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参拾弐

 「本当の罪人…? 神鳥殺しの犯人のこと?」


 姫たちが騒めき出した。犯人は柊だと思っていたからだ。鴆毒の証拠も師走宮より出た。それを覆し、他人を犯人たらしめる証拠はもう出ないように思われた。


 「神鳥を殺したよね、撫子なでしこ


 ひいらぎは優しく撫子に尋ねる。獰猛な獣を刺激してしまわないように敵意を剥き出しにしていないように見えた。


 「柊の君、まさか私をお疑いになるの? 柊の君も言ってくれたではありませんか。私には神鳥を殺して得をする理由がないと」


 「後宮に幽閉されるまで、卯家から卯月宮への仕送りの目録を調べて貰った。一度に全ての鴆毒の材料を送ったわけではない。数回に分けて、偽装して後宮に持ち込んだようね。卯月宮は特に実家からの仕送りが多かったようだから、大量の荷物を調べるのが疲れるから金を握らせて黙らせた」


 撫子は目を丸くした。


 「証拠はございませんもの」


 柊は呆れたように、この訳の分からない生き物を見つめた。


 「証拠はあるよ。持ってきて」


 柊は連れてきた兵士に指示を出した。兵士は白い紙の束を持ってきた。どうやら、それは文のように折りたたまれていたが、文字はどこにも書いていないようだった。


 「ただの白紙ではありませんか」


 撫子はその紙の束を見つめて、首を傾げた。


 「火を、こちらに」


 柊は兵士に火鉢を持って来させた。そして火に白紙を翳すと文字が浮かび上がってきた。


 「あなたは事件の指示書を烏賊墨で書いた。烏賊墨は退色しても墨汁の成分は残っていたようね。これによると、撫子は師走宮の元女房である静冬(しずふゆ)に宛てて鴆毒の材料を染殿に隠すように指示している」


 柊は文の束の中からもう一枚取って火に翳した。


 「これによると、私の七夕の衣を泥まみれにするように指示している。まさか、絹布を贈った人物がこんな手の込んだ嫌がらせをするはずがないと思っているはず、と書いてある」


 また別の文を火に翳す。


 「これは師走宮に、豚の頭と臓物を撒き散らすように指示しているわね。穢らわしい猪の娘にはこれくらいで充分だと書いてあるわ」


 また別の文を柊は火に翳して文字を浮かび上がらせ、淡々と読み上げていく。邪魔になる者は消していけ、と静冬に指示を出していた。ささめの化粧水に毒性のある植物の汁を混ぜるように、その植物は師走宮の庭より採取しろと指示したり、霜月宮に放火しろとの指示したり、神無月宮に呪いの人形を忍ばせろと指示したり、すすきの花瓶の水を塩水に入れ替えたりするように書かれてあった。

 全てを言う通りにできた暁には、自分の女房に取り立ててやると餌を吊るしてある。


 「これは師走宮の静冬の房の桐箱から見つかった、貴女を犯人だと指し示す文よ」


 柊はしっかり文字が浮かび上がった文を皆に見せつけた。しかし、犯人だと言われた撫子は動揺するでもなく、首を傾げてまるで何もわかっていないかのように柊を見つめ返していた。


 「ええ、私です。全て私がやりましたわ。だって、皆が邪魔でしたもの」


 その満面の笑顔は、自分のしたことについてまるで罪悪感すら抱いていない様子だった。それどころか自分が悪事を行っているという意識すらないようだ。その無邪気で純粋な、どこまでも無垢で幼稚な笑みが底なしの恐ろしさを引き立てていた。

 撫子の毒牙にかからなかった姫たちがもし時間がもう少し後だったならば、自分たちがやられていたかもしれないという恐怖に辿り着き小さく悲鳴をあげた。


 「神鳥を何故殺したの?」


 撫子の笑みに暗いものを感じながら、柊は尋ねた。


 「……どう言えば皆にわかってもらえるでしょうか。ただ、殺したかったとしか言えませんわ。中身がどうなっているか気になったの」


 撫子は目を伏しながら言葉を探して、困惑しているようだった。自分の考えをどうやったら周りの下等生物に理解してもらえるだろうか、といったようだ。


 「神鳥といえど、中身は普通の鳥と同じなのね」


 撫子はそう言って笑った。そのとき、兵士たちの拘束を振り解いた者がもう一人いた。撫子の女房の春風(はるかぜ)であった。


 「先程の姫様の発言は全て、偽りでございます。全てはこの春風の罪でございます。私が、神鳥を殺したのです!」


 春風は泣きながら懇願した。しかし、柊は冷ややかな目で見つめ返すだけだ。


 「庇っても無駄だよ。神鳥を殺した刃物は撫子から静冬が預かってた。証言は取れてる」


 そして柊は文と刃物の件を静冬に問い詰めた際に、彼女は撫子が犯人だと証言した上で自分は刑罰から逃れるために神鳥を殺した刃物で自身の喉を掻っ切って死んだと淡々と語った。




