妹の仕事
マリーが目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。体を起こすと「起きましたか?」という声がする。そちらを見やれば、綺麗な女性がいてマリーは見入ってしまった。女性がにこりと笑う姿を見た時、マリーは急に思考がクリアになった。
「あ、その、すみません!寝てしまって!」
慌てて頭を下げるマリーの手を、女性がぽんぽんと優しく叩く。とても心地よいリズムは忘れかけていた母をマリーに思い出させた。
「改めまして、ライラと言います。貴方の夫となる人の妹です」
「その、マリーです。よろしくお願いします」
ライラは不思議な形をした道具を並べると、改めてマリーに向き直る。そして一つ一つ優しげな声で語り始めた。
「私は医者でもあります。マリーさんを領地にお連れする前に、どこか悪いところがないか診察させてもらえませんか?」
「ここは領地ではないのですか?」
「実はまだ王都なんですよ。私達は領地から出ないというのは嘘ですから」
軽くウインクするライラ。マリーはなんだか毒気が抜かれて、そのまま大人しくライラの診察をうけた。医者に診てもらうのは数年ぶりだったが、こんな道具を使ったかしらと首をかしげる。どれもこれも初めての方法だった。
ライラはマリーに優しい声で話し始める。
「マリーさんは少し風邪気味ですね。暫くお食事は消化のいいものを用意させます」
「食事」
随分と縁遠い言葉が聞こえた気がしてマリーは目をパチパチとさせた。そんな彼女を安心させるようにライラは微笑み、そのまま世間話をするかのように話を変えていく。
「実は兄、貴方の夫となるレヴィは王都での仕事が残っておりまして。それが終わるまで領地に戻れないんです。それまでこの屋敷で待機してもらう事になりますが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、です」
「服と侍女はこちらでご用意しますね。あと、一つ相談なのですが髪を切ってもいいでしょうか?レヴィが髪の短い女性も好きなんです」
その言葉に何か引っかかりを覚えたものの、まだ深く考える事のできないマリーはそのまま頷いた。ライラは嬉しそうな表情で頷くと「すぐ手配します」と言い残して去っていった。
色々とマリーにとって疑問に残ることはある。けれど、どれも考えるほどの余力はなかった。
ライラがマリーの部屋から出てすぐ、一人の執事が眉をひそめて立っていた。マリーをここまで連れてきた信頼のおける男でもある。ライラは密やかに【ナイスシルバー】と呼んでいた。
「マリー様は風邪なのですか?」
ライラは首を横に振った。
「マリーちゃんは長いこと食事をマトモにしてないからさ。そういう子に普通の食事をさせては駄目なんだよね。だけど、下手に病人食を食べさせても変だから風邪だって誤魔化したってワケ」
「左様で」
「死んでしまうからね」
執事の顔がさあっと青ざめた。ライラは【豊臣秀吉】を知らんのかと聞こうとして、知らないのが当然だと思い直した。そういう知識があるのはライラを始めとして辺境伯の血筋のものだけなのだから。
“何も守っていない辺境伯”と知らない者たちは言う。山に囲まれた領地は、他国の侵攻などはなく誰かから守る土地はない。だけど、それよりも恐ろしいものを守っているのだ。女の身でありながらライラが医者をやっている理由でもある。
「柔らかくて具材をぐずぐずにしたシチューがいい。噛まなくてもいいやつ」
「すぐ手配します」
「あの脂ぎった髪は肩ぐらいまで切っちゃえって言っといて。風呂はいきなり熱いのは駄目。この辺りは侍女に直接言った方がいいか」
去ろうとするライラの背を執事が呼び止める。一つ聞きたいことがあった。
「レヴィ様はどちらに?」
「陛下に今回のことを訴えに。男爵家が一つ無くなるかもね」
「今日はマリー様にお会いするでしょうか?」
ライラは「あー」と声をあげながら少し悩んで。
「寝る前にはなんとか。女への免疫ゼロの【陰キャ】だけど名乗ることくらいはできるでしょ」