今日もまた前世の恋人とやらに
「そうだ今日死んでしまおう」
笑顔で言ってステラは出かけていった。
あまりに爽やかで冗談だと思った。
夕飯時には帰ってくるだろうと、気にすらしなかった。
爽やかに時々際どい冗談を言うような女だった。
快活で、自死を選ぶようには到底思えなかった。
夕方になり、家の戸が三度ノックされた。
帰ってきたのかと戸を開けると、知らぬ男が立っていた。
「ステラさんの恋人のシリルさんでお間違いないでしょうか?」
「はい、そうですが…」
「この度は、ステラさんが臓器提供として全身をお売りくださいまして」
「は?」
「その謝礼はすべてシリルさんにとの契約でしたので、お届けに参りました」
もう一度、「は?」と低い声しかでなかった。
言葉の意味が理解できなかった。
男がその契約書とやらを手渡してきて目を通したが、それでも理解することができなかった。
ただ呆然と紙に目を向けている間に、男が金を押し付けてきた。
平民1人が細々と一生を終えるには困らないほどの大金だった。
「では、これで」
去っていく男の背中を見送りながら、なおも理解することができなかった。
―――というのが僕らの前世の別れの日だったわけだけども。
「あまりにも酷くないか?」
そう言って怨み言を続けるのが、目の前の男の日課だった。
私の前世の恋人とやらは、はじめて出会った日―――彼にとっては再会した日―――から何度もこの話を繰り返す。
覚えてないことを批難するように。さっさと思い出せというように。
そんな事言われても、自分ではなく前世の所業を責められても困るだけだ。
「しかしその前世とやらでは臓器売買は合法だったのだろう? しかも二人とも失業直後で明日食う金にも困っていた。なら仕方ないのでは?」
「そうだけど! でも、なんの相談もなしに! 仕事だってまた見つければよかったのに!」
「しかし二人とも天涯孤独で後ろ盾もなかったのだろう? 相談しなかったのは前世の私とやらの落ち度ではあると思うが、それで君も恙無く生を全うできたのなら、毎日毎日罵倒しなくてもいいじゃないか」
しかも責められるのは今世の私。いい迷惑だ。
「ある日突然君がいない世界で生き続けないといけなかったんだぞ。生き地獄だったよ…」
「それでも生き続けてくれたんだろう。彼女は喜んでいるさ」
そう。彼女は喜んでいた。
あの日彼女は、平民としての彼女を殺した。
自分を引き取りに来た高い身分の実父と交渉し、従う代わりに彼に一生困らないだけの金額を、と。
彼が追ってこないように、生き続けるように、突飛な言い訳を作って。
時々様子を見にいく遣いを出して、今日もまた彼が生きていることに安堵した。
全く私から見ても残酷な女だと思う。
「喜んでいたならなんで…なんで姪っ子なんかに生まれてきたのさ…」
「何でも言われても」
そう、本当は前世の記憶を持っていたが、隠すしかなかったのはここにある。
母の年の離れた弟。私とは5つしか年の離れていない叔父。
絶対に結ばれることのない相手なのだ。記憶を持たない別人になるしかない。
「叔父よ。しかし私はあなたのことが大層大事だから、あなたと縁が切れることのない関係であることがこの上なく嬉しいんだが」
「それは俺も嬉しいけどぉ」
叔父は私を抱きしめたまま今日も泣く。
母方の実家に同居しているため、今日も一緒に寝るのだろう。
彼が早く前世を断ち切り、いい奥さんと出会い可愛い子供を作る、それを見届けるのが今世の私の夢である。