拾玖
「やめなさい。この場は疑わしき者を告発する場であって罵倒し合う場ではない」
浜木綿が何とか話を元に戻そうとする。助けを求めるように紫苑の方を見たが、彼女はまるで神になったかのように下界の醜い人間たちの争いを眺めているかのように見下ろしているだけだった。
「撫子の君、潔白を証明なさっては? あなたも柊の君同様に宮の外に出れた可能性がありましてよ」
睡蓮があくまで撫子を心配している風を装って、撫子を罵詈雑言の中心に引っ張り出した。睡蓮も性格が悪いと思った。自分は絶対に安全圏にいると信じ、撫子が四方から言葉という礫を投げられることを期待している。
しかし、自身を罵倒されながらもやり返した清花に対し、撫子は睡蓮を自身と同じく糾弾の場に引き摺り出す手段を持たなかったし、何より彼女を責めきれなかった。自分が疑われてしまうような立場にいることをわかっていたから。
「うちの姫様が神鳥様を殺すなどできようはずがありません。心優しい方なのです」
発言を許されていないにも関わらず、思わず春風が反論してしまい、紫苑がこちらを睨みつける。
「今回は姫君たちの審問の場であり、証人などの場合を除きお前に発言は許されていない。今回は許すが、次は摘み出せ」
紫苑の鋭い言葉に、春風は縮み上がっていた。
「撫子の君、己の言葉で申してみよ」
周りからの鋭い視線が撫子に集中的に浴びせられた。これが矢であるならば、春風は撫子を覆い隠すようにして庇いたいというように身体をそわそわさせた。
「わ…わたしは、神鳥を殺していません。何故なら、私には殺す理由がないからです」
これが精一杯だった。どれだけ言葉を尽くしても、言葉を重ねていくたびに嘘っぽく聞こえてしまいそうだった。
「そうです。撫子の君には殺す理由がありません」
柊が撫子を背中を支えるように庇ってくれた。
「それは全員に言えることだ。神鳥を殺して利益を得る者など、この皇国に存在し得ない」
浜木綿が反論する。しかし、柊は諦めずに言葉を続けた。
「犯人は、神鳥を殺して利益を得る人物です。例えば、我が国の衰退を狙う外国の刺客などでしょう」
「後宮には身元の確かなものしか入れない。婢女に至るまで出身地を明確にされる。この国を支えた十二の家の何処かが外国と内通しているとでも申のか?」
紫苑が冷たく柊を見下ろす。
「あくまで可能性を申し上げただけでございます。紫苑の御方。その中でも、撫子の君が神鳥を殺して得る利益がない。そう思うのです」
柊はここで一呼吸置いた。
「皆様も記憶にございますでしょう。七夕の儀で、琴を披露された撫子の君に神鳥が鳴いたことを」
「それの何処が、撫子の君が犯人の可能性を低くする理由?」
話についていけないというように、桔梗がおろおろとし始めた。
「神鳥が鳴いたという事実は撫子の君にとってこの妃選びを勝ち抜く武器でした。他の姫にはない実績です。神鳥様が認めたとなれば、と入内の一押しになっていたかもしれない。それを自ら潰すというのは考え難いのです」
たとえ入内は叶わなかったとしても、卯家には神鳥が認めた姫がいると利益をもたらし不利益はもたらさなかっただろう。
「庇われた相手が悪かったですわね、撫子の君。柊の君の言葉には信用がない。いくら庇われようとも、その発言が塵屑とあらばないに等しい」
清花が先程の柊の話した内容は全て無意味だと印象付けよとする。撫子が唯一神鳥に認められたという事実は禁じ手のようなものでそれを出されたら勝ち目がないと思われたのかもしれない。
「発言が信用できない、などと言っていては話し合いの意味がない。私たちはもっと建設的な話し合いをしなければならない」
浜木綿が話題を引き戻す。すぐに、下賤だ、生まれが、と話をすり替え貶しあう清花と胡蝶には呆れ果てているようだ。
「柊の君のいう通り、犯人は神鳥を殺して利益を得る人物だ」
「柊の君の言うことを信じるのですか!」
清花が浜木綿に突っかかった。
「信用する、しない、の話ではない。それは話を聞いて各々が判断すればいい。まず話を受け入れなければ話し合いが前に進まない。私は柊の君の言うことに一理あると思っただけだ」
小さな子供を相手にするように浜木綿はゆっくりとした口調になった。それが余計に清花を腹立たせている。