******




 撫子は小さい頃から変わった子供だった。庭の草木を愛でているのかと思えば、熱心に蟻を潰していた。春風は子供によくある無邪気な残酷さだと思い嗜めた。


 「姫様、たとえ蟻といえど小さな命です。いたずらに奪ってはいけないのですよ」


 「でも、潰したら汁が飛び出て面白いのよ。春風」


 「手が汚れてしまいますから、やめましょうね。姫様」


 春風が布で撫子の手を拭うと、撫子は「はぁい」と返事をしたのだ。しばらくして、撫子が「小鳥が巣から落ちているから可哀想だ」と報告を受けた春風は、何の疑いもなく撫子が小鳥を哀れみ巣に戻してやろうと考えていると思った。この子にも、何かを可哀想と思う情緒が育っているのだと春風は安堵した。


 「可哀想に。姫様、その小鳥は庭師に言って巣に──」


 戻してやろう、そう言いかけた時、先程まで春風を引っ張っていた撫子の手が離れた。木の下でぴぃぴぃと泣いている雛を撫子は何の躊躇いもなく踏み潰した。


 「姫様!? 何を…」


 春風が驚いていると、撫子はぽろぽろと涙を流し始めた。可哀想、可哀想…と呟いて。もしや誤って踏み潰してしまっただけなのだろうか。そう思った次の瞬間に、その思いは儚くも崩れ去る。


 「可哀想に。人の臭いがついたらもうこの子は生きていけないから」


 だから、殺した? とその先は聞けなかった。恐怖に駆られた春風は、すぐに撫子の父親である長波ながなみに相談した。そうすると、長波はきっと撫子は母を亡くし寂しかったのだろう。猫を買い与えて、共に過ごせば寂しさを紛らわせられるし、命の尊さもわかるだろうと考えた。


 数日後に卯家の邸には綺麗な毛の子猫がやってきた。籠から取り出した子猫を撫子は抱きしめて「私にくださるの?」と毛並みに顔を埋めて頬擦りをした。長波も、春風もこれで撫子が、生き物の大切さに気づいてくれればと思った。


 しかし、数日後に子猫は無惨な姿で発見された。切り刻まれ、中の臓物が出ていた。返り血まみれの撫子に春風は震えながら尋ねた。「何故、殺したのか」と。


 「中身がどうなっているのか、見てみたかったから」


 撫子は笑顔でそう答えた。子猫に、愛情の欠片のようなものを見せていたばかりにその返答に春風は驚いた。あんなに可愛がっていたのに。


 「姫様、命は大切なのです。無闇に奪ってはいけないのです」


 何度教えても、撫子はわからないといったように首を傾げるだけだった。長波はこう結論付けた。撫子は母を亡くし寂しい思いをしている。だから、大人の気を引きたくて悪戯をしてしまうのだと。


 春風は母がいない寂しさすら、忘れられるように目一杯に撫子に愛情を注いだ。春風は、母親代わりになれるように努めた。すずなが残してくれた撫子を幸せにしたかった。

 

 月日は流れ、長波は再婚した。長波が深く菘を愛していても、卯家には男の子が必要だった。そして男の子を産んでくれる女人も必要だった。


 撫子にとっての継母、凰鈴(おうりん)は初婚であったため義理の娘となった撫子への対応もぎこちないものがあったが、仲良くなれるように努めていたように春風には見えた。

 しかし、二人の仲は永遠に修復できないほどの亀裂ができることになる。それは凰鈴が妊娠した時のことだった。腹は膨らみ、臨月を迎えた時だった。凰鈴は悪阻が酷い性ではあったが調子のいい時は撫子に胎動を聞かせてやったりと仲良くしていた。

 少し散歩がてら涼もうと凰鈴と撫子は散歩に出かけた。そして事件は起きた。凰鈴が池に落ちたのだ。そのせいで凰鈴は早産となり、一時は母子共に危ない状況だったのを奇跡的に回復した。


