やれほし
清楚凪 錯迷は清楚であろうとする為に馬鹿らしい名前を名乗る。それは彼女の模倣なのかもしれぬ。美麗で儚くも芯の通ったある女性を脳裏に浮かべ、らしくもないため息をついた。
勝手に人間どもから神として崇められ、それに必死に答えようとした優しすぎる人。
何度も止めたのに。彼女は崇め奉る人々を大切にしようとした。
名を夜礼星という。
原始時代は鋭く輝かしい様から晶という名であったが、出雲族らが残した形跡、日本の神話に登場する深淵之水夜礼花神の化身として祀られ、夜礼さまと名付けられた。
神の真似なぞ馬鹿らしい、と神々しい光を放つ麻宇汝旴愧堕焚邪命こと多多邪の宮は鼻で笑っていた。人界で神になるなんて愚の骨頂であると。
──何の意味もない。自らに災いを招くだけの行いだ。わえの顛末を見なかったのかい?
彼岸の入りを司るパーラム・イターは先輩にあたる彼女の動向を我関せずと興味なさげに受け入れていた。日本神話や日本の民間信仰には無知であり──いや、全世界の神話にも、だろうが──ただ彼岸へ魂を『渡す』だけに徹していた。
夜礼星の様子をつまらなそうに眺め、ふらりと姿を消した。実の所あの女に良い印象はない。世界を斜めにとらえ、自らを卑下していた。
彼女の味方は自分、清楚凪 錯迷しかいない。化生の者──すなわち中有の者や畜生へ堕ちた魂を守り司る自らを、大切に扱う彼女へ恩返しがしたい。
無害な人に化け、毎日、供物を届けた。村の者として農作業をし、供物になる野菜を育て、祭りの際には体格を活かし神輿を社殿がある山の下から、または上まで担いだ。
彼女はすまなそうに、そんなに従事しなくていいのに、と零していたが。
パーラム・イターはそれをせせら笑う。馬鹿だな。あの男。夜礼星へ惚れているのか?愚かしいな。人間の真似事が好きなヤツらだ。
嫌な奴だと無視しながらも、彼女にお神酒を届けたり、ささやかながらも幸せな日々を送っていた。
「…清楚凪 錯迷。貴方は私をどう思っているのですか?それは恋心ではないですか?いけませんよ。我々が人間のような『毒』を抱いては」
「…いえ、恩返しをしたいだけです。やつがれは、貴方様に救われた身。それだけです」
人は毒を持つ。原初の存在らには劇薬になりうる穢れた毒。
自らはもう毒されて、彼らが培ってきた強大な異能を持ちえていないのかもしれぬ。それでもいい。
──その覚悟も。若気の至り、だったのだろうか?
ある年に飢饉が起きた。不作や相次ぐ災害。村は餓死者だらけになった。
まだ科学的根拠も確立されていない時代。人々は怒りの矛先を神に向ける場合があった。嫌な予感がして、神社へ出向くと生き残った村人たちがあれだけ祈り倒したのに雨すら降らないじゃないか、と息巻いていた。
早くこの村から逃げようと、彼女へ伝えに行こうとした矢先──パーラム・イターに鉢合わせした。
ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべ、ヤツは「ご苦労さま」と口を開いた。
「おかげさまで私の仕事が忙しくてさ。いい時代だ。人間もたらふく食えるし、仕事も捗る。村のヤツらが潰し合えばなおさら、こっちに回ってくるし」
到底、穢れなき者には見えなかった。
「今日の夜、他の『ヤツら』がくるらしーよ?何でもこの村の神のせいで、雨が降らなくなったとか。ま、そんなの言いがかりだよな。神なんてこの世にいねえのにさあ!奇襲される前に逃げるこった」
茶髪を風に揺らしながら、女は身軽に飛び跳ねた。小馬鹿にした笑顔が夕暮れに照らされて、血みどろに見えた。
「じゃあねー。世間知らずのおぼっちゃま」
清楚凪 錯迷は現実に意識を戻し、怒りをかみ殺す。しかしそれは何百年と封じ込めてきたもので、鋭い爪が床を切り裂いたのを見るや、押さえ込んだ。
パーラム・イターはまだこの世界にいる。しかも元気だという。
あのように、憎らしげに、のうのうと生きている!
「早く、殺すべきだ」
「アレをこの世から消せば、夜礼星のような犠牲になる者も減る。アイツが彼岸へ魂を渡す機能を放棄したから、この世の者でない部類が増える。質の悪い魂ばかり現世にはびこる」
「サクメイは人間を利用する。かの神のようにはいかぬぞ」
サクメイさんの独白的な。




