ぎゃびーさんぴんち
「よいしょ。これで、最後かなぁ」
どっしりとした書類の束をデスクに置いた。ブカブカの白いスーツの裾をめくり、たくさんの言語を眺める。全世界の言語の束は重厚だった。
古びて埃臭い一室には届かなかった何世紀ぶんの『言葉』が収納されている。この部屋はどこにもない、奇跡の空間だった。
淀んだ空気をかき混ぜる換気設備の音しかしない、深夜。
ギャビー・リッターは真剣に葉書や便箋を仕分けしたのを確認する。このご身分も悪くない。
狂った遊園地にいるよりは随分、気が紛れる。
疲れが限界に達し、ふとタバコが吸いたくなり、部屋を出た時だった。自前の携帯──ガラケーが鳴った。慌てて廊下を走り外に出る。
「やっほー。リマブィテアスンアナ・ダッチバーン・ディスピピアンスちゃん。元気?」
「やめろ!今、仕事終わったとこなの!」
相方が茶化して笑う声がわずかにハリボテの喫煙所に響く。
「それといちいち、その長い名前いうのやめてよ」
「はいはい。わたち、トーローテレイン・フープは、今日も独りでお仕事頑張ってまぁーすっ」
「わ、分かったよ」
明るい声に恨みが含まれたのを察して堪忍した。
「ねー、いつ帰ってくるん?」
「いやいや、下界に降りたばかりだろーが」
「Boo」
「そっちはどう?」
「相変わらずガラガラでーす。ギャビーちゃんが健気にお仕事してるの見ながらポテト食べてた」
狂った遊園地がガラガラである事が平常なのだから、安心していい。しかし頭上から監視されていると思うと背中が痒くなった。
「じゃあ、お疲れだろうから、ばいなら〜」
一方的に電話が切られ、ため息をついていると、喫煙所に誰かがやってきた。ラファティ・アスケラだろうか?
(ラフは喫煙しないはず…)
「やー。ギャビー。珍しいじゃん、タバコぷかぷかする気かい?」
パーテーションの影から現れたのは長身の男。ミハル・ミザーンだった。
艷めくブロンドヘアーに華やかな香水。顔つきも端正で、人間なら美男というべきだろう。
この世の者でない部類は捕食対象から警戒されぬよう美男美女であるのを好む。こちら側では美人は珍しくはないのだ。
「…!み、みみ、ミハルさん、邪魔して、すいません!」
保守派のリーダー格の一人がなぜここに?
偽物の天使には見合わない──橙色と黒の奇妙な瞳がこちらを見透かしたような、妖しげな好奇心を宿した視線で覗いてくる。きっとあちらは気づいている。
このギャビー・リッターが、かつての人物でないのを。それを暴くぞ、とわずかなサインを出したらどのような反応をするのか。
「いいよー、別に。お取り込み中な声がしたから覗いてみたんだわ。したら、ギャビーちゃんがいて、おかしーなーと」
「あ、あはは」
美麗な顏を輝かしく綻ばせ、彼はベンチに座った。
「ギャビーちゃん。サリエリちゃんを殺したいん?」
「え?!は」
「じゃないとそんな嘘くさいカッコしてスパイしてる訳ないけんね。サリエリちゃん、嫌われ者だから」
「な、ななな、何を言ってるんですか?!」
素面でもそう思った。今のどこを見て、そんな発言ができるのだろう?
(まさか…喫煙所に監視カメラが?)
もちろん『ギャビー・リッター』はサリエリを暗殺しに来た訳では無い。
「オイラもサリエリちゃんキライ。ま、それは仕方ない。この世に存在する限り、敵が生まれるもん」
三つ編みを弄りながら、彼は明るく言う。
「保守派への勧誘ですか…?」
「いーや。保守派はもう忘れてるよ、サリエリちゃんたちの事件も、存在も。自分らのやりたいのやってるだけ」
「…」
サリエリ・クリウーチとは、なんと哀れな娘だろう。今も時間が止まったまま。少しだけ同情する。
「天使代理人協会なんてサリエリちゃんも、面白いスローガン掲げるもんやね。ねえ、ギャビー・リッター。殺すなら優しく、ね。あの子が可哀想でしょ」
電子タバコを吹かすと、彼はリラックスした様子で空を仰いだ。
「…よく、分かりません」
「ははは。いいよ、それでー」
新しいキャラクター登場☆☆




