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さくら
生ぬるい風が、冬にそっと吹いた。それを感じ取ったリクルートスーツの女性──ミスは何気なく振り返った。
春か、夏の夕暮れのような懐かしくて帰りたくなる感覚に襲われた。
まだ皆に愛されていた幼い子の思い出。
ミスは俯いて、歩き出した。
時間は帰ってこない。暖かな日差しと優しい言葉。楽しい夕暮れの遊び。
時間は帰ってこないのだから。
「…あ」
桜が咲いている。儚い色を宿した桜の大木が、校舎の裏で静かに狂い咲いている。
「貴方も、終わるのですね」
異常気象か、それとも最期の奇跡か。桜は寒空の下咲き誇っていた。
綺麗だな、と関心した。それ以上の感想は無かった。もう抱くほどの感性も、優しさもなくなっていた。
「来年には切り株になっているのかな…ちょっとだけ、寂しいな…」
ちょっとだけ。ほんの少しだけ。
終わろうとしている桜の大木にはそれだけの悲哀しか持ち得なかった。
「私、終わってるや…」
それだけ呟いて歩いていく。凍てつく冬の風が通り抜けていった。
ハタザクラをイメージしています。




