしているように見えるだろう。


 星藍宮の門兵の娘子軍が薙刀を肩に掛けてこちらを睨みつけた。


 「何用か。何処の宮の者か」


 娘子軍の門兵の一人がこちらに問いかける。


 「卯月宮の女房の──(あざみ)と申します。姫様の使いで内親王様に謁見したく…」


 撫子は咄嗟に薊の名前を使ってしまった。卯月宮の女房だという設定は考えていたが、名前までは気が回らなかった。あとで話を合わせてもらわなくては。


 門兵たちは顔を見合わせて、何かを話している。その時間はとても長く感じられた。撫子は自分でしたためた文を見せた。卯家の花押もあるので信用はしてくれるだろう。文の中身を確かめた娘子軍の兵士は、頷いた。


 「内親王様がお会いになるかはわからないが、中で待たれよ」


 星藍宮の中に通された撫子は少し落ち着かなかった。星藍宮はかつて菊の枝(きくのえ)が住んでいた宮であり、母であるすずなも女房として一室を与えられていた宮だ。

 母がこの宮で働いていたと考えると、撫子は胸が締め付けられるようなどうしようもない気持ちになる。母の足跡を辿れた嬉しさと同時に、もう覆すことのできない死という事実が目の前に横たわっているのだから。


 撫子は入宮の儀で見た、年相応には見えない大人びた…もっと言うならば表情を削ぎ落とした内親王たちの姿を思い出した。母親が死んだ宮で今もなお暮らし続けている彼女たち。

 

 降嫁の話が出るまで彼女たちは母の死が染みついた宮で暮らさねばならない。裳着はまだ先の内親王たちはあと一体どれだけの時間をこの宮で過ごさねばならないのだろうか。撫子は胸が潰れそうな思いだった。


 母である菘が自ら命を絶つほどに忠誠を誓っていた主人の娘たち。撫子は勝手に内親王たちに親近感にも近い何かを感じていた。


 りんりん、と内親王たちの来訪を告げる鈴が鳴る。撫子は伏しながら御簾の先を見つめた。小さな人影が三つ、横並びに座った。

 

 「面をあげよ」


 子供らしい舌足らずな口調だが威厳を感じさせる声で三つの人影のうちの一つが口を開いた。撫子は恐る恐る顔を上げる。


 「発言を許しましょう」


 撫子から見て右側の人影が撫子に向かってというよりは他の二人に相談するように言った。


 「桜の枝(さくらのえ)様、梅の枝(うめのえ)様、桃の枝(もものえ)様。突然の訪問であるにも関わらずお時間をいただきありがとうございます。私は、卯月宮の…」


 薊と名乗ろうかと一瞬躊躇ったが、撫子は覚悟を決めた。


 「卯月宮を任されました、撫子と申します」


 御簾の向こうが騒めいたような気がした。女房の格好をしていた人物がまさか宮の主である姫だとは思わなかったのだろう。


 「本日はお願いがあってまいりました。師走宮が悪意ある何者かにより、不浄の土地となってしまいました。至急、神官を派遣していただくようお願い申し上げます」


 撫子は再び頭を下げた。三人の内親王たちは何かをひそひそと相談し合っている。そして、近くに待機していた星藍宮の女房に、御簾をあげなさいと命令したのだった。

 そうしたことで撫子はそっくりな可愛らしいかんばせを三つ拝むことができた。


 「卯家の姫、撫子の君。わたしたちもお会いしとうございました」


 桜の枝(さくらのえ)が代表したかのように口を開いた。思いの外、好意的な態度に撫子は安堵する。


 「私たちの母、菊の枝(きくのえ)と撫子の君の母上である菘様は主従を超えた友であったと女房たちから聞いております。私たちはずっと撫子の君を勝手ながらお姉様のように思っておりました」


 まあ、と撫子は頬を赤らめた。母たちが繋いだ縁が、こうして可愛らしい妹たちを齎してくれるとは思いもしなかった。


 「そんな…勿体ないお言葉でございます。しかし、私もこんな可愛らしい妹がいたら…とずっと夢見ておりました」


 腹違いの弟である蘇芳(すおう)のことが撫子は頭に浮かんだ。しかし、別邸に追いやられていた撫子は蘇芳の姿を数えるほどしか見たことがなく、その顔も朧げだ。まったく血の繋がりもない、内親王たちの方がよほど撫子にとって妹として愛しむ対象に見えた。


 撫子が笑みをこぼすと、三人の内親王たちの顔が同時にぱっと花が咲くように綻んだ。そこで初めて撫子は内親王たちの年相応の顔を見れたように思う。


 「じゃ…じゃあ、撫子の君のことお姉様と呼んでもよろしい?」


 桃の枝(もものえ)が恥じらうようにもじもじしながらも尋ねた。


 「もちろんですわ!」


 撫子が答えると内親王たちは口々にお姉様、お姉様、と口にしその言葉を噛み締めているようだった。この三人がどれほど寂しい思いをしていたのかを感じさせられ、撫子は胸が痛んだ。


 家族の愛情に飢えていたことがひしひしと感じられた。撫子には母親代わりとなる春風はるかぜがいてくれたことにより、菘がいない寂しさを感じることはあまりなかった。それに、春風は菘の死の真相を撫子が裳着を済ませるまで…ちゃんと受け止めきれるようになるまで黙っていてくれた。撫子が聞かなければ一生、言うつもりはなかっただろう。


