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拾伍

 神鳥が死んだ。何者かによって殺された。


 月光宮の中庭に羽を引きちぎられ、三本の足は全て折られありえない方向に曲がり、目を抉り取られ、喉笛を掻き切られ、臓物を掻き出され、その美しかった漆黒の体には目立たないが鮮血が大量に付着していた。


 無惨な殺され方に誰もが慄いた。そして神鳥の死は皇国すめらぎのくにの衰退を現しているのではないかと茫漠な不安が民に蔓延することは防げなかった。


 神鳥は死んだ際に、後宮にいた。月光宮にいたものが一番の容疑者に上がっていたのは確かだが、後宮にいた全員、それこそ姫から婢女に至るまで犯行が可能だった。

 神鳥が殺されたのは夜であり、神鳥は専用の部屋に一人──否、一羽だけだった。


 神鳥の部屋は月光宮の敷地内にある庵。普段は皇后が歌を考える際に籠るへやではあるが、周りが竹林に囲まれており、静かで安らぐ方がいいだろうという紫苑しおんの配慮だった。

 神鳥は食べ物を口にしなかったため、食事を運ぶものも存在せず、誰も人が寄り付かなかった時間が存在した。その時に、神鳥は殺されたのだろう。


 神鳥が殺されてから数日もしないうちに、月光宮に審問の間が開かれることが決まった。これは後宮で起きた事件や事故などに対する審問であり、開かれるのは側室である菊の枝(きくのえ)が亡くなった時と、撫子の母が不死桜(しなずさくら)で亡くなった時以来だという。そのどちらもが適当に、濃紫こむらさきに都合よく事故と自殺で片付けられた。


 審問の間は奥に本来は濃紫が座っている御簾の向こう、現在は紫苑が座っている間と、それぞれに御簾が掛けられた左右に六つずつ別れている姫たちのための十二の席を用意されていた。

 審問の間は壁も床も白く、神聖な色であった。そしてこの場では一切の虚偽を述べることができない。


 皇后が座る席には今や紫苑の姿があった。帝の外戚ではあるが皇后の妹で女房でしかない紫苑がその席にいることに姫の誰しもが違和感を抱いた。そして、名目上はこの場を取り仕切るであろう内親王たちの姿が見えなかった。

 普通なら内親王たちを一番高い場所に座し、裏に紫苑たちがいた方がまだ納得がいくというものだ。


 撫子は卯家の姫に与えられた席に座りながら御簾越しに内親王たちの姿を探した。自分をおねえさま、と慕ってくれるあの可愛い子たちを。


 「では、神鳥殺しについて、まずは各家の姫君たちの審問を開始する。私は皇后陛下により後宮における審問の全権を委任された。私の言葉は皇后陛下の言葉と心得よ。この審問の間では一切の虚偽を述べることは許されず、どんな些末な質問にも真摯に答えなくてはならない」


 紫苑の声は濃紫によく似ていたが、重厚感のような深みを感じなかった。まずは姫たちの審問が、その次に姫たちに仕える女官たちの審問と、位が下がっていく。


 審問の開始を意味する銅鑼が鳴ると、全員の御簾がするすると巻き上げられた。顔を隠すより潔白を証明しやすくするためだ。紫苑は濃紫より少し若いはずなのに彼女のような若々しさはなく、年相応に見えた。


 撫子は堪らず、挙手して発言を求める。上から「よろしい」という紫苑の声が降ってきた。


 「卯家の姫君よ。発言を許す」


 撫子は息を吸い込んで、跳ねる心の臓を押さえつけた。


 「内親王様たちはどちらにおられるのでしょうか。もし神鳥の件を気に病んで体調が優れぬのならば…」


 撫子は不安気に紫苑に尋ねた。しかし、紫苑は鼻で笑っただけだった。


 「神鳥殺しは大罪。そしてその管理を怠った桜の枝(さくらのえ)内親王も重罪である。私は皇后陛下から神鳥殺しに関わった人間は外の国に倣い凌遅刑に処して良いと命じられている。桜の枝(さくらのえ)内親王は…否、罪人桜の枝(さくらのえ)は、凌遅刑に処すことになったが梅の枝(うめのえ)桃の枝(もものえ)の嘆願により…」


