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参拾壱

 朝焼けの真珠色の空と薄い雲が輝く時間、馬の嘶きと共に少数精鋭の八束やつか軍の先陣が、崖からの奇襲攻撃をしかけた。まさか山の崖から降りてくるとは思っていなかった秋彦あきひこ軍は、もちろん皇宮の背面には兵を置いていなかった。天然の要塞とも言うべき麗扇山が壁として聳え立ってくれていたからだ。


 また、秋彦軍が一番警戒していたのは巳家であり浜木綿を捨てて巳家が兵を挙げる危険性があった。まさか、神鳥殺しの罪を被った亥家が捨て身のように兵を挙げるなどとは思わなかっただろう。


 亥領より挙兵あり、の知らせを各地の間者から受け取った際、酉家は麗扇京の正面側を強化した。彼らが迂回してくると思ったからだ。まさか神聖な山に踏み込み、そこの崖から奇襲してくるとは思いもしなかっただろう。


 八束は軽く崖の数少ない足場を飛びながら、下へと駆け降りて行った。八束が先陣を切ったことにより、兵士たちが鼓舞され、後に続く。


 足の骨が折れ、使えなくなった馬もあった。落馬し、崖から転落した兵士もいた。少なからず犠牲を出しながらも、八束軍は進軍した。

  

 八束は後宮の壁を爆薬で破壊し、そこから皇宮の敷地内に入り仁寿殿を目指した。そこに父である帝がいる。馬で駆け抜ける後宮は、外の騒がしさに灯がつき始めるも、尋常ではない事態を察してか、人は出てこなかった。


 八束は馬を走らせた。左には日照雨そばえが剣を持ち並走し、右にはひいらぎが弓を構えながら辺りを警戒して進んだ。まさか、彼女も崖からの急襲に参加するとは思わなかった。日照雨は最後まで渋ったが、柊の覚悟の固さに最後には折れた。柊は他の兵士の誰よりも身軽に動いた。


 後宮には娘子軍たちが常駐しているはずだが、誰も八束たちの前に飛び出してきて止めようとするものはいなかった。その代わり、本来はここにいるはずのない男の兵士たちが飛び出してきて八束たちに刃を向けた。


 「ここにおられるは、日嗣の御子、八束様であらせられるぞ」


 八束軍の兵士がそう叫んだ。


 「嘘だ! 八束様は死んだ」


 秋彦軍の兵士たちは突然飛び出した八束の名前に戸惑ったようだった。薙草なぐさの身代わりは露見してはいなかったようだ。最も、露見していれば八束たちに皇宮内の情報を流してくれた潜入中の護衛たちの命はなかったことだろう。

 薙草と八束の顔は似ているというわけではない。しかし、薙草も大貴族の御曹司としての気品溢れる顔立ちをしていた。そして、八束はあまり人前で顔を晒すことをしなかった。濃紫こむらさきが皇族の神秘性を演出するために計ったということも今ならわかる。

 

 八束の顔を知っているのは真に近しい者たちだけで、秋彦側に八束の顔を判別できる者はいないということに賭けたのだ。生きた証人とも言える秋彦の顔は痣に覆われて判別が難しいだろう。そして、双子でもあまり顔が似ないという事例があることも知っていた。

 

 八束の額には未だ生々しい火傷痕が残っている。たとえ、以前の八束を知っていたとしても同一人物だとすぐには気づきにくいだろう。


 八束は神器の剣を掲げた。人を斬るためには一切使わない、飾り物の剣だ。しかし、それには天意が降り注ぐのか雲の切れ間から朝日が差し込み八束を照らした。日の神からの祝福を受けたかのように見えた。


 八束たちにはいくつかの秘策があった。一つは崖下り、もう一つは硝石に硫黄と炭を混ぜた亥領が独自に制作し秘匿していた爆薬の存在。亥領は朝廷に硫黄を献上し、それは南の主に巳領などで加工されていると一般的には認識しているし朝廷もそう認識していただろう。

 しかし、亥領はあまり作物の育たない不毛の土地。新たな事業として亥領内だけで、生産・加工・出荷までできれば莫大な利益になると密かに始まった。その試作品の恩恵を八束たちは受けている。


 そして秘策はまだある。春の嵐とも呼ばれる変わりやすい気候。その中に普段なら温暖な風が吹く南風が、麗扇山側から吹く北風に変わる時期がある。今日の雲を薙ぎ払うように吹き飛ばし、日差しを八束に降り注がせるように祈っていた。偶然の重なりを利用した策はうまく作用した。


 秋彦軍の兵士たちは元から士気が低いのか、忠誠心が低いのか、八束の神々しいまでの演出に当てられて一人、また一人と武器を地に落とした。


 そしてこの北風に変わる時期にはもう一つ利点があった。麗扇山側から風が吹くということは山の中に残った兵士たちに松明を掲げさせ、火を彼方此方に掲げることによって火攻の準備があるという圧力をかける。実際に火矢を使った火攻の準備はあったが、風のせいで延焼し皇宮を火の海にする計画は最終手段だった。しかし、これは圧力をかけているというだけでも少しは威力のあるものだった。


 季節風の作戦は地に足をついた暮らしをしていた柊が気づいたものだった。彼女がいなければ、風向きを読むことを八束はできなかった。


 八束は地に膝をついて崩れ落ちていく秋彦軍たちを通り抜けて仁寿殿へと入った。中は静かで、ただ病人特有の臭いが篭っていた。帝付きの側仕えたちは最初こそ、体で行手を塞いでいたが八束軍たちが無駄な殺生はしたくない思いと武器を見せたら大人しく引いてくれた。


