みすちゃんのあやまち
ミス(Miss)ちゃんシリーズです。
ミス(Miss)──ある娘の両親は大企業の重役でもなく平凡で、共働きをしつつもひとり娘である自分を大切に育てた。決して裕福な家庭ではなく、貧しく辛い日々もあったが二人は困窮をひた隠しにして、自らを満たして愛してくれた。
金銭的余裕がなく大学はいかなかったがそれでも社会人になるまで、寄り添って育ててくれた事に感謝している。
ミス(Miss)は両親に別れを告げに行く。自らの死と向き合う。
国鉄から私鉄を乗り継いで、訪れたのは久しぶりの故郷。都心に夢を見ていた小娘だった頃は鄙びた田舎へ憂うつな気持ちになった時もあったけれど、稲穂が揺れた景色は美しいと思った。収穫までもうすぐ。
こんなに色付いた視界を、久しぶりに見た。働いてから疲れ果て留守電すら聞いていなかった事へ後悔する。母親はあんなにも身を案じていたのに。
懐かしい道を歩き、五階建ての公団住宅の一階を見やる。雑種──今はミックス犬というのか、ポチが庭でまったりしている。
(あれが…『私』のお家。何も変わってない…)
「ポチ」
静かに呼びかけると、犬はビクッと体を震わせ毛を逆立てさせた。まるで猛獣か、化け物を見たかのように。
「ギャンギャン!」
鬼気迫る形相で吠えたてられ、ミス(Miss)は悲しくなる。この子にはもう、飼い主が化け物にしか見えないのだ。
(やっぱ私は化け物になっちゃったんだ)
あどけない顔をして喜んでいた記憶があるだけに、シュンと項垂れているとガラス窓を開け、母親が出てきた。
「どうしたのポチ」
「あ、す、すいません…可愛くて、ついいきなり声かけちゃったから」
「…。あら、どこかで会った事…ある?近所の子…?」
完全に忘れてはいないようだが、自らが存在していない事を突きつけられてしまうのは辛かった。
「あ、えっと、そんな感じです…久しぶりに帰ってきて」
「そう!なおさら申し訳ないわ。こら、ポチ!」
叱られて不服そうだが、ポチは犬小屋に入って行ってしまった。
「なんだ母さん。おい、■■じゃないか!帰ってきたのか?!」
「あ、あなた」
名前が聞き取れなかったが、父親が後ろから顔を出し──帰ってきた、と言ってくれた。それだけで充分だった。
「あ、茶を飲まないか?色々、聞かせてくれ」
「は、はいっ!」
「──ミス(Miss)さん」
肩に手を置かれ、背筋に悪寒が走った。そして後頭部に激痛が走り、視界が激しく揺らぐ。彼の大好きなシャベルに殴られたのだと気づくのに時間がかかる。
「いたっ…」
チカチカする視界を瞬かせると、見知らぬ廃屋にいた。古民家に近い廃墟。埃と壁や屋根を突き刺す日差しに目を細める。「きゃ!何ですかこれ!」
「手錠です」
笑顔のまま、彼は革靴でミス(Miss)のふくらはぎをなじる。
「い、痛い…やめてください!ど、どうして」
「貴方が違反行為を冒したからです」
違反行為?何の事だ?
体は鎖で縛られ、廃屋の大黒柱に括り付けられていた。手錠も足枷となるガムテープも。今までの距離感を保ってきた南闇とは異なる態度に恐怖を覚えた。
「貴方は飼育下の生き物と同じ。風雨をしのげる宿があり、ご飯が食べられる。それは飼い主の元、ルールに従っている場合に適応される」
「わ、私を飼い犬だと思っていたんですか?!」
何たる事だ。この男は自らの都合のいい女性を半ば軟禁していたのだ。この摩訶不思議なリクルートスーツが脱げなかったからいい。もしも普通の人間だったら…。
「け、警察を呼びますよ!!このっ!変態野郎!」
「んー…少し違います。至愚さんに、責任を取って世話をしろと言われたので。しかし貴方はあれだけ注意したはずの我々のルールを破ってしまった」
「我々の、ルール…?」
「はい。我々、この不可解なリクルートスーツを着た者には規則が設けられているのです」
神を喰わない事。
人間になる前の家族や親類へ干渉しない事。
上目の存在に歯向かわない事──
「まあ、たくさんあります。僕たちは歳をとらず、暑さ寒さに負けず、傷もつかず…不老不死のような、不気味な生き物。それには代償が必要なのですよ」
確かにシャベルで殴られたのに、傷一つついてない。革靴であれだけなじられたのに、肌は赤くもなっていない。
ミス(Miss)は自らが死体なのではないか、と恐怖に駆られた。
「…私たちは何なんですか…」
「さあ…分かりません。人でないのは確かです」
「なにそれ…あの時、貴方が、駅で歩こうなんて言わなければ!私はっ!」
手錠を壊そうとするもビクともしない。それを見た南闇は笑う。
「まあ、この前に話しましたよね?…本当は食べるつもりだったのですが…」
「ヒッ」
身を捩るが、彼は近づいてきた。そして手錠の鎖を触って確かめる。
「自己暗示とはすごいな…。僕らなら、こんなもの動作一つで壊せる。しかし君は人間だと思い込んでいるから、永遠に壊せない」
仮面の如く半月の笑み。リクルートスーツを着ただけの化け物だ。
「…良いですか?ミス(Miss)さん。人が優しい顔をして近づいてくるのは、ワケがあるならなんです。僕はあの夜、貴方を川に突き落とし殺害して食べようとした。それだけです」
「う、うう…人でなし!」
(そうよ、私は人でなしの誘いにのってしまった)
ミス(Miss)は駅舎から数メートル先で落下した。摩川の濁った汚い水に溺れ、あまつさえ南闇の手によって後頭部を捕まれ溺死させられそうになっていた。水が肺に入り、ジタバタするが怪力には敵わない。視界も夜の闇と水底の泥やらで不明瞭だった。
(かみさま、た、すけて)
一瞬たりとも本気で死にたいと思ってしまった。それがこんなに苦しいなぞ、知らなかった。甘えていた。
(ごめんなさい…!たすけて!誰か!)
脳裏に微かに火が踊り、南闇は手を離した。バシャリ、と体が水面に沈み──河川敷が一気に燃えた。
(明るい…お迎えが来たのかな…)
南闇に髪を掴まれ、空気を無理やり吸わされた。口から大量の水が吐き出される。夜景が見えてグラグラと揺らめいていた。彼は笑顔のまま困惑している。
「今のは貴方がやったんですか?」
雑草が燃え盛る中、不気味な生き物がこちらを見ている。輪郭だけが見え、眼光が南闇を射抜いている。
「責任を取りな。南闇」
「至愚さん…」
「お前が同胞を作り上げたんだ」
南闇…お前…