 そこで一旦、紫苑は言葉を切った。言うのが躊躇われたからではなく、撫子の表情の変化を楽しんでいてそれが最大限に歪む姿を楽しんでいると言っていい。


 「三人仲良く、野犬に喰わせてやったわ。畜生の腹から生まれたのだから、畜生の腹に戻る方が良いだろう」


 生きながらにして犬に食われた三人の幼子を思い、撫子は怒りに震えた。紫苑は全く悪びれる様子もなければ、むしろ善行を詰んだような爽快感すら漂わせていた。


 可哀想に、可哀想に。どれほど痛かっただろう。どれほど苦しかっただろう。きっと助けを求めたはずだ。きっと撫子は名前を呼ばれたはずだ。「たすけて、おねえさま」と。

 そう思うと撫子は胃から酸っぱいものが込み上げてくるのを抑えられなかった。後ろで控えている春風はるかぜが、「菊の枝(きくのえ)様の遺児がまさか…まさか…」と呟いている。顔は蒼白になっていることだろう。


 自分の敬愛する主人であり乳姉妹だった撫子の母であるすずなの仕えた主人菊の枝(きくのえ)の残した子供たちが死んでいく。春風はどういう気持ちなのだろうか。撫子にはその気持ちを知ることはできなかった。


 審問の間は奇妙な静寂に包まれた。誰もが、その悍ましい凌遅刑という言葉を恐れている。本来、凌遅刑はゆっくり生きながら肉を削いでいく罰であるが、内親王たちは生きながら犬に食われることでその罰を受けたのだ。


 それにしても、その理不尽さに撫子は怒りで涙が浮かんできた。桜の枝(さくらのえ)は名目上は神鳥の管理を任されていたが、実際に管理していたのは罰を与えた張本人である紫苑だ。自分が罰を受けるべきところを何も悪くない桜の枝(さくらのえ)を都合の良い時だけ引っ張り出して殺してしまうなんて。

