廿
「酷い、酷いですわ。細の君。まさかそんな風に思っていらっしゃったなんて」
撫子は涙を流しながら訴えた。
「確かに、菊の枝様に私の母がお仕えしましたが、それで私が神鳥様を殺したなんて言いがかりですわ」
もしかしたら、春風はこういったことを恐れていたのかもしれないと撫子は思った。悪意ある何者かに撫子の周りの関係が利用されてしまうことを。
だからこそ、春風は後宮に行く撫子に事実を隠したかった。知ることこそが撫子を危うい立場に置いてしまうと思って。
「細の君。それは妄想が飛躍し過ぎている気がする。もうただの中傷じゃないか」
浜木綿が話を中立の立場に持っていこうと努めるが、周りは撫子を悪者にする流れになっていた。同じく疑いをかけられていた、花弦や胡蝶も撫子が罪を被り自分が助かるならばと、その空気に同調している。
春風を見ると怒りから袖を握りしめて震えていた。目は憎悪と激しい怒りに包まれ、紫苑を睨みつけていた。
「うちの姫様が、神鳥を殺すなんて言いがかりです。子家の姫様、その言葉が家を背負っているのだと自覚はありますか?」
思わずと言ったように春風は撫子を庇うように前に出て、叫んでいた。その言葉の鋭さに細は怯んだように口を閉じた。
「卯家の女房、また私に許しなく口を開いたな。この審問の場から摘み出すがよい!」
紫苑が高らかに言うと、審問の場に娘子軍の兵士が入ってきて春風の腕を掴むと連行して行った。撫子はただ茫然とその様子を眺めるしかなかった。春風がいなくなったことにより、この審問の場の白が余計に寒々しく、心細くなった。
春風の存在が、完全に審問の場からいなくなると紫苑は口を開いた。
「今、この場で家のしがらみなどを考えていたらまともに議論などできぬ。神鳥の死は国の一大事じゃ。そなたらも家という枠組みにとらわれずに、真剣に話し合ってもらいたい」
その時、また審問の場の扉が開いた。撫子は一瞬だけ春風が戻ってきてくれたのかと期待したが、それはただの娘子軍の兵士だった。兵士の女は膝をつき頭を垂れ、紫苑に発言の許可を求めた。
「面をあげよ。発言を許す」
「全ての宮の捜索が終わりましたことを報告いたします」
その兵士の言葉に、審問の場全体がざわめいた。主である姫たちが不在の間に捜索を済ませたのだ。
「後ろめたいことがない者は狼狽するに及ばない」
紫苑は静かに告げる。撫子はそのやり方に嫌悪感を覚えた。自分の宮、卯月宮が土足で荒らされていく様を想像した。そして、厨子棚に大切にしまっていた母の形見の櫛や八束からの文が無事か不安になった。
もしかしたら古い櫛だとぞんざいに扱われ壊れてしまったかもしれないし、文は何か仕掛けがなされていないか改められ、破られてしまったかもしれない。
「それで、神鳥殺しに関係ありそうなものは見つかったかえ?」
紫苑の問いに兵士は頷いた。それが、全員を混乱に陥らせた。
「はい。見つかりました。師走宮から」
それを聞いて、真っ青な顔になったのは柊だった。先程までは紫苑の言葉通り、何も後ろめたいことがないから冷静でいられたのだろう。しかし、自分の宮から証拠が見つかってしまったのなら冷静ではいられない。
「何が見つかったのか、申してみよ」
紫苑は兵士に問いかける。その会話にたとえ浜木綿だとしても口を挟むことはできなかった。
「鴆毒と思われる、毒物が見つかりました」
兵士がその言葉を言ったとき、柊は自身の潔白を信じている様子で口を開いた。
「何かの間違いです。私の宮に毒など置いておりません」
しかし、それを嘲笑するように兵士は続けた。
「染殿の染料に混じって鴆毒の材料が隠されておりました。雄黄、礜石、石膽、丹砂、慈石。この五毒を素焼きの壺に入れ、その後三日三晩かけて焼くと白い煙が立ち上がり、この煙で鶏の羽毛を燻すと鴆の羽となる。さらにこれを酒に浸せば鴆酒となる」
淡々と語る内容は恐ろしいものだった。確かに柊は亥領に伝わる毒の精製方法を知っている。鴆毒だって知っていたかもしれない。
「やはり、犯人は野蛮な柊の君でしたか!」
花弦が勝ち誇ったように、そして安堵しているかのように声を上げた。
「違います! 私は鴆毒をはじめ、その他の毒も宮に置いてはいませんでした。宮に来て毒を調合したこともありません! それに待ってください。神鳥は無惨に切り殺されたのであって毒殺では…」
しかし、柊の悲痛な叫びもこの場ではただの醜い言い訳にしか聞こえなかった。
「なるほど。あれほど無惨に神鳥を切り殺したのは本当の死因が毒であるということに目を向けさせないためだったのか?」
浜木綿がなんとか理論を組み立てようと言葉を漏らす。撫子は言い訳を並べるために喚く柊を静かに見ていた。そして、彼女が罪を認めるようにずっと胸にあった言葉を口にした。
「柊の君、貴女は私が贈った絹布を蓬で染めたと仰いましたよね。それは毒の材料が染殿にあるから、染殿を使えなかったということではありませんか?」
「撫子…?」