あのぅ、とそこで百日紅がおずおずと口を開いた。
「まず、何故犯人が後宮内の人物であるという断定のもと進んでいるのでしょう。夜、誰かが後宮内に忍び込み神鳥を殺して去って行った、と考えるべきではないでしょうか」
浜木綿はため息を殺したように微妙な顔になると話し始めた。
「確かに外部犯であるという可能性も視野に入れなければならない。しかし、後宮には娘子軍が夜警を行っており侵入の形跡は見られなかった」
「柊の君たちは後宮を抜け出すことが可能でしたのよ。なら入ってくるのも可能ではありませんか」
百日紅は自身が暮らす後宮内に犯人がいて欲しくないようだった。犯人が外国の密命を受けた人物であろうとどうでもいい。ただ犯人が自分より離れた場所にいてくれと願っているようだった。
「後宮の壁を登るのには職人用の突起、もしくは梯子などを用いて登るしかない。梯子は持ち去れるが神鳥の周りに誰もいなかった空白の時間はわずかだ。梯子を使うより、職人用の壁の突起を使った方が現実的だ」
浜木綿は自分の考えを述べる。犯人は誰にも見られずに犯行を行う必要があった。焦っていたに違いない。だから音がでたり、証拠が残ってしまうかもしれない梯子を使わない方がいいだろう。
「証拠を残さないようにするならば、不思議なのです。神鳥を殺したいだけなら喉元を掻き切るだけでも十分なはずです。しかし、何故あんな悍ましい殺され方をしなければならなかったのでしょう。神鳥はそれほどまでに恨まれていた?」
ここで静かに細が口を開いた。今までずっとそのことを考えていたのだろう。
「私、思うのです。神鳥はばらばらにされて中庭に散らばっていた。まるで師走宮の豚の頭と臓物が撒き散らされた件と似ている。犯人の同一性を指摘いたしますわ」
細の言葉に浜木綿は深く頷いた。
「もし、同一犯なのであれば犯人は後宮内にいた可能性が高い。師走宮の内情を把握して、定期的に嫌がらせを実行できる位置に」
撫子は浜木綿の言葉に衝撃を受けた。浜木綿は師走宮にされていた嫌がらせの数々を知っていたのだ。それでいて嫌がらせを知らぬふりをした。声を上げることもせず、手を差し伸べることもせず。
浜木綿は濃紫の姪なのだ。彼女が濃紫に頼めば簡単に師走宮への嫌がらせは止んだだろう。わざと彼女はそうしなかったのだ。
撫子は肩を震わせながら声を出した。声さえ震えて涙が滲んだ。
「私、花弦の君が柊の君の毛皮を駄目にしたと話しているのを茶会で聞きました。だから、その後の嫌がらせも全部、花弦の君がなされたのでは?」
こんなことを言うのは苦しかったが、あの毛皮は間違いなく花弦がぼろぼろにしたのだ。二度と着れないように切り裂いて。
「な…何を言って…!」
花弦は顔を青ざめて何か言おうとするが全員の視線が集中し、うまく言葉を紡げないでいるようだ。全員を納得させ、自分から疑いを晴らす言葉が出てこない。何故なら、柊に嫌がらせをしたのは事実だから。
「確かに、言っていたような気がしますわ」
茶会で一緒になって笑っていたはずの清花が、同意した。茶会に参加していた全ての姫たちが証言する。花弦の顔は血の気が引いていた。
「えぇ、確かに柊の君の毛皮を駄目にしたのは私の命令です。目立ちたがりな田舎者を懲らしめてやりたかったのです。でも、その後の嫌がらせなんて知りませんわ!」
花弦は与えられた席から紫苑の前に飛び出し頭を床につけた。
「どうか信じてください、紫苑の御方。嫌がらせと神鳥殺しは何も関係ありませんわ。それより穢れを恐れず、弓を引き毒を調合していた柊の君こそ、あんな悍ましい殺し方ができたのです」
紫苑は肘掛けに頬杖をついて、花弦を見下ろしていた。
「確かに、あの殺しは普通ではない」
「そうです。あんな殺しができたのは、蛮族である柊の君に他なりません」
花弦は自身に掛かった疑いを柊に擦りつけようと必死だった。
「今まで黙って耐えてきましたが、我が一族ひいては亥領を蛮族と罵られるのは我慢ならない」
柊は怒りを露わにした。彼女がここまで明確に怒りを現したのを撫子は初めて見た。彼女は自分だけが貶されるのならば静かに耐え忍んだだろう。しかし、自分以外を貶められるならば彼女は抗うのだろう。
