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拾弐

 撫子なでしこひいらぎが手を振るのをやめた後に、今考えたことを話してみた。現に、柊は撫子が気まぐれに絹布を贈らなければ、七夕の儀式に捧げる衣が作れなかったのだ。もちろん、柊は撫子から絹を貰うことなど考えてはいなかっただろう。

 あれは、天から降ってきたようなものだ。それがなければ柊は風変わりな亥領の衣のように樹皮から繊維を取り出し衣として仕立てたであろう。


 柊は撫子の話を聞いて、寂しそうに笑った。


 「日照雨そばえだって、給料の一部は実家に送ってるのを私は知ってる。それなのに私も助けてくれ、なんて言えない」


 空は白み始めていた。そろそろ布団に戻らなければ、春風はるかぜたちに抜け出したことがばれてしまう。柊は手際よく、撫子が壁を登るのを手伝い、茂みに隠していた絹の衣を引っ張り出して、撫子に着せてくれた。


 師走宮の裏で撫子は柊と別れた。撫子はまだ祭りの熱が残っているような気がした。こんなに濃い出来事が夜の間に起こっていたなんて信じられない。三日くらい経っているような気がした。

 こっそり卯月宮に戻り、布団に潜り込む。緊張からかじっとりと汗をかいていた。




******




 皇太子、八束やつかは衣を緩め、ゆったりとした格好で長椅子でくつろいでいた。極彩色の羽を持つ鳥が蔀戸から入り込み、水を張った小さな湯船のような桶に入った。水は瞬く間に濁り、その中から現れたのは黒い羽を持つ八咫烏であった。

 八咫烏──クロは、水滴を滴らせながらちょんちょんと飛び跳ねるように八束に近づき、長椅子に水を含んで重いだろうに飛び乗った。

 クロは実に賢い。日の神から遣わされた神鳥であり、叡智という言葉が似合う。彼は自身のふかふかの羽毛に三本目の足を器用に隠す術に長けていた。


 しかし、彼の漆黒の羽は安い染粉は弾いてしまい、外の国から持ち込んだ最高級品でなければ染まらないという厄介な性質を持っていた。


 「後宮の姫たちが外の国の鸚鵡とやらの顔を知らなくてよかったな。知っていたら私がただの鮮やかな色の烏であるとわかってしまっただろう」


 男のようでもあり、女のような声でもある、中性的な声がクロから漏れた。彼──雄雌がわからないので便宜上彼と呼ぶ──は八束の良き相棒であった。

 まさに天子となる者に必要な、真か偽かを見分ける眼を持っていた。彼は八束が産声を上げるとそれに呼応するように現れた神鳥である。


 クロは長椅子の傍に置かれた机の上、外の国から持ち込まれた玻璃の杯の中に入った水を嘴を突っ込んで飲んだ。神鳥は水だけで生き永らえることができ、クロの場合は時折木の実などを啄む。これは彼にとって嗜好品のようなものなのだろう。


 「にしても、やはり麗扇山から湧き出る泉の水が一番神力が篭っていて美味い」


 そう言ってクロは水を飲み干した。彼の行動や言葉はやれ、吉兆だ凶兆だ、予言だ神託だと騒がれるのでこうして八束と、そして八束が信頼している数少ない護衛である日照雨の前でしか喋らない。


 「まさかお忍びで出かけた先で、お忍びで出かけた後宮の姫たちと会うとは思わなかった」


 「卯家の撫子姫と亥家の柊姫か」


 クロはそう呟くと、円らな瞳を八束に向けた。これは真理を見通すまなこだ。


 「私としては、どちらも皇后の器ではないと考える」


 クロははっきりとそう言い切った。


 「それは…後宮の規則を破っていたから…?」


 八束は尋ねた。自分もそのことで姫たちを責められないと思いながら。


 「否」


 クロは否定の言葉を紡いだ。


 「撫子姫はおっとりとしすぎている。実家の卯家もあまり政は得意ではなく、のらりくらりとかわして判断を最後まで決めない。卯家の始祖の栄光で飯を食ってる家だ。皇后として国母の器ではないだろう」


 クロは小皿に盛られた木の実を啄むと話を続けた。


 「柊姫は、民の──それも最下級の民の暮らしを知っている。民思いの良い姫ではあろうが、こちらも皇后の器ではない。民の声を聞きすぎて、貴族を蔑ろにし軋轢を生むだろう。政上手とは言えないな。それに非情な判断もできなさそうだ。お前がそれを代わりに補うというなら良いが。それに北の家は武人を多く輩出している。すぐに武力に頼ろうとする危険があるだろう」