 回復して一言目に、凰鈴は「あの娘に突き落とされた」と言った。二人きりがいいと撫子が言ったために散歩の時に女房たちが近くにいなかったことから、撫子がやったとは断定されたなかった。


 「恐ろしい! 狐か何かが憑いているんだわ」


 凰鈴は長波に泣きつき、長波は仕方がなく撫子を陰陽師に診せた。祈祷をしたりお札を貰ったが、撫子の残酷なまでの無邪気さは治らなかった。凰鈴は嫌がらせに菘の品を焼き払い、そこまでした時にようやく長波は事態の深刻さに気づいたのか撫子を別邸に隔離するように取り計らった。


 長波は、弟か妹が生まれることにより自分の立場がなくなる、母親が取られると考えて行動してしまったのではないかと結論づけた。凰鈴とは離れた場所で母代わりとして愛情を注いで欲しいと春風は頼まれた。


 春風は、また小鳥や子猫のときのように撫子がやったのではないかと疑問を抱いていた。


 「姫様、北の御方を突き落としたのですか?」


 撫子は春風にしゃがむように頼むと可愛らしく、耳元で囁いた。


 「中身がぱーんってなるかなって思ったの。秘密よ?」


 撫子はちょっとした秘密を打ち明けたように悪戯っぽく笑う。春風は恐ろしいという感情を抱くと同時に、自分の不甲斐なさを感じた。愛情不足なのだ、この子は。構ってもらいたくて悪戯をする。長波から、菘から、珠のような姫を託されながら、母親代わりを満足に務められない自分が春風は情けなかった。


 もっと愛情を注げば、愛情が満ちれば、撫子は愛に溢れた人になる。撫子の寂しさを埋められるのは、春風しかいないのだと決意を新たにした。


 「姫様、ずっと春風がお側におりますよ。春風はずっと味方ですからね」


 自分が、撫子を安心させられる場所であらねば。


 「人を傷つけてはなりませんよ、命は大切なのです」


 そっと撫子を抱きしめた。撫子は急に抱きしめられたのが恥ずかしいのかもぞもぞと動く。


 成長するごとに、撫子の残酷さはなりを潜めた。春風は自身の注いだ愛情が、撫子に優しさを芽生えさせたのだと思った。撫子はすっかり「優しい姫様」になった。きっと幼い時の異常な行動は寂しさから来るものだったのだ。




******




 「神鳥を殺した者は、凌遅刑──だったかな」


 八束やつかは、重い空気の中口を開いた。その言葉を合図にしたかのように兵士たちが撫子を捕える。春風は「私が全て悪い、罰ならば私に与えて!」と泣き叫んでいた。


 「春風、罪を犯したなら罰を受けるべきだ。あなたが肩代わりしても意味が無いんだよ」


 泣き叫ぶ春風の背を柊が撫でていた。八束は心を冷たく、非情にしなければならなかった。大丈夫、優しい心は柊が預かってくれているからと言い聞かせた。


 「神鳥殺しの犯人である、卯家の撫子を処刑せよ」


 八束がそう命じた時、撫子は満面の笑みで八束を見た。まるで、好きな人に名前を読んでもらえたのが嬉しいといった表情で。


 「八束様! 私、貴方をお慕いしております。ずっと!」


 その愛の告白は悍ましかった。


 「残念だが、私は貴女のことが好きじゃない」


 八束は冷たく言い放った。撫子は茫然としている。まるで八束から、愛されることが当たり前だとでも思っていたみたいに。自分が愛せば愛を返してもらえるのだと信じきっているみたいだ。

 もし、撫子が何の罪もおかしていない善良な姫だったならば、皇太子妃になるために嫌がらせを実行しない姫だったならば、もしかしたら八束は撫子のことを好きになっていたかもしれない。


 しかし、現実にそんなことはありえない。撫子は少し、残念そうな顔をした後、何かを閃いたように笑顔になった。


 「私が嫌い? なら、一番嫌いになって! 私を貴方の一番にして。嫌いになっていいから。貴方に好きになってもらえないなら嫌いになってもらうわ。好きの反対は無関心だものね。ねぇ、私を一番嫌いになって。四六時中、貴方が私のことしか考えられないようになるくらいに貴方に嫌われることにするわ」


 撫子は刑場に引っ張られていくその時まで、八束に向かって叫び続けた。悍ましいという感情しか沸かなかったが、その思考に囚われ続けることすら彼女の望み通りなのだと思うと恐ろしかった。

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