「落ち着きなさい。今、蛮族だとか、そういうことは関係ない」
浜木綿が何とか周りに冷静さを取り戻させようと奮闘するが、神鳥殺しの犯人にされれば凌遅刑に処されるのだ。誰もが、冤罪をかけられるのを恐れたし、自分が犯人にされないためにはたとえ相手が無実であっても罪を被せることに躊躇いがなかった。
「私は実の姉に熱湯を浴びせ、この妃選びに潜り込んだ胡蝶の君こそ人の心を持たず神鳥殺しを成しえる可能性のある人物に見えますわ」
桔梗が話が流れ一安心していたような胡蝶を糾弾の場に引き摺り出した。
「あれは事故です。事情を知らないのに勝手に決めないで」
胡蝶は叫んだ。しかし、それを冷ややかに見つめるのは胡蝶の姉の梓という人の情報を持っていた薄だった。
「あら? 被害者である梓の君は妹にわざとやられたと証言しておりましたわ」
事実だから何も言い返せないのか、自分が何を言っても聞いてもらえないと判断したのか胡蝶は黙った。しかし、しばらくの沈黙の後、震えながら口を開いた。
「だって、仕方がないじゃない」
瑞々しく蝶のように艶やかで美しい胡蝶の顔は今や嫉妬に塗れた女の顔になっていた。
「私の方が美しいし、才能だってあるのにあんな不細工な姉様の方が妃候補だなんておかしいわ。私が正してあげたのよ」
自分が正しいと信じて疑わない胡蝶の様子を憐れむように薄はくすりと笑った。
「残念だこと。そんな性格だから元々選ばれなかったのですわ」
皆の疑惑の目が、柊に対する嫌がらせと神鳥殺しの方法が似ている花弦、到底普通の人間がやれるとは思えないことをやって妃選びに臨んだ胡蝶、蛮族と言われ後宮を抜け出すことが可能だった柊、そして同じく後宮を抜け出すことが可能だった撫子に絞られていくのを感じた。
この後宮で特に目立つこともなかった、浜木綿の影に隠れおこぼれを貰おうとしてきた、狡い人たちが安全な場所から撫子たちを見ている。それが、撫子は許せなかった。
たとえ、その影の薄い姫たちが犯人ではなかったとしても、濃紫が認める皇太子妃にはなり得ないのではないか。そんな気がしていた。
「神鳥は、皇室の権威の象徴。外の国からの刺客が我が国を失墜させようと企む可能性もありますけれど、意外と内に潜んでいるかもしれませんよ」
細がとても言いにくそうに、しかし覚悟を決めたように口を開いた。先程の犯行の同一性を指摘していたため、浜木綿からの信頼を得たのだろう細に浜木綿は頷き、続きを促した。
「案外、皇室に恨みを持った方の犯行だったかも」
「そんな者、何処に居るのだ」
紫苑は本気で、皇室は恨みを買うようなことはない。恨む方の頭がおかしいと思っているような口ぶりだった。
「今上陛下の側室であった菊の枝様の死を不審に思うものがいたという話でございます」
細の女房が細の口を塞いでしまおうと、したように見えた。しかしここは審問の場。女房が勝手な動きをしてはならないし、ましてや姫の言葉を遮ってはならない。たとえそれが禁忌に踏み込む言葉だとしても。
「あれは、不運な事故であった。事故なのだから、誰を恨む必要がある」
紫苑は姉の悪事を隠すように平然と振る舞った。
「たしかに、事故でした。しかし、それで納得しない愚か者がいたのです」
細は冷たい目で、撫子を見た。それが、とてつもない裏切りに感じられた。撫子と細に交流があったわけではない。姫全員が招待される場などで、顔を合わせる程度であり仲が良かったわけでもない。
しかし、納涼の会で撫子は細に同情し、ある種の親しみを抱いていた。そんな相手からの冷たい視線は、撫子が勝手に仲良くなれるかもと期待していたことを痛感させられた。
「菊の枝様が亡くなった際に、責任を感じた女房の一人が不死桜で首を吊った」
瞬時に、撫子はそれが母の菘であることがわかった。それは、春風もそうだったのだろう。顔は引き攣り、息を呑む音が聞こえた。
「当時、調査を怠ったのだと、真相は他にあると訴えた方がいた。卯家の長波殿です。亡くなった女房は長波殿の妻だった。そしてその娘の撫子の君が父から調査を怠ったから母が死んだのだと聞かされ、恨みを募らせたのならば…」
そこで、細は口を閉じた。最後まで断言しないあたりが嫌らしいやり方だと撫子は思った。