第一歩
レヴィは上機嫌で馬車に乗っていた。王に今日のことを告げ口したうえに“脅し”をかけたところ、王が「あの男爵家はどちらにせよ駄目だと思っていた。好きにしろ」と言ったのだ。虐める口実ができたのでレヴィの気分は晴れやかである。
レヴィ・オルタムリジン、次期辺境伯の彼は決して善人ではない。むしろ陰湿でプライドが高くて捻くれ者だ。彼に目をつけられて虐められた貴族は一人や二人ではない。社交界に一切顔を出さないので、周りは誰も知らないが。
「一度に没落なんて生ぬるい事はしない。領地をじわじわ奪って、今日からここをレヴィ領とするって宣言してやる。ヒヒヒ」
ニヤニヤと笑うレヴィの前で、大きな咳払いがされた。そこに居るのはレヴィの右腕とまでされている若い執事。彼は呆れたような顔でレヴィを見ていた。
「ライラ様よりご伝言です。今夜、寝る前にはマリー様にお会いくださるようにと」
その言葉を聞いた瞬間、レヴィは「ひえっ」と声をあげて冷や汗を流す。とんでもない人見知りであり、初対面の人とはまともに話せないのがレヴィという男である。嫌がらせをする時は老若男女問わずに地獄へ叩き落とすくせに。
「無理無理無理!何を話せって言うのさ!あんな小さい子で、虐待されてて、出荷よろしく嫁に送り出された子にさあ!いきなり知らない男を夫ですなんて紹介されたって困るじゃん!僕の話なんてどうせ面白くないのに」
早口で言い訳を連ねるレヴィに対し、執事は再度咳払いをする。話の腰を折られたレヴィがぐっと口をつぐむと、執事は声を潜めて言った。
「ライラ様がマリー様は子を望めない可能性があると」
「なんだよ、それ」
少し考えれば解ることだ。長いこと虐待を受けていたマリーは、とても14歳とは思えない体付きをしている。肉体的にも精神的にも追い詰められている彼女が不妊症になっても変ではない。
どうしてそんな仕打ちを受けなければならないのかとレヴィは悔しさと怒りで再び唇を噛み締めた。マリーがどんな人なのかは知らないけれど、ボロ雑巾のように扱われていい理由はないはずだ。少なくともレヴィはそう思う。
「ライラはなんて?」
「まだ14歳なので、これから治療すれば可能性は十二分にあると」
夫としてマリーの精神的支柱になってやれ、というライラからの遠回しな命令である。レヴィにとって荷の重い内容なのだが、これを無視するほど悪人というわけでもない。
「女の子って、ゲーム好き、かな?」
「二人で遊ぶゲームならばきっと」
レヴィは冷や汗をかきながらマリーの部屋の前をうろうろとしていた。その様子を執事ならびに使用人たちが冷ややかな目で見ている。ドアノブに触れるのが五回目になった時、中から扉が開かれてレヴィの胸ぐらが掴まれた。そのままズルリと中に引きずり込まれたのでか細い悲鳴をあげた。次期当主とは思えないほどの情けなさである。
「さっきから気配と足音がうっせえんだわ」
ライラの冷たい眼差しを浴びて逃げられないことを悟り、レヴィは情けない姿のままマリーの前に立った。ソファに座っていたマリーが立ち上がろうとするのをライラが制す。
「は、は、初めまして。一応、オルタムリジンの当主になる予定の、レヴィ、です」
蚊が鳴くような声でボソボソと自己紹介をするレヴィ。その場にいた誰もが呆れた目でレヴィを見ていたが、マリーだけは違った。彼女は深々と頭を下げたのだ。
「マリーと申します。よろしくお願いします」
体はガリガリだし、顔色は悪くて頬もこけていたが、清潔な姿だったのでレヴィは少しだけホッとした。レヴィは陰湿で捻くれていたが、罪のない少女が虐げられていたら痛む心ぐらいあるのだ。
「あの、髪が短いの、いいね」
