それはゆっくりと
マリーが王都から領地に移動して、もうすぐ一年になる。生活はとても穏やかで、マリーはゆっくりと普通の少女に変化していった。流動食は普通の食事に移行し、ぬるま湯の湯浴みは熱いものに変わった。常にぼんやりしていた頭は冴え渡り、レヴィの仕事をいくつか手伝うようになった。
「おじゃましまーす」
おずおずとレヴィがマリーの部屋に顔を出す。マリーは慌てながらも二人分の紅茶を用意した。
「よろしくお願いします」
「今日はフツーの王道ものだから。期待してて」
オルタムリジンには先代達が書いた本が沢山ある。蔵書の半分が専門書で、もう半分が娯楽目的のもの。全てオルタムリジン特有の言語で書かれているためレヴィがマリーに翻訳しながら娯楽小説を読み聞かせている。今日もマリーがぴたりと横につくので、レヴィは苦笑いを浮かべながら読み上げを始めた。
(やっと少しは甘えられるようになったかなぁ)
何年も虐げられていたマリーは、自分には愛される資格など無いと思っているし、再び攻撃される不安と常に戦っている。優しくされても素直に喜べなかった。物語では「素敵な人に愛されて少女は幸せになりました」の一文で終わる内容を、想像も絶する苦労でもって手に入れようとしている。それはレヴィも同じ。
自分から人に話しかけることができないマリーのため積極的に話しかけた。仕事で失敗するたびに青ざめるマリーを優しくフォローした。悪夢に飛び起きたマリーを宥めて一緒に寝不足になった。読み聞かせをすることで傍にいる時間を作り続けた。何日も何週間も何ヶ月も。一年になる今、やっとマリーはレヴィの隣に自らの意思で座るようになったのだ。
そのことを噛み締めながら、レヴィは読み聞かせを続ける。
「“一人じゃ勇気が出なかったけれど、君と一緒ならできるかもしれない”」
「…あっ」
レヴィが隣を見るとマリーがポロポロと涙をこぼしていた。まだ今日の物語では泣くような場面は出てこない、主人公が相棒と出会うワクワクなシーンのはずだが。
「ごめんなさい、あの、なんで、ごめんなさい」
立ち上がろうとするマリーの体を抱きしめて、レヴィは何度もその体を優しくトントンと叩く。
「大丈夫だよ」
「私、あの」
「うん」
「ごめんなさい」
「いいよ」
こうして緊張の糸がとけて泣いてしまうことも時々あるのでレヴィには慣れたものだった。
マリーは手間がかかりすぎる。結婚するだけならば、こんな面倒な人を選ぶ必要もないだろう。それでもレヴィはマリーを投げ出さなかった。小さい体で働く健気な少女を見捨てたくなかった。なにより、最近になってやっと笑顔を見せるようになったから。まだギクシャクとした下手な笑顔だったけれど、それが可愛いと思い始めている。
「レヴィ、あの、私」
そこで口を閉じてしまうマリーに代わり、レヴィは言う。
「一緒にいてね」
更に泣き出してしまったマリーを抱きしめる。ゆっくりとだけど信頼が生まれているのをレヴィは感じていた。