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薄明怪異目録  作者: 立花 みかん
第二章
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第十二話『ソロ』


 今日は終わった。最後の授業を粛々と終え、このクラスは鬱々と解散する。

 鏡子は、昼ごはんが喉を通らなかった。一度口に入れたが、どうしようもない吐き気が胃を持ち上げるのだ。

 頭は警鐘の音を鳴らし続け、心臓は焦燥から抜け出せない。

 繰り返す、血の光景を。

 繰り返す、瞬間の恐怖を。

 放課後のチャイムと共に、鏡子は一般棟のトイレへ立ち入った。そこで、音を出せず吐いている。何も入れてない胃は、酸性の痛みで鏡子の喉を焼いている。

 出るはずもない嗚咽と、姿の見えない重しが鏡子を潰そうと画策している。便座に腰を下ろして頭を抱えても、何も変わらなかった。それでもこの閉ざされた空間でだけは、鏡子は鏡子でいることを許されているはずだ。

 涙は出さなかった。息遣いがその代わりだった。

 扉の外で、一般生徒が話しながら出ていく。


「……そうだ。行かないと……」


 約束をしていた。四方牡丹と音楽室での待ち合わせだ。

 個室を出て鏡の前に立つ。……酷い顔だ。それでも、行かなければ。


「もういらっしゃるのですね」


 鏡子が音楽室へ近づいていくと、綺麗な旋律が響いてきている。

 心が傾いてしまった鏡子にとって、それは扉にかけた手を止めるには十分だった。

 鏡子は、歌はよくわからない。

 生徒が耳に入れているイヤホンから何が流れているのかも予想もつかないし、テレビなんてもっぱら見ないから。……興味ないから。持ってはいけないから。そういうものが、わたしなのだと、思っている。

 嗚呼、ソロのパートだ。歌詞の内容は、鏡子に向けて手向けられるものではないだろう。そこに鏡子がいるはずもない。鏡子にとって、学校生活は無理に着せられた洋服のように無機質なものだ。この目に温度を色をもって映るものではない。なのに――この人は、彼らは、彼女らは、こうも歌に思いを乗せて歌うことが出来る。

 光があるらしい。希望があるらしい。……この学園生活の、数年の中に。

 決められたレールのはずだ。皆にとっては、どんなに緩かろうとも。

 それなのに……。


「ああ――安倍さん!! 来てくれたんですね!」


 無意識に扉を開けていた。

 黄色の日差しに照らされた丸みのある頬が微笑んで、四方は鏡子を音楽室に手招いている。

 鏡子は一歩、一歩と部屋に足を踏み入れた。


「……少しお疲れ、なんかな?」


「……いいえ。問題ありません」


「そう? ほんなら、歌おう! CDはリピートで流してるから、次のフレーズから……。あ、声出しとか、しはる?」


「したほうがよろしいの?」


「う~ん……人による、としか……」


「四方さん」


「うん?」


「歌いますわ」


「――うん!」


 鏡子は隣に立って、共に呼吸音を合わせ歌い始めた。

 四方は少し驚いたように鏡子を見て、笑う。二人の伸びるソプラノパートはとても美しく、黄昏が満ちる小金の部屋に白いレースをかけるようだ。

 再び、四方のソロパートが来る。

 鏡子が口を閉じて、隣を盗み見た。

 四方の瞳は伏せられて、少し引かれた顎、その喉から柔らかく波及する旋律の柔らかさ。それに手を合わすように、小鳥を包む手の平のように、彼女たちの歌は終わりへ向かう。


「そしたら、通しであと二回。お互いに気になるフレーズの所を言い合って、6時半くらいまで練習しーひん?」


「ええ。そうですわね」


「やったぁー……! 安倍さんとこないやって練習出来るやなんて、ほんまにうれしい!」


 鏡子はその無邪気な笑顔に、救われた心地がした。

 どこか遠い昔に忘れ去った、大切なものなような気がしたから。

 ――そうして帰る夜の道。鏡子の鼻には旋律が、鳴るスマートフォンに滑る指が軽やかだ。


「また一緒に練習してくれるかな」


「ええ、もちろん」


 そう言い合った二人だけの時間が、いけないことのようで――――。


『本日はお疲れさまでした。私は今日一日中暇で暇で、死んでしまうかと思ってラジオ体操を完コピ!』

『君はどんな一日を過ごされたんでしょう』

『よろしければ教えてください』


 そんなメッセージに、軽やかに返す鏡子がいる。


『お疲れさまです。普通の一日でしたわ』

『まあ、楽しかったです』


 そんな後に滑り込んだメッセージ。

 見逃せばよかったのに。寮の前で立ち止まることはなかったのに。


『鏡子様。至急ご連絡をお許しください』

『目録のことで』

『賀茂次晴さまより』

『後程参ります』


 鏡子の目は、瞬きの内に移り変わる。

 安倍鏡子へと、一歩さえ歩まずに変貌する。

 嗚呼、――胃が気持ち悪い。

 流石に何か、食べようか……。

 そう頭で呟いて、開いた寮の扉。下げられる頭に頷いて、据えた目つきで階段をのぼる、のぼる。

 約束、……そんなもの、ええ、そんなものでは、なかった。





「――鏡子様!」


「要件を手短に」


「はい」


 土御門家より遣わされたスーツの男は、汗を拭う暇もなく水槽を眺めている鏡子へ口を開く。


「海辺にて船を襲う怪異の出現を確認し、対応をなされた賀茂次晴様が重傷との報告がありました! 幽明境とも連絡が取れておりません。鏡子様、急ぎ、北海道へと向かってください!」


「……ええ、そうしましょう。飛行機の時間は」


「本日最終便です! 20時でございます」


「わかりました。行きましょう」


 慌ただしく降りていく鏡子に、鈴佳が走り寄ろうとしたが、鏡子が首を振って制した。

 鈴佳はただ不安そうに鏡子の背を見送り――寮の扉は閉じられる。

 鏡子は遠ざかっていく学園を車の中で振り返ることはせず、唯一持ち出したスマートフォンの履歴……プロフェッサーに自身が送った馬鹿げた一言に、苦痛を感じていることしか出来なかった。



関西弁、ムズカシイ!!(監修入れてます、感謝!)

ということで次から北海道パートです!

アイスクリームしこたま食おう!

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