 しかし、桜の枝(さくらのえ)たちは近くに死の真相を知る女房たちがいて、まだ裳着も済ませていない幼子であるというのに自分たちの母の死を知っている。それがとても悲しく、切ないことであると撫子は思った。


 撫子は可愛い妹たちができた喜びに浸っていたが、本題を忘れたわけではなかった。


 「桜の枝(さくらのえ)様、梅の枝(うめのえ)様、桃の枝(もものえ)様。どうか、師走宮に神官をお呼びください」


 そう言った途端、内親王たちの顔は沈んだ。気まずそうに梅の枝(うめのえ)が口を開く。


 「お姉様のお願いですから、私たちも叶えてあげたいと思います。でも、最終的に後宮のことに決定を下すのは皇后様で、私たちは何もできないのです」


 ただ内親王たちは十二の宮を総括し、皇后に上奏を届ける連絡係でしかないという。内親王たちには何の力もないのだ。


 「何故、お姉様が師走宮のことを気になさるのです。本当に師走宮が不浄の土地となったなら師走宮の主であるひいらぎの君が来るべきです」


 梅の枝(うめのえ)がここにはいない柊を責めるように口を尖らせた。撫子は冷や汗が背筋を伝うのを感じた。そこには柊と撫子の不浄の土地に対する認識の違いがある。


 柊は獣の血が染み込んだ土地を不浄とは考えていない。しかし、撫子たちその他大勢は血が染み込んだ土地は不浄と考える。


 「…柊の君は不浄の土地から湧き出る穢気に当たられ、こちらに来ることができません。ですので、友である私が柊の君に代わってこちらに参りました」


 柊の君が来られないことを私が謝罪いたします、と撫子は頭を下げた。


 「しかし、不浄の土地から疫病が後宮全体に蔓延することもあり得ます。どうか、皇后様にお伝えください」


 撫子の必死さが伝わったのか、桜の枝(さくらのえ)たちは互いに顔を見合わせると何かを決意したようだ。


 「わかりました。お姉様。私たち、皇后様にお伝えして出来る限りのことをします」


 桜の枝(さくらえ)が撫子の顔を上げさせ、撫子の瞳を見つめた。撫子はこんな幼子たちになんて重いものを背負わせてしまったのだろうとその時に気づいた。皇后は彼女たちの仇である。その仇に頭を下げに行くという屈辱的な行為を撫子は強いていたことに気づいた。


 それでも師走宮の穢れを放っておくことはできない。目の前の内親王たちの顔、そして柊の顔が浮かんだ。どちらかを天秤にかけているような気さえした。

 後宮全体の安寧か、それとも内親王たちの気持ちか。憎き皇后濃紫(こむらさき)の言葉を思い出した。「皆、一つの宮の主として責任を持ってもらいたい。切磋琢磨し、一年後皇太子妃に相応しい女人に育っていることを期待する」と。


 一つの宮の主としての責任、皇太子妃に相応しい女人。その言葉が皮肉にも撫子の背を押した。


 「よろしくお願いいたします。どうか、師走宮に神官を」


 内親王たちの顔も、柊の顔も消えて撫子の頭の中にはただ自分しかいなかった。否、それともう一人。皇太子の姿だけが。


 


******




 後宮全体に疫病が蔓延する危険性あり。そうとあれば、皇后も重い腰を上げなければならず、撫子が内親王たちに皇后への上奏をお願いした日からしばらくしてから師走宮には神官が派遣された。

 清めの儀を行っている間、師走宮は封鎖されそこに住まう姫から女房、婢女に至るまで外に出ることは許されず外部からの接触も許されなかった。師走宮が封鎖されている間に、噂は風より早く後宮全体に広がった。


 悪意ある何者かが、師走宮に豚の生首と臓物を撒き散らしたと。豚であったのは師走宮が()家の姫が住まう宮であったからだろうということだった。


 女房の袿を借りて、内親王たちに会いに行ったあと一人卯月宮に戻った撫子は仁王立ちして待っていた春風に迎えられた。


 「姫様!今目立ち、皇后の不興を買うことは得策ではなく、耐え忍ぶ時期であると春風は申し上げたではありませんか!」


 春風は撫子を叱ったがそれより心配が勝るようだった。


 「春風は好きになさいって言ったわ。だから私の好きにさせてもらったのよ」


 春風は何も言い返せないようだった。春風もまさか食事を食べないのを好きにしたらよいと突き放したつもりがまさか、女房の衣を借りて内親王たちに会いに行くとは思わなかったのだろう。


 「まったく、姫様はお転婆で。いつも私の肝を冷やしますね」


 春風は呆れたように言った。


 「ごめんなさい、春風。でも、今回のことは私が正しいと思ってやったことなの。誰から批判されようとも私は後悔はしないわ」


 撫子はそう言い切る。また、春風のため息が聞こえてくるかと思われたが、しばらくたってもため息は聞こえてこなかった。


 「お腹が空いたでしょう。食事を用意しておりますから、食べてください」


 春風は慈愛に満ちた顔で、撫子を膳の前に座らせた。高盛りになった円柱状の米に、帆立の鱠や鯛など豪華な食事が並び今日は宴会か何かかと錯覚してしまう。

 春風は撫子がきっと腹を空かせているだろうと沢山料理を用意して待っていてくれたのだと気づき、撫子は涙が溢れてきた。

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