贄
八重岳 イヨ子は家族を殺めた。
妹の断末魔がまだ耳にこびり付いている。それでも罪悪感や恐怖はない。非現実的で実に呆気なかった。
ひ弱な女子が大人を簡単に殺める事など有り得ない。
(まるで、この世の者でない部類がやった"みたいだった")
客観視しながらも自らの掌を見下ろす。
家族殺しをした『八重岳 イヨ子』はパビャ子らの同類に近づいているのか。
それでもいいかもしれないが、きっとパビャ子は喜ばない。大人しく生贄にされるのが正解なのだろう。
「つまらない人生だったなぁ」
暮れていく街のシルエットに、消え入る別れを告げる。
至愚の言う通り、午後七時にあの場所に向かう。人気はなく車も通らない。悲惨な殺人事件があったせいか人々は怖々と家にこもっているようだ。
小刀を忍ばせて、イヨ子は不明瞭な雑木林の斜面を登っていく。息が上がり、靴が小枝を踏む。やがて赤い布がそこかしこに括り付けられた、奇妙な光景が広がり始める。
あの、赤色にまみれた境内にきたのだ。
「来てくれたんだぁ」
柱の前でパビャ子が待っていた。以前あったはずの生贄に使用されていた死骸は無くなり、彼岸花が咲き誇っている。一層妖気をまとい夕闇に浮かび上がる。養分を吸ったのだろう。
「イヨ子ちゃん、て、どこまでも愚直だね。家族まで台無しにするなんて」
明るい声色とは真逆の真顔で彼女は言う。人の擬態を止めた化け物はちぐはぐであった。
「別に後悔していません」
「あはは。ここまで質のいい入れ物はないや」
喜んでいるようで、まだ食われそうにない。その際に、イヨ子は邪念が浮かぶ。
──弱体化したパビャ子と、一緒に過ごせないだろうか。そうしたら…。
(そうしたら…)
希望を見いだしてしまい、虚しくなる。(パビャ子さんとずっと居たいよ…わたし、まだしにたくない)
初めて死にたくない、と悔やんでしまった。死にたくない。まだ。
「ありがとうね。さようなら」
彼女の言葉が思考を中断させる。近づいてきたパビャ子が愛人にするように、頭に手を添えてきた。
鋭い牙が覗き、吸血鬼みたいだ、と他人事に思う。唇が触れ合い、口移しで力を移してきた。その際に、蛾の目玉模様に似たあの黄色い眼球が出現する。あれが本体なのだろう。プロジェクトマッピングのようなそれを──イヨ子は小刀で刺した。
目玉模様が悲鳴をあげ、空間がよじれる。穢れで構成された空間が崩壊し始める。奇妙な眼は小刀を中心にヒビが拡大し、彼岸花から腐敗した血が吹き出した。
「ぎゃあああ!!いたいっ!お前、何した──」
教室の端っこにいる哀れな少女には自分の理想像があった。強くて、感情が単調で世界から切り離された人。
ひとりぼっちでも、注目されなくても、取り柄がなくても悲しくない人。
──パビャ子の隣にいれる人。
ごくり、と『力』を飲み込み、己の最期を悟る。血の海に埋もれながらも、まとわりつくリクルートスーツを脱ぎ捨て、泣きわめくパビャ子を眺めた。
小刀に願いを込める。あの神も同じ事を願っていたのかもしれない。みるみる内に視界が暗くなる。残留した神の力だと不思議と理解できた。
神殺しの犠牲になった神の魂が最後の神秘を与える。
このままではきっとパーラム・イターも、存在を保持でなくなってしまう。
贄のための柱が砕け、辺りは闇に包まれた。




