いじょうな どくせんする すいぜん
サクメイシリーズになります。やっとシリーズの最終章?に突入します。
おいでませ、お宮においでませ。参道に逆さの牛様が通ります。丑の刻に通ります。
お宮に逆さの牛様がお休みになられるまでは、鏡の中の牛を見てはなりませぬ。
見たら目玉が反り返る。
子供が軽やかに歌う声が聞こえた──
「サエちゃん。その歌好きね」
白髪に近い女性がクスクスと笑い、サエという子供の頭を優しく撫でる。
「夜札様ために歌っていたのだから、たくさん歌いたくなるもん」
──夜札星は人知れぬ彼岸にある美しい花畑で、彼女へシロツメクサの花冠を作っていた。現世では自らの異能のせいでシロツメクサは境内に生えていなかった。なによりこのようなのんびりした時間は久しぶりであった。捕らわれていた時から解放されてから、こうして穏やかな気持ちで過ごす。
抱えきれない罪悪感もあるが幸せだった。
「サエちゃん。ありがとうね」
「いいんだ。ハジカミ様もきっと許してくれるよ。ねえ、私にもそれ教えて!」
二人は談笑しながらも花冠を作って、幸せな日々を送る。爽やかな高原の風がサラサラと草原を揺らし、雲が流れていった。
──錯迷は焼き払われた社殿を作り直した。慈悲深き夜札星が住むにふさわしいお堂を建設し、焼き討ちした者どもの血で柱を塗った。苦悩に満ち、また驚愕の瞬間で息絶えた顔を飾り立て、魔除けのヒトガタとして体を灯篭に縛り付けた。
夜札星はそれを拒絶しなかった。仲が良かった子供をお使いにして、良くお堂まで来てくれる──
しかし今日はいつまで経っても『逆さ牛』は訪れない。
「夜札星様?どこにいるのですか?夜札星様?」
清楚凪 錯迷は焦燥を顕にしながら、逆さ牛の異界を探し回った。どこにも彼女の気配がしない。
あの少女も。
あるのは自らが造り上げた歪な世界だけだった。
「夜札星様!サクメイは、やつかれは…貴方様がいないとダメなのです!姿を見せてください!」
虚しく切実な叫びが響く。
「なぜだ?何かが変わった?これも…あの天使代理人協会などと言う輩の仕業なのか?いや、多多邪の宮様の…何故、なぜ??」
脳内でできる限りの理由を見つけようともがく。計り知れぬ力が作用し、逆さ牛は消失した。
受け入れられない。逆さ牛が──慈悲深き夜札星が存在しなくなってしまったなんて。
自分をいつでも受け入れてくれたまさに慈母の如しお方。
なにせ『清楚凪 錯迷』は夜札星が居なければ生まれ落ちなかったのだから。
ある時、日本列島で大きな戦が起きた。いや、侵略戦争だった。狩猟を生業にした民族と渡来した文明に順応した農耕民族の血で血を洗う戦いが起きた。人間だった錯迷は戦闘要員だったのに──逃げ出した。
勝ち目がない。そこそこ弓矢の扱いに優れていたが、小さなムラはすぐに包囲された。
それからはひっそりと森を渡り歩き暮らしていた。──が、とあるムラの護衛に勘違いされ、反逆者として捕獲されてしまい、ズタズタにされた。
そこに夜札星は訪れ、付きっきりで介抱してくれた。まさに森羅万象に宿る神に見えた。
この神は自らを救ってくださった。だから一生涯仕え、役に立たなければならない──
「夜札星様…どこへ」
「夜札星様」
「どこへ」
「やつかれは、どうすれば」
「サクメイは夜札星様のために生きてきたのですよ」
歴史は変えられない。自らが夜札星により助かった事実も、令和が来る運命も。
自身が今まで奉仕してきた果てしない時間も。
「ああ、夜札星様。夜札星様を世話できるのはサクメイだけです」
──アッター・アンテロープ。
清楚凪 錯迷は失望する。あの悪魔なら何でもする。
『利益』になる事なら何でもするのだ。整えられた物事、記憶、歴史を台無しにする。タブーを呆気なく起こしてきた。
それを自身は近くで見てきた。だって──
「アッター!何をした!」
清楚凪 錯迷は憎悪に任せて吠えた。無抵抗のアッター・アンテロープは不敵な笑みを浮かべたまま、彼に喉ぐらを握られる。
「なぜヤツらに加担した!なぜだ!」
「なぜってぇ。ボク、悪魔だしぃ」
「夜札星はどこへ行った!答えろ!」
牙をむき出しにし、瞳孔が開いた目で悪魔を威圧する。普段の様子からは想像もできぬ変わりように、悪魔はさらに小馬鹿にした笑みになる。
「勘違いしてない?サクメイさん?ボクはパーラムの残りカスに加担したんじゃない。君が愛してやまない夜札星と契約したんだ」
「は?」
「君って、人間だったら豚箱に入ってるよ。気色悪い。束縛激しい男は嫌われるって知らないのぉ?」
ギリギリと鋭い爪が皮膚に食い込むのも意に介さない。
「この世に夜札星はいない。もう二度とこちらには渡ってこない。もう、二度と君の前に現れない」
「アッター・アンテロープ!!契約しろ!」
機械音声ではない実在の怒鳴り声が廊下に響いた。ザワザワと彷徨う人々が恐れ慄く。
「残念だが、君には利用価値がなくなった。旨みがない。ボクだってお客さんを選ぶ権利はあるんだよ♡」
軽口ばかりの女児を壁に叩きつけると、錯迷は獣の唸りを転がした。
「パーラムを殺しにいく。…心していろ。野良悪魔め」
「あ〜あ。野蛮人はどこまでも野蛮だなぁ」
ニヤニヤするアッターを無視して、彼はのしのしと屋敷から出ていった。
「ああいうヤツの終わり際が一番、美味しいんだ」
あの世?彼岸?にお花畑あるんでしょうか…。
臨死体験でお花畑が出てくるし、きっとあるんでしょう…。きっと…。