きれいときたない
南闇はふと視界に入った羽虫を避ける仕草をして、自らはまた幻影を見たのだと気づく。
どこにも羽虫はいない。あるのは清潔にされた美術館の滑らかな壁だ。
都内にある小さな美術館へ足を運ぶのは『人生経験』を積んでから。それまでは人並みに友人や異性と遊び、人並みにキャンパスライフをし──親にどやされながら働くと思っていた。
美術館は静かで、皆、熱心に絵画を鑑賞している。自分は芸術的なセンスもなく、これがどのような意図で描かれたなどという知識もない。
だがこの空間が好ましかった。
咋噬 南闇は常設展示室にある青く澄んだ海底のような、摩訶不思議な抽象画の前で佇む。この絵画がお気に入りだった。
澄んでいて、清らかだ。
ぼんやりと眺めているのも心が落ち着く。作者不詳の絵画は飾られて良かったと思う。
羽虫や害虫の幻覚を見ずに済む、精神安定剤のような色をずっと眺めていたい。
ミュージアムショップにあの絵の絵葉書を発見し、買うか悩んだ。しかし実物でないとあれは意味がなさない。
南闇は帰路につくと、途中で炉端に動物が死んでいるのを目撃してしまった。ハエや蟻などが集り、嫌悪感が襲う。
気持ち悪い。脂汗がでて早足になる。あの狭い部屋で腐り果てていく人間の醜悪さがフラッシュバックし、過呼吸になりそうだ。
「あ、南闇さん。帰って…」
ミス(Miss)が珍しく学生寮の近くの自動販売機で水を購入していた。
「ど、どうしたんですか?!具合悪いんですか?」
こちらの様子を見て、慌てて駆け寄ってくる。
「その水、ください」
「は、はい」
無理やり流し込んで吐き気をやり過ごした。脂汗を拭いながら、ため息を着くと心配している気弱な女性を見やる。
「すいません。水、買い直しますよ」
「あ、いえ…」
「いいです。僕に非がありますから」
自動販売機でミネラルウォーターを買い直し、彼女に渡した。
「ありがとうございます…あの」
「大丈夫です。暑いですからきっと日射病にでもなったのでしょう」
適当な嘘をつき、学生寮の裏手にある庭にたらふく水を吐いた。この体はどうしてか水を受け付けない。しかし、飲まなければどうにかなる程に胸焼けがした。
胃から出た水に、蛆虫が混じっているようで、南闇は更に汗をかいた。新たな人骨が必要だ。
気が狂いそうになりながら、フラフラと街へ向かう。人骨にするための獲物と隠してある遺体を見に行くのだ。
そうすればこのおかしな、狂気は収まる。そうしたら。
そうしたらまたあの絵を見に行こう。澄んだ清流で禊をするために触れるように、穢れを落とそう。
咋噬 南闇の裏設定を出せました。




