ふす
屋上までやってくると血まみれの獣は唸りながらも身構えた。四つ足の生き物のように、いつでも飛び書かれるように。
ボサボサのやけに色素の薄い茶髪と、ギラギラと敵意に光る双眸。血にまみれた口。しかしその容姿は熊や獰猛な動物ではなく、どう見ても人の形をしていた。
女性なのか、それとも子供なのか。男性とは思えない細身。異常にやせ細った肢体には似合わぬ、鋭い爪。
パビャ子はあれから頭から、奴の姿が消えなかった。
「まさか、これが…恋?!」
ムム、と悩ませ、ドカりと広場のベンチに座る。
「おいおい、浮気か?」
いつの間にか隣には全身真っ白なブリティッシュスタイルのスーツを着飾った青年が座っていた。汚れ一つない純白の革靴を見せびらかすように足を組む。
「ついにパビャ子も浮気するとお年頃になっちまったかぁ〜」
「浮気?!!んなわけないよっ!!」
ラファティは茶化すようにせせら笑う。
「お相手は?素敵なジェントルマンか?」
「いや、アレは死肉を食べてて、痩せこけてて四つん這いだった」
世のジェントルマンとはかけ離れた感想に、彼は眉をひそめた。「ゲテモノ食いだな。お前って」
「いや、待てよ。ソイツ、有名なヤツかもしれないぜ」
「エ?」
「ソイツ、死んだ人間を食ってたんだよな?」
仕方なくパビャ子は団地で出くわした奇人について話す事にした。あれから世の中はどうなったかは分からないが、一大事にはなったかもしれない。
「フスってヤツかもしれねぇ」
「ふす?」
「都市伝説にもなってる大物だよ」
フスは『廢』という。
廢とは本来すたる、と読む。物事が衰えて行なわれなくなる。 衰えたり、物が腐ったり、 人が傷や病気のため役に立たなくなったり、失われたりする──そんな意味が込められている。
その化け物は人間の姿をしているが、人を喰らい、時には災いがふりかかった村を食い潰すとされてきた。正体は猿の妖怪だとか、零落した神ではないかとも噂されているとも。
「ヤツは精神にも干渉するらしい。死肉を食いやすくするために、死に誘うンダトヨ」
「へ〜」
「かなり長生きしてるから、文献にも載っているかもな」
文献には、伏(犬と人)、焄、匽とも表記されているらしい。と、自慢げに教えてくれた。
「フス、かぁ…乎代子に言ってみよう」
「ぜーったいに厄介事に発展させるなよ?な?」
「ありがとう!じゃね!」
「おい!聞け!」
忠告を無視し、茶髪の女性は騒がしく去っていった。
「ヤな予感すんなぁ…」