 そこには政治的に邪魔になるであろう菊の枝(きくのえ)の遺児たちを消してしまおうという濃紫の意図が感じられた。


 「もうよいか。卯家の姫君。神鳥殺しの審問を始める」


 紫苑がそう告げると、空気は張り詰めたものになった。内親王たちのことなどどうでもいいことなのだと言われているようで、撫子は悲しかった。


 「神鳥が殺されたのは昨夜である。自身の身の潔白を証明するもよし、怪しいものを告発するもよし、である」


 紫苑の言葉を聞いてもしばらく姫たちは黙ったままだった。しかし、最初に口を開いたのは花弦はなつるであった。


 「私は昨夜、自身の宮である皐月宮から一歩も外へ出ませんでしたわ。私の女房から婢女に至るまで証言してくれるでしょう。私は、神鳥を殺していませんわ」


 しかし、そこで浜木綿はまゆうが挙手して発言を求めた。紫苑は浜木綿に発言を許す。


 「自身の女房の証言など何の役にも立たない。中立の立場の者からの証言が必要では? 例えば、娘子軍の証言などを」


 浜木綿に恥をかかされたと思ったのか、花弦の顔に朱が差した。


 「私は一歩も宮の外に出ていないわ! そう、娘子軍の証言などすぐに集まる」


 花弦と浜木綿の言い争いに発展するかのように思われたが、そこは紫苑が諌めた。


 「落ち着きなさい。私も姫君たちの中に犯人がいるとはあまり思ってはいない。ただ全員が白である確証が欲しいのだ」


 花弦は俯いた。撫子も自身の宮の者以外に自分が昨夜、卯月宮にいたことを証言してもらえる者がいないことに気づいた。


 「あら、ならば怪しい方がいらっしゃいます。紫苑の御方」


 その時、胡蝶こちょうが甲高い凛とした声で言い放った。「申してみよ」と紫苑は促す。


 「柊の君ですわ!」


 胡蝶は勝ち誇ったように名指しした。名指しされた柊の顔は引き攣っている。胡蝶は話し続ける。何も根拠がないわけではないと。


 「柊の君は、七夕の宴のあと後宮を抜け出されました」


 胡蝶の言葉に撫子は冷や汗が伝った。ぎゅっと袖を握りしめる。後宮の規則違反だと紫苑や紫苑の周りの濃紫の女房たちが顔を見合わせて話し合っている。


 「確かにその時点で、柊の君には妃候補の資格がなくなったように思いますわ。それに……撫子の君も」


 胡蝶には全てばれていた。そう悟った瞬間、撫子は汗が止まらなくなった。後ろから信じられないといった春風ら女房の視線が突き刺さる。


 「まあ、今は妃候補の資格の話は置いておきましょう。撫子の君がたった一回だけ七夕の夜に柊の君と抜け出しただけだとわかっておりますわ。神鳥殺しの犯人が見つかれば妃候補の資格を剥奪され、家に返されるでしょう。しかし、今は柊の君が()()()()()()()()()()()()()ことの方が重要に思いますわ」


 胡蝶はにやりと笑った。確かに、柊は七夕の時に抜け出した際に手慣れていると撫子も感じていた。脱走の常習犯だったのだとすれば説明がつく。


 「私としましては、あの日照雨そばえ? だとかいう男と逢引きしていたと思うのだけれど。皇太子殿下の女人としてあるまじき行いではありますけど、これで昨夜、柊の君は簡単に師走宮の外に出ることができたと思われますわ。また、まだ見つかっていない神鳥を殺した凶器を後宮の外で調達することも可能です。私は、柊の君が怪しく思えてなりませんわ」


 胡蝶はそう話を締め括った。


 「亥家の姫君よ、申し開きはあるか?」


 紫苑が冷たく柊に問いかけた。柊はしばらく黙っていたが口を開いた。


 「私が、後宮を定期的に抜け出していたことは認めます。妃候補の資格を剥奪されても仕方がないことです。しかし、私は日照雨とは何も関係ありません。ただの同郷の者で、七夕の日に偶然会ってそれきりです。一度しか会っていません」


 「その言葉を誰が信じる? 何故、お前は後宮を抜け出したのか?」


 紫苑の柊を見る目には疑念が募っていた。


 「………母に、母に会っていました。麗扇京みやこに母がくるので、母に会っていたんです」


 しかし、それは苦しい言い訳だと撫子も思った。後宮では妃選びの一年間、家には帰れないが正式で複雑な手続きを踏めば家族には会えることになっている。父親や男兄弟は審査が厳しいが、母親なら比較的簡単に面会ができる。

 わざわざ禁を犯して後宮を抜け出さなくとも母親には会えるはずなのだ。

 撫子は母親代わりの春風が女房として着いてきてくれていたし、継母の凰鈴おうりんなどには死んでも会いたくないし、父の長波ながなみは領地経営が忙しそうで撫子には会いに来なかったので、面会制度は撫子はあまり縁がないものと思っていた。


 「亥領領主の猪助いすけ殿の正室である薄氷うすらい殿が、柊の君の母君だろう? 何故、こそこそと会う必要がある。正式に後宮で会えばよかったじゃないか」


 浜木綿が呆れと憐れみが混じったような声で柊に尋ねた。柊は泣きそうな顔をしていたが、決して涙はこぼさず、毅然と前を向いた。


 「私は、薄氷様の子ではありません。妾腹であり、亥家本家に養子に入ったのです」

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