 八束も一粒、木の実を掴み口に放り込んだ。


 「クロ、お前は誰を私の伴侶にしたいのだ?」


 「皇后の器という意味では、巳家の浜木綿はまゆう姫だろう」


 八束はため息を吐いた。


 「母上と同じことを言うんだな」


 「皇后の器として相応しいのは浜木綿姫だが、私は勧めない。何故ならこれ以上、日の神の血筋に同じ血が混じることに危険があるからだ。お前と浜木綿姫には同じ血が流れている。浜木綿姫を入内させればますます巳家の力は強まり、これから何代にも渡って巳家の姫が入内するだろう。それは避けなければならない。しかし、血の問題を抜きにすればあの姫は良き皇后になるだろう」


 もし、浜木綿を入内させるならますます増長する巳家の力を抑え、自身の子には他家からの姫を入内させなければならない。それは強大な母を抑えるということであり、今の八束には些か荷が重すぎるような気がした。


 「私としては、北から選ぶなら一番武力が弱い子家のささめ姫、西から選ぶなら商才があり財力がある申家の百日紅さるすべり姫、南から選ぶなら思慮深い午家の睡蓮すいれん姫、東は…あまり誰もお勧めしない」


 クロは羽を広げ、外から入ってくる風で自身を乾かし始めた。


 「東西南北の均衡を保つためには別に東から姫を娶らねばならないというわけではない。むしろ、西から姫を選ぶことで南に傾きすぎた天秤を丁度よく戻せるかもしれない。東は温暖で湿潤だ。農作物は問題なく育ち、豊かだ。今、東は安定している。その中で一家だけが突出することでわざわざ安定を破壊せずとも良いだろう」


 クロは声は若いのに、なぜか老獪な響きがあった。


 「お前は盤上遊戯をする際、どんな勝ち方をする?」


 急に話題が変わったが、八束は答えた。


 「常に俯瞰して見るようにする。まず最初に、こう勝ちたいという形を決めておいて、相手を誘導する」


 「その通り。俯瞰、というのが大事なのだ。お前は高いところから全体を見渡せ。自ずと何が最善かわかるだろう。私はお前を映す鏡だ、私が今語ったことはすでにお前の頭にもあっただろう」


 八束は溜まっていた唾を飲み込んだ。


 「北は…どうするの」


 その声は少し震えていた。


 「日照雨が亥領出身だから贔屓するのか? それとも亥家の姫を見て北から選ばないことに引け目を感じたか? 北は不毛の土地だ。これ以上、農作物は育たない。税となる米はこれ以上、徴収できない。だから北の男たちは狩りで鍛えた腕を兵役に使い、税の代わりにする。柊姫を皇后にするなら、柊姫は北に肩入れし始めるだろう。それは南に肩入れし、巳領出身者を重用するお前の母と何ら変わらないのではないか?」


 「柊姫を入内させると決めたわけじゃない。ただ、北を切り捨てるような言い方が気になっただけだ」


 クロは八束の言葉を一度受け入れたように頷いた。


 「北も大事な国土だ。しかし、皇后にする、旨みがない。西の百日紅姫など財力という名のよく肥え太ったいい獲物じゃないか。南の睡蓮姫は思慮深い。引っ込み思案とも言うが、お前が引っ張っていけば必ずついて行き、お前の背を支えるだろう。北の現状に同情し、北から選びたいというなら一番荒波が立たない細姫だ。だか、北は骨に残った僅かな肉にしゃぶり付くようなものだと思うがね」


 まだクロの目は八束を射抜いていた。


 「何でもかんでも私にお伺いを立てるんじゃない、八束。それはお前の母の傀儡になっている父と同じこと。私の傀儡になってもらっては困るのだ。自分の頭で考えろ。お前の母親は自分がいなくなった後も見据えて教育には熱心だったな。まぁ、自分が健在のうちは実権は明け渡さないだろうがな」


