かつてあったはなし
八重岳 イヨ子は鈍器と化したゴルフクラブを握りしめたまま、肩を上下に揺らし、過呼吸を起こしそうになっていた。
真面目で目立たないイヨ子は、用事あるからと呼び出され、クラスの担任に目をつけられ強姦されそうになった。
もみくちゃになった際、咄嗟に玄関にあったゴルフクラブで殴り、担任は血を流して倒れた。呆気ない展開に目を丸くして死体を見るだけだった。
つい数日前ならば抵抗できずに、泣き寝入りしていただろう。だが、イヨ子は既に前科者だった。
イチャモンをつけてきたクラスメイトを階段から突き落とし、殺めた。だが咎められずにすんだ──だって。
「あーあ」
背後から声がして振り返ると、リクルートスーツをきた、茶髪の女性が佇んでいる。いつの間にか、音を立てずに現れた彼女に息を飲む。
「すごい手さばきだったね!見惚れちゃった!まさか殺人の快楽を覚えちゃったぁ?」
「…貴方は、何なの?!」
「早く隠さないと。バレちゃうよ」
「隠すって…」
「イヨ子ちゃんのためにとっておきの場所、教えたげる!」
その場にそぐわぬ笑顔で彼女は言う。頷くしかない。
だって。自分は、悪くないから。
「この先に沼があるんだけどね!そこにヌシが居るから、食べさせちゃえばバレないよ!」
「ヌ、ぬし?」
「そう。イヨ子ちゃんには分かるよね?」
二人がかりで担任を抱え、鬱蒼と繁る草薮に分け入る。そこにはマンホールほどの小さな沼があった。
「入れるよ」
「…うん」
よいしょ、と重たい体を沼に下ろしていく。すると濁った水面からウナギに似た生き物が大口を開け、躍り出てきた。
パシャン!
水しぶきをあげ、ソイツは人間を丸呑みした後戻っていった。「わ…!」
「楽しかったでしょ?」
薄気味悪い笑みでリクルートスーツの女性は言う。
楽しかった。かもしれない。
なんだか冒険みたいで、不思議な悪夢みたいだった。
「ほら、笑ってる」
自然と口角が上がっているのを指摘され、イヨ子は慌てて繕った。
「そんな事ない!」
「ね、これからたくさ〜〜ん楽しもうね」
「楽しくなんか」
口篭り、俯いた。否定できなかった。自分はこの状況に希望を見出している事をかき消せなかった。
八重岳 イヨ子とは誰だ?!
だ、誰なんだ…。




