さちあれ!
──覚醒するとまた見知らぬ気味の悪い森にいた。さっきまでは廃墟と化したアパートの一室だったはずなのに。
鬱蒼とした森──雑木林だろうか?変わった木々は──乎代子には分からなかったが、コウヤマキが多くを占めていた──空を隙間なく埋め、不気味で巨大な蛾が木にとまり、羽の模様がこちらを見ているようだった。そして何故かあちこちに錆び付いた信号機があって、夜間点滅信号のため赤く点滅している…みたいだ。
あの串刺しにされた亡骸たちが信号機の犠牲になり──訳が分からないが、か細く呻いている。
これはパビャ子に似た女がいた、意地悪い悪趣味な空間だ。
「や、乎代子さん」
それ見た事か。パビャ子にそっくりな女がニヤニヤとしながら現れる。
「何だよ。また殺しに来たのか」
「ふっふ〜ん。自らが手を下すまでもないね。清楚凪 錯迷がお前を壊して、このくだらない箱から私を解放してくれるんだから」
上機嫌にそう言うと、信号機に串刺しにされた亡骸をいじめた。悲鳴をあげる死体を嘲ると、彼女は彼岸花をむしり取る。
「箱?そんな箱が」
「お前の事だよ、ばーか」
「…」
「至愚がよ、お前を調伏して私を封じ込める為の呪具にした。こっちの方の体は人間に近いから手を出しやすかったんだろうよ」
「ちょ、ちょっとどういう」
状況が飲み込めず、乎代子は慌てた。しかし彼岸花を口に放り込まれ黙らせられる。
「あっちの体は人間離れしすぎているが、パーラム・イターが体験してきた情報提供の媒体、いうなればハードディスク(HDD)みたいなモンだ。データベース化して管理するには丁度いい容物。だから破棄されずああして動いてんだ。ま、そんなの、私にはどうでもいい」
ブチブチと彼岸花を抜いていくと、茶髪の女はこちらを愉快そうに見やる。
「私には肉体など本来必要ないのよん。此岸に出現するためにあの肉体を作ったにすぎない。清楚凪 錯迷がお前らを破壊すれば始祖のいる極楽浄土へ戻れるのさ」
「…戻ってどうするんだ?極楽浄土に住むのか?」
「まー、そうだなぁ。多多邪の宮のように、ご隠居してもいいが。もっとこう…自由になりたい。彼岸の向こう側に行くよ」
舞台裏へね。
「…なんだよそれ」
「舞台裏だ。地球のどこでもない、宇宙のどこでもない。自由で何も無い、虚無な場所」
黙らせられた彼岸花を手に、乎代子は戸惑う。この女はパビャ子の望んでいる自由を突き詰め過ぎている。
そこまで縛られるのが嫌なのか。
「虚無な所って」
「八重岳 イヨ子が一番知っているんじゃないかな?あの子はこちらをずっと監視している。私が逃げないように」
八重岳 イヨ子。どこかで聞いた言葉だ。しかし思い出せず、歯がゆい。
頭の奥にあるのにとりだせない記憶。
「ああいうのを此岸や彼岸のヤツらは幽霊と呼ぶ。アレは悪鬼にしか見えないが」
心臓が早鐘を打った。自らは幽霊を探している──なぜだか、理由も分からずに。
「幽霊はどこにもいて、どこにもいない。心の中にいるのに、実際にはいない。支配の化身だ。おぞましいヤツだよ。私を尚も縛りつけようとしやがる」
「イヨ子を見つけたら、ど、どうなる?」
「は?うーん、さあ…幽霊の専門家じゃないから知らね」
パビャ子のそっくりは庭いじりに飽きたのか、つまらなそうにこちらを見た。
「パビャ子…」
「私はそんなふざけた名じゃない。パーラム・イターだ」
「はあ…」
パーラム・イター。変わった名前である。異国情緒のある響きを心中で反芻する。
「そうだ!洞太 乎代子。清楚凪 錯迷に粉々にされては元も子もない。私を呼び出せるようオマジナイを教えてあげよう」
彼女は人差し指を魔法使いの如く揺らめかせると、口を開いた。
「स्वाहा」
「え?」
「幸あれ。あなかしこ…日本語のカタカナ文字で言うとスヴァーハー。供物を捧げる際の聖句だ」
彼女は何人なのだろうか?今の姿も仮初なのだから、検討もつかない。
供物を捧げる際の聖句──彼女は神なのだろうか。
「そうすれば私があの若造をちょっとばかし痛めつけられる」
「…分かった。清楚凪 錯迷ってヤツは必ず攻撃してくるんだな?そんでお前は自由になる」
「そ。健闘を祈る」
適当にグッドラック!と送り出され、気がつけば布団の中にいた。あのパビャ子にそっくりな人は何をやらかしたのだろう?
(グッドラックってそこは英語なんか…ワケわかんねーヤツ)
「寝た気がしねーよ…」
スヴァーハーは薩婆訶として日本に伝来したそうです。
勉強になる事ばかりです(自分が汗)。




