第十一話『呪術基礎Ⅰ』
第八話『スレンダーマン』Ⅲにて、挿絵を追加しております!
四限、『呪術基礎Ⅰ』が始まる。
Ⅱ類の一年生――正確に言うと、安倍鏡子を含めた次期当主達は、中学から高校までのバラバラな学年で全ての授業を履修する。期間にして、鏡子を基準に六年だ。全ては安倍鏡子が軸である。
勿論、このⅡ類には通常であれば高等部一学年から三学年まで存在する。故に、二年生、三年生もこの陰陽棟には存在している。全ての学年において一クラスしかおらず、数もこの一学年の人数に満たない。
そう、陰陽師は後継者不足なのだ。大変困ったことに。
「秋も深まってきましたねぇ……。先生は、秋がとても好きで……だってお芋が美味しいではありませんかッ!!」
お昼前にそういう話はしないでほしい――とクラスの数人が脳裏に同じ言葉を浮かべたと同時に、どうやら先生のお腹が限界を迎えたようだ。
ぐるるるる……となる狼の唸りで、先生は慌てて鞄から芋を取り出している。
え、どういう文脈? 六人全員の視線が先生に注がれた。
「じゃあお芋食べます」
じゃあお芋食べます――!?!? クラスの全員が――彰も表情には出していないが――驚愕した。その反応を終える秒数さえ先生は待たずに、大きな口でアルミホイルに包まれているほかほか黄金色石焼き芋を食べて……美味しそうに頬を押さえている。
鏡子が頭を押さえた。近くの鈴佳が小さく笑っている。
「あ――すみません。君達の分もちゃんと……用意してますッッ!! 貴き君たちの前で先生だけか芋を食べるなんて、死罪でしょうか!?」
と熱く語りながら、先生はおよそ人間離れした速さでそれぞれの手に芋を握らせた。
まあ――お昼前だ。全員、お腹は空いている。
「では、いただきまーす! これで皆さん共犯、ということで……」
「それなら……いただきまーす!」
柊を筆頭に、それぞれがお芋を口に運んだ。勿論、鏡子も。
「お、おいし……!?」
柊の双子の妹である御影もつい口を押えてしまうほどの、蜜の滴り様である。
黄金色に輝く中の肉もさながら、零れ出た蜜も甘さやなんということだ。彰を見ればすでに完食していて、鏡子は驚きに咀嚼を速めた。
先生も満足そうにうなずいていて、最後の一口をぱくり、と含む唇の先から零れ出た鮮血を、教卓に一つ、二つと、落として、えづいた。
「……ッ!?」
誰の悲鳴か。誰の喉の音か。
先生は――男は教師としての顔も保てない苦しみを瞳に、喉に、身体に映して、もがき苦しんでいる。
口元から溢れる血は泡になり、息を吸えない肺に沈む呼吸は溺死を描く。
そして瞳が――血走った瞳が……生徒へ向けられた。
「鏡子さ、ま、……あ、」
一誠が立ち上がる。目から血が垂れる。
鈴佳が喉を抑えて立ち上がり、後方に下がりうずくまる。
滋岳透和が鏡子の顎を掴んで口を開かせた。
彰は瞳を細めている。
柊は嗚咽の中で血を吐き出し、その様子に御影が絶叫した。
「ァ――やめ、」
目の前に彩られた鮮血に呆気に囚われる暇もないまま、滋岳透和が開かせた鏡子の口に手を突っ込んで吐き気を強制的に催させる。それに抗えずに、鏡子は透和の前に胃に入れたばかりの原因を吐き出さざるを得ない。もう出ない、と透和を何度か叩いて、ようやく透和は鏡子から手を離した。
鏡子は口元を拭いながら、状況を把握しようと立ち上がった。散々な――散々な有様だ。
血の匂いと吐しゃ物の匂い、そして女の男の理性を失いかける声。
先生は――――笑っていた。
「え……」
先生は教壇で口元をハンカチで拭きながら、鏡子と目が合うと、にっこりと笑みを作りなおした。
嘲笑では無い――あれは、微笑ましい、と言いたげな。
「はい。実習終了。まんまと引っかかりましたね。まあー、これは先生が悪いところもありますが……」
ぱん、と先生が手を叩いた。
震える御影が状況を理解出来ずに柊の肩を抱いている。
「とりあえず、掃除かなぁ……」
「せ、先生……!?」
鏡子の声に、先生は頭を掻くと申し訳なさそうに――。
「申し訳ありません、鏡子様。式神のお力をお借りしてもよろしいでしょうか?」
と頭を下げる。ということは――!