 まだ墨の香りが残る紙の束をクロと八束は見つめた。


 「東は最初から選択肢になし、かぁ」


 八束は肘掛けに腕を預けて姿勢を楽な方に傾けた。東は、安定している。それは八束の頭にもあった。東から無理に妃を選び、その安寧の凪いだ水面に石を投げるようなことをするべきなのだろうか? 八束の頭の中には政情を見て慎重に見極めろと囁く自分も、もういっそのこと皇国すめらぎのくにの地図を広げ、麗扇京を中心に棒を立て倒れた方角の領地の姫を娶るという自棄になった案すら浮かんだ。


 「どうしても、というなら私は誰であろうと私は止めない。国の慶事ではあるがお前の結婚だ。私はお前に命令しているわけではない。私の言葉は…雑談に限るが絶対ではない。これは雑談だ。予言でも何でもない」


 頭を抱え、鈍い頭痛に耐えかねたような表情をした八束を慰めるようにクロは言った。その黒い羽を八束は撫で続けた。




******




 撫子はなんでもないふりをして起きた。女房らが着替えと洗顔用のぬるま湯を持ってきていた。しかし、春風は夜中に食事をしたことで少し荒れた撫子の肌を訝しんだが、すぐに月のもので肌が荒れたのだと思い直したようだ。


 白米、香香、川魚をパリッと塩で焼いたものという朝餉を終えた後、卯月宮には皇太子の名で贈り物が届いた。どうやら昨夜の宴で披露した芸の礼であるらしい。

 艶を抑えた黒漆に古金色で山水の風景が描かれている漆箱を満月を模している飾り紐を解いて蓋を開けると中から上質な薄様が使われた文が入っていた。植物の葉が透かしてあって、金彩で蓮の模様が描かれている。



 昨夜の宴で披露された琴、実に見事でした。神鳥もお喜びになる素晴らしい演奏でした。故に、皇家の宝物庫に眠る流水琴りゅうすいきんを下賜することを陛下も、皇后陛下もお許しになりました。

 卯領の名工が作り上げた逸品で、唯一のものです。彼は弟子を取らなかったので製法は伝わっておりません。流水琴も卯家の姫君の元に帰れて嬉しいでしょう。



 そんことが文には書かれていた。香が焚き染められているのか、あの桜の下で出会った日と同じ匂いがした。


 文と一緒にやってきたのは一見すると普通の琴と変わらぬ流水琴だった。しかし、それが他の琴とは違うことは弦を爪弾けばわかった。


 高い音はしゃらしゃら、さらさらと泉から湧き出るような、せせらぎのような綺麗な音が出た。低い音は滝壺にいるようなごうごうとした音から海の打ち寄せる波のようなざあんざあんとした音がでた。その他にも弾き方を工夫すればしとしとと降る雨の音からざあざあと降る雨の音まで再現できた。


 水の音を基にして作られたものだけあって、弾くものの技術力さえあれば無限に音を作り出せた。撫子は昼餉の時間になるまで夢中になって流水琴を弾いた。


 「姫様は琴の名手ですわ」


 あざみが感心したように熱っぽい声で褒め称えた。


 「琴の音が涼しげですわね」


 春風も微笑ましそうに見つめた。


 他の姫たちに贈られた品物は午後になると噂で後宮全体に広がった。

 剣舞を披露した浜木綿には宝剣が、琵琶を披露した細には宝物庫から珍しい琵琶が下賜されたらしいがきっと撫子が貰った流水琴より素晴らしいものではないだろうと撫子は思った。

 歌を披露した茶梅さざんかには喉に良いとされる蜂蜜が下賜され、舞を披露した胡蝶こちょうには領巾が、詩歌を披露した花弦はなつると睡蓮には筆と硯が、扇を使った舞を披露した清花きよはなには豪華な扇が、傘を使った舞を披露した百日紅には美しい傘が、体調不良で辞退したすすき桔梗ききょうには滋養に良い食物が、柊には宝飾された弓がそれぞれ贈られた。

 

 撫子は流水琴の音色にまで八束に対する恋心が溢れる心地がした。彼の滑らかな指が筆を握って流麗な文字を墨で書いた。意外と力強い筆跡をされているという発見から、やはり美しい人は文字まで美しいのだと思った。

 素晴らしい演奏だと彼は褒めてくれた。神鳥だって、撫子の演奏を聴いて鳴いたのだ。それは唯一撫子だけだった。浜木綿の素晴らしい剣舞にさえ、神鳥は興味を示さなかった。


 それが撫子の心の支えだった。浜木綿に勝てると思う唯一のもの。それが琴だった。一音、一音が甘い甘い恋の音がしていた。

 

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