みーにんぐれす をよこさいどにて(!危 たたやのみや 危!)
サクメイさんシリーズです。
ラファティ・アスケラの上司に相応しい、理想的な、机上の空論を好む人だった。でないと天使なぞというファンタジーな存在を名乗る事もない。
乎代子は錆び変色した鍵を眺める。どこの鍵なのだろう。
「よー、乎代子ぉ〜〜」
「ラフ…」
ハッと視界をあげると噎せ返るほどの官能的な──白檀の香りがして固まった。目の前には摩訶不思議な、まるで平安時代の髪型──角髪というが──をした子供が興味深そうに、覗きこんでいる。
その瞳は限りなく色素の薄い茶色だった。
「反応したね?なれは乎代子だね?」
「え…」
「そうか、パーラム・イター。乎代子がそんなに居心地がいいかあ」
無邪気なトーンで子供は言う。白髪に近しい髪は薄ぼんやりとした照明の下、不思議と輝いていた。
「あ、貴方は」
高貴な人物に違いない。いや、否定できぬ神々しさと威圧感がある。衣服は格式の高さ正装を表す…西洋の燕尾服というものだろうが、手袋から突き破った鉤爪が獰猛さを隠しきれていない。
「わえは麻宇汝旴愧堕焚邪命または多多邪の宮。該当しない郡団、または無該当化した者たち…の始祖の『次のヒト』さぁ。ふふっ、これはまた良くできた玩具ぅ」
爪が頸動脈に当てられ、竦む。
「この熱さ、まさしく血潮と心臓があるみたいだ。わえもコレが欲しい。羨ましいなー、パーラム・イター」
「ヒッ…」
柔らかい目つきの奥で捕食者のギラつきがある。人間を喰らうこの世の者でない部類のソレだ。
「パーラム・イターとお、お知り合いなのですか…」
「いかにも。わえらが始祖と話し合い、パーラムを選んだ」
「え?い、いや、パーラムは元からそういう機能だって」
「わえらには基礎となる容物が必要だ。下界の人々に、威厳をもたらすのも秩序を形作るのもわえらの仕事」
甘い声音で子供は言う。誰か、助けて──と監視カメラへ視線を訴える。
「アハハッ!かわい〜!助けを求めるオプションもついているの!」
ギュッと抱きしめられ、身を固くする。幼いとはいえ力は強かった。
「かの稀代の女呪術師、阿魚という者が作り出したそうだね。今度、徒魚…おっと違った、今は至愚だったか?まあ、いいや!会ったら褒美をやろ〜」
「…た、タスタス」
幼子はさぞ楽しいのか、こちらをじっくり『視姦』した。あちらには高性能のアンドロイドにでも見えているのか。好奇心と嫉妬の眼光。
パーラム・イターへ嫉妬している。
──こんなに面白い物を独り占めにするなんて。
そう言いたげである。
乎代子は心底震えた。彼らは人類とは異なる思考回路を有している。命だとか人権だとか。そのような常識が抜け落ちている。当たり前か。
この世の者でないのだから。
「今のうちだ。わえの物にしてしまおう」
そういうや否やわざとらしく、子供は指を鳴らした。突如厨子が出現し、呆気に取られていると手招きされる。
「面白いものをみせてあげる」
怪しい謳い文句に拒絶しようとしたが、無理やり引っぱられ、多多邪の宮は問答無用で戸を開いた。
陰鬱とした部屋とは対照的に、あちら側は麗しい清涼な風が頬に触れ、暖かな光に満ち溢れた世界が広がっている。
仙人が住まう理想郷の如く、風光明媚な景色が漠然と飛び込んでくる。上層の薄紫の雲や活き活きとした草木を生やした山々。山水画で良く目にするカルスト地形の変わった山々も遠くに臨める。地面から湧き出る霧。澄んだ爽やかな風。空中に揺蕩う池に咲き誇る蓮の花。
これが彼らのいう、極楽浄土。
「わ、わあー…何とも綺麗な景色ですね」
自らの語彙力の低さに嘆きながらも、かの白檀の匂いにクラクラした。本当にこれは白檀なのだろうか?まさか変な薬が含まれている?
