第十五話『紅いシクラメン』
・アッコロカムイ
アイヌに伝わる巨大な赤いタコ。
それは昔々、巨大な木造船が赤い海に遭遇してしまうと丸呑みされてしまうとか、転覆させられて結果死者が多数だった、とか。
・歌声
海辺での歌声といえば、ギリシャ神話のセイレーンだ。しかし、ここは日本。では人魚?
日本の人魚に歌の伝説はある?
「歌の伝説……は此方ではありません。日本の人魚で有名なのは、人魚の肉を食べると不老不死になる、というものですわね」
「そうね……。だから昔は、実際に食べてしまった尼がいたわ。でも、彼女はもういないわよ」
しかし、どうもあの話を聞いた限りではセイレーンの伝説に近い話のように聞こえる。
類話:ローレライ
・アイヌソッキ
アイヌに伝わる人魚伝説。
これを食べると長寿になる。歌の伝承はない?
・対処法
ズバリ――――生命に感謝してお刺身にしてはいかがですか!
――――鏡子は、そこまで呼んでスマートフォンをスリープモードに移行させた。
横から覗き込んでいた朱雀が、おもむろにソファに座るスレンダーマンを見ている。彼は優雅に貴人と紅茶を飲んでいた。
「目録にアッコロカムイも人魚も、特に書かれていることはなかったはず……。そうでしょう、朱雀?」
「うん。人魚はそりゃあ昔は結構見たけど、晴明がわざわざ会いに行くことは……なかったと思うわ? アッコロカムイなんて……んん?」
朱雀は首をかしげる。おそらく記憶にないのだろう。
「神の類こそ、一線を誠実に守り続けている者。わざわざ己の意志で這い出ることはしないでしょう。件のアッコロカムイ……そして人魚、神の類ではありません」
貴人が紅茶の水面に先日の悲劇を反映させながら、静かに口を挟む。
「なぜ? 這い出ることもありましょう! それこそアメリカには這い出る混沌が――――」
プロフェッサーが意気揚々と語りだしたその時、鏡子のスマートフォンが勢いよく着信に震えた。
水野だ。
「おはようございます!! 急に申し訳ありません、テレビを見ていただけますか!!」
「わかりました」
鏡子はテレビをつける。すぐに映る速報がある。
『噴火湾に美しき現象が起こりました! 水辺に花が咲き乱れ、海には赤い花が……なんでしょう、シクラメン、みたいです! 海に咲く花ではないようですが、海藻などが足場になったのでしょうか? この絶景を一目見ようと、この秋晴れ素晴らしき今朝から続々と観光客の方が足を運んでいます! お話を聞いてみましょう……』
震える。首が一度。
「なん……ですか、これ」
一面に咲き乱れる赤いシクラメン。
砂浜を埋める、淡い桃色の花に疎い鏡子では導き出せない花畑。
これでは船は出せないが――これでは……人が……。
「封鎖してください!!」
「施設は五家の管轄ではありませんので、警察に連絡を入れています!! ですが……難しいかと、申し訳ございません!」
「大丈夫です。すぐに噴火湾に向かいます」
「私もすぐに――――」
『御覧ください! 海の向こうで――クジラが跳ねています! 嗚呼、綺麗ですね……』
クジラが、跳ねている? どこが?
鏡子が目を見張る。朱雀が口を両手で抑えている。
『噴火湾に、こんな美しい現象が――――』
あれは、跳ねているんじゃない。浮き上がっているんだ。巨大な、手によって。
血が噴水のように打ちあがって、花にこぼれていく。そうやって、赤い水面に根を這わせた花はより強く頬に紅を差していく。
「早く!! 行きます!!」
寝間着を恥じらいもなく脱ぎ捨てて、制服に身を包む。
フロントでタクシーを呼んで、出来るだけ早く噴火湾へ、と伝えた。
……心臓が、ドキドキと脈打っている。隣に姿を現した朱雀が鏡子の左手を包むけれど、鏡子はそれを静かに拒絶した。
「人が多い……」
広すぎる噴火湾、その四方八方から幻想を一望できると聞けば人は扇形に集まってくる。
海に入らせないように警察を配置することは出来ても、この一帯を封鎖することは出来ない。
展望台も人がこの早朝にしては多くおり、鏡子一行は苦虫を噛み締めていた。
「鏡子様、公園施設を借りることが出来ました。ひとまずはそちらへ行きましょう」
水野が電話を切ってそう鏡子を諭す。他の観光客と同じように海を眺めていたって、どうしようもない。
警察が道を開ける傍ら、海辺を横目に過ぎる最中、辺りの音がさざ波に沈められたような錯覚。
何だ、と皆がどうしてか花に埋もれた噴火湾を見る。
そうして知る。人ならざる者の、声を。
「綺麗……歌?」
頬を上げた女性。鏡子はその声に視線を向けた。
嬉しそうにこの一帯に響き渡り始めた旋律に手を伸ばして、砂浜に入っていく。
その歌声は、歌詞を成しているのだろうか。理解してはいけない気がした。音が音である内に、きっと命ある者は逃げねばならない。
また誰かが、砂浜の花を一輪千切って頬へ持ち上げる。香りを吸う。歌と共に、まるで食事のような恍惚さで。
「いけない――――」
そう呟くコマ送りのシーンは、鏡子でさえも越えられない時間の障壁だ。
砂浜に入る女が、花を持ち上げた男が、二人が一度に、ぱしゃり、と、赤い水面に溶けた。
それは、あまりにも一瞬の出来事で。それは、その人を注視していなければ理解できないほどに、一瞬の風の瞬きで。
でも、それを見てしまったら――。きっと、理性は理解を拒むだろう。
拒絶という意思が脳裏にノイズを走らせて、きっとその人の魂を守ろうとするだろう。たとえ壊れる行為でも、芯は守られるから。
「プロフェッサー!! 怪奇を――怪奇現象を起こしてッ!!」
「At once, my Lady.」
噴火より放たれるのが灼熱のマグマであるなら、巨大な紳士風の怪物から放たれるのは存在を見失う程の濃霧だ。
これよりここは、理解し得ぬ者の存在意義を掻き消すこととする。
これよりここは、その二本の足で立てる者のみの入場を許すこととする。
もしくは、ワタシに近い存在であるならば――――。
「さァ、お刺身の時間ですか!!」
早朝の太陽サンサンにはしばしのお別れを。
空間を一歩だけ現世からずらして、君の独壇場を築き上げよう。
さあ、陰陽師よ。思いのまま踊るといい!
えたってないよおおおおおおおおおおおおおおお!!!
そういえば、ダンダダンをようやく見始めました。
めちゃ口悪くて草。




