いれば
川の桜並木に入れ歯が埋まっている木がある。さして誰も気にしていない。
入れ歯が埋まって、露出している事もしらない。誰かが落としていった入れ歯を優しい人が木に、引っかけたのが年月を経て、こうなるのかもしれぬ。
それは横に置いて、とりあえず、たまにその木の傍で座っている老人がいる。穏やかそうな男性は良く、にこやかに土手を通りかかる人と話していた。よくある光景であり、何の疑問も持たない。
川とは様々な顔を持つ。
無意味名 パビャ子は野宿している際に夜な夜な、たまに川で「助けてくれ〜」という声を聞いていた。夜釣りをしている人がその叫びに驚いて、逃げていくのも目撃している。声の正体は分からない。
そもそも夜中に川で過ごしている人はあまりいない──のと、「助けてくれ〜」が全員ではなく一定の人にしか聞こえないからだ。
「あらら。この桜の木も切られちゃうのね〜」
犬を散歩させていたおばあさんが残念そうに老いた気を見上げる。
「アメリカシロヒトリだとか、色々ありますし、植えた時期からしてもう年なんですよ」
木の洞を前に市役所の職員がいう。「桜の名所ですから、次世代の桜並木を考えたいです」
春になると桜が一斉に咲く、市内の取り柄でも会った。パビャ子は草薮の中でトカゲを捕まえながらもその会話を盗み聞きする。
カナチョロがジタバタと暴れるが、パクリと食べて他に食べ物がないか探した。
「この隣の木も伐採するんです。斉藤さん、悲しむでしょうね」
斉藤さんとはその木の近くで、座って川面を眺めるあの老人だった。まるで彼こそが根を張る、古木の様な気迫があった。
「そうよ〜。たまに悲しそうにしてるもの」
会話などどうでもよくなり、パビャ子は日が沈むまで川で体を冷やしていた。
夜になり、久々の「助けてくれ〜」の叫びがした。砂利で花火をしていたヤンキーたちがざわめく。夏によくある怪談話。
乎代子は怪談話を探しているが、今は何をしているだろうか。
幽霊を探しているだろうか。
数日たち、市が騒然とした。伐採した木の空洞から人の遺体が出てきた。一部ミイラ化した白骨死体。何年も知らずにそれは土手に根をはり、木に閉じ込められて助けを待っているように思えた。
助けてくれ、の声はあの白骨死体の主だったのか、と後になって怖がった人も居たのかもしれない。
夕暮れ時、乎代子とパビャ子は伐採され、ボロボロの切り株だけになった事件現場に佇んでいた。
「海外の話みたいだよな」
「ね、何で木の穴に落ちちゃったんだろうね」
「さあ…」
土手で井戸端会議をしている人々が「斉藤さん、見なくなったわね」と話していた。
「知ってる?斉藤さんの服、いつも同じだったじゃない?そういうご趣味だと思っていたけど…」
「木の中から出てきた遺体と同じだったそうよ…偶然みていた人がいて」
「じゃあ、斉藤さんって…」
おばあさんたちは気まずそうに顔を見合せている。そんな話はあるものか。マダムたちは笑い飛ばして、違う話をする。
「じゃあ、幽霊、なんだよな…」
乎代子が確かめるように言うが、首を横にふった。「幽霊なんていないよ。それに斉藤さん、土手で座ってる時さあ。すごい怒った顔してたよ、歯を食いしばって」
皆、呑気に斉藤さんと話していると思っていた。しかしパビャ子には違って見えた。
憤怒の形相で窪んだ眼窩から歯をゴトゴトと零し、唸っていた。彼に何があったかは知らないが、アレは幽霊ではない。──この世の者でない部類に変じていた。
「…都合のいいやつだよね、皆さ」
「ん?あんだよ?パビャ子。アンニュイなのか?」
「あ、バカにしてる!せっかくマトモな感想言ったのに〜」
地元に入れ歯がある桜の木(?)を思い出し、書きました。