「六合!! 六合!!」
躍り出た六合は顔をしかめながら、すぐに術を展開した。
瞬く間に血を止め、【呪術】を解く。
げっそりと腰を下ろした柊の頭を撫でながら、六合は深いため息を吐いた。
「……やり方、と言いたいところではあるが……必要なことかの」
そう言い残して、花弁となった。
鏡子は癒しの術で皆が回復をするのを待つ間、動ける彰・鏡子・透和のメンバーで慣れた手つきで特殊清掃を行う。
吐いた食道が痛むから何度か喉を擦って、でもお茶を飲む気にはなれなかった。
「いやあ――すみまっっせんでしたッッッ!!」
先生はゴツン、と重い音を響かせながら教卓に力強い直角の謝罪をかました。
教室の雰囲気は最悪だ。彼もそれは承知のうえで、許しの声が聞こえないのも承知の上で、顔を上げてチョークを持ち黒板に文字を書く。
「今のは、最も危険な呪術の一つ。『ミラーリング』というものです」
先生は打って変わった真剣な瞳で、腕を組んで生徒を見下ろす。
「君達――……安全な時代の陰陽師、その貴い身分の者にとって、一瞬で命を奪いうる場面をわざと、演出しました。どうでしたか。先生が本気ならば、何人か死ねてましたね」
ぐ、……と押し黙る生徒達。
「元来、ミラーリングというものは、好意的な場面で用いられる心理テクニックです。相手との距離をぐっ、と縮めたい時に一心同体を演じる……というものですね。非常に有効的です。そう、呪術においても」
先生は、人間を簡単に二つ描き、その間にハートを加えた。
「これが効果てきめんだった……つまり、先生をかなーり信頼してくれていた……ことは嬉しいですが、君達は、それではいけません」
悲しそうには言っていない。この教師は、極めて真剣な鋭い声で言い続ける。
「君達は不慮で死んではいけない存在です。安倍晴明の再来時には、災厄が来る――。そのために集まるという生まれ変わりの魂なんですよ。自覚しなさい。常に安寧は無いのだと。この学園でさえ」
皆の瞳に確かな灯がともる。
それは、幼い頃より常に聞かされていた言葉だ。
「では、お説教はここまで。先程先生が行った呪術の詳しい解説をあえて、しておきましょう」
すらすらと黒板に書かれた解説は、こうだ。
『ミラーリング』…発動者と対象者が同じ行為をすることで発動する呪術。技の程度は、対象者の思い込みで差異がある。
先生(発動者):芋を食べたことによる、吐血。死への演出。
生徒(対象者):芋を食べたことによる連鎖の誤認。
・発動者と同じ現象
・各人の一瞬の「自分はもしかして?」と比例した現象
・看破すれば問題なし ←式神が出なかったことで気付けたかも?
対処: ・芋を吐き出させる……イイネ! 芋が引き金なので、それを出させれば対象者は原因が取り出されたことにより、問題は起きないと思える。→解決!
・そもそも先生を疑っていた……イイネ! そもそも心の距離があれば無意味。→よし!
「そろそろチャイムだ! 本日はお疲れさまでした。さっき散々脅しましたけど、この学園ではまず危険はない、と危険を排除している側としては言い切ります。――が」
「鏡子がいる以上、先生達が対処しきれない……あるいは、気づけない危険が来る可能性がある」
「そのとおり。それほどに、晴明殿の帰還は特別なんです。先生は、君達に疑心暗鬼に陥ってほしいわけではありません。ただ、君達に油断して欲しくないんです。……君達の特別は、傲慢に浸れるほどの椅子ではありませんから」
「……承知しておりますわ」
「流石は我らが当主殿。次の授業からは普通に座学もりもりでやりますー。それでは、お疲れさまでした」
チャイムが鳴る。悠然な昼間に、安堵の時間を知らせるはずのチャイムが冷たい音で鳴っている。
先生が出て行った。――皆は、緊張を緩める息を身体から吐き出すことは叶わなかった。
ただ、それでも、それでも、だ。いかなる瞬間にも警戒を緩めることが出来ないとしても、だ。
あの魂の下に集った自分たちは――――。
特別であり、例外だ。
ただ一人を、除いては。
実は、鬼一の双子と鏡子と鈴佳は同い年です。このクラスのほとんどが中学生だった。頑張れ高校生組! お兄ちゃんだろ! 全力でお兄ちゃんを遂行しろ!