 寝台には弱々しい男が横たわっていた。


 「父上、武装したまま寝所に入る無礼をお許しください。貴方の息子、八束。只今、帰還いたしました」


 病人特有の臭いを隠すための香が焚かれていた。八束は膝をついて寝台に向かって頭を下げた。他の兵士たち、日照雨や柊も八束の後ろでそれに倣う。


 「病児へいじ…否、八束よ…」


 枯れた声で帝は八束を読んだ。病児とは八束の幼名であり、病魔を避けるために名付けられたものだ。帝は八束の元服には病で立ち会えなかった。そのため未だ幼い認識のままなのだろう。しかし、帝が健常出会った頃の僅かながらの思い出の中には帝の膝に乗せてもらった記憶がある。


 帝の手が持ち上げられ、宙を引っ掻くように揺れた。それがこちらに手招きしている様子であると気づくのに時間は掛からなかった。八束だけが寝台に近づく。そこで、初めて帝は八束の顔に傷があることに気づいたようだ。


 「傷をつけてきたのか、八束」


 帝の声には、玉体に傷をつけてきた八束を惜しみ残念がる響きと、親として子供が怪我をしてきたことを心配する様子が伺えた。

 

 「傷のせいで皇太子の座を剥奪するというならば、後で甘んじて受け入れます。しかし今はまだ皇太子でいさせてください」


 国を混乱に陥れた者たちをきちんと処罰するまでは、皇太子という立場が必要だ。


 「私はまだお前を廃すとは一言も言ってはいない。だが、今わたしの手元に玉璽がない。摂政を自称した酉家のさかえに盗まれたままだ。私の言葉は病で気がおかしくなっているのだと取り合って貰えない」


 その言葉に、八束は気付かされた。濃紫が摂政として政を委任されていたし、濃紫は帝は正常な判断ができないと散々言っていたので八束も帝は病で気がおかしくなったのだと思い込んでいた。だからこそ病で認識能力がおかしくなって秋彦をわからないのではないかと心配した。

 しかし、これまでも帝は病に侵されながらも頭だけは変わらないままだったのではないか。それを病だからという理由で今まで言葉を握りつぶされてきたのではないだろうか。


 「父上、私が玉璽を奪った罪人を裁いて参ります」


 八束は怯えた帝付きの側仕えたちと八束軍の兵士の一部を帝の守りとして残し、紫宸殿へと入った。朝議などが行われる場である。そこを制圧したように見せかけるために兵を配置した。


 秋彦軍の兵士のうち、酉家の兵士以外の殆どが紫宸殿と仁寿殿の制圧を見るや否や投降を始めた。また山にちらちらと光る炎の圧力に屈した者も多いだろう。


 八束は後宮の制圧に割いていた兵士たちに秋彦を拘束するよう伝え、姫たちを一箇所、審問の場に集めるように指示した。柊は数人の兵士たちを連れて何か心当たりがあるのが師走宮へと向かった。


 審問の場には姫たちが怯えた様子で兵士たちに連行されてきた。丁重に扱うようにと言っていたのに末端までには行き届かなかったらしい。秋彦は、抵抗することなく大人しく連れてこられた。彼は髪が剃られ、顔半分が痣に覆われていたのですぐにわかった。


 秋彦は、八束と目が合った瞬間に微笑んだ。


 「兄上ですか?」


 兵士たちに拘束されていて、その拘束の命令を八束が出したにも関わらず、秋彦は純粋な笑顔で八束を見た。


 「はじめまして。秋と申します。兄上。こんな形だけれども会えて嬉しいです」


 その笑顔に、八束は邪気のようなものが祓われていくような気がした。正直に言えば、八束は秋彦がもっと悪い奴ならよかったと思っていた。自分の現状を嘆き、怒り、憎み、憎しみに駆られて酉家と手を組み、濃紫と斎宮を殺したのだと、その方が八束も真っ直ぐに秋彦のことを恨めてよかった。

 しかし、松景(しょうけい)の言った通り秋彦はただ家族に会ってみたかっただけなのだとわかってしまった。そこには憎しみは一欠片もなくて、ただ期待だけが胸を占めていると。


 だからこそ、八束は秋彦を拒絶してはならないと思った。火傷を負ったことによって、より近くまで秋彦のことをわかるような気がした。


 「私も会えて嬉しいよ、秋」


 返事をすると、秋彦はそれで満足だというように静かに兵士たちに地に膝をつけさせられた。


 「皇太子殿下!」


 浜木綿はまゆうが八束のすぐ側へと駆け寄ってきた。彼女に対してだけは無理矢理に連行することがあってはならないように兵士たちに命令していたためか、彼女は他の姫たちと違い八束に駆け寄ることができた。


 「死んだと聞かされました。ご無事でよかった…!」


 彼女は普段の気丈な振る舞いからは想像持つかないほど泣き崩れた。彼女の黒い美しい髪が切られていることに、どれだけ浜木綿を心配させてしまったのだろうと思った。


 審問の場の扉が開かれた。そこには複数の兵士を従えた柊の姿があった。その姿を見て、姫たちは驚愕の声を漏らした。


 「あれは、柊の君!?」


 「まさか死んだはずじゃ…」


 「皇太子殿下が生きていらっしゃったのよ。不思議ではないわ」


 姫たちが騒ぎ出す前に、撫子なでしこが兵士たちの拘束を振り切って、柊の前に出た。


 「まあ! 柊の君。ご無事だったのね。わたし、てっきりあのまま酷い死に方をなされたのだとばかり…。よかった! 本当に良かった!」

 

 撫子は涙を流しながら、柊の手を握ろうとした。それを柊は躱す。


 「白々しいよ。撫子」


 柊は笑みの一つも溢さなかった。


 「私は冤罪故、黄泉より舞い戻った。今から、本当の罪人を裁く」


 柊はにやり、と笑みを八束に投げかけた。

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