第六話『スレンダーマン』Ⅰ
制服の裾に腕を通し、中のシャツの皺を伸ばす。
少し後ろでニコニコ笑っている一誠を一瞥して、鏡子は短い息を吐いた。
腹にこの体温を落として地に這わせるように。僅かの間に十の結果を得る。
つまりは落ち着きたい、ということなのだが。それだけでは些か心許ないので、これを一つの呪いとしたい。
「一誠。作戦の共有をいたします。何かありましたら、遠慮なく言葉をください」
「はい!」
二人は向かい合って座り、鏡子が事前に広げていた白く大きな紙を見下ろした。
「スレンダーマンはの標的は、みな子どもです。ですから、鏡子そのものが仕掛ける前の目くらましとして、子どもを使います」
「……どのように?」
「これですわ」
鏡子が手に取っている、一枚の札。
「……どちらの?」
「鏡子です」
「わかりました。それなら僕は隠れています。援護をお任せください」
「ええ。頼りにしていますわ」
そう。この札全てが鏡子の姿になるのなら、一誠の姿は邪魔だ。的、と言っても違いはない。
しかしながら此度は彼の式神を借りる。主たる一誠が傍に居てくれたほうが、格段に彼らを使役しやすい。
「まずは霧隠れを用い、結界を張ります。その上で囮を使い、スレンダーマンを顕現させる。その後に虚を突いて、一気に殲滅します。玄武、六合、鏡子が仕掛けたら一気に畳みかけてくださいね」
二人の式神が宙に姿を現した。二人とも怪訝な顔つきだ。
「……捻じ伏せられなかったら?」
六合が鏡子に尋ねた。
「……封じます」
「――危険すぎる」
玄武は腕を組みながら、納得できないと首を横に振った。
「それでもやりますわ。……出来る出来ない、ではないのです。やらなくてはいけない」
鏡子は立ち上がり、部屋の扉に手を掛けた。その後ろ姿で、僅かに向けた瞳を伏せて、固い声で言い放つ。
「……行きましょう」
一誠は頷いて走り出した。朝の温度が肌を掠める清涼なこの時に――死地へスキップ、というわけにはいかない。
しかし、三善一誠の表情は楽しそうに綻んでいた。
当たり前、当たり前! 何が在ろうと今の僕等に、成せないことはないのだから。
バスに乗るのも良かったが、二人は歩いてかの地へ向かう。
美しい朝の空気を少しでも肺に入れて、何かの心を誤魔化している。
鏡子の顔はまるで富士の化粧のように冷ややかな美しさで、それを横目に見る一誠の心は南国の海の心地だ。
鏡子に先程言われたように、一に神社本庁に連絡を入れられるようにスマホのデモンストレーションは完璧。ただ朝の散歩の延長線にある妖退治。しかも安倍の管轄の補佐。
「さいこーの朝……」
と噛み締める一誠をげんなりと見つめる玄武の顔を知るのは、六合しかいない。
「さて……」
鏡子が足を止めた、とある住宅地の碁盤の目。の、境界線。
これより先は怪異の領域。その匂いの差異は、資格ある者でしか嗅ぎ分けられない。
「ここよりは、鏡子と玄武で参ります。一誠は30分後に静かに来てください。六合、気配を隠して一誠の守護を」
「承知」
一誠は頷く。
「……それでは、玄武。参りましょう。期待しておりますわ、十二神将一の、神獣に」
「ははは。……神獣、ねぇ……」
一誠は手を振って二人の背を見送った。
会話らしい会話もなく。雑木林に近づくにつれ鏡子の緊張が高まる痛みに、玄武は心の中で溜息を吐く。吐いてばかりで役に立たないわけにもいかないから、彼も彼なりに頬を叩いて目を見開いた。
「玄武、姿を隠してください」
「あい承知」
そうして霧隠れ、雲隠れ。朝露に力を込めて、この場の空気と太陽の交じりに姿を眩ませる。
鏡子の姿は地についているようで、浮いていて、拡散して、歪んでいる。葉を滑り落ちる一滴では、鏡子の姿を捉えることは叶うまい。
だからこそ、二人は此処にあって此処にない。ほら、かの怪異は気づかない。
空気が風を運ぶことにあやかって、そよそよと鏡子の手から組み紐が解けていく。鈴の鳴りは乱射した朝焼けに吸い込まれて、怪異に訪れを告げるだろう。
涼やかなる音に、誰が自分を侵すことを察せられよう? ただ遠くから鳥のささやく音が運ばれてきただけだ。そう思ってしまえ、と陰陽に連なる者は目を鷹のように忍ばせている。
――動く気配はない。
鈴の音が止んだ。……ならば、始め時だ。
鏡子は霧を雲を掻い潜り、その白い足で木の音を踏んだ。
合図はいらない。その一つの手を振りが、飛ばした呪いの札があれば良い。
無数に音もなく打ち上げられた札はひらりひらりと舞って……一枚だけが、少女の姿と成った。
かさりかさり、と音を立てて、その少女は森を歩く。丸い頬に無垢なる瞳。好奇心を散りばめた視線を森をくるくる眺めていて、鼻は朝の空気に舌鼓を打っている。
そしてそれは、とある銃の引き金でもある。
周囲に立ち込める瘴気は、黒い霧となって、その獲物を見定めた。
少女は不安に揺れる足元を崩して、尻餅を付く。その目の前に現れたる怪異――見知らぬ一人の黒いスーツの男に見下ろされて、震えに怯えを示している。
スーツの男は高い身を屈めて少女を覗き込むと――翳した手を頭に乗せて、勢いよく掴み砕いた。
「ひぃッ――」
悲鳴はただの一音で死に絶え、周りに脳漿を撒き散らし、半顔は緑に崩れ落ちる。
男は右手に吐いた血を嘗めとって……顔を上げた。
そこには、子どもがいた。
背後にも、彼女はいた。
はらりはらりと落ち行く葉のように、少女が支配領域に居た。
一度首を傾げた男だが――すぐに背から盛り上がり、一つの山のようにせり上がり、背の触手で食事を始める。
逃げ惑う悲鳴は領域の中で音の波紋を壊され、隣人には届かない。いつか誰かが見つけ出す林の残骸から、どうやってこの事態を予測するのだ?
誰が誰を弔うのだ? 遺された顔は、こんなに崩れているのに。
鏡子は少女と全く同じ姿で、その中へ歩いていく。右の鏡子が腹を貫かれても、左の鏡子がハエのように潰されても、鏡子は表情一つ変えずに怪異へ接近した。
そうして辿り着いた怪異の足元。僅かに微笑んだ鏡子の背後で、声がした。
「おはようございます。キミ、美味しそうですね」
エタってなぁ~~~~い!!
エタってないんだから!!
ただ、年末からレイドがあって、年明けてひゃっほーして、大神やって、寒いよーって泣いてたらこんなことに!!
エタってなんかないんだから~~!!
今年もよろしくお願いしまぁぁあす!!