雲上の帝 野の皇后
神鳥の亡骸、クロは八束の寝殿の裏庭に密かに葬られた。綺麗な石が目印の、そこが墓と知らなければわからないような場所だ。
神鳥の墓はもっと華美に、日の神が荒ぶる神となり祟らないように亡骸を祀ることで人の子が起こした神鳥殺しという罪深い事件を収めようとした。
表向き、神鳥の亡骸は廟に納められていることになっているが八束は友であるクロを自分の寝殿の裏庭に葬った。罰当たりだと咎められるかもしれない行動には訳があった。
神鳥はその存在自体が神聖なものであり、その死を悪意あるものが利用する可能性があった。例えば、神鳥の墓を荒らし遺骨を盗み、呪術的に利用するなど。ただでさえ、神鳥の神秘性には尾鰭がつき、遺骨は万病の薬だの不老不死の霊薬などの噂がまことしやかに囁かれている。
八束は敵が多い。父の禅譲により帝になったものの、秋彦が皇位に就くことを反対した勢力がいるように、玉体に傷があるものが本当に帝に相応しいのかという議論が巻き起こった。
それに何より、八束は平民となった柊を伴侶に迎えた。皇室典範により、帝の伴侶は建国に携わった十二の字を冠する家から娶る決まりである。柊が妃選びに参加できたのは、亥家の血筋の者であることも理由だが、形だけであっても正室の子に迎えられたからである。
しかし、その立場を自ら捨て平民に戻った時点で柊の妃候補としての資格は失われたのだ。貴族の娘から妃を選ぶのには理由がある。権力拡大や安泰を図る手段として娘を献上する。日の神の血を継ぐ現人神である帝の伴侶に相応しいからである。
色々な決まりを破り、貴族たちからの反感を買い、しかし民からは絶大に支持されて柊は入内した。そのような背景から、柊は皇后でありながらその本来の力を発揮することは出来ず常に敵に囲まれた孤独な皇后である。
それを利用しようと策を巡らせ始めたのが、八束の母方、帝の外戚に当たる巳家である。巳家の姫君、浜木綿は妃選びの騒動の際に自らを尼削ぎにし、彼女の矜持は麗扇山よりも高かったことにより、八束に選ばれぬのならば出家すると言って本当に出家してしまった。
巳家の当主は浜木綿を還俗させ、八束に嫁がせようと画策しているのだ。しかも、側室ではなく正室として。巳家の当主は、皇后の別名である中宮を皇后とは別の后の位とし、皇后と中宮が並び立つ異例の制度変更を強行しようとしていた。「一帝二后」の体制を確立させようとしているのである。
八束は自分の味方である巳家に反対することができない。この一帝二后体制は確実に実現してしまうだろう。それは柊を守りきれない八束の弱さであり、不甲斐なさである。
八束はもう声が聞こえることもないのに、本当にクロが眠っている墓に毎日挨拶をしては自分の悩みを打ち明けていた。玉体に傷のついた帝、という自分の立場の不安定さ。それを支えてくれるのが巳家であり、邪険には扱えない。しかし、自分の立場よりもっと皇后である柊の立場が弱いのだ。
時々、八束は不安になる。柊には自分と一緒になるよりもっと別の幸せがあるのではないかと。柊を危険に晒しているのは他でもない、八束自身なのだ。己の無力を噛み締めながら、八束はクロの墓に花を供えた。
「クロ、私はどうしたらよいのだろう」
つぶやいた言葉に、返事はなかった。八束は不安に陥ると、すぐクロに助言を求めてしまう癖を早く治したかった。クロだって言っていた。何でもかんでも私にお伺いを立てるんじゃない、自分の頭で考えろ、と。
「悪かった。これは私の弱さだ。クロ…友として君がいないのは寂しいよ」
後ろから土を踏む足音が聞こえてきた。振り返ればそこには微笑んだ柊の姿があった。柊は八束がクロの墓に行く時は何か悩み事があると知っているから、一人にしてくれていた。しかし、今日は違ったようだ。
「毎日、悩み続けるのは疲れない?」
八束の前に横たわる問題に対して、柊はどこか楽観的だ。しかし、その明るさに八束は救われているのだ。
「私はあなたの翼下で守られるだけの雛じゃない。私はあなたの隣を共に飛ぶためにここに戻ってきた。一人で考え込まないで。私を頼って。共に二人で解決していきましょう」
八束よりも弱い立場であるはずの柊が、こんなに強くまっすぐに立っている。それが眩しかった。そして誇らしくもあった。自分が全て守ってやらねば、と勘違いしていたことを思い知らされた。
「ありがとう。わたしの比翼」
八束は柊の手を握った。彼女は優しく握り返してくれた。
「あなたが雲上から見下ろすなら、私は野から見上げる。お互いの足りないところを補い合えばきっと前に進める」
八束は柊の言葉に心が軽くなるような心地がした。八束が微笑むと、柊はまるで鏡合わせのように口の端を持ち上げた。
惚気るな、八束め。とクロが悪態を吐いたような気がした。