目も当てられないほどギトギトだった髪を綺麗さっぱり切ったことで、マリーはずっと清潔な印象になった。そのことを褒めようとしたのに「いいね」しか言えないのかとレヴィが自己嫌悪に陥っていると、マリーが戸惑いながらも微笑んで答えた。
「ありがとうございます。レヴィ様が髪の短い女性も好きだから、と」
マリーと婚姻を結ぶことになったのだとレヴィは嫌でも思い出した。
「えっと、あの、僕と結婚することになって、本当にごめんなさいというか。こんな得体の知れない野郎の嫁になれとか突然すぎて訳わからんってなっても仕方ないと思うけど、できるかぎり仲良くしてくれたら嬉しいというか、いきなり嫁扱いはするつもりないというか、これから良い関係になれたらいいとか」
早口でまくし立てるレヴィの頬をぎゅっとつねるライラ。マリーは驚いていたものの、その場にいた誰も止めないので何も言えない。ライラはマリーを安心させるように微笑んで「安心して、これでも手加減してるから」と謎のフォローをしていた。安心できる要素はなにもない。
ライラから解放されたレヴィは、頬を擦りながら改めてマリーと向き直った。
「さっきも言ったけど、僕はいきなりお嫁さん扱いするつもりはない、あ、いい意味でね!?これからお互いに知っていって、好きになれたらいいな、と思うわけです。ハイ」
お互いに歩み寄る努力をしましょうとレヴィは言いたいのだ。急な結婚にも関わらず、マリーの意思を尊重しようとするレヴィにマリーは驚いてしまう。今までずっと虐げられてきた彼女には信じられない提案だった。
「好きになれなかったら、どうなるんですか?」
「ええと、それは、申し訳ないけど領地から出られないから、領地内で恋人を作ってとしか」
ライラは深い溜め息をついた。二人そろって対人経験が少なすぎて会話がうまく噛み合っていない。
「マリーさんが言いたいのは、レヴィがマリーさんを気に入らなかったらって事ですよね?もしそうなったらレヴィが責任もってマリーさんを幸せにしてくれる相手を探すだけだから心配しなくていいですよ。マリーさんがレヴィを気に入らなくても同様です。ただ、レヴィも言っているように領地からは出られないから貴族に嫁ぐのは諦めてもらいます」
そこでマリーは最初に実家で言われたことを思い出した。その地に嫁ぐと二度と戻ってこられないということを。あの言葉は本当だったのかと驚いていると、レヴィは言いにくそうに口をもごもごさせながらも説明を始めた。
「オルタムリジンはちょっと特殊だから、機密が漏れないよう徹底してて。だから男爵家にはもう戻れないんだけど、大丈夫?」
あの家に戻れないと言われても全然ピンとこなかった。あの場所にマリーの居場所はなかったし、帰りたいところもない。戻らなくてはならないと胸騒ぎがしないわけではないが、戻りたいのとは少し違う。義務や命令で押さえつけられるような感覚だ。
「戻れなくても、平気、だと思います」
ライラはそんなマリーの不安を読み取ったのだろう、優しい声で語りかけた。
「マリーさんは突然の環境変化に体が驚いているのだと思います。時間をかけて慣らしていけば、その不安な気持ちも取り去ることができますよ。慌てずに向き合っていきましょう」
レヴィは「誰これ?」という眼差しをライラに向けていたが、マリーが恐る恐る頷いたのを見て気持ちを切り替える。自分から言った手前、彼女と仲良くなる努力をしなくてはらない。
「それで、良かったら一緒にゲームとかしてくれないかなー、て」
「ゲーム?」
「みんなでできる簡単な奴で!その!お喋りする時間とか増えないかと!」
レヴィなりに精一杯考えた結果か、ライラは呆れたように溜息をつきながらも卓についた。いきなり高いハードルを与えて飛び越えろなんて言えない。レヴィとマリー、二人に丁度いい速度で仲良くなればいい。今日はその第一歩なのだ。