柊は信じられないものを見たという目で撫子を見つめ返した。まさか自分が犯人だとばれても、撫子だけは優しい目を向けるに違いないと思っていたのかもしれない。
「では、師走宮への嫌がらせも柊の君の自作自演ということかしら。それとも、豚の臓物を庭に撒き散らす狂気の趣味がおありだったということね」
桔梗がそう言うと花弦は同意するように頷く。
「神鳥は水しか飲まなかった。水に毒を混ぜれば簡単に殺せたのだ」
紫苑がそう言いながら控えていた娘子軍の兵士たちに目配せをした。
「罪人、柊を捕え獄舎に入れよ。凌遅刑には吉日を避け、月のない夜に行え」
もし、晴れて月が見えればその分だけ柊は獄舎で命を繋ぐ。しかし、曇って月が見えなければ命は終わる。しかし新月の日が近づいていた。たとえ晴れて月が見える日が続いても新月まではあと七日しか残されていなかった。
「違う! 私は神鳥を殺してなんていない!」
柊は暴れたが、娘子軍の兵士数人がかりで取り押さえられ、連行されていった。扉が閉まると柊の叫びが遠のいた。審問の場には静けさが戻ってきていた。
「これにて、審問はお開き…」
紫苑が言いかけたときだった。その言葉を遮るように薄が口を開く。
「いえ、まだ話し合いは終わってはいませんわ」
紫苑は自分の言葉が遮られたのが不快なようで眉を顰めた。
「私の言葉は皇后陛下のお言葉! それを遮るなど」
不敬になるなど恐れずに、薄は堂々としていた。正直、今まで浜木綿の影に隠れ目立たなかった薄がこんなことをしでかすなんてと、撫子は驚いていた。
「まだまだ話すことはありますわ。この国の行く末をね」
前に進み出ると鋭い眼光で薄は紫苑を見上げていた。しかし、まるで立場が逆転していて、紫苑が見下されているように見えた。
「そ…そのことは、姫が語って良いものではない。日の神の子孫たる今上陛下と大臣たちが話し合うものであり…」
紫苑の言葉はたかが小娘であるはずの薄の気迫に押されて弱々しくなっていった。
「いいえ、私は、私だけは話しても良いはずですわ。濃紫様がそうであるように、天子の伴侶ならば国を憂いてもいいはず」
それはまるで、自分が皇太子妃になることを確信している言葉だった。浜木綿が優勢だと思われていた今の状況で薄の自信満々さは異様に見えた。
「まだ妃候補の分際で…」
憎々しげに、紫苑が呟いたその時だった。審問の場が開き、兵士たちが雪崩れ込んでくる。しかし、それは後宮の警備を任された女だけの組織である娘子軍の兵士ではなく、男の兵士たちであった。
それに気づいた瞬間に、姫たちや女房は悲鳴をあげた。男子禁制の後宮に兵士たちが押し入っている。その状況に追いつけなかった。
その中で一人冷静だったのは薄だった。
「神宮にて、斎宮と濃紫は火をつけ自害。皇太子様は行方不明。あら? まだ麗扇京には報せが来ていませんでしたね」
くすくすと薄は笑う。こんな場でのんびりと犯人探しをしていた紫苑たちを嘲笑うかのように。神鳥殺しは始まりに過ぎない。もっと大きな渦が撫子たちを、否、国を取り巻いていた。
「皇后陛下が自害など…そんなことは…」
紫苑は信じたくないというように首を振ったが、それを薄は許さなかった。
「でも事実ですよ。この者たちが証言してくれるでしょう。神宮を兵士で囲ったら、皇后は自身の名誉を守るために神宮に火をつけたってね!」
男たちが薄の言葉につられたように笑い出した。この者たちは知っているのだろう。濃紫が火をつけ自害したことを。兵士たちは正規の皇国軍の格好をしている。裏切られたのだ、と瞬時に気づいた。
「秋彦様が帝になられる。その道は私が作る。そして、彼と並び立つのは私よ」
薄は恍惚な笑みを浮かべた。撫子には知らない名前が出た。秋彦とは、いったい誰?
「その忌み子の名を口にするな!!」
紫苑が叫んだ。その声を聞いた途端に、先程まで頬を赤らめ恍惚と微笑んでいた薄の顔からは色が失せ、冷たくなった。
「忌み子じゃないわ。正当なる皇位継承者よ。忘れたとは言わせないわ、八束様の双子の弟として生まれ、奇形だからと寺に流された皇子。菊の枝様や姫宮様たちを散々罵ってきたくせに、自分だって同じ。いや、我が子を捨てた鬼畜こそが濃紫だったのよ」
薄の声には怒りが滲んでいた。そして紫苑が何か言う前に薄が兵士たちに命令する。
「その女の首を刎ねよ!」
薄の命令を聞いた兵士たちが紫苑を取り押さえた。女房たちが泣いて兵士たちに縋り付くが払い除けられてしまった。紫苑は「私に触るな、無礼者!」と喚いていたが刀で首を切り落とされる瞬間、蛙が潰れたような声を出した。
白い審問の場が鮮血に染まった。撫子は声が出なくなったが、他の姫たちの悲鳴にその事実は掻き消された。返り血が着いた着物に構わず、薄は紫苑の処刑を見ていた。
そして振り返ると残っている姫たちに笑顔で告げた。
「さあ、もう一度妃選びを始めましょう。秋彦様のための妃選びを」
血のついた白い皮膚がやけに印象に残った。
「もちろん、私が正室だけれどね」