そのせいで思考力も下がっている気がする。
「それもそうさ。わえが苦労して山の壁に建てたの」
いつだかテレビで見た──達谷窟毘沙門堂に似ていた。舞台造の絢爛な作りのお堂。では下は…考えたくない。
そうこうしているうちに脱力感が襲って、乎代子はついにしゃがみ込んでしまった。板の間の冷たさとカラリとした風だけが五感に訴える。
「へへ。所詮は呪具だね。それともパーラム。人黄を食べてないから動けなくなっちゃったかい?」
「え、何ソレ…な…、なん?」
首を傾げるしかできず、美しい衣に変幻した子供に魅せられた。アレは神の類だ。
「…パーラム。なれはなぜ、嫌気がさした?この世界にいるのがそんなに不満?」
どつかれて、無惨に横たわる。力が出ない。多多邪の宮が乗っかってきて、目を覗き込んでいた。
「始祖も、わえもいるじゃないか。それにお抱えの端女らもいる。あんなに楽しそうに始祖と話していたのに…」
終始おちゃらけた様相をしていた、子供がむくれたような悲しい顔をした。
この人はパーラム・イターと話たがっている。内なるパーラムへ「どうするよ?」と問いただしてみる。しかし水面下で応答はない。
「やはり人間は毒だ。純心であったパーラムでさえ、ああなってしまう…」
「──多多邪の宮様。なぜ、サクメイの狙っている物をお持ちですか?」
いつの間にか、蓮の咲き乱れる池に清楚凪 錯迷が佇んでいた。いや、浮かんでいると言った方が正しいか。ギラギラと黄金の双眸を滾らせ、彼は睨みつける。
「…清楚凪 錯迷。久しぶり〜」
「久しゅうございます。多多邪の宮様」
耳が使い物にならなくなり、瞼を閉じる。もうここまでか…だなんて、漫画のセリフみたいだと内心苦笑した。
(…パビャ子。ごめん。もう、会えないかも)
(アイツ、きっと誰かに餌付けされんだろうな…そういうヤツだよ)
野良猫みたいな人であった。フラリとアパートへやってきてはまた姿をくらます。ご飯を食べに来るだけの、ただの話し相手。
彼女はあっという間に『洞太 乎代子』なんていう人物を忘れ、新しい人生を歩むのだろう。
(自由に生きろよ。パビャ子)
「いやぁぁーーーー!!!!!!!!!!!!」
ザバァーッ!!と池から、何かが飛び出し鼓膜が破けるほどに絶叫した。話し合いをしていた二人組も、いきなりの乱入者に固まっている。
「乎代子が死ぬのはダメーーーーっ!!」
「パビャ子…?!」
滲んだ視界の中で、パビャ子らしき人がものすごい速さでこちらへ向かってくる。
「ふふ。残りカスまでやってくるとはぁー」
多多邪の宮が「えい」と手で払い除けると、触れてないはずのパビャ子が吹っ飛んだ。彼女は蓮の海に溺れるも必死に抵抗する。
「パビャ子、逃げろ!コイツらフツーじゃねえ!」
「逃げれるかバカヤロー!コイツらー!乎代子に何しやがる!」
「パビャ子…」
自らに執着すらしていないと思っていた。微かに、友情だとか、そんな恥ずかしい気持ちが湧いてしまった。
「ありがとう」
脳裏に人でない暗闇に住まう神、とされた者の姿が浮かぶ。涙を流したパーラム・イターが言う。
「ありがとう」
──私へ信頼をおいてくれて。
(パーラム・イター。それと、名前の分からない神さま。私たちをどこかに連れていってくれ…)
視界が暗転して、水の中にいるのを自覚する。冷水で息ができない。
慌てて水面を目指すと、気がつけば見ず知らずの、どこだか分からぬ清流にいた。山奥なのか人工的な灯りはない。パビャ子も流れつつザバザバと泳いできて、ひっついてくる。深さはそこまでないが足がつかないのは少し怖い。
「乎代子、ありがと〜」
「え?何かした?」
「私を助けてくれて」
蛍に酷似したこの世の者でない部類の甲類が乱舞して、清らかな川を薄らと照らしている。その青白い光は月光の塊のようで美しい。あの嘘くさい極楽浄土よりも現実味があり、安心できるものがあった。
自らはこちら──此岸があっている。
「お前ら、どうしてここにいるんだよ?!」
ガザガサと草薮をかき分ける音がして、懐中電灯で照らされた。眩さに目を逸らすも、ラファティ・アスケラだと分かる。
「ラフ?」
濡れるのも顧みずに駆け寄ってきた。「つべて!」
とても長くなりました。
多多邪の宮がいる極楽浄土、また登場させたいです。




